『君のためなら世界だって壊してあげる』
ACT 80 『飼育天使−7−』
「染色体って、知ってるよね? 細胞の核の中に入ってて、DNAを含んでるアレのこと」
唐突に、ファントムは話を切り出した。
「遺伝子を含む構造体で、人間なら23対の染色体を持っている。その内の2本が性染色体、っていうヤツなんだけど―――――・・・」
分かる? と言外に問えば、金髪の男は困惑した顔で頷く。
「・・・知っとるけど、それが何なん?」
突然、遺伝子などのことに話題を変えられて戸惑っているのだろう。
けれどファントムとしては、脈絡のない話題に切り替えたつもりは一切無かった。
アルヴィスの血筋が判明した、その後。
奇跡的に彼との再会を果たしたファントムは、ずっと抱いていた懸念(けねん)を払拭するべく、彼の身体を隈無く調べたのである。
そして、――――――発見してしまった。
「染色体て、・・・男ならX何とかで、女ならXXとかいうヤツやろ?」
ナナシが自信なさげに、性別を決定する性染色体の名称を口にする。
「正解。男ならXY、女ならXXだね」
染色体には性染色体だけではなく、常染色体と呼ばれる雌雄で共通したモノもあるのだが、説明したい部分には関係無いので、ファントムは鷹揚(おうよう)に頷いた。
そして、僅かに表情を陰らせ言葉を続ける。
「・・・だけど、アルヴィス君の場合はXXXY――――・・・・」
「は? なんで、4ケタ? XXとかXYとか、普通2ケタなんちゃうんか??」
ナナシが、ますます困惑した様子で首を傾げて聞いてきた。
それは当然である。
医学的知識が無くても、その状態が普通では無いと簡単に判断できる、分かり易すぎる『異常』だ。
「・・・・Klinefelter's syndromeと言ってね、『性染色体異常』ってヤツなんだ」
「クライン、・・・・?」
「クラインフェルター症候群のことだよ」
英名を聞き取れなかったらしい青年の為に、和訳で言ってやる。
「・・・・・・・・・」
だが依然、ナナシは浮かない顔のままだ。
どうやら、病名自体を知らなかったようである。
「ああ、・・・病名なんか言っても分かんないか。えっと、・・・そうそう、三毛猫のオスがなかなか生まれない、レアな存在だっていうのは知ってる?」
「・・・三毛は、メスしか居らへん言う話やろ?」
「そっ。アレは茶色だったか何色だったか忘れたけど、色を決定する遺伝子が1色だけ、性染色体Xに含まれてるからなんだよね」
話を振って、その時点で相手が理解しなければサッサとその話題自体を切り上げるのが常のファントムだ。
けれども、この時点で理解して貰えなければ、この後の説明をしても意味が無いので分かるよう、例を出して説明してやることにする。
こんな行為はアルヴィス以外には、極めて珍しいことだ。
「で、その遺伝子はペアじゃないと発現しないから、性染色体Xが2つってことはメスってことになる。つまり基本、メスしか三毛猫は存在しないんだ」
「・・・・・・・・・・・・」
「だけど、稀に生まれることがある。
受精前に、減細胞分裂に失敗した精子や卵子のせいなんだけど・・・・まあそんなのはどうでもいいや」
「・・・・・・・・・・・・」
「とにかく、そんな風にして生まれた三毛猫のオスは、漏れなくクラインフェルター症候群でね。
彼らは大抵、・・・繁殖能力が無くて、脆弱(ぜいじゃく)な体質を持っている・・・・」
「・・・・・・・・!」
そこまで説明してやると、困惑していたナナシの表情が強張ってくる。
ようやく、彼にも事情が把握(はあく)出来てきたようだ。
ファントムが、アルヴィスの身体を精密検査した結果。
彼の性染色体に、異常があることが判明した。
それが、マナート家から受け継いだ短命という呪いの原因であるかは、定かではない。
一族は様々な病で亡くなっていたし、染色体に異常があったかどうかは不明だからだ。
けれどアルヴィスの身体に先天的な異常があり、それによって彼の身体が著しく影響を受けているのは確定だった。
「この病気、まあ個人差はあるんだけど・・・・生まれつき虚弱で、呼吸器や心臓に疾患を持ちやすい体質であることが多いんだよね」
「・・・・・・・・・・・・・」
「で、僕のアルヴィス君の場合は、喘息ともう一つ呼吸器の疾病(しっぺい)を抱えてる・・・」
性染色体Xが過剰であるということは、極端に男性ホルモンの分泌が少ない為に男性的な身体状態ではないことが多く、気持ちのコントロール出来なくてパニックに陥りやすい傾向もある。
簡単に言ってしまえば、通常よりも『女性寄り』な体質で、男性として生まれながら女性としての特徴も持ち合わせた存在だ。
アルヴィスの、骨格から華奢で肉付きや体毛の薄い身体や、繊細な性格はそんなところが影響しているのだろうと考えつつも、そこには言及せず。
ファントムは、静かに目の前に横たわるアルヴィスへと視線を落とした。
血の気が失せた、白蝋(はくろう)細工の如き肌。
チカラ無く伏せられたままの、青白い瞼(まぶた)とそれを縁取る長い睫毛。
口元に無骨なチューブを差し込まれながら昏々と眠るその姿は、如何にも線が細くて男性的な頑健さなど欠片も持ち合わせておらず、さながら性別が無い・・・もしくは両性具有とされていることが多い、『天使』のようである。
ファントムがアルヴィスを天使に喩えたのは、こっちの意味だった。
先程ナナシに言った、ヘルマプロディートス−Hermaphroditus−も似たような意味を指している。
ヘルマプロディートスは古代ギリシャ神話に出てくる神の一人で、彼に恋い焦がれたニンフ(精霊の一種)と無理矢理に合体させられた美少年のことだ。
両性具有を意味する『hermaphrodite』の語源にもなった名前である。
「・・・・もうひとつ、・・・喘息だけや無いんか?」
心なしか、返ってきたナナシの声は硬かった。
まだ患(わずら)っている病があるのか、と言いたげな口調である。
確かに喘息ひとつでもかなり厄介なのだから、まだ他にもあるなんて、信じたくない気持ちは分からなくもない。
実際ファントム自身も、舌打ちしたい気分で一杯だ。
だがこればかりはアルヴィスの身体の問題であり、ファントムにもどうすることも出来ないのである。
「先天的に呼吸器が弱い体質なんだから、有り得ないことじゃないさ。ああ、・・・こうやって喀血(かっけつ)するのも、それのせいなんだけど」
具体的な病名は言わないまま、ファントムは投げやりな口調で言葉を続けた。
先程のクラインフェルター症候群の話では無いが、病名を言ったところでナナシが知っているかどうか微妙なところだし、患者でもない相手にいちいち説明するのも億劫(おっくう)だ。
更に言えば、アルヴィスの病歴をこと細かにナナシが知る権利など無い。
「これが結構、アストマ(喘息)以上に厄介な病でね。下手に悪化させると、最終手段は肺移植しか手は無くなる」
だからファントムは、淡々と結論のみを口にした。
「・・・い、移植っ、・・・!?」
ナナシの声が、驚きにひっくり返る。
「手術自体も難易度高いし、術後3年以上の生存率も半分程度だし、ホントに最終手段だけどね」
アルヴィスの髪を指で梳きながら、ファントムは再びナナシへと視線を向けた。
「もちろん僕は、この子をそんな目に遭わすつもりは無いよ。でも、そうさせない為には色々と制限させないといけないことがあって――――・・・」
「嘘や・・・!」
ファントムの言葉と、ナナシの呻くような声が重なる。
「確かにアルちゃん、時たま喘息で苦しんどるようやけど、けどっ、・・それでもちゃんと学校来とるやん!!」
「・・・・・・・・・・・」
「移植やなんて、そない悪いビョーキやなんて思われへんわ!!
大体、小さい時はアレやったらしいけど高校ん時は健康になってた言う話やし・・・」
「それはたまたま、幸運にも目立った症状が出なかっただけ。
いずれは発症しただろうし、喘息に至っては、最も体力があった時期だから症状が抑え込めてただけさ」
「けどっ、・・・!」
「――――――とにかく」
まだ言いかけようとしているナナシを遮り、ファントムは少し語調をきつくして言葉を発した。
「アルヴィスは、出来るだけ肺に負担の掛からない生活をする必要がある。
この子は、籠の中じゃないと生きられない」
「・・・・・・・・・・・・」
キッパリとそう言い切れば、ナナシは眉根に深いシワを寄せて黙り込んだ。
「ねえナナシ。キミ、・・・さっき言ったよね?」
そんな彼に、更に追い打ちを掛けるが如く、ファントムは眼を細めて問いかける。
「アルヴィス君のこと本当に大切に想うなら、そんな可哀想なことするなって、・・・言ったよね?」
「・・・・・・・・・・・」
ナナシは黙ったままだ。
「でも、僕の行為は、この子を想うからに他ならない。籠に閉じ込めることだって、僕の愛情の表れだよ」
「・・・・せやけど、・・・!」
しかし、やはり閉じ込めるという言葉は納得出来ないのか、困惑した顔で口を開く。
「せやけど、やっぱり閉じ込める言うのは・・・・!!」
「キミはこの子に、死ねっていうのナナシ?」
ナナシの反論に、ファントムは呆れた口調で言葉を返した。
さっきから延々と丁寧に説明してやったというのに、この男は一体何を聞いていたのだろう。
アルヴィスは肺に疾患(しっかん)があり、あらゆる刺激に過敏になっている状態だ。
呼吸器に著しく問題のある患者を外気に晒すなど、考えるまでもなく悪いに決まっているというのに。
排気ガスや様々な細菌、ウィルスが溢れている『外』なんて以ての外(もってのほか)だ。
感染症でも起こして肺炎にでもなったら、コロッと逝きかねない。
「んなことは誰も言っとらんやろ!! 自分はただ、アルちゃんの自由を―――――」
「でも、死ねって言ってるのと同じだよ。アルヴィス君の肺は、正直言って通常の生活を送るのは難しいレベルだから」
「そないに、・・・悪いんか?」
ナナシの声のトーンが下がる。
ようやく、本当に理解したようだ。
「さっきから、そう言ってるんだけど」
「・・・・・そんなに・・・!」
「わざわざ、何のために大学までの送り迎えしてると思うの?
防犯の意味もあるけど、アルヴィス君の体力じゃ、自力での通学は身体の負担になるからだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「感染症の心配もあるから、余り人混みの中を歩かせたくないしね」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「この子には、専用の籠が必要なんだよ」
ファントムの言葉に、ナナシは益々表情を硬くして唇を噛む。
「・・・・・・・・・・・」
落ち着き無く目線を彷徨(さまよ)わせるその様は、聞かされた話を事実だと、まだ受け止めかねているようでもあった。
「そして、その籠を用意してあげられるのは――――――・・・この僕だけ」
そう断言し、ファントムは眼前に立ち尽くしたままの男を静かに見やる。
「・・・・・・・・・・・」
泥だらけな上に、傷だらけな姿。
髪も身体も、あちこちに血と泥がこびり付き酷い有様である。
それでも、そこそこ見られる程度には、精悍に整った顔だちをしているが故か・・・・見苦しさは無い。
けれど、切れ長な青灰色の瞳を見開き口を噤む様子には、普段の態度に滲み出ていた剛胆(ごうたん)さは欠片も無く・・・彼が返す言葉も見つからないほど動揺しているのが見て取れた。
「先天的なモノだし、根本的な治療は不可能・・・」
もっと、衝撃を受ければいいと考えながら、ファントムは更に言葉を続ける。
だって自分は、もっともっとショックを受けたし、アルヴィスを失うのではという恐怖にどれだけ苛(さいな)まれたか知れない。
それに比べたら、ナナシのダメージなどはたかが知れたものだろうけれど。
彼なりに、思い知ればいいのだ。
「アルヴィスは、この体質と病を抱えて生きていくという運命を持ってる・・・」
幾ら、アルヴィスのことを想ったところで―――――・・・己には何ひとつ、出来ることなど無いのだと。
現実を知ればいい。
手を伸ばしたところで、けして届かぬ場所に咲く、幻の花なのだと。
近づきたいと願うことすら、叶わないのだと。
もしも、まかり間違って手にしてしまえば――――――あっと言う間に枯れ、散ってしまう花なのだと悟ればいい。
相手を見据え、ファントムはゆっくりと問う。
「――――・・・そんな運命のこの子を、僕以外の誰が、支えてあげられると思うの?」
「・・・・・・・・・・・」
ナナシは、応えなかった。
いや、応えられなかったというべきか。
ただ強張った顔で、ファントムを見つめている。
打ちのめされたナナシの表情に、気持ちが高揚した。
人間が絶望する様子はとても滑稽(こっけい)で、いつだってファントムに愉悦を与えてくれる余興のひとつだが、ナナシのそれを見るのは殊(こと)に痛快だった。
「あ、そうだ。もちろんこの子自身は、喘息以外のこと知らないからね。
分かってると思うけど、僕が今言ったこと口外(こうがい)したりしたら・・・絶対、死んだ方がマシだってくらい酷い目に遭わせて殺すから!」
「・・・・・・・・・・・」
硬い表情で自分を見返している姿が、堪らなく面白い。
もっともっと傷つけて、・・・絶望の淵に追い落としてやりたくなる。
そうしたら、更に楽しくなれるだろう。
今日は1日、不本意に苛々することの連続だった。
朝から大嫌いな父方の祖父に呼び出されて顔を合わせる羽目になったし、そのせいで休日だというのにアルヴィスと一緒に居られなかった。
しかもそのアルヴィスはファントムに無断で外出し、あまつさえ登山などという危険行為に及んで、挙げ句に遭難しかけたという――――――・・・二重にも三重にも、ファントムの中で禁忌としている事柄をやってのけてくれたのだ。
気を揉まされた、などという軽く表現できるような心境では、まるで無かった。
アルヴィスの身体のことを考えれば、幾らでも悪い方向へ考えは傾き。
喪失への恐怖と、理不尽に奪われてしまうかもしれないことへの激しい怒り、行き場の無い苛立ちに、ファントムの気持ちは、酷くささくれ立ち続けたのである。
すっかり疲弊(ひへい)した精神を癒すなら、やはりこういった余興が効果的だ。
「まあキミも、一応はヒト科に属する生物なんだし。アルヴィス君のデリケートさは、理解出来てるよね?」
「・・・・・・・・・・・」
本当はいたぶって苦しむ様を見るよりも、ナナシに限っては殺してしまった方がスッキリするとは思うが、今はまだその時では無いから、傷つけるだけで良しとする。
「ショックなんて受けたら、それだけで熱出しちゃうような子なんだから、悪戯に不安煽るようなこと・・・キミはしたりしないよねぇ、ナナシ?」
「・・・・・・・・・・・」
「アルヴィス君のこと、大切に想ってるんだものねキミは!」
挑発めいたセリフを吐いても固まったままの相手が、とても愉快で。
ファントムは、クスクスと笑いながら話し続けた。
――――――Everything's fine now.(これで、いい。)
胸の内で、こっそりとそう呟き。
「・・・分かった? 天使を飼うのはね、簡単なことじゃないんだ」
自分を見つめる青灰色の瞳としっかり目線を合わせ、ファントムはニッコリ微笑した。
「キミに天使は、飼えないよ」
「・・・・・・・っ、・・・」
言った途端に、ナナシの眼が惑うように揺れるのが見て取れて、気分が良い。
声を上げて、嗤(わら)いたくなった。
「キミに天使は飼えない――――・・・・」
その瞳に、視線を固定し。
ファントムはもう一度、呪文のように繰り返す。
「・・・・・・・・・・・・・」
視線の先で、青年は石と化したかの如く、微動だにせずただ無言のまま此方を見返していた――――――――――。
NEXT 81
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言い訳。
ややこしい話が続きまして、申し訳ありません(汗)
まあ、要はアルヴィスがやたらに喘息やら何やら、厄介な病気抱えてるのは生まれつきの体質のせいだよ、ってことでして(笑)
今回のシリーズタイトルの『ヘルマプロディートス−Hermaphroditus−』というのも、そこから名付けてます。
ヘルマプロディートスの神話は、ヘルメス神とアフロディーテ女神の間に出来た子である美少年に、サルマキスっていうニンフが恋して二人を離ればなれにしないで欲しいと神々に懇願し、そのせいで合体しちゃったとかいうトンデモナイ内容なんですけどね(笑)
実は『君ため』の第1話書く時に、既にあった設定だったんですが――――――・・・いやー、すっかり忘れてましt(爆)
全然日の目を見ないままに、大分シリーズが進んでしまいました(殴)
今回ようやく書けて、良かったです。←
次回は多分、ファンアルで甘々な展開で書けるかと・・・・・!!!
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