『君のためなら世界だって壊してあげる』




ACT 84 『モノクロのkiss−1−』



 

 


『えー、気が進まないなあ』


 用事があって連絡したついでを装い、久しぶりに逢わないかと提案すれば。
 一応親友という間柄である筈の相手からの返答は、気のないセリフであった。


『僕、終わったら早く帰りたいんだけど』


 受話器越しに続けられる言葉も、予想通り過ぎて笑えてくる。


「いいじゃないか。どうせ上海まで、学会に出席するため出てくるんだろう?」

『まあね・・・サボりたいけど、時折は論文発表してこないとだから』


 親友はA国では有名な外科医であり、かつ現在N国では物好きにも再び医学生をやっているという多忙な人間。

 此方も世界展開をしている大手の製薬会社オーナーである故に各国を飛び回る生活をしており、互いに多忙な身だから確かにスケジュールを合わせることは難しい。

 だがそれでも、もう2度と現れない得がたい友人である彼とは、機会があるならばそれを逃したくないと思うのは仕方ないことだろう。


「私も丁度あちら(上海)に用事があって、行く予定なんだ」

『へー、オーブも?』

「そう。だから久々に逢おうじゃないか、ファントム。・・・どうせついでだろう?」


 気乗りしない様子の親友を、何とか懐柔しようと食い下がってみる。

 普段は互いに住まう場所が主にI国とN国という、飛行機で13時間程度は掛かってしまう距離のため、電話やメールなどで連絡は取り合っていても、逢うことはなかなか出来ないのが実情だ。
 それでも1年ほど前までは、連絡を取り合い、互いの移動先が同じ場合には落ち合って遊ぶことも多かったのだが―――――近頃は、それがめっきり減っていた。

 親友ファントムが殆ど、住んでいるN国から出たがらなくなったからである。
 学会だ何だと、用事で出国することがあるのは変わらないらしいのだが、それまでと違い、すぐにN国へトンボ返りしてしまう。


『うーん、でも帰りたいんだよねー』


 この通り、逢わないかと誘っても梨の礫(つぶて)だ。


『だって僕、キミなんかよりずっと、早く帰って顔を見たい子が居るんだもの』

「ああ、それは分かっている」


 長年の親友を相手に、ずいぶんと失礼な物言いだが、この言葉も聞き飽きてはいた。

 自らもそういうタイプではあるが、ファントムはそれに輪を掛けて歯に衣着せぬ物言いが大得意。
 いやそもそも、『気遣い』という単語の意味を知っていても使ったことが無いのでは無いか、と思わせるような傍若無人ぶりが板に付いている人物である。


「可愛いかわいい、アルヴィス君とやらだろう? もう耳タコだ」

『耳タコ? 失礼だな、まだまだ言い足りないくらいなんだけど。
・・・まあ、オーブなんかに僕のアルヴィス君ががどれだけ可愛いか聞かせてる暇あったら、彼に直接愛を囁く方がよっぽど有意義だけどね!』

「ああ、そうだろうな。そんなにゾッコンな可愛いアルヴィスを、是非とも直に紹介して貰いたいものだが」


 そんな彼が、数ヶ月前に『運命の恋人と奇跡的な再会』とやらをしたらしく。
 僕が生き残るのを許可したヤツ以外、全部死に絶えちゃえばいいのにね! などと口走る人間嫌いなファントムが、それはもう夢中になって片時も離れたがらない程らしい。

 N国にトンボ返りするのも、その恋人に一刻も早く逢いたいからのようだ。


『はあ!? 会わせないよ! 紹介なんてするワケないでしょ・・・オーブなんかにアルヴィス君会わせたら、彼が穢れちゃうよ』

「いいじゃないか。散々に惚気るほどに美しいのだろう? キレイなものを眺めるのは目の保養になる」

『ヤダね。絶対に会わせないし、紹介する気も無い』

「ほう。ならば実際は紹介出来ないほどに不細工なのか?」


 何度頼んでも、大切な恋人とやらの顔を、ファントムはオーブに見せてくれなかった。

 留学時代に1度だけ、その人物の写真を見る機会はあったのだが―――――それはまだ幼い頃のもので、せいぜい4〜5歳程度の姿だったし、今の印象とは別物だろう。


『そんなワケないでしょ! アルヴィス君ほどキレイな子は他に居ないよ!! 素晴らしく美しい青色の目をしてるんだからね。オーブが見たら、驚いて声も出ないよきっと!』

「そんなに美しいのなら、是非とも声が出なくなるほど驚く体験をさせて貰いたいぞ?」

『ヤダ。・・・絶対に無理』


 顔立ちを言うのなら、ファントムこそ天与の美貌を誇るだろう、天使のごとき容姿なのにも関わらず。
 そんな彼が手放しに絶賛する恋人アルヴィスのことは、オーブがどんなに頼んでも引き合わそうとはしてくれない。

 毎回、堂々巡りなのだ。


「ならばせめて、その美しい恋人の画像くらいはデータを送ってくれないか?」

『それもダメ。視姦されたらヤダし』

「・・・・・お前なあ・・・」


 親友ながら、全く失礼な物言いである。


「――――・・・まあ、そう言うとは思っていたがな」


 溜息をつきつつ、オーブは傍らのデスクに置いてあった書類を手にした。
 そしてその内容に目線を落としながら、ほくそ笑む。


「お前に、その可愛い恋人の顔写真を送って貰うのは諦めることにするよ」


 癖の強そうな青みがかった黒髪に、小造りな白い顔。
 鮮やかな青色の瞳をした美少年の写真が載った書類を見つめたまま、オーブは送話口に向かって口を開いた。


「どんなに美人でも、データだけでは物足りないからな。やはり眺めるならば直接が良い」

『だから会わせないってば。・・・しつこいなあ、死にたいの?』


 オーブの言葉に、だんだんファントムの声が剣呑なものになってくる。

 そろそろ、この話題は引っ込めた方が良さそうだ。
 ここで彼に機嫌を損ねるのは、今後の計画に支障が出てしまう。


「いや、私はまだまだ生きるつもりだし、この話はここで取りあえず止めておこう。・・・ところでファントム、先ほどの話題だが―――――」


 再び、上海で久々に会おうという約束を取り付けるために、オーブは話の矛先を変えた。


「アルヴィスとは一緒に暮らしているのだし、少しくらい離れていても問題は無いだろう? 何も週単位で留まれと言っているのでは無いんだからな」

『週単位? 馬鹿なこと言わないでよ、僕がそんなに長くアルヴィス君から離れられると思うの!?』


 彼の、恋人・アルヴィスへの想いは親友のオーブでも計りかねるほどに熱く深く、・・・そして激しい。

 そのことは、彼が恋人と再会する前から知っていた。

 イタリア語が母語なオーブと、英語が母語であるファントム。
 それなのに今、会話している言語が『日本語』である理由だって、『アルヴィス』に他ならないのだから。

 どちらも語学には堪能な方だから、話す言葉はイタリア語だろうと英語だろうと構わない。
 互いにA国の、選択コースは違えど同大学の大学院まで卒業した身であることを考えれば、英語で話すのが自然の成り行きである筈だ。

 わざわざ、敢えてヨーロッパ圏の人間が扱いにくいと言われる日本語を使う必要は全く無いのに、2人がそれを会話に使用しているのは―――――留学時代から親友だったファントムの影響である。

 ファントムがN国に置いてきたという恋人と、何の障害も無く、意味も誤解したりさせたりしないように・・・また、意志を滞りなく伝えるために毎日、日本語を復習していたからだ。
 言語自体は完璧にマスターしているようだった彼なのに、それでも頻繁に向こう側のテレビの録画や雑誌などを取り寄せ情報収集に余念が無かった。

 いつも悠然として、気まぐれな猫よろしくに残酷な遊び以外には余り関心を示さず、およそ『ヤル気』という気力が備わっていないような人間だったが、こと日本語とN国に関しての情報だけは異常な関心を示していたのである。

 それでつい、オーブまでN国や日本語に興味が湧いて、今やそれなりにN国通になってしまったくらいには詳しくなっていたりするのは、明らかにファントムの影響を受けたからだ。

 ―――――そうなるとやはり、N国びいきとなった大元である『アルヴィス』への興味は尽きない。

 どれだけ嫌がられようと脅されようとも、・・・オーブは、彼に接触したいという気持ちが抑えられなかった。

 その願いを叶えるには、今回、どうしてもファントムに上海のホテルまで出向いて貰わねばならないのだ。


「だから一週間などとは言ってない。半日、・・いや数時間だけの話だ。たまに逢うくらい良いだろう?」


 スケジュールの都合上、ファントムが学会に出席している時間だけでは足らない。
 何が何でも、彼にはその後の数時間を上海で過ごして貰わなければならないのである。


『・・・・・・・』


 考えている様子の相手を待つ間、オーブは書類を再びデスクに置き。
 彼の様子を覗うように此方を見つめている視線に気づくと、それを手招きしてやる。

 飼い犬にするかのような仕草だが、実際の相手は、通常の虎の三倍はありそうな、巨大な体躯のホワイトタイガーだ。

 雪のように真っ白な身体に、黒から灰のグラデーションがかった縞(しま)が美しい。
 甘えるように膝に顔を乗せてきた虎の、一抱えほどもある大きな平たい頭を撫でてやれば嬉しそうに、グルグルと喉を鳴らした。

 名前はマティア。3歳のオス虎で、性格は獰猛だが、主人であるオーブには良く懐き命令も聞く、賢いペットである。


「たまには私と会ってくれないのか、ファントム?」


 電話でファントムと呼びかけた途端、マティアがビクリと身体を跳ねさせ急いで顔を上げる。

 間近で発せられた『ファントム』という名に、怯えたのだろう。
 名前で反応してしまうくらいに、虎と親友は折り合いが悪いのだ。


「ああ、よしよし大丈夫だぞマティア。これは電話だからな・・・ファントムは此処に居ないぞ」

『マティア? ああ、あの虎まだ生きてるの? さっさと死んでくれたらその皮、僕が欲しいのになあ。ていうか、僕が剥いであげようか?』


 虎を宥めようと再び撫でる手を動かした途端に親友・・・ファントムからの物騒な言葉が返る。


『毛皮はキレイだよねアイツ。真っ白で縞々模様もクッキリだし? 敷物にしたら、きっと素敵だよ!』


 実際、遊びに来るたびにそうやってマティアを脅してくるから、人食い虎として他の者からは恐れられている筈の白虎は、ファントムの声を聞いただけで子猫のように縮こまり自分の後ろに隠れてしまうのだ。

 動物は聡いから、軽口にも思えるファントムの言葉に本気が滲んでいることを敏感に察知しているのだろう。

 ちなみにファントムは、人間動物を問わず生皮を剥ぐのが大好きだ。
 生きたまま皮を剥がす時の、獲物の悲鳴と悶え具合が堪らないらしい。

 動物好きなオーブとしては胸が痛む行為である―――――やるなら、人間だけにしておけば良いものを。


「可哀想なことを言うな。マティアは私の大切なペットだぞ? 敷物になど絶対にさせん」

『えー、残念だなあ。敷物にしたら素敵だと思うのに』

「お前の場合は剥がす過程を好んでいるんだろうに。・・・・・・まあ、いい」


 親友の飼い虎への暴言は慣れているから、ここは流しておくに限る。

 ファントムの動物蔑視(べっし)は今に始まったことでは無いし、そもそも彼は動物どころか人間すら、その殆どを嫌って生きているのだから。
 彼が受け入れている存在など、『アルヴィス』を筆頭に、ほんの一握りなのだ。


「ところで、逢うのか逢わないのか? 私としては、久々に顔を合わせたいところなんだがな。色々、打ち合わせしたい話もあるし・・・」

『うーん、まあね・・・久しぶりだし、たまには逢ってやってもいいけど・・・』

「そうか」


 ようやく前向きな回答を得て、自然に口元が綻ぶ。

 ファントムには、是非とも話に乗って貰わなければならない。
 計画を遂行するためには、彼には何としても学会後も上海に残って貰わなければならないのである。


「RCホテルに滞在する予定だから、学会が終わったら訪ねてくれ」

『RC? へえ、僕がこっち(N国)で滞在してるのと同じとこか』

「まあ、そういうわけだから、久々に逢おう。いいな?」


 まだ迷う様子の親友に、神経を逆撫でしない程度に気をつけながら、半ば強引に約束を取り付けた。

 ファントムは山頂の天候のごとくに気分が変わりやすい性格をしているから、早く約束してしまわないとアッサリ反古(ほご)にされかねない。


『分かったよ、じゃあRCホテルでね』

「ああ、RCホテルだ。―――忘れるなよ?」

『忘れないよ、行けば良いんでしょ・・・』


 面倒くさそうに答える親友の言葉に、オーブは我が意を得たり、と唇の両端を吊り上げるのだった――――――――。


 

 

 

 NEXT 85

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言い訳。
電話でのやり取りなシーンでございます。
Prologueに引き続き、オーブさん登場。つか、彼視点でのトム様との会話です。
時間軸的には、Prologueが8年ほど前の話で、今回からリアル時間。
なので8年前はまだ青年だったオーブさんも、現在は大人な26歳(笑)
次回は、アルヴィス視点から始まります〜。