『-Petal of cherry blossoms 2-』





「アルヴィス君、・・・・・・・・・・あれ?」


 掛かってきていた電話の用件を終え、ファントムが部屋に戻って来て見れば恋人の姿は見えず。
 置いてあった筈の参考書の類も、テーブルの上に見あたらなかった。

 風呂に入るのならば、教材を持って行く筈も無し。
 いやそもそも、1人で入るなんてファントム的に認められないけれど。

 一体何処へ? と隣の部屋へと足を向け掛けて―――――――・・・何とは無しに、外へと目をやる。


「・・・・・・・・・・・・・・」


 今の時期で一番、見頃でキレイな桜が独り占め出来る場所を。
 そういう条件で、探した宿だった。
 アルヴィスはもう、庭の桜に気付いてくれただろうか。
 説明する間も無く電話が来て、そのまま部屋を後にしていたからアルヴィスが桜に気付いたのかは不明だ。

 出来れば、驚く恋人の可愛い顔を見たかったのだけれど。

 そんな事を考えながら、バルコニーの方へと歩を進めた。


「あ。・・・・・・・・・・発見☆」


 そして、目当ての人物の姿をその木の下に見出し、ファントムは秀麗な顔に笑みを浮かべた。
 そのまま、バルコニーの階段を下りて突っ掛けを履き桜の方へと歩く。

 カーペットのように敷き詰められた花びらたちを踏みしめながら、そっと恋人へと近づき。


「・・・・・・・・・・・・・」


 胸の上にノートを載せたままで眠るアルヴィスを、起こさないよう隣に腰を下ろす。


 ファントムが愛して止まない青年は、本当に良く眠っているようだった。

 極上のサファイアのような、鮮やかな青色の瞳を閉ざし長い睫毛を伏せて眠る青年は、常よりも随分とあどけなく見えて。
 その青みがかった黒髪や、下に走る血管が透けて見えそうに白い滑らかな頬に、後からあとから薄ピンク色の花びらがひらひら降り注ぐ様は、・・・さながら天上の光景のよう。

 天国で、空からの祝福を一身に受けて眠る天使のような、神々しさすら感じられる様子でアルヴィスは眠っている。


「・・・・なんて、お花が似合う子なんだろうね君は・・・・・」


 起こさないよう、気をつけながら。
 ファントムはアルヴィスの柔らかでコシの強い髪に手を伸ばし、埋めるような勢いで降り注ぐ花びらを軽く払ってやる。




 ほとんど白に近い、薄桃色の花びら達に埋もれて。
 精巧な造りのアンティークドールの如くに、可憐でキレイな顔立ちの恋人が眠る様は、それはそれは見事な光景で。


「・・・・・・・・・・・・・」



 彼がもし、命を失うことがあれば―――――――・・・こんな風に送ってやりたいな。

 キレイなキレイな君が逝く時は、淡いピンク色の花びらに包まれて、霞むような美しさで埋め尽くしてあげたい。
 今みたいな、血の色が透けてみえるような健やかさじゃなくて。
 血の気の失せた、青ざめた肌をサクラの花びら達が引き立てて・・・・・きっと、ゾッとするほどキレイだろう。
 冷たくなった、キレイな身体を花びらが柔らかく包んで・・・・・それはそれは、美しい光景だろう。

 そしてきっと、君は霞むように花びらが舞う中に儚く消えていくに違いない・・・・・・。



「・・・・・・・・・・・・・・・なんてね、」


 馬鹿なことを、つい考え。
 そんなことは絶対許さない―――――――――と、慌てて今思い浮かべた光景を否定した。


「・・・・・・あらら、全然まだ、出来てないじゃない・・・・」


 考えを振り払うように、アルヴィスが抱き締めているノートを手に取る。
 そして、開いてあったページを目にして苦笑した。


「・・・・ラグランジュの未定乗数法ね・・・・・」


 どうやら、天使は数学で悪戦苦闘していた模様である。

 予(あらかじ)め答えは分かっているようだが、どうにも、その答えに行き着かないらしい。
 開いたノートには、アルヴィスが書いた数式が何本も残されており、いずれも間違いだったらしく、グシャグシャと斜線が引かれていた。
 まあ、それなりに難易度がある問題だし、体調を崩し長期間休講していたアルヴィスには出来なくても無理は無いだろう。


「どれどれ、・・・・『x^2+y^2=1 という条件の下で、ax^2+2bxy+cy^2の最大値、最小値を求めよ』・・・か、へえ・・? うーん、僕も暫くやってないからなあ。どうやるんだったっけ・・・??」


 傍らに転がっていたアルヴィスのシャープペンシルを探しだし手にしたファントムは、勝手にノートへと書き込み始めた。


「・・・・ラグランジュだから、・・・・f(x,y)=ax^2+2bxy+cy^2で、g(x,y)=x^2+y^2=1、F(x,y,t)=f(x,y)-λ・g(x,y)と置いて・・・λは未定乗数でしょ・・・・」


 眠っているアルヴィスを尻目に、ファントムはサラサラと、ノートにどんどん数式を書き加えていく。
 元々、数学は好きな方だ。
 答えが曖昧(あいまい)じゃなくて、スッキリとしているから解くと気分が良い。
 どうでもいい他人の思想や感情を読み取らせるという、どうにも覚える価値があるとは思えない文学などより余程有意義な時間を過ごせる気がする。


「・・・(x,y)がfの極値点であるとき、Fx(x,y)=0 がax+by=λxで、Fy(x,y)=0が bx+cy=λyの、2式を満たすλが存在するから、・・・・・よって、λの値はλ^2-(a+c)λ+ac-b^2=0・・・・と。・・・うん、答えあってるから、コレで正解だよね〜」


 サクラの花びら舞い散る中、鼻歌交じりに問題を解き。
 ファントムは、更に薄い文字で説明を付け加えてやった。


『f(x,y)は、次のように式変形できるよ。f(x,y)=x・(ax+by)+y・(bx+cy)=x・(λx)+y・(λy)=(x^2+y^2)・λ=λ 即ち、(x,y)が極値点である時、その極値f(x,y)の値は、さっきの式の解となります♪ ちなみに、制約条件式を「Ax^2+2Bxy+Cy^2=1に拡張しても同じことができるよ☆ 試してみてね!』


 授業を受けていないせいで悩んでいたのだろうから、アルヴィスの頭ならこれでもう分かる筈だ。
 提出期限が迫っているのに連れ出した手前、これくらいは手伝ってあげても構わないだろう。
 要領さえ掴んでしまえば、後はもう解くだけだから手こずることはあるまい。

 というか、アルヴィスが課題にかまけていてファントムの相手をしてくれない事態になるのは、ファントムが遠慮したかった。
 本来なら、アルヴィスの代わりにこの課題全部、今の内にやってしまってやりたいくらいである。
 だが、それをやれば生真面目な恋人が絶対に機嫌を損ねることが分かりきっていたから、ファントムなりの譲歩なのだ。

 サクラの花びらが栞(しおり)代わりに挟まれたノートをぱたんと閉じ、ファントムはそーっとアルヴィスの胸の上に戻した。


「・・・・ん、・・・」


 起こさないように気をつけたつもりだったのだが、アルヴィスの瞼がぴくりと震え、やがてゆっくりとその長い睫毛に縁取られた瞳が開き始める。
 天使のうたた寝を、邪魔してしまったようだ。


「・・・・・・・・・・・・・?」


 無防備な、ぼうっとした表情で傍らのファントムに視線を投げる様が可愛らしくて。
 ファントムはアルヴィスの頬に手を伸ばす。


「おはよう、アルヴィス君」


 そのまま顔を近づけて軽く頬に口付けすれば、アルヴィスはくすぐったそうに少し目を細めた。


「・・・・・あ、俺、・・・・寝てた・・・・・?」


 何度かぱちぱち瞬(まばた)きして、自分の現状を思い出したのだろう。
 微かに頬を赤く染めて、がばっと起き上がった。

 その勢いに、ノートと舞い落ちた花びらがアルヴィスの身体から滑り落ちる。


「うん、すごく気持ちよさそうに眠ってたよ。あんまり可愛い顔で寝てるから、起こしたくなかったんだけどね」

「・・・・・寝るつもり無かったんだけどな・・・・・」


 照れくさそうに、アルヴィスが頭を掻いた。


「課題、やろうと思ってたのに・・・・・あ、・・・?」


 言いながらノートを開いて、自分の筆跡では無い数式を発見したのだろう中途半端に言葉が途切れる。


「・・・・・・・・・・・・・!」


 ノートを見つめたアルヴィスの目が、真剣みを帯びた。
 さきほど手こずった問題の数式の正解を見て、必死にやり方を辿っているのだろう。


「・・・・・ファントム、・・・・」


 それから、何とも言えない・・・困ったようなそれでいて文句が付けられないといったような、複雑な表情を浮かべた。
 アルヴィスは自分の力でやり遂げたい性格だから、ズルをしたように思えて戸惑っているのかも知れない。


「なあに? それで理解出来るでしょ。・・・理解出来たら、それ消して。自分の力でやればいいじゃない? やり方さえ分かっちゃえばアルヴィス君なら出来ると思うし・・・・」

「・・・・・・・・」


 ファントムの言葉に、アルヴィスの表情が和らぐ。
 本当に、愚直なほどにまっすぐな子だ。
 数学の課題など、丸写しの生徒が大半だろうに・・・・・。

 まあ、そんな所もファントムにとっては可愛いと思うアルヴィスの性格の一端である。


「分からなかったら、僕が教えてあげるよ? ・・・なんなら、手伝ってやってあげても構わないんだけれど。・・・・テストまでに、実力付けられれば問題無いでしょ? こんな課題は、単位取るのに使うだけなんだから・・・・」

「いや、いいよ。これ見て、自分でやる。・・・・ありがと・・・」

「アルヴィス君は、良い子だねえ」

「・・・・・・・・・からかってるのか・・・・?」


 律儀に自分でやると答えたアルヴィスに対し、思わず素で出たファントムの感想に。
 アルヴィスが不服そうな顔をして、ファントムを睨んできた。

 そんな表情をしても、元が可愛いから、ファントムには少しも効き目は無いのだが。


「違うよ? ・・・・見とれてるんだ」


 幼なじみであり大切な恋人である青年に、話を逸らすべく。
 ファントムは柔らかく笑いかけた。


「桜の花びら舞い落ちる中の、キレイな恋人の姿。・・・・絵になる光景だよね・・・・・・花びらごと消えてしまうんじゃないかって、不安になるくらい・・・・・・・」


 言いながら、ファントムは傍らの恋人を抱き締める。
 誤魔化すために口にした言葉だが、本心でもあった。

 アルヴィスが見たいと言った桜を、見せてあげる為に連れてきたのだけれど。
 桜にアルヴィスはとても似合うだろうと思い―――――――・・・その光景を自分がが見たかったのもファントムの本音だ。


「―――――――僕を残して、消えてしまわないように。こうやってギュッとしてなくちゃ!」


 アルヴィスの、つんつんと立ち上がった癖の強い髪に顎を埋めるようにして、ファントムはその華奢な身体を強くつよく抱き締める。
 そのファントムの背に、遠慮がちにアルヴィスの手が伸ばされてきた。


「・・・・馬鹿。そんな訳、・・・無いだろ・・・!」


 ボソボソと、ファントムの胸に顔を埋めたままでアルヴィスの言葉が返される。


「・・俺なんかより。お前の方が、・・・・・・・」



 ――――――溶けて、消えていってしまいそうで・・・・・嫌だ。





 とてもとても小さな声で、しがみつきながら恥ずかしそうに言う。


「・・そう?」


 その可愛らしい言葉に、ファントムの浮かべる笑みが深くなった。


「じゃあ、・・・・お互いそう思うなら・・・いいのかな。それだったら、何処までも一緒だからいいね」

「・・・・・・・・・・・」

「一緒に消えられるなら、消えて行き着く場所だって同じ筈だもんね・・・・?」


 言いながら、アルヴィスの顎を捉えて上向かせる。


「・・・・やっぱり、連れてきて良かったなあ。桜の花びらの中のアルヴィス君、・・・とってもキレイだ。黒い髪に、白い花びらがすごく映えるね・・・・」


 桜の花の妖精みたいだよ、と呟いて唇にキスを送れば、てっきり怒るかと思った妖精はぶすっとした・・・けれど真っ赤になった顔で口を開いた。


「・・・・ファントムの方が、それっぽい・・・・。髪も肌の色も、・・・・なんか花びらに溶けてどっかいっちゃいそうだ・・・・」


 言葉と同時に、背に回されている手に力が籠もったのが分かる。
 自分で言っていて、本気で不安になったらしかった。

 ―――――――その可愛らしい、少し子供っぽい仕草がファントムには、可愛くて愛おしくて堪らない。


「・・・・・大丈夫だよ。溶けて消える時は、アルヴィス君も一緒だから」

「・・・・・・うん・・・」


 そんなことはあり得ないと否定せず、言葉少なに素直に頷くのが本当に可愛らしかった。


「・・・じゃあ、安心したところで。お花見、楽しんじゃおうか?」


 もう一度、アルヴィスの可愛い唇にキスをして。
 目の前の恋人に笑いかける。


「今時期で、一番キレイに見える桜を独占出来る場所探したんだよ。・・・・おいしいお団子とか、お花見弁当作って貰ってるから、それ運んで貰おうね。2人だけで、たっぷりお花見楽しんじゃおう」


 言いながら、ファントムはさりげなくアルヴィスの傍から課題のノート達を遠ざけた。

 キレイな場所で、キレイな恋人を満喫したいと思うのは自然な感情だろう。
 無粋なヤカラは、とりあえずは後回し。
 恋人が、自分以外のモノに気を取られているのは許せないから。


 今はただ、―――――――この花がとってもよく似合う、恋人のキレイな顔(かんばせ)を堪能したいのだ。


 目を閉じて。
 花びらに埋もれて眠るアルヴィスも、それはそれは幻想的でキレイだったけれど。

 こうして、花びらがヒラヒラ舞う中で無邪気に笑う恋人も、負けないくらいキレイだと思う。
 鮮やかな青の瞳に、花びらの影が映りキラキラと瞬くような輝きを添えている。

 自分の髪に、頬に、睫毛に降りかかる花びらは鬱陶しいだけだと思うけれど・・・・・・・・・・アルヴィスに降る花びらは、キレイだ。


 澄み切った青空を、埋め尽くすように咲き誇るサクラの花。
 辺りを白く覆い隠すかのように、降り注ぐ花びら。
 時折差し込む目映い陽の光に照らされ、舞い降りる花びらを纏う恋人は、まるで絵画の中の住人の如く美しい。



 ――――――こんなにも美しく咲き誇りながらも、呆気なく散ってしまう花の儚さが。

 決して、楽観視出来ないアルヴィスの体調と重なって、余計に美しく見えるのだろうか。


「・・・・・・・・・・・・・」


 散らせない・・・と、ファントムは心の中だけで強く思う。
 花のようにキレイな恋人を、桜と同じようには散らさせない、と。

 舞い落ちる花びらのように、儚く散らせはしない。




 まるで花のような君だけど、・・・・・散ってしまう花びらじゃなくて、しっかり生きてる幹のように。
 何度散っても、また美しく花を咲かせる木のように生きて欲しい。

 僕が君を、全てから守ってあげる。
 手の中に囲って、雨にも風にも当てぬよう。

 ――――――僕が、守ってあげるから。






「・・・・大好きだよ、アルヴィス君」


 お弁当や、お団子と聞いて、途端に嬉しそうな顔になった可愛い恋人を見つめ。

 ファントムは心からの言葉を口にした――――――――――。






 END

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言い訳。
はい、春爛漫・・・お花見をイメージしたお話でした(笑)
とか言いつつ、微妙に脱線してる感が否めませんね!(爆)
不甲斐ない、拍手SSで申し訳ありません><
しかも、まとまってないですし・・・!(汗)
『君ため』設定なファンアルということで、すこしアルヴィスを儚げに+大学生なイメージ強調して書いてみました☆
いや、別にアルヴィスは死にませんけどね・・・・!!(笑)
数式の辺りは、すんません不問にしといてくださ・・・(爆)
数学、苦手なんですさっぱり駄目なんです、すみませn(殴)