『ご飯を食べよう−1−』













 アルヴィスは、お米が大好きだ。

 白いご飯に、お味噌汁。
 それに焼き魚と菜っ葉のお浸し、それから香の物なんかあったらもう最高に幸せな気がしてくる。
 納豆や卵焼き、焼き海苔なんかも素敵である。

 もちろん、洋食だって嫌いじゃないし、肉だって好物だ。
 けれども、とにかく白いご飯が大好きなのだ。
 そして、白いご飯のおかずには、やっぱり何てったって和食が似合うとアルヴィスは思う。

 真っ白でつやつやの、ホカホカご飯さえあったなら。
 おかずが多少焦げた魚だって、具の少ない味も失敗して薄すぎた味噌汁だって構わない。
 炊きたての白飯は、もうおかずだって要らないくらいにオイシイのだ。


 ――――――それなのに。



「・・・・・・・・・・、」


 目の前の皿に視線を落とし、アルヴィスは軽く溜息を付いた。


 レースのカーテン越しに、朝の光を受け染み1つなく白く輝いているテーブルクロスの上には、所狭しと皿が並べられている。

 白地に金のライン入りの、上品なデザインのティーセット。
 三角形状に半分にカットされたトーストが並べられているスタンド。
 グラスに満たされたオレンジジュース。
 誰がこんなに1度に使うのか疑問なほど、それぞれの皿にこんもり盛られた、花の形に丸められたバターとカップ入りのジャム。
 焼きトマトの輪切りや、目玉焼き、そしてウィンナーとカリカリに焼かれたベーコンが載った皿。

 典型的なイングリッシュ・ブレックファースト−英国式朝食−だ。
 これが自宅(ホテルではあるが、1フロアを借り切っている契約らしいので、まあ実質的に自宅のようなものだろう)での『通常の朝』の食事なのだから、驚きである。

 しかも、これが毎回、全部アルヴィスただ1人の為に用意された物だというのが空恐ろしい。

 広いテーブルの向こう側に座るファントムの方にも、同じだけ用意されている。
 ティーポットだとか、バターやジャムだとか、すくなくとも1度にこんなに使い切るはずの無いスティックシュガーが入った容器だとか、ミルクピッチャーなんかは共用で良いと思うのに。


「・・・・・・・・・・・・・」


 ここに連れてこられた当初は、あまりの生活様式の違いに面食らい――――――・・・落ち着かなくて、食事も満足に味わえなかった。
 多分今まで、そうそう味わったことがないような高級食材やらメニューばかりで、本来ならばとても美味しく感じる筈だろうに、緊張で味が分からなかった。

 ファントムに遊んで貰っていた小学生前の頃には、家に良く泊まらせて貰っていたりしたしそういった経験をしていたかも知れないのだが、・・・・流石に幼すぎて、アルヴィスの記憶は朧(おぼろ)だ。

 アルヴィスの元家の3倍近くありそうな高い天井から吊り下がる、シャンデリアに巨大なダイニングテーブル。
 テーブルの中央には、美しく花々と燭台が飾られていて、部屋の隅には数人のタキシード姿とメイド姿の給仕係が控えている。
 しかも、並べられる食事はどこの高級レストランかと思うようなメニューばかりだ。

 食べ慣れていない上に、こうして一挙手一投足を見つめられながらの食事など、アルヴィスはついぞ経験したことがないから、気になって仕方がなかった。





 ―――――――食事の世話係だし、壁の一部と思ってればいいよ。





 アルヴィスを強引にココへ住まわせた張本人は、涼しい顔をしてそう言ってのけたが。
 実際にその場に存在している人間を、『壁』などと思える筈も無かった。

 というか、・・・未だに慣れてはいないし、そうして後ろに控えられていることに食べにくさを感じているアルヴィスだ。


 そして、そんな食べにくさに気を取られて、ここ数ヶ月ずっと、アルヴィスの意識からは外に追いやられていたのだけれど。

 ようやく、幼なじみであり恋人であるファントムとの生活に慣れ始めてきたに至り。
 ・・・・心に余裕が出てきたのか、突如(とつじょ)浮上してきた感情があった。



 それは、食べ慣れた家庭の味への恋しさである。



 ―――――――豆腐と揚げの味噌汁が飲みたい。

 ムニエルとかじゃなくて、塩焼きしただけの魚が食べたい。

 ねばねばと糸引く納豆とか、鼻につんとくる酸っぱい漬け物をバリバリ食べたい。

 濃くて渋いお茶とか、しょっぱい煮物とかが食べたい。


 ―――――――というか、とにかく白ご飯が食べたい!!





 だがしかし。
 ファントムと住む、この家では基本がパン食だった。

 ファントム自身が帰国子女である上に、ファントムの母方の祖母がそもそも仏国人とのハーフという話だし、その家に預けられていた彼がパン食に馴染んでいるのは当然だろう、とは思う。
 和食も好まない訳では無いみたいだが、基本、ファントムはパンしか口にしない。

 そして、ここでは主の好み通りにメニューが決められる為・・・・・お抱えのシェフにより、必然的にパンに合う食事が提供される事となる。
 つまり、逆立ちしたってアルヴィスが食べたいと思うメニューが並べられることは無いのだ。


「・・・・・・・・・・・・・・・」


 中世ヨーロッパ時代の、王侯貴族達の食事風景は、かくあろう――――――と言わんばかりの、ダイニングルームに、テーブルセット。
 席に付いているのはたった2人なのに、部屋の隅に控えるは、片手じゃ足りない数の給仕係。
 テーブルのど真ん中に飾られている花は1度も萎れ掛けている所など見かけたことが無いし、毎日違う種類の花が生けられている(ような気がする)。

 何処を見たって、アルヴィスが食べたいと思うようなメニューが出てくるとは全く期待出来ない環境だから。
 元々、望むべくも無いというか・・・・すっかり諦めている状態ではある。

 そもそもアルヴィス的な感覚から言えば、この場が自宅のダイニング・・・食堂だというのも、イマイチ実感が湧かない程だ。

 実家では、家族で膝をつき合わせるようにして狭いちゃぶ台を囲み。
 テレビなどを見ながら、皿にデンと大盛りにしたオカズをつついて食事をしていたから、尚更のこと。
 今までの生活環境とかけ離れすぎていて、浮かれるより先に戸惑いばかりが生じてしまう。

 更に、極めつけに目の前には(とはいっても大きな長テーブルの向こう岸に、だが)。
 生まれ落ちた時から『庶民』なんて単語とは全く縁が無いだろう青年が、優雅な様子で椅子に凭れている。

 ―――――――彼・・・ファントムにはおおよそ、『庶民』を彷彿とさせるような類の事柄が、一切似合わないだろうと思うのだ。


「・・・・・・・・・・・」


 朝の日差しを受けて、彼の銀髪に天使の輪が作られキラキラと輝き・・・・神々しい程の目映(まばゆ)さを放っている。

 彼の、水晶細工のような細くてサラサラな銀髪と、血が通っていないかのような白い肌。
 そして水に濡れたアメ玉みたいな輝きを放つ紫色の瞳と、髪と同じ色合いの長い睫毛が朝日に白く照らされて―――――――とても、美しい。

 身に付けているのは、襟の高いシャツに黒のスリムジーンズといった極々シンプルな普段着なのに、それこそ王侯貴族のような気品が漂っていた。


「・・・・・・・・・・・・・・・・」


 4歳年上の、幼なじみ兼恋人であるファントムを見ると。

 惚れた欲目とは、全然関係無く。
 やはりこういった人間に、白飯だの味噌汁だの・・・・庶民じみた食事を提案するのは間違いだ、とアルヴィスはしみじみ思ってしまう。

 だって、似合わな過ぎる。

 この、バリバリに洋式でアンティークでお高そうなダイニングセットに、和食がそもそもミスマッチだ。
 もし仮に和食が似合いそうな・・・・そう、例えばアルヴィスの実家にあったちゃぶ台なんかを、提供場所に想定してみたとしても。
 今度は、ファントムが絶対に似合わない。



 このファントムが、畳に座布団敷いて正座!?

 ―――――――あり得ない。


 更に、そんな・・・ちゃんとお座りして、行儀良くお茶碗手にしてご飯を食べながら、皿の上の焼き魚をつつくなんて。




「・・・・・・・・・・・・・・・、」


 想像しただけで、いや想像もつかないけれど。


 ・・・・・なんか嫌だ! ていうか無理だ。



 イメージが違い過ぎて、勝手に想像しただけなのに、アルヴィス自身がショックを受けてしまいそうだった。





 だからして。
 ファントムと暮らしている以上は、アルヴィスが好物にありつくことは不可能に近かったりする。


 ――――――頭ではそうと分かっているし、諦めてもいるのだ。


 出される食事は、有名店のシェフを引き抜きスカウトしたという専属だけあって。
 慣れない環境下で食事をしていて緊張のために味が幾分わからなくなると言うマイナスを差し引いても、相当にオイシイ。

 けれど何にしろ、食べ慣れないから、アルヴィスにしてみると微妙なのである。
 ファントムが焼き魚食べるのを眺めるよりはマシと、ガマンはしてみるものの・・・・やはり、素朴な白ご飯や食べ慣れたおかずが恋しい。

 ポーチドサーモン(鮭の切り身をゆでた料理)だとか、フィッシュケーキ(白身魚にマッシュポテトを混ぜてフライにしたもの)だとか。
 それらも美味しいとは思うものの、やはりアルヴィス的には鮭の切り身は普通に焼いてくれた方が好きだし、ヘンなのを混ぜず白身魚はそのまんまで揚げてくれた方が好きである。
 ジャガイモだって、マッシュされたり油で揚げられたりしてしまうより、醤油味で煮っ転がしてくれた方がよっぽど好きだ。

 豆のスープより味噌汁の方が良いと思うし、やっぱりパンより何より白いご飯がいい。
 というよりもう、炊きたてご飯なら100円フリカケだけでも構わないと思っているアルヴィスだ。


「どうしたのアルヴィス君? 食欲無い?」

「いや、別に・・・」


 此方の様子に気付いて、テーブルの向こう側からファントムがそう聞いてくるのに、アルヴィスは慌てて首を横に振った。



 ―――――――食欲が無いというより、食べ慣れた食事が恋しかっただけである。



「何か他に食べたいものある? あるなら作らせるけど、」

「いや、いいんだファントム・・・・!!」


 そばに控えているタキシード姿の男に向けて、パチリと指を鳴らそうとする青年にアルヴィスは大声で制止を掛けた。

 既に用意されているのに、更に別メニューなど注文されたら、今の料理が無駄になってしまう。
 そんな勿体ない事だけは、絶対に出来ない。


「今あるので充分だ! ・・・別に欲しいのなんてない」


 どうせ俺が食べたいのなんか、出てくるわけ無いし。
 そう心の中だけで呟き、アルヴィスは必死に首を振った。


「そう? じゃあ何か食べたいのあったら、ちゃんと言ってね」


 テーブルの向かい側に座るファントムがそう言いながら、指を鳴らす気配に近づき掛けた給仕係を手で振り払う。
 そんな些細(ささい)な仕草ですら、板に付いていて優雅なのは流石だ。


「アルヴィス君は、ただでさえ食が細いんだし。食べたい物があるなら、何でも言ってくれていいんだよ」

「うん、・・・」


 取り寄せるから・・・・そう言葉を続ける恋人に、アルヴィスは曖昧(あいまい)な笑みを返した。


 1度だけ。
 たった1度だけ、朝に和食が食べたいとファントムにリクエストしたことがある。

 ファントムは、アッサリと了承した。
 そして確かに、その翌日の朝は『絵に描いたような和食』だった。



 自宅として1フロア借り切っているホテルの、最上階。
 アルヴィスが連れて行かれたのは、世界屈指の名店として有名であるそのホテル自慢の、懐石レストランだった。

 アルヴィスが恋い焦がれていた白ご飯なんて、白飯の他にお粥(かゆ)や、季節の混ぜご飯など4種類も選べたし。
 ずっと食べたかった出汁巻きタマゴや(何の菜っ葉かは不明だが)お浸しもあった。
 焼き魚の切り身もあったし、お味噌汁も、ちゃんとあった。
 香の物も、タクアンは見当たらなかったけれど数種類盛られていた。

 だが、魚は炭火焼きセットで、給仕の人がわざわざ傍で焼いてくれる接客ぶりで。
 何より、広い座敷テーブルに所狭しと並べられた皿の量が物凄かった。

 皿自体は小皿だし、盛られている内容はごく少量なのだが、それでも数が多ければ結果的には結構な量になる。
 ファントムと2人で、全部平らげるのは到底無理な量だった。 
 しかもまだ、朝なのに。

 中央に鎮座ましましている巨大な伊勢エビらしき物の刺身が2匹分あるけれど、もしかして1人1匹ずつ?
 伊勢エビは高価な食材の筈なのに、こんな風に朝っぱらから食べていいものだろうか。
 というか、・・・・朝からお造り(刺身)??

 寝起きの、ハッキリしない頭のまま。
 アルヴィスはズラリと並べられた小皿と、付きっきりで世話をしてくれている給仕の人間を交互に見やり。
 やはり、育った環境が違いすぎるのだと実感した。

 見たことが無い料理も、所々あるが全部とりあえず美味しそうではある。
 けれども、如何せん量が物凄すぎて到底食べきれるとは思えなかったし、これはアルヴィスが知っている一般家庭の『朝食』ではあり得なかった。

 どこの一般人が、朝っぱらから伊勢エビなんぞ食べるというのだ――――――――。




 そして、このたった1回のリクエストでアルヴィスは懲りてしまったのである。

 料理は、とても美味しかった。
 ずっと食べたかった白ご飯も堪能したし、焼き魚も食べられて満足だった。
 場所も高級だから、ファントムが箸を持っていても不自然じゃなかったし、和食をつまんでいるのも似合うと思えた。

 けれども、アルヴィス的にはもっと・・・・そう、自分が食べ慣れているような食事がしたかったのである。

 あんな高級感とか上品さは要らないから、炊きたてご飯と焼きサンマ、それから大根の味噌汁あたりを心ゆくまで啜(すす)りたい。
 噛んだ時の音を気にせず、タクアンなんかをバリバリ食べて、渋いお茶をぐーっと飲み干したい。
 琴の名手だかによる実演はとても見事で、耳に心地よくはあったけれども・・・どっちかといえば、テレビのニュースでも見ながら食べたいと思う。

 まあテレビの件に関して言えば、いつもの朝食時も見ないのが今の日常なのだけれど。

 食事中にはテレビを見ない――――――それが、ファントムの主義だからである。
 基本、彼は何か食べている時にはそれ以外の行動は取らない。
 食事とそれに付随する会話に集中して、テレビはもちろん新聞や本などを読みながら・・・という行動も取らないのだ。

 だから、ダイニングルームには、テレビが置かれていない。
 ゆっくり、食事をして。
 その後にリビングに移動し、そこにコーヒーなどを運ばせ飲みながらようやくテレビや新聞に目を通す・・・といったパターンなのである。
 考えてみれば、映画や本などに出てくる上流階級の人間達の食事風景に、テレビなどは登場していない気がするから。
 上流の家庭に育つと、そういう教育が為されるのかも知れない。

 それでも、昼食や夕食時には、稀にではあるが自室でレポートを片付けながら片手間に食事を取ったりする姿は見かけることがあった。

 そういう時のファントムは、目を疑いたくなるくらい行儀が悪い。
 椅子に座って机に長い脚を投げ出し、口にサンドイッチを咥えたまま片手で本を持ち、・・・・もう片方の手では、携帯で何やらメールを打っていたりする。
 普段の品の良さは一体どこに? と問いかけたくなる状態だが、食べるのも読むのも打つのも、同時にこなしている辺りが果てしなく器用だ。






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言い訳。
アルヴィスって和食が好きそうだなーって思ったとこから、出来たネタでした(笑)
和食っていうか、家庭の味?
素朴なのが好きそう。
でもって、そこら辺をトム様は分かってくれなさそうだなーと。
思ったより長くダラダラ書いちゃいました(汗)