Melting Kiss



 01







 ふわふわとした、直径2pにも満たないだろう白い塊。

 それが幾つもいくつも、夥(おびただ)しい数で舞い降りてくる。

 黒く塗られた空を背景に、街灯のスポットライトを浴びて。
 それ自体がまるで、光を放つかのような存在感たっぷりのお出ましである。

 どうりで今日は、いつもより冷えると思ったのだ。


「・・・・・」


 自分の吐息が微かに白くなったのを見て、櫂は幾重にも厳重に巻き付けたマフラーの中に、よりいっそう首元を埋(うず)める。


「お、雪だ! 雪が降ってきたぜ!」


 ぼんやり、降ってきた雪が路面に落ちて消えゆくのを眺めていた櫂の隣で、友人の三和がはしゃぐように声を上げた。


「寒い筈だよな〜〜雪だもん! ほら見てみて櫂、すげー降ってきた!!」

「・・・・・・」


 櫂と同様、制服の上にコートを羽織り首元にマフラーを巻いた姿で、三和は降る雪に手を伸ばし櫂の目の前で戯れるような仕草を見せる。

 その様子はまるで、この季節になると1度は耳にするだろうあの歌のよう。
 雪を見ると喜んで、庭を駆け回るというアレのようだ。

 自分も彼も、もう高校一年だというのに。


「櫂、ほら雪〜〜!」


 ミモザを思わせる明るい金髪に、先端が垂れた犬耳を付け。
 コートの裾から太い犬尻尾でも付ければ、さぞかし似合うことだろう。

 雪を見て喜び、千切れんばかりに尻尾を振ってそこら中を駆け回る黄色い犬―――――似合い過ぎだ。


「言われなくても分かる。犬かお前は」

「へ、犬? なんで犬??」

「降るのは寒い証拠なのに、それで喜ぶのは犬かお前くらいという意味だ」


 はしゃいだ動作を暫し止め、三和がその大きな青灰色の瞳で此方を見る。

 きょとん、と櫂を見るその仕草がまた犬のようで・・・櫂は知らず口元を綻ばせていた。


「・・・ちぇ、ひっでーの!」


 櫂の言いように拗ねたのか、三和は一瞬だけ固まったような表情を浮かべた後、パッと櫂から顔を逸らす。


「櫂はさ、・・・雪きらい?」

「・・・・・」


 好きとか嫌いとか、考えたことの無かった櫂だが、それでも質問に答えようと逡巡(しゅんじゅん)してみる。


「嫌いじゃないが、・・・寒い」


 出た回答は、櫂なりに素直なものだった。

 元から寒いのは苦手で、冬自体があまり歓迎出来ない季節というイメージしか出来ない。
 まして、冬といえば1番先に思い付くだろう『雪』は、・・・余り良い印象がある筈も無い。


「ほら、・・・積もるぞ」


 眼前にある黄色い頭に、所々着地してそのまま留まっている、小さな白いフワフワを、手を伸ばして払ってやる。

 指先に触れた雪は一瞬キィンとした冷たさを櫂に伝え、そのまま崩れて消えていく・・・代わりに櫂の指を濡らして。


「―――――・・・俺はさ、雪が好き」

「三和?」


 冷たい、と小さく呟いて三和の頭から離そうとした櫂の手首を、三和の手が掴む。

 先ほどまで雪を手の平に乗せて遊んでいたから、三和の手も氷みたいに冷たい。


「冬だーって感じするし、ヒラヒラ降ってくんのは見るだけでもテンション上がるし」


 言いながら、三和は櫂の手を包むように両方の手で挟み込んだ。
 櫂の手も三和の両手も冷えている筈なのに、触れた箇所からジワリと熱が生まれる。


「確かに寒いし冷たいけど、・・・こうやって櫂がたまには優しいことしてくれるし」


 そして。はぁ、とゆっくり息を掛けてきた。

 じわり、じわり。

 三和の手に包まれた櫂の手に、また新たな暖かさが生まれる。


「それに、」


 何となく、手を振り払うどころか、動くことすら戸惑われて。


「・・・・・・」


 櫂は、意味も分からないまま三和の次の言葉を待って立ち尽くす。


「―――――ああ、櫂・・・お前の頭にも雪付いてるぜ・・・」


 至近距離で、丸みを帯びた大きな瞳が笑みの形に細められる。


「・・・・・・・」


 言った内容から、先ほどの櫂のように髪に付着した雪を払おうとしてくるのかと思ったが、三和は櫂の片手を両手で握ったまま離さなかった。

 三和は、ただじっと、此方を見つめている。

 その表情が驚く程に穏やかというか甘いというか、・・・とにかく嬉しそうで。
 櫂は、三和の視線が自分に向いたまま固定されていることに、少しでは無い居心地の悪さを感じた。


 ―――――何というか、・・・恥ずかしい。

 こんな表情を浮かべてずっと眺められているというのは、・・・意味が分からないしとにかく落ち着かない。

 それに三和は、いつもヘラヘラと何が楽しいんだか分からないけれど底の浅そうな軽い笑みを浮かべているのが常なヤツだったのだ。

 それなのにこんな、いきなり・・・櫂の知らない『穏やかな表情』で見つめられ続けては・・・・居たたまれない。


「三和、・・・いい加減、」


 この状態に耐えきれなくなり、『この手を離せ』と三和の手を振り払おうとした櫂だったが。


「―――――睫毛にも雪、付いてる・・・」

「・・・・・」


 それを遮るように言われた言葉のせいで、動きが止まる。


「ふわふわの白い雪と、櫂ってスゲー良く似合うのな」

「・・み・・・わ・・・?」


 眼前にあるのは、どこかウットリとした友人の顔。

 うっとりとした響きの声。


「薄茶の髪と、長い睫毛を白い雪が飾ってて―――――・・・すげーキレェー・・・」

「・・・・・・・・・」

「櫂、分かる? さっきからさ、雪がお前の顔にキスしてんの」


 吐息が感じられる程の距離まで詰められて、ようやく手が外された。


「ヒラヒラ舞い降りて特攻してきちゃ、お前の頬とか鼻の頭にキスして、玉砕してってんのをさ・・・?」


 言いながら、さっきまで櫂の手を包んでいた三和の両手が、今度は櫂の頬に触れてくる。
 ずっと外気に晒されていた顔は、もちろん冷えていて三和の手の冷たさは余り感じられなかった。


「・・・俺も、」


 玉砕していい? と三和が小さな声で呟くのを確かに聞いたと思った、その瞬間。


「―――――・・・」


 視界が塞がれて、唇に何か柔らかなモノが触れた。

 冷たい程じゃない、けれど温かくは無い、柔らかな何か。
 触れた所から徐々に熱くなって、触れてるだけなのに身体の全感覚を占めて、『それ』のみの感覚に支配される。


「・・・・・・・・」


 息さえも止めて、櫂はただ、それを受け入れた。

 それが三和の唇だ、と脳裏に浮かんだ途端、頭が真っ白になる。

 真っ白になって、思考が停止して。


「櫂?」


 櫂の顔を両手で固定したままの体勢で、三和が名を呼んできても反応出来ない。


「・・・やっぱ怒った? ・・・よな・・・」

「・・・・・・・」


 目の前で、眉尻を下げ申し訳なさそうな顔で笑う友人を網膜に映しているのに、何も言えなかった。


「ご、ごめん!! 悪かった!! 髪とか睫毛に雪つけてる櫂がスゲー可愛くて!!」


 けれど、両手を離してペコペコと頭を下げ始めた三和の姿を見ている内に、徐々に気持ちは落ち着いてきて。


「つい出来心で、さ・・・!! ゴメン悪かった反省してます俺が悪い!!」

「・・・・・・・」


 今の自分は、別にさっきの行為に腹を立ててはいないな、と何処か冷静な気持ちで櫂は考える。


「マジでゴメン、悪かった!!」

「・・・・・・・」


 だが、だからといって―――――今のこの気持ちを何と呼ぶべきなのかは分からない。

 嫌じゃない。
 驚いただけだった・・・・けれど、自分も彼も男で、こんなキスをするような相手ではないだろう。

 だって、単にじゃれた延長線上の行為じゃない・・・口が触れあう、特別な意味があるものだ。

 これは、普通じゃない。

 だけども、嫌じゃないのだ・・・普通のことでは無い筈なのに。


「なあ櫂、ホント悪かったって・・・反省してるよ・・・」

「これは、悪いことなのか?」


 分からないから、櫂は三和に聞いてみる。


「わ、・・悪いだろ? ・・・だって、櫂に嫌なことしちゃったんだし・・・」


 先ほどまでの嬉しそうな表情とは打って変わって、申し訳なさそうな顔の三和がモゴモゴと口を開く。


「嫌じゃない」

「へ?」

「べつに、嫌じゃない」

「え、・・嫌じゃ・・・なかったのか・・・?!」

「嫌だったら、とっくに殴ってる」


 そう伝えれば、三和は半信半疑な様子で、それでもホッとしたように息をついた。


「そ、そうか〜〜・・・良かった・・・って、櫂! それってつまり!??」

「つまり、・・・何だ?」


 三和の言わんとすることが分からず、櫂はオウム返しをする。


「や、だから、〜〜〜い、嫌じゃなかったんならそれはつまり、よ・・良かっ・・・」

「よよか?」

「いや、・・・じゃなくて、さ〜〜〜」

「意味が分からん。もっと簡潔に言え」


 先ほどまでの、よく分からないが櫂を圧倒するような雰囲気を纏っていた三和はもう、どこかへ行ってしまったらしい。
 今ここに居るのは、単に珍しい雪にはしゃぎ回る、落ち着きの無い黄色い犬っころだ。


「や、あの・・・その、だからな櫂、・・・嫌じゃなかったってことは、それってつまり、・・・・」


 ―――――キスして良かった、ってこと? という言葉は、とてもとても小さい声で。

 櫂がようやく聞き取れるくらいに微かな音で、三和の口から吐き出された。


「いや、それは無い」


 期待全開といった様子で尻尾を振ってくる大きな犬を前に、アッサリ櫂はそう否定する。

 そう、別にそれを欲していたわけでは断じて無いし、そもそも三和とそういった行為をするなど今の今まで想像すらしたことも無かったのだ。


「だが、・・・・」


 目に見えて悄気てしまった、幼い頃からの友人に、自然と櫂は言葉を続けていた。


「さっきのは一瞬で、何をどう感じたのか良く分からなかった。・・・嫌じゃ無かった、ということ以外は」


 嫌じゃ無かった、と伝えた瞬間に三和の顔に浮かんだ喜色。
 それが何故だか目に焼き付いて、もっと見ていたいと櫂は強く思った。

 三和が嬉しいなら、自分も嬉しい・・・・今まで感じたことの無い、不思議な感情。


 これは、何だろう?
 生まれたばかりの感情は、櫂にはとても不可解だった。


 見たい、見たい。もっと見たい・・・三和が喜ぶところ。

 どうしたらいい? どうしたら喜ぶだろう?


 ああそうだ、彼はさっき―――――。




「櫂?」


 戸惑うような顔で此方を見る彼を、さっきみたいな嬉しそうな顔にしてやりたい。

 そんな顔の彼を、見たい。


「だから三和―――――・・・もう1度だ。もう1度試せ」


 唇の両端を吊り上げ、櫂は勝ち誇った笑みを浮かべる。


「良いか悪いか、今度こそ見極めてやる」

「!」


 櫂の言葉に、三和は少し眩しそうに眼を細めたが、次の一瞬には悪戯っぽく笑い返してきた。

 櫂が見たいと思った、三和の表情だ。


「いいぜ。・・・今度こそ絶対、高評価貰ってやっかんな!」


 雪のちらつく中、街灯のスポットライトを浴びながら二人して再び先ほどのように至近距離で見つめ合う。


 互いの髪にも睫毛にも鼻先にも―――――白い雪が、パサリパサリと舞い降りて。

 雪に包まれながら、二人で唇を合わせる。
 何度も何度も、寒さに冷え切った唇同士を合わせてキスをする。

 間断無く降り続ける雪が、顔も手も、身体ごと温度を奪おうとして徐々に冷えていくけれど―――――合わせた唇だけが温かい。


 冷たくて柔らかくて、・・・・温かな唇の感触がとても心地よかった。










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