『君のためなら世界だって壊してあげる』
ACT 91 『モノクロのkiss−8−』
室内に響く、笑い声。
クスクスといった抑えたものでは無く、腹の底から息を思いっきり吐き出しながらの、豪快な笑い声だ。
「・・・・っ」
その声を聞いた瞬間、ファントムはすぐさま、その声の主に向かって忍ばせていた医療用メスを投げつけたくなった。
声の主・オーブはファントムがA国に留学している頃からの知り合いで、趣味やその他諸々の遊びなどの好みが合うため、何かとA国時代はつるんでいた間柄の人物だ。
アルヴィス以外の存在は、基本『下僕』としか認識していないファントムにとっての数少ない、『知り合いかそれ以上』という人間である。
彼が持つネットワークやコネクションは、それなりにファントムにとって利用価値が高いものであるし、似たり寄ったりな趣向を持つ数少ない『知り合い』という意味では、それなりに重宝している存在だ。
ファントムの持つ銃などの『武器』は殆どがオーブ経由で手にした物だし、ファントムの趣味の一環である生皮剥ぎや人間狩りなどに使用する『素材』も、彼が調達している。
けれど、だからといって今、それで彼を殺したい衝動が収まるわけでは決して無い。
「・・・・・・・・・」
だって。
彼は・・・オーブは、ファントムに向かって許されないことをしている。
自分を見て、オーブは笑っているのだ。
ファントムが彼を嗤うのなら有りだが、逆はあり得ない。
さきほどから募っていた不快感は、もはや最高潮だ。
―――――もう殺す。絶対殺す!
そうでなくとも、今日は苛々させられることばかりで機嫌は頗(すこぶ)る悪かったから、沸点は非常に低い。
ほんのちょっと気に障るような出来事でも、破壊衝動が襲ってくる程だったのだ。
それなのに、こんな風に目の前で愉快そうに笑い転げられてしまっては、湧き上がってくる破壊衝動を止められる筈も無い。
というか、止めなければならない意味が分からない。
何故なら、今日のファントムの機嫌を損ねる諸悪の根源が眼前に居る人物なのだ。
「愉快だ。・・・ハハハ、実に愉快だ・・・・!!」
苦しげに息を吐き出し、それでも尚笑い続けている姿は、見ているだけで腸(はらわた)が煮えくりかえってくる。
元々、やたらに煌びやかで視覚を刺激する金髪や、生意気で傲慢そうな顔立ち、圧迫感のあるギリシャ彫刻然の堂々としたガタイの良さ、低い男性的な美声・・・と言えば聞こえはいいが、要は単なるエロボイスな辺りがファントムの鼻につく男だったから、余計に目障りだった。
持っているメスで、すぐさまその高い鼻を削ぎ落としてやりたくなる。
しかも今日の苛々は全て、この男なのだ。
これで、憤らない筈も無いだろう。
「・・・・・・」
―――――そもそも、コイツがウチに居るのがおかしいんだから!!
怒りの余り。
ファントムにしては珍しく、一瞬何という罵声を浴びせるべきなのか迷う。
待ち合わせ場所を、故意に誤って知らされてスッポカシを喰らい。
こともあろうか、絶対に嫌だと紹介することを突っぱねていた、アルヴィス本人に直接逢い。
電話でそのことを告げ、悪戯に自分の怒りを煽り―――挑発して、ファントムはアルヴィスの前で思ってもいないことを口走る羽目となった。
―――――仲良しっ!! 僕たちスッゴイ仲良しだよ!? ホント!!
―――――僕、オーブのこと大好きだから!!
「・・・くっ、!」
先ほど口走ったアルヴィスへの言葉を思い出しただけで、屈辱の余り大声で全否定してしまいたくなる。
あの男に対して、大好きだとか仲良しだとか自分が口走るなど、・・・・おぞましさの余りに身を捩って叫(わめ)きたい衝動に駆られてしまう。
屈辱だ。
屈辱以外の、何物でもない。
それこれも全部、目の前でバカみたいに爆笑している笑い上戸男のせいだ。
こんな理不尽なことがあっていいのだろうか?
いや、絶対駄目だ。
「ハハハハ・・・!! まずいな、息が・・・苦しいぞ、・・・ぶっ、・・・クククク・・・止まらん!!」
それなのに、眼前の金髪男は益々ファントムを煽るかのように爆笑し続けているのだ。
「・・・・・・・」
ああ殺したい。
殺そうとしても、そう簡単に死んでくれるタマじゃ無いことは十分理解しているが、せめて脇腹に手を突っ込んで内蔵を引っ張るくらいはしてやりたい。
いや出来ればそのまま、引き千切りたい。
「煩いよ!」
「ククッ、・・・いや、しかし、・・・お前がこんな、・・・ぶふっ、」
思わず屈んだ姿勢から立ち上がり、ファントムが制止の声を掛けても笑い男のムカツク行為は終わる気配が無かった。
「・・ああ駄目だ無理だな、止まらんぞ・・・ハハハハハハ!!!」
椅子に腰掛けたまま身体をくの字に曲げ、オーブは苦しそうに笑い続けている。
「(―――いいからもう死ね)」
アルヴィスに聞こえないよう、ファントムはこっそりと呟く。
聞こえたら、また怒られるのが目に見えているからだが、残念ながらアルヴィスに聞こえないほどの小声では、オーブにも聞こえていない辺りが腹立たしい。
まあ聞こえたところで、あの男にはどうということも無いだろうけれど。
「・・・・・・・・」
相変わらず笑い続ける男を、ファントムはじっと見つめる。
その胴を、斧か何かで真っ二つにしてやったら、さぞかし気分がいいだろうな。
腹部からドバッと、春巻きを半分に切ったときみたいに、血と内臓が零れ出てきて。
ついでに首も切り落としてしまえば、もっと気分は晴れるだろう。
その後に、目障りなキンキラキンの髪を切り取って丸ハゲにして、サッカーボールにして遊んでやろうか―――――そんなことを思いつつ。
ファントムは手にしていたメスを引っ込め、チラリと室内の壁に飾られた刀剣類へと視線を向けた。
―――――だが、流石にそれは無理な話である。
今この場には、アルヴィスが居るのだ。
彼が居る場所で、そんな血腥(ちなまぐさ)いことなど出来よう筈も無い。
というか、彼が居なければオーブが笑いだそうとニヤついた笑いを顔に出した時点で、眉間にメスを突き立てようとしていただろう。
「ハハハ・・・いや、しかしだな・・・お前がこんな、・・・しっ、しどろもどろに、・・・ククク!!」
「・・・・・・・」
けれども流石に、そろそろいい加減本当に腹に据えかねる。
アルヴィスに向かって、この男と仲良しだの大好きだのと口走ったことは、ファントムにとって一生で最大かもしれない汚点。
それを分かっていて爆笑するなど、万死に値する行為だ。
―――――というか、死ね。死んでいい。
こんな壊れて笑いが止まらないオモチャみたいなのは、すっきり壊して処分してしまうべきだ。
煩いし、ムカツクし、何より目障りだ。
こんなの、壊した方がいいに決まってる。
そうだ、そうに違いない。
アルヴィスだっていい加減、この壊れた笑い人形には辟易(へきえき)していることだろう。
壊してあげたら、案外アルヴィスも喜ぶかも知れないという気がしてくる。
「―――・・・Can it!!(黙れ!!)」
心の中で、物騒なシミュレーションを繰り広げつつ。
ファントムは、低い声で再び制止の言葉を発した。
「Want a smile like a hockey player?(歯を見せて笑えない顔にしてあげようか!?)」
英語で話すのは、怒りで我を忘れているからでは無くアルヴィスに聞き取られないための配慮である。
「ハハハ・・・それは遠慮しておこう・・・これでも、経営者として威厳を保たねばならんからな・・・ククク・・・!!」
涙さえ浮かべた目で此方を見、また笑いながら首を振るオーブの態度が余裕を感じさせて、余計にファントムの気分を逆立てようとするのが非常に忌々しい。
「You're such an asshole !(キミ、マジ最っ低!!)」
少々下品な言葉で罵れば、ようやくファントムの本気を察したのか、僅かにオーブが目障りな笑いを引っ込めた。
「・・・・・・・・・・」
だが、もう今更である。
からかうのは好きだが、からかわれるのは大嫌い。
嘲(あざ)笑うのは大好きだけれど、他人から嘲(あざけ)られるなど、以ての外(もってのほか)なファントムだ。
あーもう、殺したい!
いいかな? いいよね!?
僕もう、すっごい我慢したよね頑張ったよね??
―――――眉間辺りブスッといけば、血も出ないからOKだよね!!?
ペロリ、と無意識に自分の上唇を舌でなぞる。
もう無理。殺す――――そう考えるのと同時に、再び袖口から手へと滑り込ませた医療用メスを握り、ファントムが、そのまま眼前の相手へ振りかぶろうとした―――――その瞬間。
「―――・・・ファントム、」
躊躇いがちに、小さな声がファントムの背に掛かった。
「―――――、」
ぴた、とファントムの動きが止まる。
戸惑いと不安と、明らかに困惑していると知れる色が篭もった声。
「・・・・・・・・」
アルヴィスの声が耳に届いた途端、ファントムは頭から冷水でも浴びたような気分になって、急速に破壊衝動が静まっていくのを感じた。
「あのさ、・・・その・・・」
振り返れば、声と同じに不安を滲ませた表情を浮かべて此方を見上げる、アルヴィスの美しい顔があった。
「・・・アルヴィス君・・・」
見つめているだけで。
心が、身体が、彼の在る空間が、―――――浄化されていくような瞳の青。
白き砂浜広がる澄んだ海のような、どこまでも晴れ渡る雲1つ無い空のような・・・純度の高い結晶で作られた鉱石のような、深くて鮮やかな青色の双眸。
「・・・・・・・・・・・」
―――――その希有な青に、・・・・無粋な血の色は相応しくない。
その色を見つめ、ファントムは陶然となり暫し激情を忘れた。
「・・・・・・・・・・」
すうっと、ファントムの中で荒れ狂っていた衝動が引いていく。
ヤサグレていた心が、癒されていくのを感じた。
「アルヴィス君、大丈夫だよ」
身体ごとアルヴィスへと向き直り、ファントムは自らの顔に満面の笑みを貼り付けた。
「ケンカなんてしないから、安心して?」
言いながら、心配そうな表情を浮かべるアルヴィスの頭を撫でてやる。
「温厚な僕が、そんな手荒なことするワケ無いでしょ?」
「だけど、・・・」
「僕は心が広いから、些末なことで簡単に怒ったりしないよ」
この程度、どうってことないさと心にも無い言葉を続ければ、アルヴィスがようやく安心したような顔になる。
「本当に?」
「ホントほんと。やだなあ、怒ってないってば」
本音は、今すぐにぶち殺したいくらいには憤っていたが、アルヴィスの手前それを露わにすることは出来ない。
非常に腹立たしいことではあるけれど、今はじっと我慢して穏やかな笑みを浮かべるしかないファントムだ。
「ただオーブが、僕のことを意味不明にあんまり笑うものだから・・・ね? ちょっと注意しようと思っただけだよ」
注意なんて、そんな生易しいことで許せるものか。
軽はずみな言動で他人の心を乱しておいて、口頭の注意で済むなら世の中過ちを繰り返す罪人で溢れかえってしまうだろう。
内心でそう思いながらも、ファントムはアルヴィスが安心するだろう言葉を並べ立てていく。
―――――アルヴィス君は、血が苦手。彼の前で始末するのは無理だもんね。
そんなことしたらオーブのせいで、この僕が嫌われちゃう!!
「そうだったのか。ごめんな、俺てっきりお前がオーブさんに何かするんじゃないかって思って・・・」
「まさか。僕がそんな野蛮なことするワケ無いよ!」
もちろん何かをする気バリバリだったファントムだが、アルヴィスのためならば幾らでも嘘は突き通す所存である。
先ほど口走り、人生最大の汚点だと思った『オーブが大好き』という言葉だって、アルヴィスの疑いを晴らすためなら何遍でも言うだろう。
アルヴィスとオーブを秤に掛けて、どちらが重いかなど、考えるのも愚かなことだ。
オーブなんて、空気中に漂う塵に等しい。
「・・・(風に吹かれて飛び散ってしまえばいいのにね)」
それに元々、アルヴィスには口が裂けても言えないが、ファントムは嘘を吐くことに何ら躊躇いなど覚えない主義である。
「え? ファントム、今なんか言ったか?」
「ううん、何でもないよアルヴィス君」
ボソッと呟いた言葉を拾い損ね、そう問うてくるアルヴィスに満面の笑みで答えながら。
ファントムは再び、まだクツクツと笑っているオーブへと向き直った。
「―――――いい加減に笑い止まないと、窒息するんじゃない? その気なら、手伝っても良いけれど」
「ああ、・・・これは失礼した」
ファントムの言葉に、ようやくオーブが息を整えつつ笑いを引っ込める。
「キミが笑い上戸だったなんて、それなりに長い付き合いだけど知らなかったよオーブ」
「そうだな。私も知らなかったよ・・・ククッ、こんな笑いが止まらなくなる現象が私にも起ころうとは・・・新しい発見だな」
「・・・それは、オメデトウ」
アルヴィスの手前、言いたい本音は早々言えず。
ファントムが精一杯の皮肉を口にしたが、それを言われた張本人はケロッと全く悪びれる様子は無い。
呆れた剛胆さである。
「・・・・・・・」
ファントムは、今すぐ無駄口を叩くその口を縫い合わせてやりたい衝動に駆られた。
とは言っても、この笑い上戸男がそう簡単にそれを許すような生易しさなど持っていないこともファントムは知っている。
表向きはイタリアの貴族の家に生まれ、今や世界展開をしている有名製薬会社のオーナーという身分だが、裏では一大勢力を誇る有力マフィアのNo.2であり、臓器や人身売買などを取り扱う人物なのだ。
こうして腹を抱えて笑っていても、決して隙など見せていないし、いつでも所持してるだろう拳銃で此方を狙える男である。
もし仮にファントムが彼の眉間を狙ってメスを投擲(とうてき)したとして、―――――彼は余裕でそれを避けるか、指先で獲物を捕らえてしまうに違いなかった。
何せ、以前。とある理由からファントムと殺し合い、互いの力量が均衡していたこともあって、両名共に死んでもおかしくないような状況に陥った相手なのだ。
今も尚、オーブの脇腹にはその時の深い傷跡―――ファントムが手をねじ込み内臓を引き千切ろうとした名残だ――が残っている筈である。
ファントムが無傷だったのは、別に彼より戦闘能力が優れていたからでは無く、オーブが傷を付けることを躊躇ったからに他ならない。
もちろんファントムを慮(おもんぱか)って、などという殊勝な理由からでは無いのは明白だ。
美的感覚に鋭く、お国柄なのか芸術をこよなく愛するオーブが、単にファントムの顔に傷が付くのを良しとしなかっただけである。
攻撃箇所がたまたまファントムのこめかみ付近だったため、至近距離で顔を見て、余計に躊躇う羽目となったらしい。
命を狙う相手の顔を考えて躊躇うなど、ファントムにしてみれば理解出来ない甘さだと思うけれど、自分の顔に傷が付かなかったのは僥倖(ぎょうこう)である。
アルヴィスが大好きだと言ってくれる自分の顔は、できる限りそのままにしておきたいと思うファントムだ。
「・・・・・・・・・・・・」
そんなわけで、今この場でどうしても鬱憤(うっぷん)を晴らすとしたら、オーブを直接狙うのは愚考というものである。
壁に突っ立ったオーブの護衛の犬達を狙った方が、余程に手っ取り早い。
彼らを壊せば、オーブにもそれなりに痛手を被(こうむ)らせることが出来るだろう。
―――――まあどのみち、アルヴィスが見ている前ではどちらも不可能だけれども。
「はあ。・・・それで?」
頭の中で巡らせていた、色々な仕返しを一旦は白紙に戻し。
ファントムは投げやりな口調で言いながらソファへ向かい、アルヴィスの隣へと腰を下ろした。
「僕に嘘ついて向こうのホテル呼び出しといて、勝手にこっちに来て、一体キミは何をしたいのさ?」
簡単には煮ても焼いても食えないだろう相手に、これ以上無駄に憤っていても埒(らち)があかない。
ここはもう、とりあえず彼の要望を聞いてサッサと追い返すに限るだろう、との考えからだ。
ついでに、先ほどから怒鳴り続けていたせいでカラカラに乾いていた喉を潤すために、水差しからミネラルウォーターをグラスに注ぐ。
「ほう? 聞き捨てならんな・・・私は嘘など吐いていないぞ? お前が勝手に勘違いしたんだろう」
「・・・いいから。目的は?」
オーブの煽るような、茶化した物言いをスルーしてファントムは答えを即した。
ここで相手にすると、また先ほどの二の舞である。
「何だ・・・もう構ってくれないのか」
「オーブ、質問に答えて」
「せっかく面白かったのに・・・」
軽く肩をすくめ、残念そうにそう口にするオーブだが、流石にそれ以上煽って来ようとはしなかった。
「―――――久々に此方に来たのだし、お前達とゆっくり親交を深めたいと思ってな」
ファントム達の向かいにあるソファへとゆったり凭(もた)れ、オーブはにこやかな笑みを浮かべる。
だが何故か、その視線の先は話をしているファントムでは無く隣のアルヴィスだ。
「・・・お前『たち』?」
アルヴィスがボーッとオーブを見つめているのを横目にチェックし、舌打ちしたい衝動に駆られながら、ファントムは冷ややかな口調でそう聞き返した―――――。
next 92
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言い訳。
今シリーズになってから、初のトム様視点で送らせて頂きました(笑)
読んで頂くとおわかりの如く、トム様はオーブさんに対しては当たり前な友情というのを感じているワケじゃありません(爆)
仲も良いとは言えないです(死)
けれど、彼らには彼らにしか理解出来ない、ある種の『共有する感覚』があるのは確かです。
互いが互いを認め、かつ必要だと感じていることだけは確かなんじゃないかと・・・。
次回も、もう少しトム様が色々とキーキー叫く羽目にはる展開かと思われます。
ファンアル←オーブさん展開ktkr!?(笑)
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