『君のためなら世界だって壊してあげる』
ACT 90 『モノクロのkiss−7−』
オーブが客間に通されて、数時間の後。
部屋は、新たな人物を荒々しいドアの開閉音と共に迎え入れた。
扉が閉まる音がしたのとほぼ同時に、パーテンションの影から銀髪の青年が顔を出す。
サラサラとした銀糸の髪に、透き通るアメシスト色の瞳。
玲瓏(れいろう)とした白き月を思わせる美貌の青年が、険しい表情で此方を見つめながら大股に近づいてきた。
「直に逢うのは久しぶりだなファントム。元気そうで何よりだ」
「・・・っ、・・・は・・・、」
数ヶ月ぶりに見る親友の美貌を見つめ、取りあえず挨拶してみたものの、相手からの返答が無い。
口を開き何事か言いたげにしている様子だが、荒い呼吸が漏れ出るのみだ。
「ん? どうした、ファントム」
「・・・ア・・・アイル・・・ノッキャ・・・、ト・・・!」
ようやく、それだけを途切れ途切れ口にするのが聞き取れた。
見れば白磁の頬は上気して、肩で息を吐いている。
恐らく『I'll knock you out!(殴ってやる!)』とでも罵りたいのだろうが、息切れして言葉が続かないらしい。
「・・・・・・・・!!」
いつもサラサラと収まりの良さを見せている銀髪が、珍しく少々乱れていた。
激情に任せ、ここまで全力疾走してきたといった所だろうか。
それが祟って、普段は回りすぎるくらい回る口が動かないと見える。
元々、ファントムは時間が許す限りダラダラと長椅子に寝そべって、気が向かなければ身体を動かそうとしない怠惰な性格だ。
こうしてたまに走るのは、さぞや疲れたことだろう。
「まあ、取りあえず落ち着け。・・・水でも飲んだらどうだ?」
そう言って、オーブはテーブルに置いてあった水差しとグラスを示したが、青年は更に表情を険しくして眉間にシワを寄せた。
「・・・What are you doing here?(・・・ここで何してるのさ!?)」
ようやく息が整ったのか、青年は挨拶も無しに一息にそう怒鳴ってくる。
「You should know better than that.(馬鹿なことしないでよね!!)」
「さて。――――それは何のことだ?」
「I warned you! Didn't you remember what I had told you!?
(あんなに駄目だって言ったのに、僕の言ったこと忘れたの!!?)」
穏やかにオーブが聞き返しても、返ってくるのはいつもより1オクターブは高くなっているだろうファントムの不機嫌な声ばかりだ。
「Didn't you tell him the excessive thing? It is not talking by no means?
(何か余計なこと、彼に言ってないだろうね? まさか話したりしてないよね!?) 」
ファントムが言う『彼』とは、今まさに自分たちの会話を聞いて驚き固まっているアルヴィスのことに他ならない。
そして彼が居る場でこそ、最も日本語で通すというポリシーを持っているらしいファントムが、こうして英語でまた怒鳴っている辺り―――――ファントムが相当に興奮状態であることを示していた。
電話で一旦は平静を取り戻したようではあったが、此方に戻ってくる間に怒りが再燃してしまったらしい。
「How could you do that? Have you lost your mind!?
(ホントもう何してんの! 何考えてんのさキミは!?)」
「おやおや、随分と機嫌が悪いなファントム。せっかく訪ねてきた友人を、歓迎してくれないのか?」
今この場に、その1番彼が気にしている人物だろうアルヴィスが居るというのに―――――すっかり失念して怒鳴りまくっている。
「First of all, why are you in my house freely? There is no memory from which I invited you?
(そもそも、何でキミが僕の家に勝手に入ってんのさ!? 僕、キミを招いた覚え全く無いんだけど!!)」
アメシストの瞳は怒りに爛々(らんらん)と輝き、本気の殺意を滲ませて憤るその姿に、自分の部下であるルベウスとシェンが、オーブだけにそれと知れる程度に怯える様子が視界の片隅に映った。
「I'm so upset! ・・・ I'll make you history.
(あーもー、腹が立つったら! 殺していい?)」
見目に似合わず苛烈な性格をしているファントムの癇癪(かんしゃく)をぶつけられ、両名共に内臓破裂を引き起こす程の重症を負ったことがあり、それ以降も度々、理不尽な理由でいたぶられたことがあるから、彼らが怯えるのも無理からぬことだろう。
だが、オーブにしてみるとファントムは目の保養となる見目麗しき美青年であり、やんちゃな弟が機嫌を損ねて駄々をこねているようなものである。
「その言葉、やはり電話で聞くより直に聞く方が楽しいものだな。相変わらずで安心したぞ」
他愛ない悪戯をしては(とは言ってもオーブ以外の人間ならば、大多数の者が顔を引き攣らせるような類のレベルだが)、クスクス楽しそうに笑う姿は良く見かけるものの。
ファントムが目を吊り上げてキィキィ怒るというのは、そうそう見物できる類のモノでは無い。
だからオーブは、その緑眼を楽しげに細め、椅子に座ったまま面白そうに白き美貌の青年を見上げた。
真に美しき存在は、怒っていても何をしていても、その美麗さは変わらない。
「So,you want a bloodbath eh!?
(そんなにお望みなら、僕がキミの血をイッパイ噴き出させてあげるけど!?)」
しかし、自分と同じようにファントムを見つめている少年・・・アルヴィスの顔が強張っているのに気づき、オーブは僅かにニヤニヤ笑いを引っ込める。
早口で話しているから、ファントムの物騒な言葉の内容までは聞き取れない様子だが、見たことが無いのだろうファントムの激しい怒りに面食らっているらしい。
裏表の差が激しいファントムのことだ――――・・・アルヴィスには、天使の如く柔和な笑みを浮かべた顔しか見せたことが無かったのだろう。
先ほどオーブに、ファントムは色々と大人げなくて物騒な言動が多いから・・・と注意を即したのは他ならないアルヴィスだったのだが。
流石に、これほど怒りまくったファントムを目にするのは予想外過ぎたようだ。
怯えている、と表現するより呆気に取られ自失していると形容した方が相応しいかも知れない。
面白い見物ではあったが、これ以上ファントムを怒鳴らせてアルヴィスを驚かせるのも可哀想だとオーブは判断した。
可能性は低いが、もしこれが原因で二人が仲違いでもしてしまえば、オーブは大切な弟分と今日せっかく出会った美しい生き物、その両方ともを失ってしまうことになるだろう。
ファントムをからかうのは非常に愉快なことだが、変な恨みを買うのは御免である。
「Lei non deve fare quello. (それは遠慮しておこう)」
ファントムの冷静さを取り戻させるべく、オーブは口を開いた。
イタリア語で話す必要は無いとは思いつつも、アルヴィスにファントムが怒鳴った内容を悟らせない配慮である。
「・・・Il discorso cambia.(・・・ところで)」
「What are you insinuating!?(何さ!?)」
意味深に言葉を切れば、間髪入れずにファントムから食って掛かられた。
やはり、相当に機嫌が悪い。
「Anche se la lingua che Lei sta parlando e di nuovo inglese, e buono?
(また、英語に戻っているようだが・・・良いのか?)」
「・・・You're disgusting!(やなヤツ)」
数刻前と同様に言葉を指摘すると、ファントムが渋面で唇を噛んだ。
「Sembra che Alviss guarda ad e ha paura del Suo aspetto.
(お前を見て、アルヴィスが怖がっているようだぞ)」
「――――!!」
「Lo veda. Pietoso, lui La vede e ha paura piaccia quello.
(見ろ、可哀想にすっかり怯えている)」
「・・・・・・・・、」
多少事実を誇張して、そう言葉を続けた途端ファントムの顔色が変わる。
そして、ハッとしたようにオーブから視線を剥がし、向かいのソファに腰掛けて呆然と己を見るアルヴィスを振り返った。
「ア、アルヴィス君・・・っ、・・・!」
その表情には、先ほどまでの険しさなどは微塵(みじん)も無い。
「あ・・・あのねっ? いや違うんだよ!? その、・・・いや、えーと、・・・これはあの、・・・」
「・・・・・・」
「ごめんね、怖かったかなっ?
違うんだ、別にキミ怒ってたワケじゃないっていうか、いやオーブが、・・・・あー・・・うー・・・!」
普段はぺらぺらと、有ること無いこと嘘八百並べ立てて他人を煙に巻くことなど造作も無い男が、必死な様子で、無言のまま見つめてくる少年にしどろもどろな言い訳を続けている。
「その、あのね?・・・オーブが何か言ったかも知れないけどっ、それは違くて、っ!」
「・・・・・・」
「嘘っていうかデタラメっていうかー、・・・あ、そうそう!
コイツまだ日本語が不自由なの! だから違うんだよ???」
いったい、何がどう違うのか。
「コイツは違うの、僕のこと言ってるかも知れないけどキミに色々っ!」
今時点なら、それを言っているファントムの方が、よっぽど日本語も文法も不自由になっている。
オーブだけでは無く、この場に居る全員―――・・・恐らく話しているファントム本人含めて、全く意味不明な弁解だ。
ついでに言うと、何だか非常に失礼で謂われの無い過小評価をしているようなのだが、・・・まあそこは、ファントムも意図して口走っているわけでは無いのが分かるので、今は大人しく聞き流してやることにするオーブである。
更に言えば、キーキー怒っているファントムも見物だが、こうして狼狽えて必死に誤魔化そうとしているファントムを見るのは、もっと面白い。
「ほう? そうか、私は日本語が不自由だったのだな・・・それは知らなかった」
「Be silent!(黙っててよ!)」
キッと一瞬だけオーブの方を振り返り睨み付けてきたファントムだが、すぐさまアルヴィスへと向き直り慌ててまた言いつくろい始めた。
「・・・あ、いやゴメン! 違うんだよ今のもアルヴィス君怒ったワケじゃなくて、・・・!!」
「・・・・・・・・」
「ごめんね、アルヴィス君。
びっくりしちゃったよね・・・僕、あんまり怒鳴っ、・・・じゃない・・・声を張り上げてるとこなんて見せたこと無かったもんね?
あー、・・・うん。もちろん元々そんな、僕は温厚だし大声出したりなんてしないけどさ??」
「・・・・・・・」
懸命に言い募るものの、言われている当人である少年は言葉を返さず、ただその希有な青の双眸でファントムを見上げているのみ。
表情を動かさず黙っているその姿は、なまじ美しすぎる顔立ちをしているだけに、本物の人形のようだ。
「You know what? What was told Alviss?
(ちょっと、アルヴィス君に何を話したのさ!?)」
やがて。
アルヴィスの無反応ぶりに痺れを切らしたのか、はたまた何か言われて態度を硬化させているとでも勘ぐり焦ったのか―――――多分両方の意味でだろう、ファントムがオーブにわざわざ英語で聞いてきた。
「・・・You are not telling him my bad portion truly by no means?
(・・・まさかホントに僕のことで、何かヤバイこと話してないよね?)」
「Io non ho fatto ancora alcun discorso dei contenuti al quale Lei diviene svantaggioso a lui.
(お前が不利になる内容は、一切話してないぞ。・・・まだ取りあえずは)」
「・・・Please stop that.It's annoying.
(・・・本気で鬱陶しいんだけど。ヤメてくれない?)」
うんざりした口調でオーブにそう言うと、、ファントムはアルヴィスの眼前へとかがみ込んだ。
「―――――・・・アルヴィス君、」
そして、ことさらに甘さを意識した声で、話し掛け始める。
「ごめんね。驚かせちゃったよね・・・大丈夫だよ、もう大声出したりしないから」
言いながら、ペットにでもするようにアルヴィスの頭を優しく撫で始める。
「さっきのも別に、その・・・本気で怒ってたとかじゃなくって、・・・」
これこそが、真の『猫なで声』というヤツだろう。
「なんて言うか、えーと、・・・うん、そのー・・・」
オーブからファントムの表情は覗えないが、必死な様子は見て取れる。
「How should I put it? Uh,I wish I could be clearer.(んー・・・、なんて言えばいいんだろ? どう言ったら納得して貰えるかなあー・・)」
溜息混じりに小声で呟いた内容にも、困惑が滲んでいた。
「・・・僕とオーブとの冗談っていうか・・・さ・・・?」
「・・・・本当は仲悪く無いのか・・・?」
ファントムの言葉に、ようやくアルヴィスが言葉を返す。
「! そうそう、誤解だよ誤解!」
「じゃあ、仲良し?」
「えっ? ・・・んー・・・うぅん・・・」
アルヴィスからの、やっとの反応にファントムは嬉しそうな顔を見せたが、すぐにその言葉内容を聞いて複雑な表情を浮かべた。
仲が悪いというのは取りあえず否定出来ても、やはり仲が良いとは言いたくなかったようである。
「今のは、ケンカじゃなかったんだな?」
「んー、まあ・・・違うっていえば違うー・・・かなぁ」
ある意味、嘘では無い。
理由はどうあれ、怒っていたのはファントムの方だけだからだ。
「俺、殆ど言葉分かんなかったけど。
さっきのは別に怒ってたんじゃなくて友達同士の、スキンシップの一環ってヤツだったのか?」
「・・・うー・・・ん、・・・そう・・・かも?」
「なんで疑問系なんだ?」
「あ、うん! そーそー、その通りっ。・・・」
多少投げやり感が伴っているが、それでもアルヴィスのために自分を曲げて誤魔化そうと必死になっているのが、オーブとしては微笑ましいというか面白くて堪らない。
オーブが知るファントムという男は、決して他人のために我慢などはしない人間である。
それが、自らの苛立ちを必死に抑え込み、恋人の機嫌を取ろうと躍起になっているのだから。
「良かった。俺、・・・てっきりファントムがオーブさんにケンカ売ってるのかと思っちゃって。ちゃんと仲良しなんだな!」
「えっ? いや、それはぁー・・・!」
「違うのか? じゃあやっぱり・・・」
「う、ううんっ! 仲良しっ!! 僕たちスッゴイ仲良しだよ!? ホント!!」
殺すだの何だのと、英語で散々叫(わめ)いていたくせに、アルヴィスの不興を買いたくないが為、『僕たち仲良し』と言ってのける辺りの努力は涙ものである。
「・・・本当に?」
「うんうん! ホントほんと!! 僕、オーブのこと大好きだから!!」
ついには、ついぞ聞いたことの無い気色の悪いセリフまで飛び出す始末だ。
「そっか、そうなんだー。俺、誤解するとこだったよ」
「・・・・・・」
「びっくりし過ぎて、さっき声が出なかった。良かったよ、ケンカじゃなくて」
「・・・んー・・・うん・・・」
「さっきのは、久しぶりに逢えたのが嬉しすぎて、興奮して話してただけだったんだな!」
「えっ、興奮ってそれ意味が違っ・・・」
「お前、そういうとこは本当ストレートに表現するもんな。誤解して悪かったよ」
「・・・うん・・・いや、・・・まあね」
一転して、元気の出たアルヴィスとは対象的に。
歯切れの悪い相づちを打ちながら、ファントムは何とも複雑そうだった。
アルヴィスの言葉に吊られ、彼の機嫌を取りたいが一心で口走ったセリフを今更に後悔しているに違いない。
アルヴィスはそんなファントムの心境に気付かず、可愛らしい笑顔全開で恋人の交友関係が殺伐としたものじゃなかったことを喜んでいるようだ。
普段、天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)、と言わんばかりの態度で、相手が何者であろうと気遣うこともせず傲岸不遜な言動を繰り返すファントムが、言いたいことも言えずに大人しく我慢している様子は非常に滑稽で可愛らしい。
「・・・ク、ククッ・・・」
それを見ているオーブとしては、笑いを堪えるのが大変である。
笑いを堪えすぎて、腹が痛くなりそうだ。
相手のことを考え、うかつな言葉は返せないと煮え切らない返答ばかりを繰り返すファントムなど、早々見られるモノでは無い。
「・・・・・」
オーブの様子に気付いたのか一瞬だけ、鋭い目つきでファントムが此方へと視線を向ける。
表情は変えなかったが、チッ、とアルヴィスに聞こえない程の小ささでファントムが舌打ちするのが聞こえた。
後で、このことで僕をからかったら殺すよ? と視線だけで訴えてきている。
「―――――ぶっ、・・!」
もう、耐えきれなかった。
「ハハッ! ハハハハハッ・・・・・!!!」
今度こそ豪快に、オーブは腹を抱えて笑い出す。
やはり我慢は、身体に良くない。
笑いたい時は、笑うべき。
ファントムからのケンカなどは、むしろ喜んで買ってやる心積もりだ。
そういう男でなくては、付き合っていて面白味が無い。
油断していれば、いつ何時、喉元を?き切られるか―――――はたまた、無造作に腹を割かれ臓物を引きずり出されるか。
そういった、油断ならない考えの読めない危険な者こそ、側に置いていて楽しいのである。
「・・・・・・・・・」
いきなり響いた笑い声に、ファントムが分かりやすく睨んできたが構わずに笑う。
「?」
アルヴィスはオーブが何に笑っているのか分からないのか、キョトンとした様子でその美しい青の瞳を見開き此方を見つめていた。
その隙にファントムが、手元で何か光るモノをちらつかせる。
十中八九、彼愛用の医療用メスだろう。
もちろん使用目的は、救いを求める彼の患者に振るう為では無く、気に入らない存在の命を絶つためだ。
そう。やはりファントムの本質は、そうでなくてはならない。
恋人にうつつを抜かし、その一挙手一投足に一喜一憂している姿もレアで面白いが、本性とのギャップがあってこその価値である。
「愉快だ。・・・ハハハ、実に愉快だ・・・・!!」
視線だけで殺すことが可能なら、とっくに殺されてしまいそうなファントムの眼に見つめられながら。
ファントムの親友と呼ばれる、ただ一人の男は高らかに笑い声を上げたのである―――――。
next 91
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言い訳。
なんか今回は、やたらと会話文ばっかり書くハメとなりました。
でもオーブさんと話す時、そしてアルヴィスと喋る時の、トム様の会話の温度差の激しさっぷりが書いててとても楽しかったです。
次回も引き続き言い合いが勃発してそーですが、出来れば日本語オンリーがいいなあ。←
英語もだけど、イタリア語がワケわかんない><
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