LOVE PORTION



 05










 ―――――好き―――――




 消え入りそうな声で呟かれた、櫂のセリフを聞いた途端。

 レンはまた、心の中で落ち着き場所を求め不安定にグラグラと揺れていた『何か』が、何処かにカチッと填まったような感覚を覚える。
 腑に落ちる――――というのは、こういう時の感覚を言うのかも知れない。


 恥ずかしいヤツ、と何故か照れた風に吐き捨てた櫂の言葉はレンの耳をただ擦り抜けていった。





「・・・・・・・」




 ―――――好き―――――




 レンの中に渦巻いている、『櫂トシキ』へ向けられる感情。


 友達で。
 仲間で。
 憧れの対象で。
 ずっと一緒に居たいと思っていた存在で。

 だけど。

 裏切られた恨めしい相手で。
 滅茶苦茶にしてやりたくて。
 踏みにじってやりたくて。
 屈服させたくて。
 思い切り傷付けてやりたくて。

 それでいて。

 ずっと見ていたい存在で。
 触れていたくて。
 もっともっと知りたくて。
 分かりたくて。
 可愛がりたくて。
 とてもとても大事で。

 決して失いたくない存在で。


 様々な矛盾している・・・けれど、何1つ放り投げる気になれずズッシリ重い『それら』を両手に抱え込んだまま、レンは長い時間を過ごしてきた。


 それら数々の、相反したモノをひっくるめ、全て抱え込んで手放さずにいた櫂への『感情』。

 ぜんぶ丸めて、ひとつにして。
 それらの全てに、たった一つの名が与えられることで。

 ―――――そこに、形が生まれる。



 今までモヤモヤと、漠然としてレンの中に存在したもの。
 それらが名を与えられたことで、形になり『真の想い』をレンへと告げる。







「ああ・・・そうか。そうだ・・・好きなんだ・・・」


 うっかり、レンの唇からぽろりと得心の想いが零れ出た。
 小さく声に出して呟けば、尚更にその『ワード』が自分にしっくり馴染むのを感じる。


「・・・・・・」


 テーブル席の向かい側に座る、薄茶の髪にエメラルド色の瞳、透き通るような白い肌をした、他高校の男子生徒。

 レンにとっては中学時代の同級生であり友人であり仲間であり、かつては袂を別ち憎しみをぶつけ合ったこともある、複雑な経緯を辿った間柄だ。



 けれど、それもこれも。
 気付いてしまえば、たった1つの『想い』から生じたのだろう―――――少なくとも、レンにとっては。





 初めて彼を見た時、とてもキレイで印象的な眼だな、と思って。
 その透明度の高い緑の瞳に、自分を映してくれたら素敵じゃないかと漠然と考えた。

 白く優美な指先が、カードを繰る様がとても格好良くて―――――彼もヴァンガードをするのだと思ったら、自分とファイトして欲しくなった。

 ファイトをしている櫂の姿が凄く格好良くて―――――彼のようになりたいと、ひたすらに憧れた。

 彼の姿、声、仕草、その全部がレンには眩しくて・・・酷く尊いキラキラした大切なモノに見えて、絶対手放したくないと強く願った。



 今思えば、アレがもう恋だったのかも知れない。
 あの出逢った頃の時点で、レンは櫂に惹かれていたのかも知れない。

 とてもとても、まだ恋とは呼べないような幼いモノだったかも知れないが―――――レンは、確かに櫂トシキに恋をしていたのだろう。



 好き、だったからこそ。


 櫂が自分の元を去って行った時。
 苦しくて悲しくて―――――こんなに辛い思いを味わわせる櫂は酷いヤツだと、憎みさえした。

 自分の信頼を裏切り、自分の前から去った櫂に、どうしようも無い憤りを感じた。


 どうでも良いと思う相手に、そんな激しい感情など抱かない。

 興味の無い相手のことは、名前どころか顔も覚えないレンである。
 傍に来ようが、去って行こうが一向に構わない。
 元から『どうでもいい』と思っている存在なのだから、近づいて来ようが離れていこうが、『どうでもいい』。



 ―――――だけれど、櫂にだけは。

 彼のことだけは・・・彼が自分の元を去って行くことだけは、レンは許容出来なかった。


 恐らく、幼なじみで最も自分の近くに居てくれる存在であるテツや、献身的にレンを慕ってくれるアサカが自分の元を離れるとしても。
 悲しみはすれど、これ程に苦しみはしないだろう。


 櫂との別離は、レンに焼き付くような痛みを残した。

 それは永遠に完治しない、重度の火傷のようなもの。
 ヒリヒリといつまでもレンの胸に苛烈で容赦の無い痛みを与え、苦しみを与え続けた。

 熱傷に苦しみ喘ぐレンを救えたのは、唯一『櫂』という名の冷泉だけ。
 痛みを癒すことが出来るのは、櫂トシキの存在だけだった。



 それもこれも―――――全ては、櫂が好きだったから。











「・・・・・・・」



 薄茶の髪の毛先が、所々跳ね上がっている様も。

 ミルクみたいな白い肌も。

 猫を思わせる、眦(まなじり)の釣った大きな眼や。
 その眼窩(がんか)にはめ込まれた、舐めて少しだけ溶けた飴のようにツルリと滑らかな緑柱石の瞳も。

 通った鼻筋も、薄く形良い唇も。

 シャープな線を描く輪郭や、整いすぎて冷たくすら見える顔立ちも。

 細い首筋や、肉付きが薄く案外と骨張っている肩先、そこからすらりと伸びた腕や、長い足。
 モデルのように引き締まり均整の取れたプロポーションも、何もかもが。


「レン?」


 訝(いぶか)しげに自分を呼ぶ、低く甘い声だって。

 白い頬を紅潮させ、すこし戸惑った様子で此方を見ている表情だって。


 全部ぜんぶ、―――――大好きで・・・レンは、櫂の全てが欲しくなる。

 カードやゲーム、その他諸々の玩具のように、リボンでも付けてキレイにラッピングして貰い、お金を支払ったら自分だけのモノに出来ないだろうかと考えてしまう。




「・・・櫂が幾らで買えるか分からないし、そもそも大人しく包んで貰ってくれるかが微妙なところですよね―――――」

「ボソボソと、なに意味不明なことを言っている」


 不意に届いた櫂の言葉に、レンは我に返った。


「えっ? ・・・」

「俺が幾らで買えるとか何とか言っただろ、今」

「あー・・・」


 頭の中で考えていた内容を、いつの間にか口に出していたようである。


「・・・ふふっ、櫂をね。幾ら出したら買えるのかなあって・・・考えてました」

「俺をカードか何かと同列に考えるな」


 すかさず、櫂からツッコミが入る。

 レンだって流石に、櫂を実際に買えるとは思ってはいない。
 ただ、物を購入するように櫂を買えるなら―――――簡単に自分だけのモノにできて、どんなにか素敵だろうと思っただけだ。


「買えたらいいんですけどねえ。ほら、昔の花魁みたいに!」

「・・・俺の体重分の、小判が必要になるぞ」

「じゃあ、それ用意出来たら買わせてくれるんです? あ、でも小判は今の時代に用意するの難しいですよね・・・ゴールドとかでもいいんでしょうか?」

「止せ。冗談だ・・・本気にするな」


 それなら叶えられないことでは無い、と思いつつレンが言えば、向かいの少年は憮然とした顔をする。


「全く、お前は。・・・いつまでだっても、その突拍子の無さは相変わらずだな・・・レン」


 ぶつぶつと溜息混じりにそう続けた櫂の顔は、表面上はしかめ面だったが雰囲気は柔らかい。

 櫂に『許されている』と、レンが感じるのはこういう瞬間だ。

 櫂が、レンを受け入れてくれている。
 他人を余り寄せ付けない気性の櫂が、自分の傍にレンが居ることを許容していると分かる瞬間。


「ねえ櫂」


 胸が、甘い何かで満たされて、いっぱいになって。
 苦しいような幸せなような、よく分からないけれど、とにかく胸に満たされた何かで一杯いっぱいになって。

 膨らみすぎて、破裂してしまわないように。

 レンは、眼前に座る少年をジッと見つめて言葉を続ける。


「―――――僕は、キミが大好きですよ」

「・・・レ、」


 途端に大きく見張られた櫂の瞳が、とてもキレイだった。

 つるりと滑らかで舐めたら甘そうな、透き通る緑色の瞳。
 息さえ止めたように瞬時に固まってしまった彼はさながら、精巧な造りの人形みたいだ。


「自分でも分かってなかったけれど、僕はキミが好きです。櫂が、好き、なんです」


 好き、という語句を強めてレンは言葉を発した。


「レン、・・・それは、、」

「好きです。櫂、―――ただの友達としてじゃなくて」


 櫂が何事か言おうと口を開くのを遮り、レンは更に言い募る。


 もしかしたら、この言葉が決定打になって。
 せっかく仲直り出来たのに、それが終わりになってしまうかもしれないという想いが漠然レンのと脳裏に過ぎる。

 言ってしまったことで、取り返し付かないことになってしまうかも知れないと、口走ってしまった今になって思い付く。


 けれど。

 だけど。

 でも。


 もう戻れないと、レンは知っていた。

 自覚したらもう2度と、今のまま曖昧な状態ではいられない。

 以前と同じ関係に戻れただけでは、櫂が足りない。
 前に居た場所に櫂が帰ってきてくれただけでは、満足出来ない。

 櫂が『友達』として傍に居るだけでは―――――もう、ぜんぜん足りない、足りな過ぎる。



 もっと、近くに。

 もっともっと、傍に。

 その眼に、自分だけを映していて欲しい。
 自分だけ見て、笑っていて欲しい。

 そして何より、レンと同じように・・・櫂の中へと自分を受け入れて欲しいのだ。



 それには、まずレンから想いを打ち明ける必要がある。

 このファイトの先攻は、レン。
 レンがまず、仕掛けなければ―――――レンと櫂の間には、何も始まらない。



「好きですよ、櫂・・・」


 吸い込まれそうな緑の双眸を見つめながら、レンはフワリと柔らかな笑みを浮かべた。



「僕はきっと、ずっと――――それを櫂に伝えたかった・・・」







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