Imperial Jade -1-





 日に透けて、キラキラと輝く金糸の髪。色素が抜け落ちたかのように白い肌。最高品質のエメラルドみたいに透明で深い翠色した、切れ長の瞳。

「・・・・・・・」

 その繊細で中性的な美貌は少しも損なわれる事は無く、20年もの年月を経る間に培われたらしい気高さが加わって、神々しい程にキルヴァス王ネサラの目には映った。
 触れれば、その癖の無い真っ直ぐな金髪はサラサラと指の間を心地よく滑り落ち。かつて、子供らしい丸いカーブを描いていた白い頬は柔らかく滑らかで、うっすらと色づく形良い唇が可愛らしく綻んだことをネサラは知っている。・・・大きなエメラルドの瞳をキラキラさせて、自分を見ていた事も。

「リュシオン・・・」

 けれど、現在(いま)。いつも自分の後を追い、縋ってきていた可憐な様子は何処にも見受けられない。

「・・・・・・・・・」

 背に掛かる程度の長さだった髪は今や長くながく伸ばされ、背の白い翼が折りたたまれた先端にも届く程となり・・・あどけなさを醸し出していた丸い頬もスッキリとして、既に可愛らしいと形容するよりは美しい、といった方が相応しい大人びた風貌となったセリノスの王子。
 いつも儚げな、けれど可愛らしい『天使』の微笑みを浮かべていた彼が、神々しい『女神』の如くに美しく成長し―――――──造られた彫像のごとくに無表情に会議開催国であるゴルドアの王と王子に挨拶するのを、ネサラは複雑な面持ちで眺めていた。






 数十年ぶりに、ラグズ―――神と獣のはざまの姿をした者―――の王が一堂に会した、この会議。
 論点はベオク―――神に近い姿をした者達―――の国であるデインが同じベオクの国、クリミアを侵略した事から引き起こされたラグズの国ガリアへの攻撃である。
 ラグズは長き歴史の間、様々な迫害をベオクの者達によって被ってきた。それでも、互いのラグズとベオクの国まで侵す事は無かった為、極めて不安定ではあったものの、それなりに均衡を保ってきたのである。
 しかし、ベオクの国で唯一例外に友好的態度を取り続けてきたクリミアを、デインが攻撃し・・・・命からがら逃げ延びてきたクリミアの王女を獅子王カイネギスの統治するガリアが保護した事から、デインの牽制の魔手がガリアにまで及んだのだ。
 そうなるとガリアは勿論、他のラグズの国である龍鱗族の国ゴルドアや鷹の民の国フェニキス、そして自分・・・ネサラが統治する鴉の民の国キルヴァスだとて無関心ではいられない。
 ガリアが本格的に反撃を開始する事となれば、ラグズ全体で纏まっての連合軍結成もあり得る―――――─といった事態であり、これからの方針をどうすれば良いか・・・・との事から、実際に今攻撃を受けているガリア国国王、カイネギスが各国のラグズの王を招致したのである。




 だが、ラグズの一国を担う立場にありながら、ネサラの関心はカイネギスが提唱する議題の事などどうでも良くなっていた。
 いや、元よりガリアが攻撃を受けようが何処のラグズの国が侵略されようともキルヴァスの領域以外の場所を侵してくるだけの状況であれば、黙視を続ける構えであったのだ。
 今、この空気の中で本心を明かせば、避難が囂々と飛んできて煩い事になるだろうから口に出すつもりこそないが、人間・・・・ベオクだとてキルヴァスにしてみれば、立派な交渉相手であり金ヅルである。
 だから、この会議も元よりそう深刻な心境で参加したものでは無く。ラグズの全王の招集、という名目でカイネギスに呼び出されたから仕方なく―――――といったものだったのだ。
 適当に聞き流し、適当に受け答えして、のらりくらりとガリアへの協力を躱し・・・・そのまま事なきを得てキルヴァスへと帰還するつもりだったのである。




 しかし。うっかり、失念していた。
 ラグズの王達が集まるというこの会議―――――当然、逢いたくも無かった男と顔を突き合わせなければならず、・・・・・そして『彼』も招かれるという立場である、という事を。










「・・・・・・・・・・」




 ベオク最大の国、ベグニオン帝国。その西方の大森林地帯・・・・そこに、かつてセリノス王国が在った。ラグズの中で最も美しい姿を持つと言われる、鳥翼族『鷺の民』が暮らしていた国である。二十年前に、帝国の皇帝である『前・神使』を暗殺したという濡れ衣を着せられ、滅ぼされる前までは―――――───。

 彼・・・・リュシオンは、セリノスの末の王子であり、ネサラの年下の幼なじみでもあった。
 同じラグズの国の中でもとりわけ近い距離にある国というワケでは無かったが、鷺の民の国セリノスと、鴉の民の国キルヴァスは同じ鳥翼族の国であるという理由で、国交が盛んだったのである。

 鴉の民の特徴なのか、ネサラは生まれつき『綺麗なモノ』が好きだった。
 キラキラ光るコインや煌めく宝石、色鮮やかな布や繊細な細工が施された装飾品やら調度品―――――そして、『リュシオン』。
 サラサラの金色の髪や、エメラルドを填め込んだかのような大きな瞳、どの部分を見ても綺麗で愛らしかった『セリノスの王子』は、まだ少年の域を出ていなかった頃のネサラにとって、一番の宝物であったのだ。
 もう一つ、リュシオンより更に幼い、彼の妹リアーネも王子に酷似した姿をした天使みたいに可愛らしい姫でネサラのお気に入りではあったが、心を占めていたのはリュシオンただ1人である。

 末の王子という事で、周囲から散々甘やかされてきたのだろうリュシオンはその天使みたいに愛らしい外見に似合わず、鼻っ柱が強くて幼いながらも尊大な態度が見え隠れするような『ワガママ王子』であったが、ネサラにしてみればその態度すら可愛く思え、リュシオンが何か駄々をこねるのを楽しみにしていた程だった。
 鷺の民は、戦う術を持たない。ただただ美しい歌声と、その天上の音楽にも例えられる美声に相応しい美しい姿と心のみを持つ、繊細で儚い種族である。
 守ってやらねば、吹き抜けていく風にすら茎が折れ萎れてしまう花のように弱々しく、力を持たない存在であるのに、プライドだけは一人前で負けん気の強い『セリノスの王子』がネサラは大好きだった。

「・・・・・・・・・・・」

 ずっとずっとこのまま、彼を守り我が儘を聞いてやりながら―――――傍に居るのは、自分なのだと思っていた。
 彼は第一王子では無いから、セリノスの国は継がない。自分は、やがてキルヴァスの王となる身だから・・・・やがてはリュシオンをキルヴァスに迎えよう。






 そう、思っていたのに。





 20年前の、ベグニオンの民による『鷺の民大虐殺』のせいで、全てが変わってしまった。思い描いていた未来と、全く違う『運命』に翻弄されてしまった。
 折しも、前キルヴァス王が崩御し―――――ネサラが王に即位する真っ只中に起きた惨事であった。
 ネサラがセリノスの惨劇を知りすぐさま駆け付けようとした時には既に遅く、同様に事態を聞き付けた鷹の民の王ティバーンによって、生き残っていたセリノス王とリュシオンはフェニキスへと保護された後だったのである。

 ネサラとしては、あまり仲が良くないフェニキスと交渉してでもリュシオン達の身柄をキルヴァスで保護したかった。
 だが、セリノス王ロライゼが新しい王が即位したばかりのキルヴァスに身を寄せることへ難色を示した上に、ネサラは知らなかったのだがいつの間にかフェニキス王はセリノスの王族の後見人となっていたらしい為―――――─それは叶わなかったのである。
 ほぼ間に合わなかったとはいえ国の窮地に駆け付けたフェニキスと、悲報を後で知る事になり後手に回ったキルヴァスでは、ロライゼ王とリュシオンの心象がまるで違うだろう。ましてキルヴァスはフェニキスに比べ、決して豊かとはいえない国である・・・・・ロライゼ王が鷹の民の国を選ぶのも当然といえば当然なのかも知れない。―――――───それが、20年前。





 『ワガママ王子』とは、それっきり。
 あんなに大事で、大切で大切で・・・・自分の中で一番、中心部分にあった『掛け替えのないモノ』との繋がりは、プッツリと途切れ―――――───そのまま20年が経ってしまった。

「・・・・・・・・」

 人間・・・ベオク達ならばいざ知らず、自分たちラグズにとってみれば20年はさしたる長き時間では無い。ベオクにとっては寿命の4分の1にも値する長い時間かも知れないが、ラグズはその数倍の永き時を生きる。
 20年は恐らく、ベオクにとっての数年程度の感覚でしか無いのだ―――――ラグズであるネサラ達にしてみれば。

「・・・・・・・・」

 けれども、ネサラにはその『たった20年』が永劫ともとれる長き時間に感じられた。自分がキルヴァス王になってからの時間の進み方は、酷くゆるやかで我慢ならないほどに遅く感じられる。
 藻掻いても藻掻いても・・・・・辿り着けない。何処へ辿り着きたいのか、何処へ行き着けば辿り着いた事になるのか―――――─自分でも定かでは無いくせに。ただ、ネサラは藻掻き続けている。






 リュシオン・・・・・・。







 ネサラは、斜め向かいの席に座っている幼なじみにボンヤリと視線を向けた。

「・・・・・・・・」

 ネサラが殊更気に入っていた、エメラルドの瞳は一度も此方を見ようとはしない。思わず溜息を吐きたくなるような美しい顔を僅かに俯けたまま、静かに他のラグズの王達の話に耳を傾けている。

 そして―――――─その横。リュシオンの隣に座っている男に視線を移すなり、ネサラの目は自然と険しくなった。
 フェニキス王ティバーン・・・・・龍鱗族にも引けを取らない、堂々たる体躯をした美丈夫。
 筋肉隆々の厚い胸板、逞しい腕、鍛え上げられた腹筋が、くつろげられた衣服から覗いている。
 浅黒く日焼けした肌と、彫りの深い精悍な顔立ち、そして鷹の民特有の金色に光る鋭い双眸―――――─更に左のこめかみから顎、両眼の下を真横に走り十文字型に抉っている傷跡も相まって、すこぶる野性的な印象を与える男だ。日に晒され少し茶色に褪せた黒髪が無造作に伸ばされたままになっており、それがまた更に野性味を増している。
 それでいて、少しも一国の王たる風格を損なっていないのが不思議な容貌だった。
 何しろ、オーラというのか身体から滲み出る空気というのか・・・・気さくなようでいて、やたらと威厳を感じる男なのである―――――─フェニキス王は。



「・・・・・・・ちっ、」

 聞こえないくらい小さく、ネサラは舌打ちした。
 以前は―――――─20年前までならば、ネサラの中で鷹の民もフェニキス王も『気にくわない』だけの存在だった。
 キルヴァスとフェニキスの国間でも、互いに互いの存在が気に食わないのだから、極力接触しない・・・・・というのが、不文律で。


 けれども―――――───フェニキスは、ティバーンは・・・・・ネサラの『宝物』を取り上げた。
 大切に大切にしていた宝物を、横取りしたティバーンが許せない。ティバーンが統治する国だから、ますますフェニキスも大嫌いになったし、元より嫌いだった鷹たちももっと大嫌いになった。―――――─いや、本当はキルヴァスもフェニキスも関係ない。セリノス王もどうでもいいのだ・・・・・ただ、ティバーンが憎たらしい。『リュシオン』を、ネサラから取り上げたから。
 固くガードして、リュシオン達をセリノスの森へ行かせず、フェニキス内に閉じこめておくのも気にくわない―――――鷺の王子を独り占めするのは・・・・・許せない。



 もしかしたら、有ること無いこと、リュシオンに吹き込んだのかも知れない。だから可愛かったあの子が、幼なじみである自分に逢いにすら来ないのかも・・・・・・?




「・・・・・・・・・・」

 権謀術数には長けているが、豪快な気質であるフェニキス王がそんな姑息な手段を使うとはネサラも本気では思っていない。
 だが、頭で割り切れないのが『感情』である。



 だから―――――───




「・・・・・・デインもまだ、その情報を入手していないだろうから・・・ベグニオンから正式にクリミア王女保護の報がでればデインもガリア侵攻をやめるかもしれんな」

「あんたにしちゃ情報が遅いな鷹王。ご自慢の『目』と『耳』は休暇中かい?」

 ティバーンが自国の持っている『情報』を会議にて公開した折、ネサラはその情報が誤っていると告げる時に皮肉らずにはいられなかった。

「何が言いたい?」

 自然、ティバーンの口調も険しいものとなってくる。

「クリミア王女がベグニオン入りした事など、とっくにデインは知ってるってことさ。知ってて、亡き者にする為に追っ手を送り出してる・・・とまあ、これが最新情報さ」

 クリミアなど、ネサラにとってはどうでもいい国だったし、あえて何か口を挟む気は全然無かったが・・・・ティバーンに対する嫉妬心のみで、ネサラは知りうる情報を会議にて開示してやる。
 ティバーンが不機嫌になればなる程、ネサラは愉快な気分になった。

「どこでこれ程の情報を?!」

「平素から周囲へ目を向けていれば自然と情報は耳に入ってくるものさ」

 ガリア王カイネギス達が驚きの声を上げる中、

「ただ通過しただけで、デイン側の情報まで把握できるたぁ妙な話だな、ネサラ?」

 ティバーンのみは探るような目でネサラを睨み付けてくる。その目つきすら、ネサラには心地良い。

「そうかい? 情報収集のやり方1つにもコツがあってね。良かったら伝授してやろうか?」

「―――――ニンゲンどもと通じる方法なら、遠慮しておこう。ラグズの誇りを捨てるような真似、俺にはできそうもないからな」

 気分良く更にティバーンを煽るような物言いをしてやると、鷹の王は一瞬その鋭い黄金色の瞳に剣呑な光を宿らせたがすぐに余裕たっぷりの口調で言い返してきた。しかも、暗にネサラが人間・・・・ベオクと通じているという関係を示唆している内容で。

「・・・・・・・・」

 今までの愉快な心地から一転。再び不快さが込み上げてきたネサラは数秒、口を噤んだ。



 どうしてこうも、ベオクだラグズだと拘りがあるのか。どちらも、くだらない。・・・・ネサラやキルヴァスにとっては、どちらも金を落としてくれるのならば構わないし、どうだって良いことなのだ。『金』さえあるのなら、ベオクだろうとラグズだろうと手を組むし、無いのなら何の呵責を感じることもなく平気で裏切るだろう。所詮、『世は金次第』なのだ。それなのに、くだらない。




 ラグズだベオクだと拘って、変なプライドを持ち続けるなんて馬鹿みたいだ―――──そんな馬鹿野郎が、『リュシオン』の後見? そんなの、認められるか・・・・。




「 ・・・・・・そうやってなけなしの誇りにしがみつくのが、フェニキス流だよな。『ベグニオン船以外は襲わぬ』とか言って、他にまわすほどの兵がないって素直に認めたらどうだい?」

「・・・・なんだと?」

 セリノスの後見を気取ってから、フェニキスは『ベグニオン帝国がセリノスに謝罪するまでは抗議し続ける』などと言いだし、ベグニオン船のみを襲って海賊行為をしている。
 だが、それだとて国の差別無く海賊行為をし、日々生計を立てているキルヴァスにしてみれば当て付けの行為としか映らない。『選べる』だけの、国力がキルヴァスにはまだ無いのだから。
 大層な大義名分で同様の行為を行っておきながら、国のイメージはまるで違う。それが、ネサラには酷く厚かましく感じるのだ・・・・・いや、別段イメージなどどうでもいい。理由が『リュシオン』な辺りが特にネサラには面白くないのである。


 だが、その肝心のリュシオンが

『セリノスの森を焼き、鷺をことごとく死に追いやった奴ら・・・ベグニオンへの復讐心は消えません。我が兄弟、我が国民の仇をとり、今は寝たきりとなった父王を森に連れて戻りたい。・・・・・・戦う術をもたぬ私に代わり、フェニキス王は行動してくださっている。その行為に対して感謝こそすれ、やめてほしいだなどと、思うはずがない』

 などとティバーンを庇い、昔は全然喋れなかったラグズ語で流暢に話すのをネサラは何とも言えない脱力感と敗北感に苛まれながら―――――─ただ聞いていた。




 その後の会議は滞りなく進んでいったがネサラの心は既に会議からは離れていて、気付けばいつの間にか会議は終わり室内には所在なさ気に彼の部下達が、ネサラの表情を伺っていた。

「やれやれ・・・・・、」

 ネサラは額に降りてきたラピス・ブルーの髪を後ろに掻き上げながら、その整った容貌に苦笑を浮かべる。

「久しぶりに逢ったってのに、ひと言の挨拶も無しかよ・・・・ティバーンの悪口言ったら許さない、って怒ってる顔も綺麗だったけどな〜〜」

「ネサラ様・・・・」

「昔からスッゲェ可愛かったんだぜ、リュシオン。まあ予想通りというか、何というか、すこぶるつきの美人になっちゃってまあ・・・・」



 手を伸ばせば、触れられる距離にいた天使。冗談を言えば笑って、手を引いて色んな場所に連れて行ってやった。いつもいつも自分を追いかけて、・・・・・その大きくて綺麗なエメラルド色の瞳にネサラだけを映していたワガママ王子。




『大きくなったら、俺のとこ来いよ?』

『わかった。おおきくなったら、ネサラのとこへ行く・・・・』


 ラグズ語がまだ話せず、拙い古代語で必死に約束した子供の頃。
・・・・約束、したのに。




「さて、行くか。いつまでもゴルドアに居るわけにいかないしな。・・・フェニキスの鷹共と違って、こっちは忙しいんだ―――――─」


 幼い頃の想い出を振り切るようにネサラは軽く頭を振り、飛び立つために黒い巨鳥へと姿を変えた―――――───。