『君のためなら世界だって壊してあげる』




ACT 77 『飼育天使−4−』



 

 




 輝く白い月を思わせる銀髪を揺らし、シャツにジーンズ、黒のレインジャケットを羽織っただけという明け方の山中に出向くには少々簡単すぎる軽装で、その人物は洞窟内に現れた。


「ファントム様!」

「・・・・・・・」


 呼ばれた名に、何ら反応することもせず。
 銀髪の青年―――ファントムは、声の方へと足早に近寄った。

 口元から下を朱(あけ)に染めて、血の気が失せ紙みたいに真っ白な顔を俯かせてパウゼに支えられる蒼髪の青年。
 その傍らに、身を屈める。


「・・・・・・・」


 ファントムは黙ってグッタリ弛緩(しかん)した細い身体をパウゼから受け取ると、そのまま抱えて蒼髪の青年の顔に耳を寄せた。

 ファントムの、神々しい程の完璧な美貌のせいだろう。
 ・・・・その様子はまるで、傷付き力尽きた者の魂を、無慈悲な大天使が連れ去りに来たかのような錯覚を見る者に抱かせた。

 この世に留まらせるべく傷を癒しに来たような印象にならないのは、常の彼らしく無く、銀髪の青年の美しい顔に一切の表情が浮かんでいないせいだろうか。
 およそ欠点と呼べる要素など見当たらない、玲瓏(れいろう)たる美貌ではあるが・・・その造形は、どちらかと言えば冷たさを湛えた面立ちだ。

 普段そう感じさせないのはファントムが柔らかな微笑を絶やさず、いつも表情豊かに振る舞っているからである。
 それらが抜け落ちている今、彼本来の冷たい美貌が際立(きわだ)って見えているのだろう。


「・・・・・・・・」


 青年の弱々しい呼吸音を確認し、ファントムの顔にようやく安堵(あんど)の色が浮かんだ。

 不機嫌ではなく本当は、表情が失せるほど酷く緊張していただけだったファントムである。
 絶対に失いたくない存在を前にして、さしもの彼も余裕の笑みなど浮かべてはいられない。


「よしよし、大丈夫だよ・・・すぐ、ラクにしてあげるからね」


 優美な白い手や顔が汚れることも厭(いと)わない様子で、ファントムは抱えた青年の、泥がこびりついた髪に触れて頭を掻き抱いた。

 その間に、ファントムの後を追ってヘリから降りてきた男・・・ペタが、心得た様子で手にしていた毛布を洞窟の地面へと広げる。


「・・・・・!」


 最初は呆然とファントムの行動を見守っていたパウゼも、慌ててペタに付き従って作業を手伝った。


「・・・さてと、ここからは急ぐよ。とりあえず挿管だけは済ませないとね・・・」


 優しくアルヴィスを毛布の上に横たえ、彼の頭の方に屈んだファントムは青年の顎へと手を掛けながら呟く。

 喀血(かっけつ)し、多量の血液が気道を満たしている今、アルヴィスはいつ血を喉に詰まらせ窒息してもおかしくなかった。
 だから一刻も早く、詰まる前に気道に管を差し込み、道が塞がらないよう処置しなければならない。


「ライト下に向けて。・・・ペタ、喉頭鏡(こうとうきょう)!」


 薄暗い洞窟内、ファントムがペンライトの明かりだけを頼りにアルヴィスの口内へと、見ようによっては刃が横に平べったくなっている風変わりな小型の草刈り鎌だ――――――銀色の医療用具・喉頭鏡を差し込んでいく。

 同時に指ほどの太さのチューブをグイッと喉奥へ押し込み、ファントムは挿管を完了させた。


「アンビュー!」


 そして間髪入れず、そう言いかけて。


「いや、・・・その前にサクション(吸引)」


 ファントムはペタに向かい医療用のゴム手袋を填めた手を差し出した。


「どうぞ」


 ペタが、先程よりも細いチューブをファントムに手渡してくる。

 チューブは小型の空のボトルがセットされた、手動吸引器へと接続されていた。

 アンビューとは、ラグビーボールのような形をした人工呼吸器が使えない場などで活躍する、手動で強制的に呼吸を行わせる用具のことである。
 肺はゴム風船のようなものだから、空気を入れて膨らませてやりさえすれば後は自動で萎み、排気―――息を吐くことが出来るのだ。

 だからアンビューで肺へと空気を送り込みさえすれば、通常の呼吸は可能になる。

 けれど今は、アルヴィスの気管内を満たしているだろう血液を取り除くことが先決だった。
 通り道が血で塞がっていては、肺に空気を送り込むことが出来ないからだ。

 ファントムがチューブの先端を挿管チューブへ挿入した途端、透明な管がみるみる赤く染まり、吸引ボトルの底へ朱色の液体がポタポタと滴(したた)り始める。


「・・・・・・・・」


 きちんと吸引されているのを確認して、ファントムは持っていたチューブをペタに委ねた。


「終わったら、アンビュー開始して。ボクは※ライン(※点滴用の静脈確保のこと)取るから」


 そう言ってアルヴィスの細い腕を取り、ファントムはライトだけの薄暗い洞窟内で過(あやま)たずに彼の細い静脈へと点滴の針を刺す。

 薄暗い洞窟内で行われているとは思えない、的確で流れるような手腕だった。
 どの処置も、本来は満足に照明が使えない場では難度が高く危険が伴う行為であり、それをやってのける辺りに、ファントムの能力の高さが伺える。


「ペタ、止血剤(ラインに)繋いで」


 静脈の穿刺(せんし)部分がズレないように、丁寧にアルヴィスの肘(ひじ)から下辺りを透明なシールで固定しつつ、ファントムは休むことなく指示の為に口を開いた。


「パウゼ、キミはペタに代わってアンビュー!」

「は、はい! えっとコレ・・・ですか??」


 使えるモノは、何だって使う。
 例え医療経験が皆無だろうと、空いてる手があるならどれでもだ。


「うん、それ。そっと、丁寧に、リズム正しく、しっかり押してね」

「はいっ」

「・・・よし、後は止血剤が効き次第アルヴィス君をヘリへ移そうか」


 視線を横たわる青年に固定したまま、ファントムはやっと身体のチカラを抜いて深く息を吐いた。


「とりあえずサチュレーション(血中酸素飽和度)見た感じは大丈夫そうだから、出血が落ち着くまで様子見よう・・・」


 言いながら医療用のゴム手袋を外し、アルヴィスの傍らに片膝を付いていた姿勢をやめて、地面に腰を下ろす。
 そして、チューブを口に挿入されグッタリと目を閉じているアルヴィスの頭に手を伸ばし、優しい手つきで髪を梳くように撫で始めた。


「・・・・ファントム様・・・・」


 そのファントムの様子に、治療が一段落ついたと判断できたのか、アンビューを押す手は休めないまま、パウゼが酷く申し訳無さそうな声で呼びかけてきた。

 元々肌色が悪く不健康そうな印象を与える男だが、今は情けなさを滲ませた表情のせいもあって、死人のように青ざめた顔になっている。
 ファントムを神とも崇(あが)め、仕えている者として今回の失態は許されないと思い、恐々としているのだろう。


「俺がお側に居ながら、このような事態になり本当に申し訳ありません・・・・!!」

「・・・・・・・・・・・」


 けれど、謝罪の言葉にファントムはパウゼを見て軽く目を眇(すが)めただけだった。

 気怠そうに長い前髪を片手で掻き上げ、唇の両端を吊り上げる。
 心の伴わない、美しいが形ばかりの冷たい微笑だ。


「ファントム。パウゼは、アルヴィスが外出することを知らなかったのですから対処が後手に回ってしまったのも無理からぬ事かと・・・・」

「I couldn't care less.(どうでもいいよ)」


 ペタが何かを感じたのか取りなすように口を開くのを遮(さえぎ)り、ファントムは低い声で言葉を発した。


「分かってる。アルヴィス君が勝手に、出歩いたんだよね・・・パウゼは、それに振り回されただけ。まあ多少、小言を言いたい気分ではあるんだけれど」


 地面に座り込み、アルヴィスを撫で続ける手つきはそのままに、ファントムはそのアメシスト色の隻眼(せきがん)をチラリ、とパウゼの後方へと走らせる。


「僕が気に入らないのは、――――――・・・何故アルヴィスの傍にキミが居るのか、ってことだよ・・・・?」


 その視線の先には、アルヴィス同様に泥に塗れた長髪の青年の姿があった。


「僕さぁ・・・言ったよね?」


 険しい表情を浮かべ、自分を睨み殺すかのような眼で見つめてくる青年に柔らかく笑いかけ。
 ファントムは、ゆったりとした口調で言葉を紡いだ。


「・・・『アルヴィス君には近づくな』・・・って」


 声も表情も、一見すると甘く柔らかい。
 それなのに、何故だろう・・・発する一言ひとことが、斬りつけるような冷気を帯びていた。


「忘れちゃったのかなあ? ・・・あんなに念押ししといたのにね?」


 そう言って微笑む顔は、天使の如くと譬(たと)えられるだろう程に美しく優しそうに見えるのに――――――・・・・禍々(まがまが)しい凶悪さが秘められている。


「動物だって躾(しつけ)たら、しちゃイケナイことくらい覚えるよ。キミは動物以下ってことなのかなあ? ・・・ねえ、ナナシ?」


 ファントムが放つ言葉の1つひとつに、毒を含んだ棘(とげ)がある。


「・・・・・・・・、」


 ファントムの放つ空気に呑まれたのか、青年・・・ナナシは彼を睨み付けた体勢のまま固まっていた。

 泥まみれで、上半身裸の状態で立ち尽くすその姿は、満身創痍(まんしんそうい)の様子で。
 本来ならば美しい金髪だろう髪や精悍な顔、そして身体の至る所にに泥がこびり付き、ところどころ滲んだ血と混ざり合っている様は、彼にも傷の手当てが必要であることを示していた。

 疲労が濃く滲んだ表情からも、憔悴(しょうすい)しているだろうことが伺える。


「どうして、アルヴィスと近づくことを禁じられたキミが、彼の傍に居るのかな?」


 だが、殊更(ことさら)意味を強調するように言葉を句切って質問するファントムには、ナナシの状態を気遣うつもりは皆無のようだ。


「ねえ、聞こえてる? 僕、キミに聞いてるんだけど」


 顔の右半分を覆うように長く伸ばされた銀糸の髪を、サラリと揺らし。
 露わになっている片眼のみで、ファントムは下からナナシをジッと見据えた。


「・・・・・・・・・・」


 立ち尽くし見下ろす立場に居るのはナナシで、ファントムは座り込みナナシを見上げる体勢であるにも関わらず。

 どちらが優位なのか、端から見る者にも容易に悟れる程の威圧感を銀髪の青年は発していた――――――――――。





 

 

 

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言い訳。
今回で、アルヴィスの秘密?まで書ききれるかな・・・?? って思ったんですけど、キャラ視点が変わっちゃうのでページ変えます。
同じページで視点がコロコロ変わると、すっごい意味不明になりますよね〜〜^^;