『天体観測。−2−』












『―――――――キレイ、・・・やったから』


『―――――――・・・は?』




『―――――――・・・やから、アルちゃんが。
 さっきの笑ったアルちゃん、・・・ごっつキレーで・・・自分、見とれてしもうててん』






「・・・・・He really has nerve.(・・・いい気なものだよね)」


 スピーカーを通して車内に流れる会話を黙って聞いていた青年が、低い声で呟いた。
 運転席と隔てられたロールスロイスの後部座席に身体を埋め、不機嫌そうにその美しい顔をしかめる。

 傍らにある小型キャビネットの下に設置されたサイドテーブルに、ミネラルウォーターを満たしたグラスを置き。
 青年・・・ファントムは、溜息と共に、もう一度不満を口にした。


「It makes me so mad・・・・(本当に頭に来るな・・・・)」


 発言が完全に英語になっている辺り、まだ口調自体は穏やかなものの、彼が相当に苛立っているだろうことが伺えて。
 ファントムと向かい合わせの座席・・・ちょうど運転手に背を向ける側のシートである・・・に腰掛けながら、ペタは主の様子をジッと見守った。


「・・・・・・・・・・・」




 ファントムにとって、ネイティブ(母国語)なのは英語である。

 留学期間が長かった上、それ以前からも日常で基本的に用いていた言葉は英語だったという話だから、それは自然な成り行きだっただろう。
 無意識の時に口から出る言葉は、自然と英語になっている。

 今回などは、医学会に出席のため1週間ほど海外に滞在し英語でばかり話していたから、余計かも知れない。

 だが、それでも普段であれば。
 此方に戻ってきたら、努めて日本語を使うようにしていたファントムである。


 理由は、勿論アルヴィスだ。

 アルヴィスの母国語が日本語なので、ファントムは彼に合わせて日本語を優先して使うようにしているのである。
 留学時代も、ファントムはN国から書籍やビデオを取り寄せ、日本語の勉強を怠らなかった。




 ――――――ファントムは既に、日本語を問題無くお話しになられております。
 それなのに何故、わざわざ書籍やビデオをお取り寄せに・・・・?


 ――――――喋れるけど、それだけじゃダメだよ。ちゃんと、向こうのテレビとか話題とか、わかってないとね!
 そうじゃないと、アルヴィス君とお話する時に通じなかったりしたら嫌じゃないか・・・・。




 不自由なく流暢に使えているのに、敢えて何故そんなことをするのかと不思議に思って質問したペタに、ファントムはそう答えたのである。



 ―――――――アルヴィス君の言葉はね、ちゃんと全部理解したいんだ。
 それこそ、微妙なニュアンスとか根底に秘められた意味とか、すべて。・・・・・アルヴィス君が話す言葉は、完璧にしたい。



 ペタはそれを聞いて、逢ったこともない『アルヴィス』と言う名の子供に興味を持ったのだが。
 考えて見れば、・・・・・その後に続けてファントムが言った言葉は、非常に意味深であった。


 曰く、・・・・・『 I'd do anything for Alviss.(アルヴィスの為なら、何でもするよ)』。


 そう、ファントムはアルヴィスの為なら何だってやってのける。
 アルヴィスが望むことも望まないことも、彼を想うファントムが彼の為と判断すれば、・・・実行する。

 幼い頃であれば、微笑ましくも可愛らしい――――――子供であるが故の、純粋で稚拙(ちせつ)な行為と受け取って貰えるかも知れない。

 けれどファントムは、大人になった今も。
 ・・・・・・・子供のように純粋で穢れのない、残酷な愛情で『アルヴィスのために』・・・・その、持てる力を行使する。

 留学して間も無い頃に語った、誓いの言葉そのままに。



 


『―――――――あんま可愛ええから、思わずこう、ギューってしたなって。・・・・アルちゃんの話、聞いてなかった』


『―――――――・・・・・・・・・・なんだそれ?』





 スピーカーからは、相変わらず主の機嫌を逆撫でしそうな会話が続いていた。

 声は、ファントムが掌中の珠として愛でているアルヴィスと、彼が通う大学の友人のものである。
 アルヴィスに内緒で、彼のネックレスに仕込んである高性能な小型盗聴器からのクリアな音声は、車内へと筒抜けだ。

 今までの会話から推察するに、どうやらアルヴィスは学校帰りに数人の友人に花火へ誘われ、近くの河原に赴いたらしい。
 最初は、単に集団で花火を楽しんでいただけだったようなのだが、―――――――途中からどうも、流れがおかしくなってきたようだ。

 周囲の騒々しさが遠のき、かわりに特定の人物とのみの会話ばかりが続いている。
 丁度その辺りからファントムの機嫌が悪くなり始め、ペタは内心、コレは歓迎できない事態だと身構えていた。


 その姿を目にする者達に、感嘆の溜息しか付かせない天与の美貌を持つファントムに相応しく。
 彼の愛を一身に受ける存在であるアルヴィスもまた、その造形の美しさは他の追随を許さない。

 瑠璃色の光沢を放つ、しなやかな黒髪に抜けるような白い肌。
 神の手が作りあげた、最高級のビスクドールはかくや・・・と思わせる、繊細に美しく整った顔立ち。
 絶妙なラインを描く少し吊り上がった大きな瞳は、神秘的な深い青だ。

 その美しい姿は、目にした人間の多くを惑わせる。
 砂糖に群がる蟻(アリ)の如く、アルヴィスの姿に引き寄せられてしまうのだ。

 もちろん、実際にアルヴィスに手を出そうとすれば、漏れなくファントムからの死の制裁が待っているのだが。


 今、アルヴィスと2人きりで話している人間も、間違いなくアルヴィス狙いの1人だろう。
 しかも、特徴的な関西弁を話していることから・・・先日ファントムがとあるホテルのレストランへ呼び出し、アルヴィスに近づくなと牽制をした相手だと分かる。


「That's going too far・・・(度が過ぎるよね・・・)」


 もう一度低く呟き、ファントムが忌々(いまいま)しそうに長い前髪を掻き上げた。
 相当に苛ついている証拠だ。


「He really gets to me・・・(アイツ本当にムカツクな・・・)」


 可能ならば、小鳥のようにアルヴィスを籠に閉じ込め、誰の目にも晒さずに愛でたいと考えているファントムにとっては耐え難いシチュエーションなのに違いない。
 この場に愛用のライフル銃があり、かつ狙撃可能な距離であるなら、すぐさま銃をぶっ放しかねない剣呑な雰囲気を纏(まと)っている。

 ファントムにしてみれば、実際にアルヴィスを抱き締めるなどという暴挙に出ていなくとも、そう言葉に発しただけで充分に許し難い行為なのだ。


「・・・・・・・・・・」


 顔立ちが怖ろしく整っているだけに、普段浮かべている柔らかな微笑を消し、能面のように無表情になるだけで。
 ファントムは、酷く冷たい印象になる。

 それは、彼がかなり怒っている証拠であり、こうして黙って会話を聞いているのは奇跡に近い。





 


『―――――――拒否ったワケや無いねん。アルちゃんの可愛えー笑顔に見とれて、話を聞き逃してまったんや。
 ご希望とあらば何なりとお作りしまひょ、お姫(ひぃ)さん』


『―――――――・・・・誰がおひぃさまだ、バカ。・・・俺にも、作ってくれるのか?』








 相変わらず続いている会話は、酷く親しげで甘いもののように聞こえた。
 心なしか、アルヴィスの声も嬉しそうに聞こえるのはペタの気のせいだろうか。

 これは、ファントムが爆発するのも本当に時間の問題だろう。
 ファントムがまだ、平静さを保っているのが不思議なくらいだ。


「・・・・・I'm starting to have my doubts. We need to do something right away.
(・・・何だか、雲行きが怪しくなってきたし。早いとこ手を打ったほうがいいかな・・・)」


 ゆっくりと、ファントムが言葉を紡ぐ。
 不自然なくらいに、穏やかな口調である。

 だが目は笑っていないし、口元も僅かにも綻びはしない。


 会話は、未だ途切れることなく続いていた。






『―――――――アルちゃんの為なら、喜んで』

『―――――――・・・・・』




 声にならない声で、アルヴィスがひっそりと笑う気配を感じる。

 途端。


「Damn it!!(あーもう、我慢出来ない!!)」


 ファントムが、声を荒げて叫び。
 ついに痺れを切らしたのか、サイドテーブルのグラスを手で払うようにして車の床へと叩き付けた。


「 I'll make you history・・・!(殺してやる・・・・!)」


 クリスタルグラスがパリン、と小さな音を立てて緋色のカーペットの上で破片となり、水が零れてシミを作る。

 帰国してからの、上機嫌ぶりが嘘のようだ。
 数日ぶりにアルヴィスの顔が見られるという嬉しさに、帰国前から浮かれた様子だったのだが、今は見る影もない。
 長い前髪の隙間から覗く左目が、爛々(らんらん)と尋常じゃない光を放っていた。

 アルヴィスが、嬉しそうに笑ったのが逆鱗(げきりん)に触れたらしい。

 空港に着いたら、真っ先にアルヴィスを迎えに行って、一緒に食事にでも行こうか―――――――そう機嫌良く、ペタに喋っていた時とは別人のようである。
 これは、早くアルヴィスをあの関西人から引き剥がさなければ血の雨が降りそうだ。

 せっかく、向こうで比較的大人しく過ごしていてくれたのに、肝心要のこっちで問題行動を起こしてくれるようならば意味がない。
 向こうと違い、こっちの国での『処理』はかなり手間が掛かるし面倒なのである。

 帰国早々、その手間を掛けなければならないのかと考え、ペタは内心で深い溜息を付いた。


「―――――・・・Take a deep breath.・・・・(落ち着いてください・・・)」

「Enough already! That asshole,I'm going to beat the shit out of him!!
(もうウンザリだ! アイツを原型留めないくらい殴ってやる!!)」

「・・・Chill out,Phantom・・・(・・・どうか気を静めて・・・ファントム)」

「hurry up!(早く行って!)」

「Phantom・・・」

「Just do it!!(いいからやって!!)」


 宥めようと発したペタの声と、苛立つファントムの声が重なる。


「・・・・・・・・・」


 ペタは僅かな間、ファントムを見つめ。
 それから、自分の傍らにある小型マイクで運転席の方へスピードを上げろと指示を送った。

 こうなったら何を言っても無駄だと、悟っているからである。
 今のファントムを落ち着かせ、機嫌を持ち上げることが可能なのは、アルヴィスだけ。



 ――――――――逆に、更に急降下する可能性もあるが・・・・・・・・。



「・・・・・・・・・・」


 そうならないことを、ペタは心の中でひっそりと願うのだった―――――――。







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言い訳。
日記からのサルベージです。
多少、トム様のセリフとか加筆修正してあります。
この2話を書いてて何が辛かったって、トム様の帰国子女設定ですね(涙)
ネイティブな言葉使いなんて知るかー!と泣きが入りました(笑)
お陰で話の長さ的には大したことなかったのに、すんごい時間かかりました。
主にトム様のセリフのせいで・・・・(爆)