『Halloween&Birthday−side光−焔編6』





※『君ため』の番外編です。







 


「大丈夫だよ、・・・すぐ楽にしてあげるからね・・・」


 縋るように自分の頭を、胸に擦り付けてきたアルヴィスの身体を抱く腕に力を込めて。
 ファントムは言い聞かせるように、優しく言葉をかけた。


「・・・・・ゴホッ・・・」


 その間にもアルヴィスは、ゼェゼェという耳障りな喘鳴(ぜいめい)を喉から発し、弱々しい咳を繰り返している。


「・・・・・・・・・・」


 吸気時の胸骨上窩(きょうこつじょうか)の陥没――――――・・・要は、喉下の窪みが息を吸う時に凹む事だ・・・が、見られ。
 脈拍も分計測で、130近くあり。
 ※チアノーゼ(※唇や爪先が青紫に変色する症状の事)までは出ていないものの、発汗し意識混濁の兆候もある。

 アルヴィスに不安を与えないよう、大丈夫だからと繰り返す言葉とは真逆に。
 ファントムは、現状がそうそう楽観視出来る状態では無いと判断した。

 用意してきた気管支拡張剤を吸引させて、様子を見てはいるが・・・これで落ち着かないようなら、かなり宜しくない。

 下手をすると、アルヴィスのもう一つの持病である『拡張症』の発作が併発する畏れもある。
 呼吸困難に、喀血までしてしまえば――――――急激な血圧低下に見舞われて、ショック死もありえるだろうから極めて危険だ。


「・・・・もう1回。・・・アルヴィス君、頑張って吸えるかな・・・?」

「・・・・・・・・・・、」


 アルヴィスの上体を抱き起こしたまま、口元をこじ開けて何度目かの吸引をさせる。
 だが、既に意識が朦朧(もうろう)としているのだろう・・・アルヴィスは殆ど薬を吸えていないようだった。


「・・・・・・・・・」


 腕時計をチラリと見て、ファントムの顔に焦りの色が浮かぶ。

 5分間隔で、既に4度ほど吸引を試みたが、さして望んでいるだけの効果は無かった。
 これはもう、気管支拡張剤では効き目がないと判断していいだろう。

 アルヴィスの腫れ上がり狭まった気道を、何とかして広げてやる事が出来なければ・・・・幾ら酸素を吸入させた所で、意味は無い。
 殆ど気道が塞いでしまっている状態では、そもそも酸素の通り道も無いからだ。


「・・・・・・・・・・」


 自分の額に、ジットリと冷たい汗が流れるのを鬱陶しく感じながら。
 ファントムはベッド上に拡張剤のスプレーを投げ捨て、ポケットから携帯電話を取りだした。

 そして素早くリダイヤル画面から、目当てのナンバーをセレクトして通話ボタンを押す。


「ペタ? アルヴィスが見つかった。・・・けど、※アストマ(※喘息発作)起こしちゃっててね・・・・」


 呼び出し音が途切れたと同時に口を開き、電話先の相手に、一気に言いたいことを捲し立てた。


「うん、そう・・・持ってた※サルブタモール(※気管支拡張剤の種類名)じゃ効かなくて。アミノフィリン点滴と・・・酸素吸入させたい」


 話しながら、ファントムは携帯を器用に肩口に挟み固定し――――――・・・そのままアルヴィスの身体を、横抱きにする。
 状況説明している間も、時間が惜しいのだ。


「車に、酸素もアミノフィリンも積んであったよね。それ、準備して。・・・・今すぐ連れてくから、早くね?」


 そして、アルヴィスを抱いたまま部屋を大股に横切って、出口の扉へと向かった。

 床に転がっている、肥満体の中年男には一切、眼もくれない。

 先ほど、アルヴィスにのし掛かっていたこの男の後頭部を掴み上げ、その手で無造作に床へと叩き付けたのは他ならぬファントムだが。
 寝台に横たわったアルヴィスの、苦悶の表情を見たら―――――――そんな男の事などは、ファントムの頭から消え失せていた。

 ファントムにとって、今、1番重要視しなければならないのは、アルヴィスの容態であり。
 ・・・・他はもう、構っている状況では無くなってしまったのである。


 例えアルヴィスに手を出そうとした、許し難い輩であろうと――――――処刑は、後回しだ。

 第一、アッサリと命を奪っては、ファントムの気が済まない。
 こういう不届きで、救いようのない愚かな生物は・・・・苦痛に苦痛を重ね、もういっそ殺して欲しいと懇願するくらいに泣き喚かせ、のたうち回らせて。
 ――――――その挙げ句に、処刑してやるのが望ましいだろう。

 随分と脂肪が分厚そうだから・・・・・多少肉を削ぎ落としても、しぶとく生き残っていそうだし、いたぶり甲斐もありそうだと思った。
 中世の拷問に倣(なら)い、あの丸々と肥えた腹に蜂蜜か牛脂でもたっぷり塗って・・・・手足を拘束したまま、腹を空かせたネズミ達を入れた檻に転がすのも楽しいかも知れない。
 ネズミたちはさぞや、夢中になってご馳走に噛み付く事だろう。
 それとも、四肢を切り取って・・・古代中国のように壷に入れて暫く観察してやろうか・・・・・・・愉しみ方は、多種多様にある。


 ・・・・だが、それらは全て後回しだ。

 今は、アルヴィスの容態を回復させることが最優先である。

 早く治療を開始して、呼吸を楽にさせてやりたかった。

 持病に苦しむ患者など、掃いて捨てる程に見てきたファントムだが。
 相手がアルヴィスとなると、やはり可哀想で胸が痛む。

 治療の一環だから仕方が無い場合もあるとはいえ、なるべくなら苦痛を伴う※気管内挿管(※気管内にチューブを挿入して、気道を確保すること)なども避けてやりたいし、出来るだけ点滴と酸素吸入だけで済ませてやりたいと思うのだ。
 幼い頃から発作に苦しんでいたアルヴィスを見てきたファントムとしては、それこそ砂糖が飽和状態になったミルクココアに更に蜂蜜をどっぷり入れてもまだ足りないと思う程、甘やかしてもまだ足りない心境である。

 治療として、どうしても必要ならば致し方ないが・・・・出来るだけ苦痛がないようにしてあげたいと思うのは。
 医師である前に、アルヴィスの恋人であるファントムとしては、極々自然な想いだ。



 ――――――・・・ファントムが、心から医師になろうと決意したのだって。
 その理由は、・・・・アルヴィスの病気を治してやりたいと思ったのが発端なのだから。




「※エピネフリン(※薬品の一種)は、・・・いいや。サルブタさっき、かなり吸引させちゃったし・・・下手するとショック起こしちゃって危険だから・・・」


 的確に薬品名の指示をして電話を切りながら、ファントムはさっき蹴り壊した扉のアーチをくぐり抜けた。
 扉の先には、この部屋へ入る時に容赦なくブチ倒した連中が床に転がり、広大な血溜まりが出来ている。

 白い天井や、廊下の壁紙、そしてもちろん床に至るまで全てに鮮血が飛び散り・・・・・何処を見ても真っ赤に染まって、眼も当てられないような凄惨な状態だった。

 ファントムが、アルヴィス自身に仕掛けてある発信器――――これもアルヴィスに内緒で、治療と称し彼の右上奥歯に仕掛けてあるモノだが――――――の信号を追って、この部屋前に辿り着いた途端、一斉に襲い掛かろうとしてきたので返り討ちにした結果である。


「・・・・・・・・・・・・・・・・」


 急いでいたから、多少惜しかったけれど趣向を凝らすことも何もせず・・・・無造作にナイフで、男達とすれ違う時に頸動脈を切り裂いて。
 アルヴィスがショックを受けたら困るので、返り血を浴びぬよう器用に男達の身体や扉を盾にして、それらを避けたまでは良かったのだが。

 頸動脈を切り裂いた為、廊下には広大な血の海が出来上がってしまった。

 ――――――そのお陰で、靴底が夥しい血のせいで滑り・・・・尚かつ倒れ伏した男達の身体が邪魔で、歩きにくい事この上ない。


「・・・・・ちっ、」


 こんな事なら、もう少し殺し方を考えれば良かったかと、今更にファントムは後悔した。
 アルヴィスの意識が殆ど無いので、行儀悪く舌打ちするのも隠しはしない。

 手っ取り早かろうと取った手段だったが、裏目に出た。

 眉間などの急所突きで、息の根を止めた方が良かったかも知れない。
 刃物で、筋ごと肉を断つ感覚が好きだから、ついつい頸動脈を切り裂いてしまったが・・・・急所付きなら出血させず済んだのに。

 それに、アルヴィスは血が苦手である。

 いくらファントム自身が殆ど血を浴びていなくても、この場を見れば衝撃を受けただろう事は想像に難くない。
 今は殆ど意識がないから良いようなものの、もし正気であれば連れ出す時に、色々と苦心しなければならなかっただろう。
 見せないようにしても、この咽せ反るような鉄臭い血臭と独特の生臭さは誤魔化しようが無い。

 ――――――アルヴィスの意識が、殆ど無くて本当に良かった。

 何にしろ、今更悔やんでも、後の祭りではあるが。
 アルヴィスの意識があったとしても、ファントムは彼を連れてこの場を通り抜けるしか無かったのだから。


「・・・・堪え性が無いなあもう、・・・ちょっと動脈切っただけでダラダラダラダラ出血しちゃって・・・・!」


 ファントムは、彼らの首を切り裂き、大量の血液をぶちまけさせた張本人とは思えないような事を不満そうに一人ごちる。

 その目つきは、まるで道路に散らばった生ゴミを見るかのように嫌悪に満ちていた。
 実際、それらを踏みつけねば目的地に辿り着けないのが分かっているだけに、自分がしでかした結果と知りつつもファントムは嫌で堪らない。

 他人の血液が、身体に付着するのは―――――・・・仕事柄、というか元々生まれつき抵抗は無かったし、むしろ好きだ。

 皮膚に染み込んだ血液を洗い流すのは中々に手間だし、相手によっては感染症の心配をしなければならないから、素手を血に浸す事はなるべく避けるけれど。
 ・・・あの生暖かく、ヌルヌルとした独特の濃度の液体に触れるのは・・・・・・気分的に高揚できるから。

 だが、それもこれも・・・・アルヴィスが居ない時と、限定した楽しみなのである。

 だって、そんな血で染まった手でアルヴィスに触れたら―――――・・・キレイな彼が、穢れてしまうではないか。
 ファントムは、アルヴィスには一滴だって、他人の体液など付着させたくない。

 同じ空間にだって存在させたくない程だから、今こうして血溜まりの中でアルヴィスを抱いているのが、ファントムは不本意で仕方ないのだ。

 しかも血の海を作った原因は自分だから、余計にまたジレンマである。
 アルヴィスを見つけるまでは、気が急いてしまって・・・・排除法にまで、気が回らなかった。


「あーもう、・・・・邪魔なんだけど・・・・!!」


 苛立ち紛れに、足下の男を1人、思い切り蹴り上げる。
 既に事切れていたその男は、ファントムの靴先を身体に深くめり込ませながら鈍い音を立てて脇へと転がっていった。


「・・・・全くね・・・さっさと強硬性硬直(きょうこうせいこうちょく)でもしてくれれば楽なのに・・・・」


 強硬性硬直とは、即時性の死後硬直のことで。

 通常の硬直は、死後だいたい2〜3時間後から徐々に始まり、10時間前後で完成して、20〜30時間は持続するものだが・・・・稀に、すぐ硬直してくる場合があるのだ。
 激しい運動による筋肉疲労や、精神的に強い衝撃を受けたり、脳幹機能が即時的に停止したりすると、――――――死亡直後から、強い硬直が現れる事がある。
 それが、『強硬性硬直』だ。
 あの有名な弁慶の立ち往生・・・つまり立ったままで息絶える状態・・・などは、コレが原因では無いかといわれている。


「全然まだ、グニャグニャだし・・・!」


 小声で文句を言いながら、ファントムはアルヴィスを抱えて死体の山を踏み越え始めた。

 アルヴィスを連れて一刻も早く、車へ戻りたいのに―――――――力が抜けきった人間の身体はグニャグニャとしていて、踏みつけて歩くのは中々に安定性を欠く。
 出来るだけ、アルヴィスの身体に障らないよう・・・揺らしたりしたくないというのに。

 ・・・・本当に邪魔な存在だ。


「・・・・・・・・・・・」


 だがまあ、硬直がすぐに始まるのはそうそうある事では無いのも、熟知していたから。
 ファントムもそれ以上、無駄な期待はせず。
 抱き上げた身体を、出来るだけ揺らさないよう気を付けつつ――――――・・・累々たる屍たちを踏み越えて、その場を後にする。

 歩きにくいからと、不平を漏らして時間を無駄にしている場合では無いのだ。
 アルヴィスを少しでも早く車に連れ帰り、即刻治療を開始しなければ、厄介な事になりかねない。

 万が一に備え。
 ファントムが所有する車には全て、アルヴィス用の治療具―――――酸素吸入から気管内挿管用用具、点滴セットに薬品など――――が、あらかた積み込まれてはいるのだが。
 それでも、実際に※CMV(※調節呼吸・・・人工呼吸器のこと)を取り付けるシステムまで積んでいるワケでは無いし、それが必要な事態となればどうしようも無くなってしまう。

 だからそんな事態に陥る前に、早く点滴をして狭まっている気道を広げてやり・・・・酸素を与えてやらねばならない。
 気管支拡張剤に効き目がなかった以上、早く血中に薬液を投入して、気道を広げてやらなければ――――――酸素を吸引させても、意味がないのだ。


「・・・・大丈夫だよ。ちゃんとすぐ、息が吸えるようにしてあげるからね・・・」


 腕の中でグッタリと力を抜き、苦しそうに唇を喘がせているアルヴィスを見やり。
 ファントムは痛ましそうな顔つきで、そっと青年の髪を梳きそう耳元で囁いた――――――――――。









































 ――――――・・・※生食(※生理食塩水の略称で、人間の体液とほぼ等張の塩化ナトリウム液のこと)200に、アミノフィリン250・・・・・・※静注(※ここでは点滴のこと)して・・・・。




「・・・・・・・・・・、」


 耳に届いた、馴染みのある声音に。
 アルヴィスはゆっくりと、意識が浮上するのを感じた。


「・・・・・・・・・・」


 けれど、視界はまだ真っ白で。
 頭はボンヤリとしたまま・・・・上手く働かない。




 ――――――・・・CMVは出来るだけ避けたいから、※インチュベ(※インチュベーション・・・気管内挿管のこと)はまだ様子見かな・・・・。




 声は耳に入ってくるのに、意味も・・・・把握出来なかった。
 身体も、上手く動かせない。


「・・・・・・・・・・・・・」


 手は。
 足は。
 指先は、・・・・・・・・・いったい、どうやって動かすんだったっけ?

 まるきり身体に現実感がなくて、もしかしたら自分は今、眠って夢を見ているのかと思う。
 だから、何も見えなくて身体が動かないのだろうか。


 でも、―――――先ほどから繰り返し、優しく頭を撫でられている感触だけはハッキリと分かった。


「・・・・・・・・・・・・・・・」


 優しい手。
 この感触を、・・・・・・・アルヴィスは知っている。

 そう、・・・この手さえあれば・・・アルヴィスは何も心配しなくていいのだ。
 この手が・・・・この手の主が、アルヴィスの傍にあってさえくれていたら、・・・・何も不安に思わなくていい。

 ――――――気がつけば、あれほど苦しかった喉や胸が、嘘みたいに楽になっているのを感じた。


「・・・・・・・・・・」


 相変わらず。
 アルヴィスが大好きな手は、優しく労るように髪を梳いている。


「・・・・・・・・・・・」


 アルヴィスは、どうしても・・・その手の持ち主の顔が見たくて。
 真っ白な視界の中、何度もなんども瞬きを繰り返して――――――・・・・懸命に眼を凝らした。

 それは、何故だかとても疲れる行為で。
 たったそれだけの事に、アルヴィスは全身の力を振り絞るくらい頑張らねばならなかったが・・・・視界の端に、ようやっと銀色の輝きを見つけ、うっすらと笑みを浮かべる。

 ――――――・・・何の脈絡もなく、嬉しいと思った。



「・・・・アルヴィス君・・・良かった、気がついたんだね」


 アルヴィスの髪を梳いていた手が止まり、気遣わしげな声が掛けられる。

 霞んだ眼にすら、目映く光る銀糸の髪。
 甘く蕩けるような紫の瞳は・・・・・いつだって、アルヴィスの怯えや不安、その他諸々の精神的な負荷を拭い去ってくれる存在だ。



 ――――――・・・世界でいちばん、・・・・・・・大好きな人の顔。



「もう大丈夫だよ。発作は治まったからね・・・? 苦しいのは終わったよ」


 そう話しかけられながら、再び頭を撫でられて。
 アルヴィスはその気持ちよさに、眼を細める。

 ハッキリしない意識のまま、アルヴィスはそうやって撫でて貰えるのが嬉しくて・・・・甘えるように、声がする方に擦り寄った。


「・・・・・・・・・」


 口元を覆う何かが邪魔だったが、構わず傍らの人物へと身を寄せる。


「アルヴィス君、・・・マスクが外れちゃうからね」


 すぐ傍の人物が、アルヴィスの口元にある何か・・・・恐らく酸素マスクなのだろう・・・の位置を直しつつ、苦笑する気配を感じた。

 だが、そう言いながらもアルヴィスの身体を離させようとはせず、アルヴィスがしがみ付こうとするままにしてくれている。
 頭を撫でてくれていた手で、今度は背中をぽんぽん、とあやすように優しく叩いてくれていた。



 ―――――――・・・ファントム・・・。



 傍に居るのが彼だと、確かめたくて。
 彼に、縋り付きたくて。

 アルヴィスは、その体勢のまま、傍らの人物へと。
 重怠くて中々上がらない腕を、無理に伸ばして・・・・・抱き付いた。

 すぐに、背中に触れていた手に力が込められ――――――応じるように、アルヴィスを抱き締めてくれる。


「・・・・此処に居るよ? 僕は、アルヴィス君の傍に居るからね」

「・・・・・・・・・・」

「アルヴィス君が眠っちゃっても、ちゃんと傍に居るから・・・・怖くないよ。寝てていいんだよ」

「・・・・・・・・・・」

「ほら、こうやって手を握っててあげる。僕は此処に居るからね」


 そう言って、そうっと優しい手つきでアルヴィスが回した腕を引き離し・・・・・身体を、元の位置に寝かせようとしてきた。
 約束してくれたとおり、手もしっかり握ってくれる。


「・・・・・・・・・・・」

 その時にようやく、アルヴィスは自分が車内の・・・後部座席で上体を起こした体勢で横に寝かされていて。
 アルヴィスが伸ばした足側に、ファントムが腰掛けていることを理解した。

 後部座席の背もたれと、運転席側を両脇にして―――――頭と足を、ドア側に向けている体勢である。
 上半身が殆ど起きた状態になっているのは、背の下にクッションか何かを置いて固定してくれているお陰だろう。

 覚えのある、この黒い革張りの内装は、いつも送り迎えして貰っているベンツのそれだ。
 アルヴィスは、そのいつもは座っている後部座席に寝かされた状態なのだった。


「・・・・・・・・・・?」


 そして今になって、――――――何故自分がその状況に置かれているのかが分からず、混乱する。


 ファントムが此処に居るのはおかしい・・・・そう、瞬間的に思った。

 でも、・・・どうして変だと思うのだろう?

 この車は、アルヴィスが見知っている、ファントムの車で・・・ベンツで、いつも大学まで送り迎えして貰っているモノで。
 乗っていることには、何ら不自然は無い筈なのに??

 だけど、・・・・・この状態に置かれるまでの記憶がない。


 苦しかったのは・・・・死ぬほど息苦しくて、怖くて・・・・気持ちが悪いと思ったのは、・・・・・。

 現実? 夢??


 ――――――・・・分からない。



「・・・・、・・・・? ・・・・??」


 考えようとすればするほど、頭にモヤがかかって鮮明さが失われていく。
 ぼんやりと意識の片隅に『何か』が見えているのに・・・・それが何なのか、良く見定めようとすると途端にぼやけて霧散していってしまうのだ。



 ―――――ああ、・・・・だけど・・・。


 アルヴィスは消えずに残ったモノを、霞んだ意識の中から・・・・ひとつだけ見出した。


「・・・・・・・・・・・、」




 きょうは、・・・・ファントムの。

 アルヴィスにとって、・・・・いちばんたいせつな・・・心から祝いたいとおもう。

 いちねんに、いちどの―――――・・・・たんじょうび。


 だから、・・・・・・・・・どうしても何か。

 ファントムがよろこんでくれるような・・・・何かを。

 じぶんだけでえらんで・・・・・・・・プレゼント、したかった。






「・・・・ぷれ、ぜんと・・・」


 握られていない方の手で、口元を覆う邪魔なマスクをずらし。
 アルヴィスは、掠れた声で言葉を発した。


「・・・おめでと、・・う言って。・・・・あげた・・かった・・・」


 殆ど、無意識の行動で。
 アルヴィス自身、何を言いたいのか・・・どうしたいのか分からないまま、ただ言葉を紡ぐ。

 漠然と頭に浮かんだ、言葉を、そのまま―――――・・・すっかり嗄れてしまった声で、とめどなく口にした。


「・・・いつも・・・飲んでる、から・・・あげ・・・たい、・・な・・って」


 あの、まっくろな。

 アヒルのあしのような・・・・形のラベルがはられた、びん。

 すごくたかいけど、・・・がんばったら、もらえるから。


 だからおれ、――――――・・・がんばったんだ。



 ――――――だけど、それは何処にあるだろう?

 どうしてアルヴィスは此処で寝ていて、・・・・プレゼントを手にしていないのだろうか?


 これでは、・・・おめでとうって。

 言 っ て あ げ ら れ な い 。




「・・・・・・・・ごめ・・ん・・・」


 そう気付いたら、悲しくなってきて。
 アルヴィスは涙ぐんだ。


「・・・・・・・・・・・アルヴィス・・・」


 傍らで、ファントムが深く息を吐くのが感じられた。

 呆れられたのかも知れない・・・そう思ったら、余計悲しくなって。
 アルヴィスはポロポロと、涙をこぼす。

 ただひたすら悲しくなった。
 ファントムを呆れさせるなんて、・・・自分はとても、駄目な人間だと思った。

 涙が、・・・・・止まらない。


「!? ・・・・ああ、泣かないでアルヴィス君!」


 そのアルヴィスの口元を再びマスクで覆いながら、ファントムが慌てたような声を発した。


「せっかく落ち着いたのに、呼吸乱れちゃうから。・・・ねっ、・・・落ち着こう?」


 宥めるようにアルヴィスの目元の涙を拭って・・・頭を再び、撫でてくる。


「僕の誕生日、気にしてくれてたんだね? ・・・ありがとう」

「・・・・・・・・・・」

「でもね、・・・いいんだよ? 僕は1番欲しいもの、とっくにアルヴィス君から受け取ってるんだから・・・・」

「・・・・・?」


 意味が分からなくて、アルヴィスは涙眼でファントムを見上げた。

 だってアルヴィスは、ファントムにまだ何もあげていない。


「アルヴィス君が、僕の傍に居てくれること」


 そんなアルヴィスに、ファントムはキッパリと言い切った。


「それが1番、僕にとって嬉しいことで。・・・・それ以上のプレゼントは、あり得ない」

「・・・・・・・・・・」

「だから、アルヴィス君の・・・アルヴィス君からしか貰えないプレゼント、既に僕は受け取ってる」


 ね? 気にする必要なんて一切無いんだよ。

 そう言って、ニッコリ笑うファントムの顔に、・・・・・・過去のおぼろげな記憶が重なる。









 ―――――――アルヴィス君はね、ボクのたった1つの大切なモノなんだよ。





 ―――――――1つ?

 1つしかないの? ファントムいっぱいオモチャ持ってるのに・・・?





 ―――――――うん、1つだよ。

 ボクは、アルヴィス君しか要らないから。

 他のモノは、あっても無いのと同じなんだよ。





 ―――――――ふぅん・・・?

 あるけど、ないの・・・・? ヘンなの!




 ―――――――だからね。

 ボク達ずっと、一緒だよ。

 ボクにはアルヴィス君しか居ないんだから!

 ボクのたった1つの宝物は、どこにも行ったらダメなんだからね・・・・・・?





 ―――――――わかった。

 じゃあオレ、そばにいる! ファントムの、そばにいるね。

 1つしかないんだから、オレいないとカワイソウだもんね。





 ―――――――そうだよ。

 アルヴィス君が傍に居ないと、ボクが可哀想なんだ・・・。







 恐らくまだ、幼稚園に通っていた頃の。
 とても幼かった頃の、記憶。

 いつどこで言われたのか・・・・どういう経緯(いきさつ)で言われたのかも、定かではない。

 けれど、ファントムが繰り返し、そうアルヴィスに言い聞かせてくれたのは確かで。
 だからアルヴィス君が居てくれるだけで、僕は嬉しいと言ってくれたファントムの声と顔は・・・・今も鮮明に覚えている。

 あの頃は、ただただ大切な幼なじみで。
 アルヴィスにとって、何より大事で大好きな・・・・自慢の『お兄ちゃん』だったけれど。


 アルヴィスがいいと。
 欲しいのはアルヴィスだけで、他は何も要らないのだと――――――キッパリと言い切ってくれた。


 それは今なお、・・・・・・・・・変わらないでくれている。



「・・・・・・・・・!!」


 アルヴィスは、何故だか余計に泣き出したくなるような心地になって。

 ――――――・・・傍らで、笑いかけてくれている。
 今や幼なじみから恋人へと変わった存在に、必死にしがみついたのだった・・・・。

 






 NEXT Halloween&Birthday−side光−焔編7

++++++++++++++++++++
言い訳。
もうちょっとです(笑)
・・・もうチョイで、ほんとに終われると思います☆
ようやっと、ゴールが見えました・・・!!!(笑)
今回は、何としても甘いの入れたかったので、無理矢理にファンアル要素入れました。
じゃないと、血なまぐさいだけの話ですしね・・・ほんと、スミマセンです(汗)