『Sapphirus』


 

 



 極めて透明度の高い水晶を溶かし、細く美しい糸を作る事が出来たなら。
 恐らくこんな感じになるだろう・・・と思うような、サラサラとした銀糸の髪。

 甘く蕩けるような色合いをたたえた、アメシストの瞳。

 血が通っていないかの如くに、白い肌。

 目鼻立ちは繊細(せんさい)に整い・・・・その顔の造形は、欠点がひとつも見当たらない程に美しかった。


 そして優雅なカーヴを描く細めの眉と、口元に刻まれた穏やかな笑み、そしてゆったりとした所作が――――――青年の洗練された聖職者、といった風情(ふぜい)に拍車を掛ける。
 身に纏う丁寧に縫い取りされたケープ付きの白いローブが、余計にその印象を際立たせていた。



 だから、神殿の祭壇で。

 見慣れぬ彼の姿を見たとき、アルヴィスは・・・・・・・てっきり、何処かの街からやってきたお偉い神官なのかと思ったのだ。


 本来、神殿内は部外者は立ち入り禁止で、アルヴィスの育て親でもある神官長の許可無く内部に入る事は許されない。
 とくに、この神像が安置された部屋は立ち入り厳禁だ。
 そして毎朝、この広間の掃除を命じられているアルヴィスは今日、誰かが来るなどという事は達しは受けていなかった。

 それ故、最初に人影を見かけた時は、忍び込んだ部外者か下手をすれば泥棒の類(たぐい)では無いかと疑り掛けたのだけれど。
 青年の堂々とした佇まいを見ると、どうしても不審者とは思えなくて・・・・アルヴィスは、どうしたものかと暫し躊躇した。


「・・・・・・・・・・・」


 そもそも勝手に入るなど、神罰を恐れて誰もやったりは出来ないだろうという可能性の低さが1番の理由だが・・・・何より、あまりにもその姿が高雅だったので。
 一瞬、・・・・神が実体化したのではと錯覚してしまった程に――――――・・・神々しい姿だとアルヴィスは思った。

 神像を眺める青年の姿には、俗世で暮らしていると思えないような、気品が感じられる。
 聖職者で無いというのなら、都会(まち)に住んでいる貴族なのかも知れない。

 そう、身分の高い聖職者・・というには、アルヴィスより少し年上なだけに見える青年では若すぎるから・・・・・神官長に頼んで此処へ入った貴族の子息・・・といった印象が1番的を射ている気がする。
 街の貴族達は高額の寄付を神殿にしているから、神殿側は彼らの大抵の望みは言いなりに叶えるのだ。
 神殿奥にある、この神像の間に単独で入るくらい簡単に許可を出すだろう。


「・・・・・・・・・・あの、・・・・貴方は・・・・?」


 掃除の為の、水桶を石造りの床に置き。
 アルヴィスは遠慮がちに、巨大な神像を振り仰ぎ眺めている青年に声を掛けた。

 どちらにしろ、このままでは神像の前が清められずアルヴィスの仕事が終わらない。


「・・・・・・・・ここで、何をなさっているのですか・・・・?」


 そこでようやく青年はアルヴィスに気付いたのか、此方を振り向いた。
 キレイなアーモンド型の眼が一瞬大きく見開かれて、神殿に差し込む朝日が彼の瞳の色を透かし・・・・アルヴィスは一瞬、それに目を奪われる。


「僕? 僕はファントム。君のお名前は・・・・?」


 にっこり笑う顔は子供のように邪気が無く、発せられた声はとても甘く軽やかで、耳に快い響きをもたらした。


「アルヴィスです」


 自分の方が、明らかに身分は下位だろうと思ったのでアルヴィスは問われて即座に答える。


「アルヴィス君か・・・・そう、キレイな君にとても似合う名前だね」

「・・・ありがとうございます」


 アルヴィスの問いにも焦ることなく、悠然とした態度で答えてくる彼の態度に、やはり神殿関係者か貴族なのだとアルヴィスは確信した。





 ―――――――だがこの後アルヴィスは、自分の憶測と全く異なる事実を知ることとなったのである・・・・。





「大変失礼な事なのですが、恐らく伝令ミスで私は貴方の事をお聞きしておりませんでした。・・・・何とお呼びすれば良いでしょう?」


 神殿内では役職のある者は役職名で呼ぶのが慣わしだし、貴族であれば爵位を付けて呼ばねばならない。
 ファントムを神殿関係者か貴族と思い込んだアルヴィスは、とりあえず彼の役職か爵位を確認しなければならないと思った。

 雑用係の自分より身分は遙かに上だろうから、名前を聞いても『ファントム』と、そのまま呼ぶ訳にはいかない。


「え? ファントムでいいよ」


 しかし、青年は不思議そうな顔でそう答えるのみだった。

 たまに、こういう気まぐれなのか何なのか、気さくぶって庶民を困らせる貴族が居るのだが・・・・彼もそのタイプらしい。
 気にせず名前を呼んでくれて構わない――――――そう言われて、目下の立場の者が『では、お言葉に甘えて』などと頷ける訳が無いというのに。
 ある意味、身分の差を蔑(さげす)んで此方の挙げ足を取り・・・・いびってくる貴族より厄介な存在だ。
 後者は適当に受け流せばいいのだが、前者は善意で言ってくる人懐こさからの言動だから・・・・無視しにくい。


「しかし、・・・・・・・・」

「それに、失礼でも何でもないよ。・・・さっき思い立って此処に入ったんだから、君が知る筈無いんだし」


 だが。

 厄介だな・・・と内心思った、アルヴィスの予想より。
 ファントムという青年は、遙かに厄介で、かつとんでもない男だったのである・・・・・・。


「・・むしろ、どっちかと言えば此処に勝手に入った僕の方が失礼に当たるんじゃないかなー?」

「えっ、・・・!??」


 困惑しながら、そう言うわけにはいきません・・・と言いかけたアルヴィスを遮り、青年・・・ファントムはサラリと言ったのだ。


「この街の神像、見たくなったから勝手に入っちゃったんだよね」

「・・・・・・・・・・・!??」


 思わず絶句してしまったアルヴィスに、神々しい美貌の青年は更にとんでもない事を言い放つ。


「この街で崇められてる悪魔って、どんなのかなーと思ったから」

「あく、・・・・ま?」


 衝撃と、意味が繋がらない話にアルヴィスは眉を顰(ひそ)める。
 崇められているのは、神であって決して悪魔などと呼ばれるいかがわしい存在では無いのだ。

 一瞬、青年が勘違いしているのだと思ったが、失礼極まりないことに神像を顎で指し示す辺りがそうでは無いことを物語っている。
 果たして青年は、あっさりと軽い表情で頷いた。


「うん、悪魔。それでどんなのか一応確かめて。・・・・実際いるんだったら、退治して稼げるなあと」

「・・・・か、稼げ・・・・???」

「でも肩すかしだ、・・・この街にはいないみたい。・・・・けっこう街の皆の信仰が厚いみたいだから、強烈なのいると思ったんだけどなー・・・」


 ファントムはそこまでぺらぺらと話して、アルヴィスが不可解そうに顔をしかめている事に気付いたらしい。


「・・・あ、僕ねエクソシストなんだ。旅しながら、方々の悪魔を退治して回ってるって訳。・・もちろんお金目当てだけどね?」


 ようやく、自分の身分を明かしてきた。


「エクソシスト・・・・・?」

「聞いたことない? 要は悪魔払いのスペシャリストの事だよ。・・・追っ払うだけの能力なら、そこらの神官よりは頼りになると思うけど」


 エクソシスト――――悪魔払い師―――――の事なら、アルヴィスも聞いたことがある。
 悪魔付き・・・要は、神と相対する禍々しい存在に苦しめられる人々を、救う職業の事だった筈だ。


「・・・・・・・・・・・・・・・」


 だが、青年の職業が判明しても、アルヴィスはファントムに、どうしたって訂正しなければならない事があった。


「お前、・・・・・・・・何か勘違いしてないか・・・・・?」


 もう、自分より身分が上の存在などではなく、単なる侵入者と判明した今。
 アルヴィスは自前の仏頂面で、ファントムの整った顔を睨み付けた。


「ここにいらっしゃるのは『御神(おんかみ)』で、悪魔などという俗で忌々しい存在では決して無い・・・・!!」

「・・・・・・ああ、うん・・・」


 その気迫に押されたのか、ファントムが軽く目を見張る。
 しかし、次の瞬間にはまた余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)の笑みを浮かべアルヴィスを見つめ返してきた。


「・・・まあ、そうとも言うのかな。でも、・・・『神』と『悪魔』は表裏一体だよ。片方で『神』と呼ばれる存在は、もう片方の敵方では『悪魔』と叫ばれる存在だから」

「・・・・・・・・・・・」

「君なら賢そうだから、理解出来るんじゃない・・・・?」


 淡々と、静かな甘い声音でそう説く姿は―――――――まるで神の使いのような、高雅さなのに。
 言っている内容が、ことごとく神を冒涜(ぼうとく)する言葉の塊だ。


「今は遠いとおい、昔の時代・・・・・・・・・・ソロモン王が使役し72柱の悪魔と呼ばれる存在は、かつては古(いにしえ)の国々が崇めし神々だった―――――・・・征服した国の信仰神が神となり、敗戦国の神は邪神と呼ばれる・・・・世の常でしょう」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



 アルヴィスだって、彼の言わんとしている事が分からないでは無い。
 確かに、歴史を紐解けばそうと言えるのだろう。

 けれど、アルヴィスのように神に従事する立場から言えば、その通りとは頷けない。
 自分の信仰している『神』こそが唯一で正しいのだと、――――――――そう思いたいのだ。


 ましてアルヴィスは、その『神』に命を捧げる運命を持っている。
 自分の運命を賭する存在を、『悪魔』などと呼ばれるのは・・・・・・・・・・・・・・受け入れがたい。



 『御神』は、正しい。

 『御神』は、無くてはならない尊き存在。

 『御神』は、街の民を守り慈しむ、善なる存在。


 その『御神』の為にアルヴィスは、献げられる運命なのだ。

 街の民の安寧の為に、命を賭する運命。



 その『御神』を悪魔などとは、なんたる呼び草・・・・・!!




 アルヴィスは目を吊り上げて、その失言を撤回させようと口を開きかけた。


「・・・・お、御神は・・・・!」

「ねえアルヴィス君はもしかして、ここで毎日コレ拝んでたりするの?」


 だが、間髪早くファントムがそう聞いてくる。


「そう・・・だけど・・・」


「意味ないし無駄だから、それ止めた方がいいよ」

「・・・・・・・・・・・っ!!?」


 聞かれてうっかりと頷けば、ファントムはけろりとした様子でまたとんでもなく罰当たりな事を言ってのけた。
 これ程に、神を神とも思わぬ扱いをする人間をアルヴィスは初めて見た。

 アルヴィスの基準からしてみれば、既に今の会話だけで2,3度神罰が下っていてもおかしくないような気がする。


「僕、見えるんだよね・・・神とか悪魔とか云われるヤツが。でね、此処いないから」

「・・・・・・・・!!!!????」

「存在しないモノに祈るって、馬鹿馬鹿しいでしょ? だから止めた方がいいよ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 神を悪魔呼ばわりしただけではなく、『ヤツ』呼ばわりで、しかも祈るだけ無駄だと言ってのける、・・・・・顔だけはやたらに良い青年に。
 アルヴィスはもう、何も返せる言葉が見つからず口をパクパクさせるだけとなってしまった。

 この男は、神が恐くないのだろうか・・・・・・・・・・???
 それとも、神の偉大さが理解出来ない単なる大馬鹿者なのか。

 しかし話し方は、内容はあり得ないような突拍子の無さだが、至極まともである。


 ―――――――いやしかし、『見える』と言っている辺りが明らかにマトモじゃない・・・・。



「・・・・・・・・・・・・・・・・」


 ね? と笑顔で小首を傾げるようにして賛同を求めてくるファントムを凝視したまま。
 アルヴィスは、自分と対峙している青年の頭の中身を思い切り疑っていたのだった・・・・・。






 NEXT 2


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言い訳。
アルヴィス、ファントムのこと胡散臭い(うさんくさい)ヤツだと嫌っちゃってますね!(爆)
おかしいな・・・ファンアルでラブラブで切ないゴシック系なのを書こうと思ったんですけど・・・??(笑)
でも多分、次回からはファンアルになれます!
じゃないと話が進まないので(笑)
タイトルの『sapphirus』は、ラテン語でサファイアのことです。
今回のネタの、象徴ってことで名前付けてみました〜〜(笑)
ホントは古代メソポタミア語での綴りにしたかったんですが・・・分かりませんでした☆