『-Petal of cherry blossoms 1-』

 




「・・・すごい」


 ゆうに20帖(じょう)はあろうかという、広々とした和室に敷き詰められた畳に座り込みつつ。
 アルヴィスは思わず、開け放たれた障子の向こう側にある展望に感嘆の声を漏らした。


「・・・・窓の外がまんま、・・・絵の中の世界みたいだ・・・・」

 障子とガラス窓によって隔てられたバルコニーのそのまた先には、まさしく絵に描いたような純和風の庭園が広がっている。
 キレイに刈られ形を整えられた芝生や低木、バランス良く配置された岩や石、流れる小川―――――――離れにある部屋の外はまるで、一幅の名画のような趣(おもむき)だ。


「こんな所、・・・あるんだな・・・・」


 呟く声につい、感心半分呆れ半分の色が混じってしまう。

 案内された部屋の内装が、あんまりにも豪華だったので。
 この部屋に入ってから30分余り、アルヴィスは外の景色にまで気が回っていなかった。
 部屋の立派さだけで充分に度肝を抜かれていて、外にまで目を配る余裕など無かったのである。


 今や自宅として使う羽目になってしまっている現在の居住先だって、それはそれは豪華なのだが・・・・・・・・・あっちは完璧に洋風で、此方は完全なる和風の佇(たたず)まいだ。
 豪奢な洋風の今の部屋は、何とか見慣れたものの、・・・・こういった和風建築の豪華なヤツには免疫が無い。

 そもそも。
 座ったまま欲しい物に手を伸ばせば、容易に届くようなこぢんまりとした家・・・・・つまり質素な生活に安穏とした落ち着きを見出しているアルヴィスは、『豪華』と表現される華美な存在は苦手である。

 洋風のアンティークな家具たちだって相場など分かる筈も無いし、分かったとしても目の玉が飛び出るような『あり得ない金額』のモノばかりだからして、アルヴィス的にはちっとも気が休まらないのだが―――――和風のだって、それに引けを取らないような『ぶっ飛んだ価格』のモノがゴロゴロしてるに違いない。
 しかも、洋風のと違って和風は一見、それと思わない酷くボロっちぃ・・・というか、寂れてとても高い値段などしないだろうという印象のヤツに限って、べらぼうに高いらしいのだ。

 この、何てことのない普通の畳だって、どこかの由緒ある職人が作ったヤツかもしれないし。
 壁紙だって、そうかもしれない。
 置いてある壺みたいのだって、差してある花だって・・・・疑えばキリがない。

 テレビでやってる、何とか鑑定団なんて番組でも良く似通った品々にとんでもない値段が付けられているのを目にしたことがあるから・・・充分あり得る話だ。

 更に。
 この旅館へ連れてきた恋人が、そういう信じられない無駄遣い・・・というか超高級嗜好だからして充分考えられる危険性なのである。


 恋人のファントムに即されるまま、アルヴィスはおっかなビックリ、離れにある室内へと足を踏み入れ。
 怖々と辺りを見回し、恐る恐るフカフカな金糸で刺繍された座布団に腰を下ろして――――――――・・・置いていいのか躊躇いながら、金粉や銀粉で繊細に描かれた花々の蒔絵(まきえ)が至る所に施された豪華な和風黒テーブルにそっと勉強道具を置き。

 旅館の仲居さんに出されたお茶を遠慮しつつ飲みながら、一息ついて・・・・・・・・・・ようやく、今の心境に至ったのだ。




 ――――――というか。

 座り方がおかしくて畳の目をおかしくしないだろうか、とか。
 ノートや参考書の角で、テーブルが傷付きはしないだろうか、とか。
 土下座をする勢いで、畳に頭を擦り付けて挨拶をした仲居さんが、襖の向こうでずっと控えていたらどうしよう・・・・などと色々考えすぎて、疲れ果ててしまったというのが本音だ。

 それらの不安を解消しようにも、アルヴィスをこんな所へ連れてきた恋人は、留学時代の友人から携帯に掛かってきた電話に出て流暢(りゅうちょう)な英語で喋りながら何処かへ行ってしまっていた。

 『適当に、寛(くつろ)いでてね。・・・すぐ戻るから』

 一言、アルヴィスにそう言い置いて。
 それきりファントムは戻ってきていない。

 なるべく身動きせずに座ったまま、アルヴィスはファントムの帰りを待っていたが流石に疲れてきた。


「・・・・・・・・・・・・・」


 先ほど、続きにある座敷や応接セットが置かれたサロン、それに広い内風呂や、外の景色を眺めながら入浴出来る専用の総檜(そうひのき)造りな露天風呂などがある事は、部屋に案内された時に教えて貰っていたものの――――――――それらを見回る気にもなれない。
 自由に入って、使って良いのだと示されたのだろうけれど、何となく気が引ける。
 ファントムが戻ってくるまでは、なるべく危険な(値段と思われる)場所に近寄りたくなかった。

 かといって、このまま座っているのも飽きたし、とても疲れる。


「・・・・・・・・・・・・・・・」


 迷った挙げ句に。
 参考書やノート、筆記用具の類が広げられたテーブルから離れ・・・アルヴィスは、誘われるように庭に面したバルコニーの方へと足を運んだ。

 高価なテーブルやら壷やらがある、室内より。
 まだ、バルコニーに出て庭を眺めている方が安心だろう・・・・・・・置いてあるモノが何も無いのだから。















「・・・・・・・・・・・、」


 手すりにもたれ、アルヴィスは目の前に広がる景色の素晴らしさに暫し息を呑む。


「・・・・キレイだ・・・・・」


 周囲を見渡し、庭の一角を占める大きな大木に自然と声が漏れ出た。

 枝が見えない程に、びっしりと花を付けたサクラの大樹。
 たった1本のその木は、白に近い薄ピンク色をした小さな花が、樹全体を霞ませるほど一杯に咲き誇り・・・周囲を圧倒する存在感を醸し出していた。


「すごい、・・・・ここでお花見が出来てしまうな。・・・・・・・あ、・・・」


 さながら周囲を白く埋め尽くす雪のようにも見える、はらはらと舞い落ちる沢山の花びらを眺めながら。
 アルヴィスは呟き、・・・・・・・・・そしていきなり、ここへ連れてこられた意味を今更に理解した。













 ―――――――もう、こんな季節なんだ。・・・お花見もいつの間にか終わっちゃったんだな・・・・・。



 ―――――――あれ。アルヴィス君、お花見したかったの?



 ―――――――そういう訳じゃないけど。ただ、今年はサクラ見ないで終わっちゃったなと思って・・・・。




 十日ほど前に、恋人とそんな会話をした。
 既に新学期が始まり、課題も出されている時期で、花見の季節は終わりを告げていた頃である。

 別に、口にするほど残念だった訳ではない。
 ただ何となく、時期的に体調を崩していたアルヴィスは春に余り外出することが出来なくて――――――――今年は花を見ることなく過ごしてしまったのだと思っただけだったのだが。




 ―――――――じゃあ行きたい?




 サラリと、今から行こうか? というような口調で聞いてきた幼なじみであり恋人でもあるファントムに、だからアルヴィスは笑って首を横に振ったのである。




 ―――――――無理だろ。 もう花の見頃から1ヶ月以上経ってるんだし・・・・・・・。










「・・・・だからだったのか・・・・・」


 週末、出掛けようと言われ。
 入院して提出が遅れている課題があるから、嫌だとゴネたアルヴィスを無理矢理にファントムは温泉旅館へと連れ出した。
 今度は何の気まぐれかと、内心アルヴィスは酷くヘソを曲げていたのだが。

 確かに、アルヴィス達が住む場所から北へ遠く離れたこの温泉地ならば、まだサクラの開花時期だろう。


「・・・・・・・・・・・・・・・・」


 見事に咲いたサクラを独り占め出来る、豪華な温泉宿の離れの一室。

 総檜造り(そうヒノキづくり)だという、専用露天風呂まで付いたこの部屋は、・・・・相当に高そうだ。
 アルヴィスが何気なく口にした言葉を叶える為に、一体恋人は幾ら費やしたのか。


「・・・・う。・・・・怖いから考えないでおこう・・・・・・」


 恐らくアルヴィスが聞いたら、気が遠くなりそうな金額なのは想像に難くない。
 アルヴィスはぶるっと身震いをして、その思案を振り払った。


「・・・こんなに花がキレイなんだから。・・・それを楽しむべきだよな・・・・っ!」


 ともすれば、ついうっかり考えてしまいそうになる、この旅館の宿泊代から無理に頭を引き剥がし。
 アルヴィスは、今独り占め出来る素晴らしい桜の樹をうっとりと眺める。


「あ、・・・下に降りてもいいんだ・・」


 気付けば、バルコニーから庭園へと伸びている階段下にはきちんと突っ掛けが用意されていて、庭園に降りられるようになっていた。


「・・・・・・・・・・・・・・」


 アルヴィスは誘われるようにサンダルを履いて、キレイに整えられた庭へと降り立ち・・・・・まっすぐにサクラの方へと歩いていった。









 近づいてみれば、本当に見上げる程の大木だった。
 青い空が霞むほど・・・・埋め尽くされる程に花を咲かせた、見事なサクラの樹。
 既に満開状態なのか、そよぐ程度の微かな風にすら、その可憐な花びらをヒラヒラと散らしている。
 おかげで、木の根もと付近は黒い土が見えなくなるくらい、びっしりとピンクの花びらで覆い尽くされ――――――――・・・まるで、花びらで作られた絨毯が敷き詰められているようだった。


「すごいな、・・・・ホントに見事だ・・・・・!」


 こんなにキレイなサクラを、初めて見たような気がする。
 そして、ふと。
 この下に座って、課題をやるのもいいかな・・・などという想いが頭を過ぎった。

 良い天気だし、下に落ちた花びら達もほどよく乾いていて、腰を下ろしても湿ったりすることは無さそうだし。
 無駄に豪華で、傷つけたりなにか間違いをおかしたら大変だと気を遣う室内より余程、気分良く勉強出来そうだ。
 何より、勉強に疲れたら上を見て・・・・この見事なサクラを眺められれば、それだけで気分転換になるだろう。


「・・・・よし、」


 決断し、アルヴィスは急いで室内へと課題道具を取りに戻った―――――――――。

 




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