『君のためなら世界だって壊してあげる』
ACT 85 『モノクロのkiss−2−』
どこかの宮殿を思わせるような、豪奢(ごうしゃ)な室内。
ホワイトとゴールドを基調とした調度品は、見るからに高価そうなものばかりが揃えられている。
天井からつり下げられたシャンデリア型の照明や壁に設置された仰々しい額縁に納まる絵画、棚にある置き時計、飾られている花々やそれが生けてある花瓶に至るまで、隙無く整えられ、洗練された美しさを誇示していた。
もちろんこの場が主寝室である以上、主役であるキングサイズのベッドもまた王侯貴族が使用するような天蓋付きの立派なものだ。
室内には、テラスに面した大きな窓が2つあり、それぞれに意匠の違ったデザインの二人用のテーブルセットが置かれていた。
その片方には、真っ白なテーブルクロスが掛けられ、ケーキやスコーン、サンドイッチなどが美しく盛られたケーキスタンドと湯気の立つ紅茶が満たされたティーポットとカップ、そしてそれらを嗜むためのグッズがセッティングされている。
テーブルには、一人の青年が座っていた。
青みがかった癖のある黒髪に、白磁器の如くに血色が薄い肌。
そして、凝視しても欠点1つ見当たらない繊細に整った顔立ちのせいか、青年の印象は人間というよりもアンティークドールのそれに近い。
かすかな身じろぎさえ無かったなら、彼のことを本当に人形だと誤解してしまう者も少なくないだろう。
「・・・・・・・」
レースのカーテン越しに柔らかな日差しが降り注ぐ、室内。
長い睫毛を伏せ、その希有(けう)な濃青色の瞳を煙(けぶ)らせながら物憂げな表情を浮かべている様は、一幅の絵画を見ているような光景である。
「・・・・・・・、」
今日もまた、変わらない1日が始まる―――――ガラス越しの、薄い水色の空をぼんやり見上げながら、アルヴィスは今日何度目かの溜息を吐いた。
目の前には、まだ温かい紅茶が殆ど口を付けないまま放置されていて。
三段重ねのスタンドに置かれたサンドイッチやらスコーンやらケーキも、手つかずに残されたままだ。
紅茶はアルヴィスが以前に気に入った、何とかという茶葉を使っているというミルクティーだし、スモークサーモンやキュウリのサンドイッチが美味しいということも、杏入りだと説明されたクリームチーズケーキだって味を見る前から、とても美味なのだろうということも分かっていた。
「・・・・・・・・」
けれど、食欲が湧かない。
メニューが気に入らないワケでは無いし、昼食は食べてはおらず小腹が空いていないワケではないのだが、―――如何せん気分が滅入っているから、食べる気になれないのである。
毎日まいにち、判で押したかのように繰り返される似たり寄ったりな毎日。
いくら、置かれている環境が宮殿のような素晴らしさでも、文句の付けようがない程に美味な食事を用意されていても、様々な退屈しのぎな余興が準備されていたとしても―――――・・・それらの趣(おもむき)が多少変化するだけで、本質が変わるわけでは無かった。
例えるなら、何色ものクレヨンと同じ。
赤やオレンジ、青色など・・・カラーのバリエーションは豊富でも、クレヨンはクレヨンであり、形や絵を描くために使うという用途は何ら変わらない。
「・・・・・・・・」
ハッキリ言えば、アルヴィスは今の状況に辟易(へきえき)としていた。
アルヴィスは別段、豪華な部屋もそれに付随した高価そうな調度品も、格別に美味しい食べ物にも興味は無いから、置かれた環境に戸惑いこそ覚えても嬉しいとは感じないのである。
「いい加減、・・・外に出たい・・・」
夏休みに、ちょっとした騒動を起こし体調が悪化してからというもの。
アルヴィスは、とっくに大学の夏期休暇が終わった現在もまだ、部屋に軟禁状態だった。
身体はすっかり良くなったと筈なのに、いつまで経ってもファントムからの許可が出ない。
このままでは単位が取れず落第してしまう――――そう懇願しても、彼はどういう手段を用いたのか、レポートの課題提出期限を限りなく引き延ばさせた挙げ句に単位交渉まで執り行って、とりあえず今年いっぱいはアルヴィスが休んでも大丈夫なように取りはからってしまった。
外に出る最大の理由を失ってしまった今、アルヴィスはファントムに逆らえないまま、こうして彼に用意された豪奢な室内で過ごす毎日を送っているのである。
ファントムが高級ホテルの1フロアごと年単位で借り切り、それも契約が成立しているのか何なのか好き勝手に改装しているせいで、リビングや主寝室、書斎などの他にビリヤード・ルームやらライブラリーやらダーツ部屋やらのプレイルームなどと、アルヴィスが把握出来ないくらい様々な部屋があって暇つぶしには事欠かないし、必要なモノがあれば言うだけで何でも揃えてくれる。
だから、生活すること自体に全く不自由は無いし、不自由どころか至れり付くせりな最上級の扱いをされていると言えるだろう。
ファントムは基本、とても優しいし自分の時間の許す限りはアルヴィスの傍に居てくれるし、大抵のことならば願い事も叶えてくれる―――――・・・アルヴィスが外に出ること以外なら。
もうかれこれ、数ヶ月単位でアルヴィスは外に出ていなかった。
部屋で飼われる犬や猫などのペットたちと、何ら境遇は変わらない気がする。
「・・・・・・・・・」
これで、気が滅入らないはずも無いだろう。
それでもまだ、ファントムが傍に居る時はアレコレとチョッカイを掛けられ、余計なことを考える暇も無いから、ある意味気も紛れる。
しかし、彼が大学へ行っている間や今日のように学会などへの出席のために1日不在の時は、―――――堂々巡りに今の自分の境遇について考えてしまうのだ。
考えても、アルヴィスが思うのはいつも同じことで、そしてファントムのそれに対する反応も変わる筈が無く、結果、悩もうが悩むまいが今の状態が改善されることも無いというのに。
無駄だと分かっているのに、つい考えてしまう。
「・・・・・・・・」
現状の打破など、出来る筈が無いのに。
ファントムの行動に口を出せる人間など、この世に存在しない気がする。
何せ、『僕がルールだよ!』なんて勝手なことを真顔で口走るような人間なのだ。
あの天上天下唯我独尊男(てんじょうてんげゆいがどくそんおとこ)が言うことを聞く相手など、アルヴィスには毛頭思いつかなかった。
強いて言えば、アルヴィスの育て親であるダンナであれば或いは―――――とも思わなくは無いけれども、残念ながら二人が話している所をアルヴィスは実際に見たことが無いから、何とも言えない。
「・・・結局のところ、ファントムの気が変わる以外、俺が外に出るのなんて無理なんだよな・・・」
いっそ、勝手に抜け出してしまえばとも思うのだが、バレた後のことを考えると恐ろしすぎて実行出来なかった。
普段は甘やかしすぎなのでは?とアルヴィス本人が思うほどにアルヴィスに甘いファントムだが、―――――いざ、自分の意に沿わぬことをアルヴィスがしでかした時の、彼の態度は何というか・・・とにかく苛烈だ。
白い月を思わせる玲瓏(れいろう)とした美貌のイメージ通り、激しく怒鳴り散らすことはしないものの、本気で苛立った時の彼が纏うオーラには、誰もが怯んでしまうような凄みがあった。
周囲の空気がピーンと張り詰めて、温度が一気に氷点下まで突き落とされてしまったかのような錯覚に陥(おちい)る。
そして、いつもは甘く蕩けるような色合いをした彼の目で、凍てつく冷たさを帯びた視線に一瞥(いちべつ)されただけで―――――――冷気は無数の針となって肌に突き刺さり、透明な手で喉元を締め上げられたかのように息が詰まってしまうのだ。
捕食者と、捕食対象者。まさに、その状態は蛇に睨まれたカエルと同じである。
初めて『あの目』に見据えられた時は、・・・・そのまま窒息して、死んでしまう気がした。
比喩では無く、アルヴィスは実際に縊(くび)り殺される自分が目の裏に浮かんだ。
気の強さは自他共に認めるアルヴィスだが、あの時は本当に身体の震えが止まらなかったのを覚えている。
アルヴィスの前で本気で怒ったことなど殆ど無いファントムだが、いざ本当に機嫌を損ねた時の恐ろしさは生半可なモノでは無いのだ。
「・・・・・・・・」
ファントムに無断で外出なんて、それこそ彼が1番激怒しそうな行動である。
確実に彼が怒るだろうと分かっているだけに、アルヴィスも不満を抱えつつ、流石に勝手に外へと出る気にはなれなかった。
自分でも不甲斐ないと思うけれども、―――――もはやトラウマレベルにファントムの怒りを買うことは避けたいアルヴィスだ。
「・・・・・・・・」
あれこれ考えていたら、余計に食べる気が失せてしまい。
アルヴィスは再び、大きく溜息を吐いた。
「・・・片付けて貰おうかな・・・」
このまま置いておいてもサンドイッチやケーキは乾いてしまうだけだし、紅茶に至っては、すっかり冷めて美しいカップに茶渋が付着してしまうのを待つだけだ。
食べないのであれば、片付けて貰った方が良い。
テーブルに置かれたブザーを押せば、すぐにメイド達がセットを下げに来てくれるだろう。
けれどアルヴィスはそれを押さずに、椅子から立ち上がった。
ファントムと暮らすようになってから半年近く経ち、ようやくではあるがそれなりに使用人が家に居る、という生活にも慣れては来たアルヴィスだが―――――・・・やはりまだ、顎で使うというか、自分の手足のように命令などをする気にはなれない。
可能な限りは、自分で足せる用は自分で足した方が落ち着く。
他人に言うくらいならば、さっさと自分でその用事を足してしまった方が気楽なのだ。
本音で言えば、自分で片付けて洗うことまでしてしまいたい所だけれど、それをすると却って彼ら使用人に気を遣わせると学んだのは、つい最近のことである。
だから今は、片付けまでは申し出ないことにしていた。
寝室を出て廊下に出れば、最低でも誰か1人くらいは使用人と顔を合わせる筈で、その時にティーセットを下げて貰うことを頼むのが、アルヴィスにとって最善の行動だろう。
本当であればリビングに出向いてお茶をするべきところを、気遣われて寝室に運んで貰っていたのだから、呼び出さずにそれくらいはすべきなのだ。
ついでにファントムの個人ライブラリーに寄って、本を数冊選んで来るか―――――そんなことを考えつつ、アルヴィスは寝室を出た。
少なくとも、まだ読んだことの無い書籍に目を通している時だけは、アルヴィスも日常のアレコレを思い悩まずに済む。
さて、今日はどんな種類の本にしようか。
そんなことを脳裏に思い浮かべて、アルヴィスはノンビリと廊下を歩く。
変化の無い日常。
それが、この先でガラリと変わってしまうことも知らないまま―――――。
寝室を出てすぐ、来賓室に使用されている筈の部屋から、誰か出てくる所がアルヴィスの目に入った。
緑髪のショートヘアに金茶の瞳した年上の女性――――・・・確か、メイド頭である。
名前は、サラとか言っただろうか。
片付けは、彼女に頼めば間違いないだろう。
「・・・、」
そう思い、アルヴィスは彼女に近づき声を掛けようとした。
が、その途端にサラがギョッとした様子でアルヴィスを見る。
「!? アルヴィス様・・・・!!」
酷く慌てた様子だった。
此方を振り返ったと同時に、まだ完全に閉めていなかったドアをバタンと音立てて後ろ手に閉じてしまう。
「・・・?」
「あ・・あの! 別に、何でもございませんのよ?」
その不可思議な行動に、アルヴィスが彼女をじっと見つめていると、サラはどこか不自然な笑みを浮かべて弁解を始めた。
「ちょっとその、・・・珍しいお客様がいらっしゃってまして。その・・・ただ今、丁重なおもてなしを・・・」
「客?」
この家での聞き慣れない単語に、アルヴィスは興味を引かれた。
「客って、・・・ファントムのか?」
此処はファントムの自宅なのだから、訪ねてくるならそれは彼に用事があってのことだろう。
わかりきった事実だったが、アルヴィスはつい確認してしまった。
ファントムの交友関係どころか、家族構成すらもアルヴィスはよく知らない。
けれど、ここ数ヶ月の間、ファントムが自宅にしているこの場に『客』と称される存在を招いたことは、アルヴィスが知る限り無かった。
時折、同じ大学に通っているという、彼の又従兄弟であるロランが訪ねてくることはあったが、せいぜいがその程度である。
このN国ではまだ単なる医学生という立場であるファントムは、その実、海外・・・A国では既に一人前どころか高名な医師の1人なのだそうで、それを考えれば今まで来客が一切無いというのも変な話だったのだけれど。
「あ、・・・はい」
アルヴィスの質問を、サラは何とも曖昧(あいまい)な表情で肯定した。
「―――――ファントム様の、留学時代からの御親友でいらっしゃいます」
「親友!?」
サラの言葉に、アルヴィスの興味が俄然強くなる。
何故なら、ファントムに関して『親友』という単語が出てくることなど、終(つい)ぞ無いだろうと思っていたからだ。
僕のトモダチ、と誰かのことを軽い口調で言うことはあっても、その言動から判断するとどうにも怪しい基準の呼称で・・・どちらかと言えば『家来』のようなニュアンスの方が相応しい気がする。
それなのに、『親友』―――――友達を、数段レベルアップした関係に使われる言葉だ。
実際にファントムの口から聞いたわけでは無いけれど、それでも十分に興味は湧く
。
だって、『あのファントム』を親友としているなんて、・・・・一体、どんな人間であれば、そのポジションに立てるのだろうか?
彼の毒舌に耐えうるタフな神経を持ちつつ、彼の頭の回転の良さにはついていけなければファントムの機嫌を損ねるのは必至だから、頭が良くて勘が鋭くて―――――その上に彼が興味を引かれるような何か面白さを持っていなければならない人物。
つまりは、あのファントムの上を行くような能力が凄まじく高い人間でなければ、務まらない立場だろう。
そんな人物、この世に果たして存在するのか疑わしい。
甚(はなは)だ、現実的ではない気がする。
ファントムの親友って、・・・人間なのか!?
「―――――ただ、アルヴィス様ご承知の通り、ファントム様はご不在でいらっしゃいますので・・・・」
アルヴィスが脳内でグルグル考え込んでいる内にも、サラの説明は続いている。
どうやらファントムが出掛けているため、その親しい友人は客室で待っているらしい。
ファントムの代理であればペタが適切なのだろうが、生憎(あいにく)彼もファントムに付き従い不在である。
「お帰りは夜になってから、とのことでしたので、それをお伝えしたのですけれど―――・・・」
今日、ファントムは上海で開催される医学学会に出席していて、帰りが遅くなることはアルヴィスも知っていた。
今はまだ、午後三時を過ぎたところ。
ファントムが帰ってくるまでは、まだ大分時間がある。
「・・・そうなのか」
けれど、いくら何でもそんなに待ちはしないだろう。
留学時代から、ということはA国での知り合いなワケで、もしかすると遠方から態々(わざわざ)訪ねて来たとも考えられるし、日を改めてまた来てくれるのかも知れないが。
あと小一時間も待てば、客は諦めて帰ってしまうに違いない。
今を逃したら、ファントムの『親友』などという珍しいお客を見る機会は、2度と訪れないのかも知れなかった。
「・・・・・・・・・」
「大丈夫ですよ! アルヴィス様がお気を揉まずとも、お客様は私(わたくし)たちがきっちりと接客致しますので!!」
考え込むアルヴィスに、これ以上説明することは何もありませんと言わんばかりな態度で、サラが頭を下げてくる。
「・・・・・・」
けれど、それでもアルヴィスが立ち去る様子を見せずにいると、サラが困惑したように此方を見つめてきた。
「・・・アルヴィス・・・様?」
用事を済ませて客室から出てきたところなのだろうに、彼女こそ立ち去るそぶりを見せないで、アルヴィスの行動を見守っているのだ。
まるで、アルヴィスがその部屋へ踏み入ることを警戒するかのように。
「・・・・・・・・・」
中の人物は、ファントムへの客であって、アルヴィスの客では無い。
つまりは、アルヴィスには関係の無い人物である。
だから、本当ならばアルヴィスはこの部屋に入る必要など無く―――――・・・どちらかと言えば、入るべきでは無いのだろう。
まあ、だからこそサラが困っているのだろうとは思う。
「・・・・・・・・・・」
だが。
アルヴィスは徐(おもむろ)に、ドアノブへと手を掛けた。
「アルヴィス様っ!?」
咎めるような、メイド頭の声が辺りに響く。
それでもアルヴィスは、構わずにドアをそっと押し開いた。
客室には、好奇心から1度だけ入ったことがある――――――他の部屋同様に広々としていて、応接セットは室内の一番奥に誂(あつら)えてあった。
そして、その応接セットとドアの間には、屏風(びょうぶ)のような仕切り-パーテンション-が置かれていて、ドアを開けても直接には部屋全体は見通せないようにされている筈なのだ。
だからアルヴィスがドアを開けても、それだけでは中の客に見つかることは無い。
「アルヴィス様、あの・・・その、・・・!!」
慌てふためいた様子でサラが、小声でナニゴトか訴えてくるのを無視して。
アルヴィスは完全にドアを開け、その身を中へと滑り込ませる。
どうしても、興味が抑えられなかった。
だって、―――――あのファントムの『親友』なのだ。
どんな人なのか、せめて外見くらいは見てみたい。
見た目は普通なのか、それともやっぱり見るからに変わった人物なのか?
そもそも、ちゃんと人間なのか・・・・興味は尽きなかった。
ちょっとだけ。・・・・ほんのちょっと、見るだけだ。
そんな好奇心が抑えられなかったのである。
ずっと部屋に閉じ込められて、変わらぬ生活を強いられていたアルヴィスにとってこの出来事は、抗えない誘惑だった―――――――。
NEXT 86
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言い訳。
トム様の親友、出せるとこまで行くかなー?と思ったんですが、手前で終わっちゃいました(爆)
いや、この後の展開が少々長くなるので、ここで切っておいた方がダラダラしなくていいかなーと思ったんですけどね^^;
読んで頂くの大変でしょうし・・・!!
ここからの展開は、とても大事(だってアルヴィスとトム様の親友さんとのFirst Impressionですから☆)なので、丁寧に書きたいのです。
そんなこんなで、今回は結局アルヴィスの優雅な?軟禁生活描写で終わっちゃいましたね(汗)
次回は少々賑やかな展開になる予定です^^
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