失墜 -1-







 それを手に入れたのは、ほんの偶然からだった。

 そう・・・まさか未だ生存していたとは夢にも思わず、もはや決して手に入れる事は出来ぬであろうと諦めていた存在。
 美術収集家として自他共に認める己ではあるが、その蒼々たるコレクションの中でも頂点に位置するであろう『それ』を手に入れる事はもはや不可能なのだと―――――─そう思っていたのだが。

「・・・まさか、手に入れられるとはね」

 そう1人ごち。ペルシス公セフェランは物静かな顔にそっと微かな笑みをのせた。
 此処はベグニオン帝国の中心部『導きの塔』の周囲に建てる事を許された、7大有力公爵の住まいである神殿の一つ―――――───それも皇帝サナキが住まう大神殿マナイルに次ぐ規模を誇るペルシス公の住居である。
 品良く贅を凝らした邸内に幾つも用意されているセフェラン用の寝室の、一つに彼は今佇んでいた。

「・・・・・・」

 滅多に使われる事の無い、1階の寝室。
 部屋は沢山あるし、どちらかといえば上の階の寝室の方が窓からの眺めも良い。
 あえて、この階下にある部屋を使う理由がさして無いからというのもあるが・・・・この部屋を使う時には『ある理由』がある時のみ、と限定されているからなのである。

「・・・・・・」

 セフェランは徐に寝台脇にあるナイトテーブルに飾られた、小さな大理石作りの彫像に手を伸ばした。小振りな、蝋燭を点した燭台ほどの大きさの女神を象った彫像である。
 そして、その小さな女神の頭を、もぎ取りでもするかのような手つきで軽く捻った。

「―――――─、」

 キリキリッ・・・小さく何かの歯車が回るような音が響いて女神の首が横を向く―――――───と同時に、ガコン、と部屋の何処かで床板でも外れるような音がして、ついでガタガタと寝台が横へスライドした。

「・・・・・・・・」

 セフェランが腰まで届く真っ直ぐな黒髪を軽く掻き上げながら、寝台のあった場所へと視線を向ける。寝台が横にスライドした後には、ポッカリと下へと続く石造りの階段が現れていた。
 この特殊な入り口は、もう一つの地下にある秘密の小部屋へと通じている。
 セフェランと、彼に幼い頃より仕えている執事しか、知らない部屋である。
 セフェランは慣れた様子で白の長衣の裾を滑らせながら、階下にあるその小部屋へと向かった。














 小部屋は、上の部屋と雰囲気がガラッと変わり、中央に豪奢なベッドが置かれている以外、何も無い部屋だった。
 地下だから窓も無いし、壁も床も、剥き出しになった石造りの煉瓦が填め込まれているだけ。寝台の両脇壁にある、2つの燭台に灯が点っていなければ完全な闇に包まれてしまうだろう薄暗い部屋である。
 セフェランは天蓋から下ろされている繊細な刺繍を施されたカーテンを、そっと開いた。

「・・・・・・・・・」

 上等な絹の布団にくるまれ、長い睫毛を伏せて眠る者が、そこには居た。
 薄暗い室内でさえ、淡く光を放っているかのような流れる金色の髪。透き通るように白く滑らかな肌。何より、・・・・・例えようも無い程に繊細に美しく整った、天上の美とも讃えられるだろう顔立ちの造形。
 綺麗な弧を描いた細い金色の眉は意志の強さを感じさせており、閉ざされたままの瞼と長い睫毛は切れ長の瞳を覆い隠している。
 スッキリとした鼻梁は高すぎも低すぎもせず丁度良いバランスで、見る者が必ずそれが綻ぶ様を見たくなり、許されるならば触れてみたいと思うに違いないだろう形良い唇はどちらかと言えば小さめで、淡く瑞々しい薔薇色をしていた。
 そしてセフェランの両手で頭も顔もすっかり覆ってしまえそうな程に、小造りな顔―――――細い顎など、ちょっと力を込めて持ち上げただけで簡単に砕けてしまいそうな程に繊細である。

「・・・・・・・・・・」

 その背に生えた、真っ白な翼を見るまでも無く―――――───これが人間では有り得ない、女神に愛された美の結晶とも云われるラグズ『鷺の王族』なのだと誰でも分かるだろうな・・・・・セフェランは眠る鷺の王族を眺めつつ、何となくそう思い浮かべた。
 云うまでもなく、ベグニオン帝国の中でラグズをこうして捉える事は禁忌事項である。まして『鷺の民』はベグニオンの民によって滅亡した―――――─とされているラグズであるからして、もし発覚すれば他のラグズを飼っている者などよりも数段罪は重いだろう。

「・・・・発覚すれば、ですけどね・・・」

 セフェランは婉然と笑みを浮かべた。
 昏い色合いをした翠の瞳に、愉悦の光が浮かぶ。

 ベグニオン帝国宰相であるセフェランが、この鷺の王族―――――白羽の王子を手に入れたのは、全くの偶然からであった。
 セフェランと同じ、7大公爵・・・つまり元老員の末席であるタナス公オリヴァーが何か珍しいラグズを手にしたらしい―――――という情報は皇帝サナキより耳に入ってはいた。
 だが、そのラグズが何なのかはその時点で知らなかったし、その後クリミア王女を擁する傭兵団がそのラグズの奪還を命じられていたから・・・・セフェランにはまあ、関係のない事項であったのだ。

 けれども、偶然にそのタナス公が執心しているラグズが今はもう存在しないと云われていた『鷺の民』でしかもその中でも希少価値である白羽である―――――─と耳にした時、セフェランは己の運を試す気になったのである。
 即ち、奪還命令を受けている傭兵団に気付かれず。タナス公の軍にも出来うれば気取られず―――――──希少価値のラグズを手に入れることを。

「・・・・・・・・・」

 単身、すっかり荒廃したセリノスの森へと入り―――――─疲弊した様子で蹲る白い翼の主を見た時には、自分の運はまだまだ尽きていないと内心で自画自賛したくなった程であった。

「・・・・前からね、欲しいとは思ってたんですよ・・・・鷺の王族だけは」

 低く囁きながら、昏々と眠り続ける美しい王子の、金色の髪を一房持ち上げ・・・・サラサラと手から零す。

「―――――─こんなに真っ白で、何処もかしこも完璧に綺麗だと・・・・人間って壊したくなりますからね・・・ふふふ・・・!」

 楽しくて堪らない、といった様子でセフェランは声を上げる。

「早く目を覚まさないですかねぇ・・・? たくさん、遊ぶ玩具を用意しているんですけれど」

 言いながら、王子の顔の両端に手を付いてその貌を覗き込んだ。
 ザラッとセフェランの肩からよく手入れされた黒髪が滑るように流れ落ち、鷺の王子の頬に掛かるが閉ざされた瞼はぴくりとも動かない。

「・・・少々薬が強かったか・・・? 反応が無ければ面白くないのですが」

 その様子を見て、セフェランが考えるように細く長い指を自らの顎に押し当てた。

「・・・・まあ、お楽しみは後でも良いでしょう。・・・せっかくプレゼントをあげて、喜ぶ顔が見たかったんですけれど・・・・仕方ないですね」

 暫し逡巡した後、セフェランは一度寝台から身を起こし―――――身に纏ったローブの袖から小さな赤い輪の様な物を取り出す。

「・・・ほらコレ。可愛いでしょう? きっと貴方に似合うと思うのですが」

 赤い色に染められた革製の・・・・恐らく仔犬用の華奢な首輪だった。もちろん人間用ではありえ無く、ペットなどの愛玩動物に填める類のものである。
 それを、眠る王子の前にかざす―――――もちろん、鷺の王子は反応しない。
 構わずセフェランは、目の前の細く白い首にその赤い首輪を填めてやる―――――─所有の証に。

「ほら・・・・とてもよく似合う」

 白い首に、赤い首輪。それは色彩的にもとても映え、美しく・・・そしてとても背徳的だった。

「目が覚めたら、もっと良く似合うようになりますね・・・楽しみです」

 誇り高いだろう白鷺の王子は、この屈辱にどんな表情を見せてくれるのだろう―――――───そう思うだけでセフェランの胸は高鳴った。

「早く目を覚まして下さいね王子。でないと、私は待ちきれなくて・・・・・」

 言いながら、王子の唇に接吻する。そして離れる瞬間、僅かに柔らかな唇の端を歯で噛みきった。
 つつー・・っと鮮やかな色合いの赤い筋が、白い顎を伝って流れる。その筋に触れた指先を赤く染めながら、同じく血に濡れた唇を舌で舐め取りつつセフェランは言葉を続けた。

「・・・・起きる前に貴方を、切り刻んでしまいそうですよ」



 その声には、冷たさと酷薄さと、そして確かな昏い悦びが込められていた―――――───。