『Call me Master?−その2−』










「ほら、・・・言ってごらん?」


 床に行儀良くお座りした幼い少年の顔を覗き込むように、屈み込んで。
 ファントムは、もう1度言葉を繰り返した。


「ごー、はー、んっ、・・・ね?」


 しかし、目の前の少年は黙りこくったまま、ジイッとファントムの顔を見るだけである。


「・・・・・・・・・・・・・・」


 いや、その鮮やかな濃い青の瞳が見ているのは――――・・・顔ではなくて、ファントムの左腕に巻かれている包帯だった。
 正確には、その切れっ端のヒラヒラした部分らしい。

 足下に置かれた皿になど見向きもせずに、その部分を凝視して今にも飛びかからんばかりにウズウズしている。
 大きな目を興味津々に見開いて、フサフサの飾り毛が付いた耳や尻尾をぴくぴくと震わせながら狙いを定めるその姿は、文句なく可愛らしい。

 可愛らしい、・・・・のだが。


「ねえアルヴィス君・・・・ごはんだよ。何処見てるの・・・・?」


 苦笑を浮かべながらファントムは、とりあえず少年の頭を撫でてやろうとした。
 途端、少年がファントムの腕に向かって飛びついてくる。


「・・・・わっ、・・・!」


 咄嗟に避けようとして―――――まあいいかと考え直し、ファントムはそのまま少年を抱き留めた。


「もう、・・・アルヴィス君てば。君まだ、ごはん食べてないんだからね?」


 左腕に巻かれた包帯を弄び、夢中になっている少年の頭を撫でてやりながら優しく諭す。

 まあ、人間年齢でいえば10歳程度とはいえ、この少年の精神年齢は赤ん坊そのもの。
 ―――――半分以上は合成された猫の本能に占められ、人間としての脳もまだ未発達状態なのだから、ほぼ理解などしてはくれないのは承知しているのだけれど。

 覚えているのは、『アルヴィス』という名前くらい。

 言葉もまだ、喋れない。

 時折、「にゃー」だとか「みゅ・・・」だとか「フーーッ!」という音を発する所を見ると、このまま放っておけば猫語しか喋れなくなってしまう可能性だってあるような気がする。

 それはそれで可愛いから、似合ってるような気もしつつ。
 けれども、せっかくだったらお話出来るようになりたいな・・・というのがファントムの希望だったりするので。

 こうしてとりあえず、一番オーソドックスだろう『ごはん』という単語から教えようとしたのだが。


「・・・・・・・・・・・・・・・・」


 可愛い猫耳少年は、左腕の包帯にじゃれつくのに忙しい。
 人間のモノでしか有り得ない、白くてきれいな両手で包帯のヒラヒラした切れっ端を弄び、極めて猫らしい仕草で飽きる事なく遊んでいる。

 多分もう、彼の頭の中には自分がファントムに抱っこされている事や、先程お腹が空いたのだろうしきりにファントムに擦り寄って、指先をぺろぺろと可愛い舌で舐めて来た事だって―――――─存在しないに違いない。

 徐々にじゃれつきがエスカレートしてきて、アルヴィスが包帯に噛み付きファントムの腕に爪を立て始めた。
 それを横目に見て、ファントムは軽く溜息を吐く。


「・・・だーめ。アルヴィス君、そういうのは禁止だよ」


 別段痛くも痒くも無い程度だが、躾(しつけ)の為にそう声を掛け、小さな身体を自分の腕から引き剥がす。
 そして目の前に少年の顔を持ってきて、目線を合わせた。


「・・・・・・・・・・・・・・・」


 その瞳の余りにも見事な青色には、何度見ても感嘆の溜息しか出てこない。
 顔立ちも相当にキレイな少年なのだが、余りにも瞳の印象が強すぎてそこから目が離せなくなる程である。

 少し吊り上がり気味の瞳に、時おり黒々とした長い睫毛がバサリと落ちてきてまたゆっくりと上がる、その睫毛の隙間から覗く青もまた幻想的な美しさで―――――――――─・・・・今は別にそういう鑑賞の意味で目線を合わせた訳では無かったのに、つい見とれてしまう。


「・・・・・・・・・・・?」


 不意にアルヴィスが、ファントムに向かって手を伸ばしてきた。

 人間同士であれば(年齢的な差は置いておくとして)、恋人同士のような甘い展開が予想される行動だ。

 だが、アルヴィスは猫のキメラ(合成獣)。
 そんな訳は有り得なく。


 細い手が、スナップをきかせて・・・・・・一閃(いっせん)!



「―――――・・・痛っ、!?」


 気付けば、アルヴィスの伸びた爪がファントムの頬にしっかりとHITしていた。


「な、なに? どうしたのアルヴィス君!? ・・・いきなり・・・」


 白い頬にクッキリとした三本の爪痕を付けながら、ファントムは面食らったように猫耳少年を見返す。
 もちろん、少年の手が自分の顔に届かないように腕を伸ばした状態で彼を摘み上げながらだ。


「・・・・・・にゃー・・・」


 けれど、アルヴィスはまだ諦められないらしくファントムに向かって両手をチョイチョイ、じゃれつくように伸ばしてくる。
 その様子自体は、凶悪に可愛らしい。


「・・・にゃーって、あのね・・・・」


 ヒリヒリする頬の痛みに、苦笑しつつファントムがアルヴィスの目線を追うと―――――自分が頭を揺らす度に少年の目が見開かれ、猫科特有の針状の瞳孔が興奮度合いを示して拡大する。


「・・・ああ、これか・・・・」



 ―――――─油断、した。



 頬に掛かるサラサラした銀髪を横目で見て、ファントムはようやくアルヴィスが何に興味を持ったのか理解した。

 猫・・・とかく子猫は、動きのあるキラキラしたモノやヒラヒラしたモノが大好きだ。
 アルヴィスは外見こそ人間の子供だが・・・・・頭の中は、猫なのだからして。

 周囲からとかく賞賛しか受けた事の無い、ファントムの顔の造形などアルヴィスはどうでもいいのだ。

 今まで至近距離で見つめた相手は例外なく、頬を赤く染めて(たまに染めないヤツもいたけれど)、ファントムの顔にじっと見入ったものである。
 見つめた相手側から、アクションを起こされた事などはまずない。

 けれども、・・・・・アルヴィスにその手段は、全く通用しないのだった。

 それどころか。
 自分を異常なくらいに好いてくれているらしいキャンディス辺りが見たら、悲鳴を上げて卒倒するか怒り狂いそうな、クッキリとした引っ掻き傷をファントムの顔に残してくれたくらいである。

 ファントムは懲りずにまだ伸ばしてくる華奢な両手を抱き締める事で封じ、そのまま小さな身体を押さえ込んだ。
 そして、もう一度目線を合わせる。


「・・こーら。駄目でしょう引っ掻いたら」


 めっ!と極々軽く、小さな額を人差し指で弾く。


「・・・・・・みゅー・・・・」


 猫耳を横に垂れ、アルヴィスが少し痛そうに顔を顰めた。

 そんな仕草が堪らなく可愛らしい。
 反省しているかは、激しく謎なのだが。


「よしよし、いい子」


 あんまり可愛かったので、ファントムは今度は頭をグリグリ撫でてやる。

 何だかもう、今日は言葉を覚えさせなくてもいいような気がしてきた。


「・・・じゃあ、ごはん食べようね。お腹、空いてるでしょう?」


 言いながら、アルヴィスの身体を離し、目の前に肉などを満たした皿を置いてやる。

 アルヴィスはクン、と鼻を鳴らしながら皿を見て・・・・空腹だった事を思いだしたのだろう、すごい勢いで顔を皿に突っ込み始めた。

 白くてキレイだった顔が、見る見る間にソースや肉汁で汚れていく。
 手も突っ込むから、それも同様にベトベトだ。
 せっかく首輪の代わりに結んであげた、黒い天鵞絨(ビロード)のリボンもそれに付いている黄金細工の鈴も、ソースまみれである。


「・・・・・うーん・・・・これじゃあ、食事の度にお着替えだよねえ・・・・・」


 その様子を屈み込んだままで微笑ましく見守っていたファントムは、眉をしかめた。



 一心不乱に食べる様子自体は、とてもとても、可愛らしいんだけれど。

 食事の度に着替えるというのは、貴族の風習だったりするんだけれど。・・・いやまあ食前にだけどさ!

 着替えさせるコト自体は、楽しいかなーとも思う所なんだけど。

 その理由が、こういう意味で汚すから―――――っていうのはチョット、頂けない・・・かなあ?


 やっぱり、どうせ汚すなら別意味の方がボク的には萌えるんだよね!






「・・・うーん・・・・」


 しばし逡巡し。
 ファントムは徐(おもむろ)に、アルヴィスが突っ込んでいる顔の隙間から皿の中身へと手を伸ばした。

 基本的に、こういったモノで指先が汚れるのは非常に不快だと感じる質だが、仕方がない。
 骨付きの肉を掴み、もう片方の手でアルヴィスの細い顎を掴んで顔を上げさせる。


「フーーーッ!!?」


 食事の邪魔をされたコトに機嫌を損ねたのか、耳と尻尾を逆立ててアルヴィスがファントムを睨み付けてきた。
 濃い青の瞳が一層鮮やかに燃え立ち、揺らぐような色合いを魅せる。


「ああ、ごめんね? ごはん盗ったんじゃないんだよ?」


 宥めるように言いながら、ファントムは皿を足で器用にアルヴィスに届かない距離まで下げた。

 そして、代わりに鼻先へと掴んでいた肉を差し出す。


「アルヴィス君にはね、・・・僕が食べさせてあげるから。・・・ね、僕があげるモノだけ食べて?」

「・・・・・・・・・・・・・・」


 アルヴィスが僅かに首を傾げたように見えた。

 恐らく、言葉は理解していないだろう。
 だが、差し出された肉を食べた方が皿に顔を突っ込むより食べやすいと思ったのか、大人しくファントムが掴む肉に噛み付き始めた。

 はぐはぐはぐ。・・・・ぶちっ。もぎゅもぎゅ。

 小さな愛らしい唇から、白い歯を覗かせて肉を噛みちぎり、咀嚼する。

 時折クチャクチャという濡れた音が混じるのは、きちんと口を閉じて食べていないせいだが、それはおいおい、マナーを教えるつもりだから気にしない。
 そんなことよりも、おとなしく差し出されたモノを食べ続けるアルヴィスは文句なしの可愛らしさで、ファントムの気分を高揚させた。


「・・・・・ホントに可愛いねえアルヴィス君は!」


 食べる姿を飽くことなく見つめながら、ファントムはクスクスと笑った。

 何かを見ていて、心が温かくなるような胸が苦しくなるような、・・・・こんな甘い疼きが襲うなんて事は、今まで無かった。
 何故だろう、アルヴィスがする事なら全て許せるような、・・・・そんな気さえする。

 だって、――――引っ掻かれても噛み付かれても・・・・・腹が立たないどころか、むしろ可愛い。

 汚らわしい人間共になんて触れられでもしたら―――――いや、そいつらの体液が付着したり、そいつらの方から流れてくる空気ですら汚染されているように感じて、存在を認めた瞬間に痕跡すら残さないように消してやらねば気が済まないのに。




 半分、・・・・人間じゃないからかな?

 半分、・・・・動物だからなのかな?

 けれど、動物だって僕はホントは嫌いだよ。
 人間よりはマシだけれど、愚かだしやっぱり穢れているし、儚いし。


 それなのに・・・・・・・・・。





「何でかなあ? 君だけは可愛く思えるよアルヴィス君・・・」





 君は、キレイだよね。

 君は穢れていない。

 だって、真っ白。
 とても純粋でお馬鹿で・・・・・まだ、何も知らない。


 言葉を覚えてしまったら。

 色々、知ってしまったら。

 君はもう、・・・・キレイじゃなくなってしまうのかな?


 違うね。


 色々知ってしまっても。

 言葉を覚えてしまっても。

 君は、――――キレイなままだろう。


 その、僕の目を惹き付けて離さない瞳の青。

 胸の奥に突き刺さるような、鮮烈なブルー。


 穢れない瞳の色そのままに、ずっと僕をキレイなまま・・・・見ていてくれんだ。



 その、心が洗われるような、―――――─鮮やかな青の瞳で。




「世界を滅ぼしても。・・・君のことだけは僕が守ってあげるからね」


 楽しげに笑いながら、ファントムはアルヴィスに語りかける。


「君の瞳に相応しい、清浄な世界が出来上がったら、・・・・・・・・・1番最初に見せてあげるよ」


 紫水晶にも似た、蠱惑的な光を放つ瞳を細め。
 ファントムは、うっとりと自分が与えるモノを食む少年を見つめた。


「その頃には君も大きくなってるよね。今も可愛いけど、」


 見つめながら、うっとりと呟く。


「・・・・キレイになるだろうなあ」


 白くて柔らかそうな頬は、多分スッキリとシャープな輪郭を描いて。
 零れ落ちそうなくらいに大きな瞳は、色はそのままに青年の色気を滲ませて、多少切れ長になるだろうか。

 通った鼻筋は、高い鼻梁になるだろうことが約束されているし。
 形良い唇だって、・・・・成長したらもっと艶めくだろうけれど印象は変わらないに違いない。

 元が整っているだけに、――――成長した美しい姿を想像するのは容易だった。


「今の君も可愛いから、お気に入りだけれど。・・・キレイな君にも早く逢いたいな・・・」

「・・・・・・・?」


 食べ終えたのか、ほとんど骨の見えた肉から顔を離し、アルヴィスが不思議そうにファントムを見た。

 彼にはまだ言葉が理解出来ないから、不思議そうな表情をするのは仕方のない事だろう。
 話しかけられているのが自分なのだ、という事すら理解しているか不明である。


「・・ああ、食べ終わったんだね。もういらないの?」


 目の前で、猫が身繕いをするように汚れた手をぺろぺろと舐める様子を見て、ファントムは皿にポイッとまだ肉の付いた骨を放った。
 そして、立ち上がりベッドに敷かれていた光沢のある上質のシーツを汚れた手で無造作に掴んで引き剥がし、指に付着した肉汁をそれで拭き取る。

 それから、アルヴィスが散々散らかした床にそのシーツを放って。

 まだペロペロと自分の手を舐めているアルヴィスの身体を荷物のように小脇に抱えた。


「今日はもう手遅れだから、お風呂入ろう。
 ・・・次のごはんからは、僕が最初から食べさせてあげるからね」


 そう言って、抱えたまま部屋を出る。



「―――――・・・あ、ペタぁ? あのねえ、アルヴィス君がごはんで床汚しちゃったから掃除頼んで!
 あとこれからアルヴィス君お風呂入れるから、用意お願いね。
 それから、アルヴィス君の着替えとー、さっき頼んだアルヴィス君用のリボン汚しちゃったからまた新しいの頂戴!
 ・・・・・・同じのじゃないとヤダからね?」


 耳のピアス型通信ARMでペタを呼ぶと、そう一息に告げ、いつもの如く一方的に通信を切り。
 抱えているアルヴィスに、笑顔を向ける。


「さっ、アルヴィス君お風呂入ろうか♪」

「・・・にゃ、・・にゃ・・あ・・?」


 いきなりの展開に付いていけないのか、アルヴィスは耳を伏せて上目遣いにファントムの顔を伺っていた。
 酷く不安そうな顔だ。

 彼がもし、ファントムの言葉を理解出来ていたら。
 お風呂という単語に反応し、必死で逃げ出そうとしていただろう。


 そう、―――――猫は水が大嫌いな生き物なのだから。



「大丈夫。僕がキレイにしてあげるからね!」


 そんな可能性は、少しも考えず。
 上機嫌にファントムは言って、アルヴィスを抱えたまま大股に城内にある浴場の方へ向かって歩いて行く。

 鼻歌交じりにスキップを踏みかねない、楽しそうなチェスの司令塔とは対象的に、彼の小脇に抱えられた猫耳少年の尻尾は不機嫌そうにゆらゆらと振られていた。

 おまけに、毛足の長いその尻尾はいつも以上に毛が膨らんで太さが増している。
 犬ならば尻尾を振る時は嬉しいときだが、猫はその真逆。
 恐怖を感じた時か怒っている時にこそ、尻尾は大きく振られるし太くなる。





 だからして、その後。


 水を怖がり、必死の抵抗をしたアルヴィスに再びファントムが思い切り引っ掻かれたり、噛み付かれたり。

 傷だらけになったファントムの顔や腕を見てナイトのキャンディスやロランが悲鳴を上げ、思わずアルヴィスを摘み上げて、ファントムが怒ってARMを発動しかけたり。

 そのせいで城が一時壊滅の危機に陥った事や。

 アルヴィスが最初に覚えた単語が、『ファントム』でも『駄目』でも、まして『ごはん』でも無く―――――──『お風呂』だったなんて事や。




 ファントムの部屋の惨状に、ペタがそれみたことかとガックリと再び肩を落としたなんて事が起こるのは必然だった訳なのである・・・・。





NEXT −その3−前編

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日記からのサルベージ話です☆
(一部加筆修正有)

以下↓は、日記掲載時のコメント。


ファントム、はっきり言って躾出来てません(笑)
悪いことしたらすぐ怒らないとだし、怒った後にすぐ撫でたりしたら猫は混乱します(笑)
そもそも猫って、あんまり怒っても効き目無いですしね・・・(苦笑)
そして、アルヴィスが散らかした後の始末はご主人であるファントムじゃなくてペタとその部下です。
ファントム、イイトコ取りです(笑)
まあ、散々引っ掻かれたりしてますがね・・・・。