ACT1






―――――我が名はカペル・マイスター。アルヴィス様、舞踏会のお誘いに参りました―――――───



 そう言われて思わず差し出された手を取ってしまったのが、6年前に付けられた呪印が急速に成長し自我が薄れた為だったのか、それともその呪いを解く為に騙された振りをして呪いを掛けた張本人であるファントムと相対するという策略の為に自ら望んでそうしたのか、・・・・アルヴィスには自分でも判断が付かなかった。



 幼い頃に植え付けられたこの呪いは、気を緩めればとかく主人を希(こいねが)うから。



 ファントムに逢える。あの紫色の瞳を、もう一度間近で見たいと本気で思い。

 だけれども隙を見て相手を倒し、呪縛から解放されたいとも本心から思う。


 ファントムを倒しメルヘブンを平和に導く事は自分の、全てのメルヘブンの住人の悲願だから―――――───アルヴィスは、彼の『死』を望む。

 しかし、彼がいなくなればアルヴィスは己の身体を支える大地を失い、見上げる空を失うだろう。
 世界は彼が去る事で穏やかに存在し続けるけれど、その世界は自分が居たいと思える世界では、決して無くて―――――彼の『死』を拒む自分もいることを、アルヴィスは感じていた。

 だって、ずっとずっと彼を憎む事で生きてきた。
 彼を殺し、呪縛から解き放たれる事を願って生きてきた。


 その彼がいなくなったら、自分はそれからどうすればいい?

 何を考え、思いながら生きていけば良いのだろう・・・・・・。

















「良く来たね・・・・アルヴィス・・」

 ファントムが座る玉座の間に召喚されたアルヴィスは、急速に自分の意識が曖昧なモノとなっていくのを感じていた。
 身体中に絡みつくように広がり、今にも全身に回ろうというゾンビタトゥが、それを付けた主人の魔力に呼応でもしているというのだろうか。

「・・・・・・・・・・・、」

 白い顔に掛かる、サラサラとした銀糸の髪。
 造り物のように完璧に整った、人外の美を醸し出す容貌。
 蠱惑的な視線を投げかけるアメジスト色の双眸も、笑みを絶やさない穏やかな表情も、初めて逢った『あの日』と何も変わらない。
 変わっているのは白いローブ姿だという事と、今の彼は片腕で、左の肘から下が袖だけになってしまっているという事くらいである。
 ファントムの姿を見た途端、アルヴィスは彼に目を奪われ、縋り付きたいと思ってしまった自分に気づき愕然とした。



 逢いたい。・・・逢いたかった。抱きしめて―――――欲しい。



「・・・・・・っ!?」

 必死に、突如沸き上がった想いを抑えつける。
 それに呼応するかのように、全身に広がっている呪印がズキリと引き攣るように痛んだ。
 皮肉にも、息が止まるようなその痛みで我に帰る。




 自分は、―――――この男を倒しに来たのだ。
 ファントムを倒し、タトゥを消し、世界を・・・救うために。
 その為に、下手な芝居を打ってまでタトゥの力に負けファントムに屈した振りをして、此処まで来たのだ―――――─他の理由では、決して・・・・無い。




 ギリリと歯噛みして、アルヴィスは痛みに耐えた。

「痛むのかい?」

 そんなアルヴィスに、ファントムは玉座から立ち上がり、ゆっくりと近づいてくる。
 そして痛みに俯いていたアルヴィスの前で足を止めると、そっと白い手で頬に触れてきた。
 ひんやりとした・・・けれど仄かに温かい、心地よい感触。

「すぐにその痛みにも慣れるよ・・・・そして僕達はその痛みと引き替えに永遠の命を手に入れる・・・」

「永遠の・・・命・・・・」

 ファントムの、紫の瞳が間近。
 その中に映る自分の姿に軽い酩酊感を覚えつつ、アルヴィスはぼんやりと彼の言葉の一部を繰り返した。
 そんなアルヴィスをファントムはクスリと笑いながら見やり、優しい口調で言葉を続ける。

「ああ。何の痛みも苦しみもない、幸せだけが存在する人生・・・・・でも、あの日僕は気づいたんだ。永遠の命には、絶対に必要なものがあることを・・・・!」




―――――─それは、何・・・・・?





「夢・・・、だよ」

「ゆ、め・・・・?」

 霞がかかる視界の中、必死でアルヴィスは目の前に居るはずのファントムを見つめる。

「知っていたかい? アルヴィス。夢というのは呪いと同じなんだよ」

「のろい・・・・?」

「夢が叶うまで、呪いから解かれることはないんだよ」

「・・・・・・・・・・・・」

 ファントムの言葉は酷く謎めいていて、アルヴィスには理解する事が出来なかった。
 それでも、彼の言うとおりなのだと思う―――――─ファントムが、そう言うのだから。
 焦点の合わない瞳で、あどけなく見上げてくるアルヴィスの瞳を覗き込みながらファントムが蠱惑的に低く囁く。

「一緒に作ろう・・・・僕らの理想の世界を・・・・・二人で」




 ファントムと・・・二人で。
 理想の・・・苦しみも何もない、幸せな世界・・・・?
 自分と、彼しか居ない、静かで穏やかな・・・世界。




「夢を叶えて、幸せになろう・・・・?」




 幸せな、世界。




 ああ、なんて。満たされた感覚なんだろう。
 ファントムに頬を撫でられて彼の体温を感じて、彼の優しい声に囁かれて。
 温かくて、何だか懐かしくて、ひどく・・・心地良い・・・・・・・。




「・・・・・・・・・・」

 言葉も無く、大きな瞳をウットリと見開いたまま、アルヴィスはポロポロと大粒の涙を零す。
 後から、あとから。
 その透明な雫は止まることなく流れ、頬に添えたファントムの手をも濡らした。

「アルヴィス・・・いい子だね」

 浮かべていた笑みを更に深いものにして。
 ファントムは間近にあるアルヴィスの白い頬に伝う涙を、ペロリと舐め取った。

「・・・・・・・・・!」

 その行為にアルヴィスは何か身体中を走るゾクリとした感覚を覚え、すっかり混濁してしまっている意識を必死に保とうと唇を噛み締める。

「・・・・・っ、・・・・」

 けれど、そうしようとしている意識の傍から、ハラハラと束ねた筈の思考の花びらが散り落ちていき・・・・どんどん闇へと消えていく。
 かき集めても、かき集めても―――――──両腕に抱えた先から次々とこぼれ落ちて行ってしまう。




 自分は、メルのメンバーで。
 ファントムは、チェスの司令塔で。



 世界を救わなくてはいけなくて。
 敵は、倒さなければならない存在で。



 ファントムは、敵。
 自分の、敵。




―――――─こんなに、彼の傍は心地よいのに?


―――――─彼は自分に、こんなにも安心を与えてくれるのに?




 何故、倒すの? 彼の傍は、こんなに幸せが満ちているのに・・・・・・・?



―――――───分からない。分からないけど・・・・・でも・・・・。





 幾ら、意識を明確に保とうとしても無駄だった。
 幼い頃より呪印によってもたらされる激痛に耐えてきた、強靱な精神力を持つアルヴィスでも、ファントムの持つ強大な魔力の前には、無力だった。

「・・・・・・・・・」


 甘い誘惑に逆らう事に疲れ切り、アルヴィスが身体の力を抜いた―――――─その時。






―――――──アルヴィス!!





「!?」

 闇を蹴散らかしてしまいそうな、強くクリアな声が脳裏に響いた。
 瞬時に明るい金髪の、元気な少年の顔が脳裏に思い浮かぶ。
 アルヴィスが世界を救うために、異世界から呼び出した少年。
 誘いに応え、何の関わりも無かっただろうこのメルヘブンを救うと豪語してくれた少年。
 アルヴィスが最も尊敬するクロスガードの英雄・・・ダンナの、一人息子。

 約束通り彼は、ウォーゲームを勝ち抜き―――――このファントムすらも打ち負かしてくれたのだ。



「・・・ギンタ・・・」




 裏切る訳にはいかない。
 自分を信じてくれているだろう彼を、彼らを―――――─裏切る事だけは、出来ない。
 こんな所で負ける訳には。




 突如、アルヴィスの脳内の霧が嘘のように晴れた。

「・・・・・・っ、」

 腰に装備していた13トーテムポールをロッド化して、目の前のファントムに容赦なく打ち掛かる。ようやく、本来の目的を思い出せたのだ。
 アルヴィスは何としても隙を作り、ファントムの胸の鍵穴に『プリフィキアーヴェ』を打ち込まなければならないのだ―――――─彼の不死を打ち壊し、自らの呪いを解くために。
 上着のポケットに入っている鍵型のARMを思い浮かべながら、アルヴィスは次々とロッドをファントムに向かって繰り出した。
 しかし、隙がない。

「・・・・・・・・!!」

 足払いを掛けて押し倒し、仰向けで固定するのが理想だが、ファントム相手にそれは難しいだろう。
 現に今も、ファントムは余裕の表情でアルヴィスのロッドを見切り、掠るか掠らないかの微妙な距離だけで避けきっており、それでいて攻撃を返してこないのが憎たらしい。
 力の差は歴然としていた。
 長期戦になれば、体力的にも体格的にも、そして魔力的にも圧倒的にアルヴィスが不利である。

「・・・・・く・・・っ、」




 こんな事ならば、先程の話の最中に隙を見てやるんだった・・・・!!




 そう思った刹那、アルヴィスの方に僅かな隙が生まれてしまった。
 ファントムはそれを逃さず、アルヴィスが懇親の力を込めて突き出したロッドを素手で簡単に受け止め握り込む。

「!?」

 しまった・・・と思った次の瞬間には、アルヴィスはロッドごとファントムの方へ引き寄せられ、胸に押しつけられるように抱き込まれてしまった。

「―――――───、」

 玉座の間の固い床に、カラン、とロッドが転がる金属音が響く。

「もう芝居は終わりにしよう。 僕たちの間に偽りの言葉はいらない・・・」

「!!」

 戯れ言を、とアルヴィスは必死に藻掻くが、ガッチリと背に腕を回されている為に身体を離す事は不可能だった。相手は片腕しか無いというのに、何という力だろう。

「・・・・・・・・・・・・・」




 早く、しなければ。
 早く、彼から離れなければ。
 そうしないと―――――─また、彼の瞳に囚われてしまう。




「アルヴィス・・・」

 不意に、腕の力が少しだけ緩められ密着していたアルヴィスとファントムの身体の間に僅かな隙間が出来た。
 ぎゅっ、と片手に密かに用意していた物を握り込む。

「・・・・・・・・・」

 ファントムの顔が、ゆっくり自分に近づけられるのをアルヴィスはただ待って―――――──唇と唇が僅かに触れ合った瞬間、強引に身を翻して手にした物をファントム目掛けて突き刺そうとした。

「ファントム、覚悟!!」

 刹那、ぱぁんと手を打つ甲高い音が上がり、アルヴィスのたった一つの頼みの綱であった銀色の鍵が、ロッドのように澄んだ音を立てながら床に落ちる。

「・・・・・・・・・」

 アルヴィスが身を捩りファントムの腕から逃れた瞬間、ファントムはその振り解かれた手で素早くアルヴィスの手首を掴んだのだ。

「君が・・・・持ってたのか・・・・」

 アルヴィスの手首を掴んだまま、ファントムが落ちた鍵に視線を投げつつ呟く。
 時を止めた存在であるファントムの不死を砕く唯一のARMであるプリフィキアーヴェ。その存在は、当然本人も知っているだろう。

「ありがとうアルヴィス君」

 最後の手を奪われ、呆然とするアルヴィスに目の前の男はニッコリと笑いかけた。

「僕にコレを、届けてくれたんだね・・・・?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」




―――――─嬉しいよ・・・・・




 そう言ったファントムの声を聞いたのが最後。
 アルヴィスの意識は再び混濁していき、急激に気が遠のいていく。




 アルヴィスは自分が、透明な紫色の石の中に・・・しっかりと閉じこめられていくような気がしていた―――――───。

 そこはとても気持ちが良くて温かくて懐かしくて・・・・安らげる場所だけれど、二度と外には出られないような気がした。





―――――でも、抗えない。




 どうして? 気持ちがいいのに、外に出たいの?
 外は、ここより気持ちいい?



―――――ううん、そうでもない・・・と思う。



 じゃあここにいようよ。気持ちいいでしょう?



―――――でも・・・・ここから出られなくなる・・・



 出たいの?



―――――分からない。



 じゃあ、ここにいようよ。ここで、眠っていよう?
 すごく、気持ちいいよ。



―――――─眠り・・たい・・



 ほら、眠ろう? さあ・・・・
 外は、怖いモノとか辛いこと、痛いことが沢山あるよ。
 ここにいよう? ここは、幸せだけの世界だよ。



―――――──怖いのも痛いのも・・・嫌だ。



 じゃあ、ここにいようよ。僕と、一緒に。
 此処に居れば、君は独りじゃない。





―――――──うん、此処にいる・・・ファントムと一緒にいる・・・・。








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