『アルヴィスの優雅で非常識な日常2』








物心付いてからというもの、毎日、朝早くから日が暮れるまで働いて暮らしていた。

 仕事はその時々で、駄賃を貰って指定された場所への届け物をしたり、人手が足りない畑での農作業だったり、建設現場での荷運びをやった。
 夏の暑さや冬の寒さが厳しいときも休まず、懸命に働いても賃金は僅かなモノだったが、それでも家計の足しになればと懸命に頑張った。
 アルヴィスが生まれた家に、働かない人間を養っていけるだけの余裕は無かったし、周りも大体似たようなモノだったから、それが当然だと思っていた。

 その境遇を、辛いと思った事は1度も無い。
 両親は優しく、また周囲も貧しいながら支え合い、信頼しあって暮らしていたからだ。
 喰う物に困った時も、差し迫った事情で纏まった金が必要になった時も、皆で助け合ってしのいでいた。

 これからも、ずっとそんな暮らしが続くのだと、思っていた。


 木で組んだ枠組みに干し草を詰めただけの麻布袋を敷いただけのベッドを、夜の明けない内に抜けだして。
 水で煮た塩気も何も無いポリッジ(※オートミールのお粥)を啜っただけで家を飛び出し、日銭を稼ぎに町へと駆けて行く。
 そして日が暮れるまで働き、夜にすきま風吹く古びた小屋に帰って水で薄くのばしたマメのスープと固パンを囓ってから、再びベッドで泥のように眠るのだ。

 毎日々々が、その繰り返し。

 食事は満足に食べられず、身に付けた衣服は何度も何度も洗っては繕(つくろ)った、ゴワゴワで色あせた物だったけれど。
 日が昇る前から、沈んだ後まで働いても、稼げる金はごく少量であったけれど。
 住まう家はヒビ割れた壁からすきま風が入り込み、穴が空いた屋根は雨降りの日に、床で一定のリズムを刻んだけれど。


 アルヴィスには、愛してくれる家族があり、また思い合える近所の仲間達がいた。
 その人々に、囲まれて暮らすこと――――――それが何よりも、アルヴィスにとって大切なモノだった。

 だからずっと、その生活が変わりなく続くのだと・・・・そう思っていたのだ。






 それなのに。
 そんな暮らしは、ある日突然に一変してしまった。

 ネズミが白馬に、カボチャは馬車に。
 灰かぶり娘は一瞬にして、何処かの国のお姫様に――――――そんなことをやり遂げたという、童話に出てくる魔法使いのお婆さんもビックリの変貌ぶり。

 見上げる空は、あの頃と変わらず青いのに。
 着ざらしの服は、ビラビラしたドレスに変わり。
 雨漏りのする小屋は、城へと変貌し。
 日の出から日没まで、汗水垂らして働いていた生活が・・・・・・・・今はもう、何処にも存在しない。




「・・・・・何で俺は今、こんなとこに居るんだ・・・・?」


 ブラウンシュガー色の、瀟洒(しょうしゃ)な城の中庭で。
 蔦バラの絡まる真鍮製のベンチに腰を下ろしながら、アルヴィスは虚ろに呟いた。

 眼前には、見事に手入れされたバラが咲き乱れ、甘い香りと美しい光景を演出しているが、そんなものはアルヴィスの目に入っていない。


 淡いグリーンの立て襟ドレスを纏い、頭に同色の小さなドレスハットを載せたアルヴィスの姿は一見、儚げな風情を漂わせた深窓の令嬢だ。
 抜けるように色の白い肌と、その繊細に整った美貌、そしてドレスの上からでもそうと伺える華奢な体つきが、その印象を強めている。

 どちらかといえばキツイ印象を与える筈の、猫を思わせる少し眦(まなじり)の吊った瞳が長い睫毛でほぼ隠され。
 本当は不機嫌さ故に噛みしめられた唇が、俯いた角度のお陰で物憂げに口を閉ざしているかのように見えているせいもあるだろうか。

 そして、白い手袋を填めた手が、苦しげに胸元を押さえ。
 ベンチの肘掛けに、しな垂れかかるように凭(もた)れた座り方が余計に『彼女』を儚げに見せていた。

 何処からどう見ても、いかにも病弱な令嬢が散策中にでも気分を悪くして、こうして中庭で休んでいる―――――――そんな光景。





 しかし実情は、かなり違っていた。





「・・・・・・・・・・痛い・・・」


 アルヴィスは、眉間にしわを寄せてむっつりと呟き。
 いきなりにドレスの裾をがしっと掴んで、勢いよく捲り上げた。

 薄緑のドレスごと、真っ白なレースのペチコートとパニエまでが翻(ひるがえ)り、ドロワーズを履いた足先が丸見えになる。
 人目に触れる可能性がある外で足を晒すなど、淑女にはあり得ない破廉恥極まりない所作だ。

 けれど、そんなことは一切気に留めず。

 アルヴィスはその足を無造作に振るい、履いていた靴を脱ぎ捨てた。
 美しい刺繍が施された、華奢な靴が宙に舞い・・・・傍らの芝生に転がる。


 ごろり、とそのままベンチに寝そべるように身体を俯せて。
 アルヴィスは乱れた裾を直そうともせず、ドレスから下着を覗かせたまま足を長く伸ばした。


「・・・・・・はぁー・・・」


 長らく足を締め付けていた靴の存在が無くなり、アルヴィスは長く溜息を付く。

 こんな華奢で、高い踵(かかと)の靴など履き慣れていないから、苦痛で仕方なかったのだ。
 靴のせいで不自然に重心を掛けら苛められていた爪先は、未だジンジンと熱を伴いながら痛みを訴えている。

 それでも靴を脱いだ事で、ほんの少しだけ足が楽になりアルヴィスは、表情を僅かに緩めた。


 その、途端。


「アルヴィスさま!?」

「・・・・・・・・・・、」


 背後から咎めるような声色で名を呼ばれ、アルヴィスは再び渋面を作った。
 五月蠅いヤツに見つかったと言わんばかりの表情で、そっぽを向く。


「なんて格好をなさってるのです!? はしたない・・・!!」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」


 ズカズカと足音高く此方の方へ近づいてくる気配を感じつつ、アルヴィスはそれでも体勢は変えないままに身構えた。

 声の主はロラン―――――自分の執事だと分かっているからこその、態度である。
 見つかれば、必ずこうして叱られるだろう事も予測済みだった。


「アルヴィスさま、一体何度申したら分かって頂けるんですか!?」


 ――――――既に耳にたこができるほど、小言を言われ続けているから分かっていない訳では無い。


「そのようなお姿で、そんなお行儀の悪いことは・・・・!!!」


 ――――――駄目だって言いたいって事も、重々承知だ。


「本当にもう、ちゃんとして頂けないとボク、・・いえ私が困るんですよ・・・っ!!!」

「・・・・・・・・・・・・・」


 別に、叱られたくてワザとしているワケでは無いのだが。
 ・・・・かといってロランの言うとおりに過ごしていたら、アルヴィスは息が詰まってしまう。

 窒息。
 これは単なる例えでは無く、・・・・実質的に呼吸困難になりそうなのだ。

 大体、今まで洗い晒しの着た切り雀状態だったアルヴィスが、こんな格好に慣れられる筈も無いのである。

 そもそも、ドレスなんて一生縁のない物だと思っていた。
 身分の問題では無く、・・・・性別的に縁があるワケが無い―――――――筈だったし。

 それなのに今、アルヴィスは女性物の衣服であるドレスを身に纏い。
 コルセットによって、内臓が口から出そうになる程に上半身を締め付けられ・・・・・呼吸をするのもままならない苦痛を味わう羽目となっているのだ。

 ロランの言うとおり行儀良くなどしていたら、身体の締め付けによる疲労はピークに達して、その場でバタッと倒れてしまいかねなかった。
 靴くらい、脱いでしまったって罰は当たらないだろう・・・というのが、アルヴィスなりの言い分である。


「とにかく、早く身体を起こしてください! 早くそのおみ足を・・・・って、ああ靴まで脱がれてしまって・・・・!!!」

「・・・・・・・・」


 耳元で、悲鳴じみた声を上げられて。
 アルヴィスは渋々、のろのろと身体を起こした。

 アルヴィスの正面で、燕尾服を纏った年若い青年が焦った様子で喚いている。
 端正な顔を泣きそうに歪め、長く伸ばした淡い金髪を揺らすその姿は、青年の瞳が赤色をしているせいか何処か気の弱いウサギを連想させた。

 知らぬ者がこの光景を見たら、恐らくアルヴィスが彼を苛めているかのように映るだろう。

 だが実際は、どちらかと言えばその逆だ。


「もう! ちゃんと座っててください・・・!! 今お靴を履かせて差し上げますから・・・」

「・・・・・・・・・・・痛いからやだ」


 文句を言いながらも、アルヴィスはベンチに座り直して両足を青年・・・ロランに向けて突き出した。

 ロランの言うことに納得して、では決して無い。
 これは諦めの境地、というヤツである。

 嫌だと主張して、それがまかり通るくらいなら――――――アルヴィスは今、此処にこうして、こんな姿を晒してはいない。

 暖簾(のれん)に腕押しというか、糠(ぬか)に釘というか・・・・一見たおやかで優しげに見える、この金髪の青年は案外に頑固で強かなのだ。
 どんなにアルヴィスがゴネて、嫌だとゴリ押ししようとしても――――――決して折れてはくれない、強さがある。


「慣れていないだけですよ、その内に気にならなくなります」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」


 今もその・・・アルヴィスも他人のことは言えないが・・・・男にしては細いだろう腕で、ガッチリとアルヴィスの足首を掴み、靴を履かせてくる。
 気弱そうに見える外見によらず、この青年は押しも強ければ実際に力も強かった。



 今朝だって、嫌がるアルヴィスに強引にドレスを着せたくらいである。


 元々、気の進まなかったお偉い貴族様のみが通うという寄宿学校。
 そこへ行かねばならないという事だけでも気が重かったのに、今朝になってロランはアルヴィスにドレスを差し出してきた。

 曰く、花嫁修業の為の入学の場合、最初の登校日――――――つまり、学院の学生達への顔見せをする日は失礼がないように正装しなければならない規則があるというのである。
 それも、立場が『花嫁』側であると決まっている場合は性別は問わずドレスを纏わなければならないというのだ。
 自分がそういった事情で入学を余儀なくされているということ事態は(納得はしていなかったけれど)渋々了解していたが、まさかいきなり女装しなければならないという状況には驚いたアルヴィスである。

 貴族間では同性同士の婚姻も当たり前・・・・その事実に驚愕したのは、つい先日のことで。
 男でも妻にならなければならない場合もあるし、あまつさえ子供を産むという事も在りうるという衝撃的な真実を知らされてからも、まだ間がない。

 ようやく何となく、そういう事もあるのだと理解を示し始めた(というか、怖ろし過ぎて考えるのを放棄したと言った方が近い)アルヴィスだったが、まさかもう女性として暮らす羽目になるとは思っていなかったのだ。


 ――――――もちろん、アルヴィスは抵抗した。

 女の格好などしたことが無かったし、似合うとも思えなかったし、ただの恥さらしになってしまうのは避けたかったから、断固として刃向かった。

 だが、執事であるロランは全く、アルヴィスの抵抗に怯まなかった。

 嫌がるアルヴィスを抑えつけ、着ていたパジャマをはぎ取って丸裸にし―――――――鮮やかな手つきで、フリルの付いた下着を頭から被せてきたかと思うと、アルヴィスが視界を覆われ面食らっている内に下履きであるドロワーズに足を通させて、次の瞬間には有無を言わさずコルセットを締め上げてきたのである。
 胸元からウエスト部分までを覆う伸縮性が全くないコルセットは・・・・・初めてそれを付けるアルヴィスが、自分の肋骨が折れるのでは無いかと不安になるほどきつく・・・また、上手く息が吸えないという弊害をもたらし。
 アルヴィスの抵抗は、一切封じられてしまった。

 背面についたコルセットの編み上げヒモを、嫌と言うほど締め上げてぎっちりと結んだ後。
 ロランが、ドレスの裾を広げる為の骨組みが入ったスカートであるパニエやら、その上に履くふんだんにレース飾りが施されたスカート・・・ペチコートやらをアルヴィスに着せてきたが、もうその頃には、為すがまま状態だった。

 息が苦しすぎて、抵抗の意志が失われていたのである。

 何せ、息が吸えない。
 肺を満たした二酸化炭素を吐き出すことは出来ても、胸と腹にきつく食い込んだコルセットのせいで、新たな酸素を肺に取り入れることが難しいのだ。
 肺を膨らませることで初めて、口から空気が吸引できるという身体の仕組みを否応(いやおう)無しに体感する羽目となったアルヴィスは、すっかりコルセットのせいで降参してしまった。

 だから、仕上げにと淡いグリーンのドレスを着せられて。
 女性にしてはかなり短いと言えるだろう髪を丁寧に梳かれ、可憐な帽子を頭に載せられても・・・華奢な靴を足に履かされても、内心は不満で一杯でありながら、アルヴィスは抵抗出来なかったのである。


 しかし、アルヴィスが抵抗出来なかったのはひとえに、息が出来ない程苦しかったからだ。
 つまり、我慢ならない程・・・・ドレス姿が苦痛だから、というワケで・・・・。



「ああ、ほら。お帽子が曲がってしまってます。・・・午後からアルヴィス様のお披露目があるのですから、ちゃんとしてて下さい・・・!」


 ロランが小言を言いながら、甲斐甲斐しくアルヴィスの装いを整えてくるが。
 ハッキリ言ってアルヴィスとしては、それどころでは無い。

 立っていれば靴のせいで足の爪先が痛いし、かといってこうして座っていればギュウギュウに締め上げられたコルセットが余計に胸を圧迫してきて嘔吐(えず)いてしまいそうだった。
 平らな胸に無理矢理、女性的な膨らみを持たす為に詰め物をされているから、その部分は余計に締め付けがきつくて苦しいのである。
 せめてさっきのように、寝そべっていなければとても耐えられるものでは無かったのだ。

 寝そべると、髪にピンで固定されている帽子がベンチの何処かに引っかかるらしく、頭皮に軽い痛みを覚えたがそんなのくらいどうでも良い。


「・・・・・ロラン、・・・・」


 息も絶え絶えといった様子で、アルヴィスは自分の帽子を整えている青年に口を開いた。


「何ですかアルヴィスさま?」

「・・・・・・息が、・・・できな・・・い・・・なんか、内臓出そうなんだが・・・・っ、・・・」


 胸元に手を当てゼーハー言いながら必死にそう訴えたが、言われた執事はケロッとしたものだった。


「ああ、結構締めてますから苦しいですよねえ。でも、ドレスとはそういうものですから♪」

「・・・・・・・・!?」

「アルヴィスさまは元々細くてらっしゃるから、それでも締め付けは甘くしてるんですよ? 大丈夫です、たぶん内臓は出ないと思いますし」


 事も無げにそう答え、ちっとも取り合おうとしてくれない。
 というか、『多分』と言ってる辺りが結構怖ろしい・・・・もしかして、実際に内臓を吐いたヤツも居るというのか。


「それにアルヴィスさまは、お見かけによらずお口が悪いですからね。コルセットが苦しくて喋れないくらいが、丁度よろしいかと!」

「!??」


 しかも、ドレスの締め付けさえ無ければアルヴィスが激昂し、すぐさま殴り倒したくなるような事をサラッと言ってくる。


「今日は、アルヴィスさまが将来の夫となる方に初めてご挨拶する、大切な日ですし。第一印象がとても重要ですからね」


 だから、余計な事が口走れないくらいで丁度よろしいのです――――――などと、アルヴィスが満足に喋れも動けもしないのを承知の上で言い聞かせてきた。


「そうやって黙って座っていてさえ下さったら、アルヴィスさまは何処の姫君にだって負けないお美しさですし♪ ほんと、口は災いの元ですよね!」

「・・・・・・・・・・・・・・・っ!!!」


 アルヴィスはもう、怒りを通り越して言葉も出ない。



 ――――――今は苦しすぎて、ちょっと動いたらゲロゲロと内臓が飛び出てきそうだから。
 満足に息が吸えなくて、立ち上がる気力も失せているから・・・・・勘弁しておいてやるけれど。


 ――――――・・・覚えていろ。・・・あとで絶対、殴ってやるからな・・・・!!!?



 そんな事を心に刻みつつ、アルヴィスは白いレースの手袋を填めた手でワナワナと握った拳を震わせた。


「いや、・・・それにしても美しく仕上がって、私は大変満足ですよアルヴィスさま♪」


 だが、ロランはアルヴィスのそんな心境など露知らぬ様子で、嬉々として話しかけてくる。


「この日のために散々お肌を磨いて、美しさによりを掛けた甲斐がありました」

「・・・・・・・・・・・・・・」

「元々、アルヴィスさまは素材がよろしかったので、ボク・・・いえ私の尽力などは微々たるものですけど」

「・・・・・・・・・・・・・」



 ――――――微々たるもの? そんなワケ無いだろう。

 アルヴィスは内心だけで、そう悪態を付く。


 両親を突然に亡くし、呆然としていた自分の前に、この男・・・ロランが現れてから、今日までというもの。
 上流階級のことなど、何一つ知らず興味も全くなかったアルヴィスに、無理矢理強引に、あらゆることを教え込んできたのは、ロランなのだ。

 発音だけは父親が厳しかった為、直す必要は無しとされたが、それ以外は本当に、全部に駄目出しをされ新たに教え込まれる・・・ということを、この数ヶ月間されてきたのだ。
 もちろん、専属の家庭教師を付けられての指導ではあるが、それらを雇いそう取りはからったのはロランである。

 それは、生活習慣や行儀作法、そして常識だけでなく――――――顔に施される化粧やら、爪の手入れやら、肌の磨き方にまで及んだ。
 上流貴族の妻としてのマナーを身に付けるということ自体、気分を酷く滅入らせるものだったが、外見を女性的に磨く、というのがアルヴィスにとって1番苦痛だったのである。


 用意されたバスタブに突っ込まれ、何時間も大勢の使用人に押さえ付けられながら石けんの付いたスポンジで肌を擦られまくったり。
 禿げるんじゃないかと心配になるくらい髪を引っ張られたり、撫で付けられたり。
 皮膚呼吸出来なくなるのではと思う程、白粉を顔に塗りたくられたり。
 瞼が重くなる程、念入りにアイラインを引かれたり睫毛に何かを塗りたくられたり・・・・おかしな器具で睫毛を引っ張られて痛かったり。

 ドレスを着せられた時の、コルセット等の苦痛は勿論のことだが、それ以外だって枚挙にいとまはない。


 思い返しただけでも、どっと疲れが襲ってくるほどアルヴィスにとっては悲惨な経験だったのだ。


 けれど目の前に立つ執事は、それと知らず上機嫌で話している。
 まあ、内容なんてアルヴィスは、右から左に聞き流しているのだが。


「その、グリーンのドレスもとてもお似合いです。流石、あの方がお見立てしただけのことは・・・・」

「――――――あの方?」


 しかし、ロランの言った言葉に少し引っかかるものを感じて。
 アルヴィスは、自然俯けていた顔を執事へと戻した。


 ロランは時折、こんな引っかかった物言いをすることがある。

 アルヴィスが頑として反抗し続けた時や、何が何でもロランの言いつけに刃向かおうとした時など。
 彼の指導力が及ばない時に、『背後にいるらしき人物』の気配を匂わせるのだ。

 自分だけなら構わないけれど、それでは申し訳が立たないから、等云々。
 具体的な名を挙げられたことも、存在を口にされたことも無いのだが・・・・・ロランの背後には、誰かが居ると思わせる言葉を口走ることがある。

 だが、いつもロランは聞いても教えてはくれない。
 そんな人は居ませんと、首を横に振って話は終了してしまうのだ。

 アルヴィス自身も、別段思い当たる相手など居ないから、そう否定されてしまえば何も言い返せなくなる。
 大体、自分の父親が貴族階級だったということすら、アルヴィスはロランが現れるまで知らなかった程だ。
 貴族の知り合いなど居ないのだから、自分で考えたってそんな存在の予測など付く筈もないのである。

 しかし今は。


「今、・・・あの方って・・・・」


 ハッキリ言ったよな? 確かに言ったよな?? そう言う目でアルヴィスがじっとロランを睨み付けると。
 ロランは慌てたように、両手の平を前に突き出して振って見せた。


「えっ? いえ、その・・・・あの方というのはですね・・・・」

「誰なんだ? お前いっつも、・・俺になんか隠してる。あの方って誰なんだよ・・・・?」


 コルセットの苦しさよりも、興味が優り。
 アルヴィスは、更にロランを問い詰めようと口を開く。

 そんなアルヴィスに、ロランはタジタジと言った様子だ。


「え、だから・・・それはですねえ・・・・えーと、・・・・」

「言え」

「・・・・・・・・・・・・・・・」


 アルヴィスの眼力に気圧されたのか、ロランの赤い瞳が泳いで逸らされる。


「・・・えーっと、そのォ・・・・」


 だが、どうにも誤魔化せないと観念したのか、目線を逸らしたままで困ったように口を開いた。


「・・・・あの方というのは・・・・・」


 その時。


「ロラン、何を言おうとしている・・・・?」


 ロランの背後にある、木立の影から1人の男が姿を現した。

 背の高い―――――酷く血色の悪い顔をした男だった。
 ロランと同じ黒の燕尾服を纏い、艶のない灰色がかった長い髪を1つに括っている。


「命令を忘れたのか?」


 その抑揚のない声に似つかわしい、冷たく能面のように整った顔の男だ。


「・・・・あ、ペタさん・・・」


 悪戯が見つかった子供のような顔付きで、ロランが後ろを見やる。


「・・・・・・・・・・・・・?」


 突然現れた男を、ロランは知っているようだった。

 一体、何者なのか?

 新たに湧いた疑問に、アルヴィスは2人を交互に見やりながらそっと、柳眉を顰(ひそ)めたのだった―――――――。









 NEXT 3

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言い訳。
ようやっと、ファントムの執事ペタさん登場(笑)
次回でようやく、ファントム達が出せそうですね☆
ていうかコレ、拍手SSには似つかわしくない長編になっちゃいそうな予感がプンプンとしまs(殴)
えへ。・・・元々短編書けない人なので、お許しくださ・・・ゲフッ☆(吐血)