『君のためなら世界だって壊してあげる』
ACT 75 『飼育天使−2−』
――――――・・・その光景を見た瞬間、パウゼは自分の眼を疑った。
余りのことに、咄嗟に反応出来なくなる程、狼狽(うろた)えた。
「・・・・・!??」
いきなり山へ登るなどと気紛れを起こしたらしい、お姫様のため。
パウゼはアルヴィスの行方を追い大事がない内に連れ戻すべく、山中へと足を踏み入れたのだったが――――――――実際の所それは、そう口で言うほど簡単な作業ではない。
いくらアルヴィスの居場所がGPSで把握できるとは言っても、それはあくまで『大まか』な位置であって山中のどこそこに居る、と明示されるワケではないからだ。
街中でだって、基本はどの建物に居るかという漠然とした位置情報しか表示されないのである。
その為、パウゼのアルヴィス捜索はかなり難航した。
加えて、予め天気の状態を調べていたから想定の範囲内ではあるが・・・雨が降ってきて天荒が悪化し、視界が殆ど開けない。
雨天用の装備をしてきたとはいえ、身体が冷え体力が消耗するのは必然だった。
それでも、パウゼが心酔している『主』の大切な存在にもしものことがあったらと―――――――疲労した身体に鞭打って、アルヴィス捜索を続けたパウゼである。
「・・・・・・・・・・」
それなのに。
「・・・・・・・・・・」
それだというのに。
やっと見つけてみたら、この光景は何だろう。
「・・・・・・・っ、・・」
パウゼの眼に映るのは、―――・・・『主』以外の男の腕の中、あられもない薄っぺらなタオルを羽織っただけの格好で、大人しく抱かれている青年の姿。
見た瞬間、目の前が真っ暗になる思いだった。
「・・・・・・・・・・」
これが室内・・・・いわゆる密閉された空間での光景であったなら。
―――――――パウゼの命など、どれだけ献げても足らないような失態である。
この場が野外であり、全然違う状況でこうなっているだろうことだけが救いだ。
しかし。
「・・・・・・・・・・・」
良く無い状況であることに、変わりはない。
幾つかある、パウゼが避けたいと思っていた事態の1パターンだ。
それも、上位にくる最悪パターンの1つである。
「・・・・・マジかよ・・・」
有ってはならないことが、起きてしまった。
1番危惧していたのはアルヴィスの発作・・・もとい体調だったから、それが起きてないのなら幸いだが、――――――ある意味そんなのよりもっと、厄介な状況かも知れない。
アルヴィスと、・・・・『主』以外の人間が抱き合っているなんて。
彼にそうして密着することが許されているのは、『主』だけの筈なのに。
「・・・・・・・・・・・」
ああ。目の前の光景ごと、夢だったということにして忘れ去ってしまいたい。
もう一度目を閉じて、ゆっくり開けたらこの罰当たりな光景が消えてくれるのでは無いだろうか?
この雨降りの中、もう1度アルヴィスを捜す羽目になってもいいから、とにかく今のこの状態を取り消して貰いたい。
「・・・・・・・・・・」
そんなことを思って眼を閉じてみるパウゼだが、もちろん都合の悪い事態は無かったことに出来る筈も無かった。
「・・・・・・・ハハ、消えねぇーや!」
ゆっくり眼を開き、相も変わらず広がる眼前の光景にパウゼは小さく言葉を漏らす。
けれど今は、こうしてのんびりと現実逃避している状態じゃないと思い直し、パウゼはお姫様を奪還(だっかん)すべく行動を開始した――――――――――。
アルヴィスを抱えているのは、彼が良く話している大学内の仲間の一人であり、当然アルヴィスを護衛し、生徒として過ごしているパウゼとも顔見知りだ。
だから此処でパウゼが中へ乗り込めば、必然的にアルヴィスと自分の関係がバレるだろうことも覚悟しなければならない。
パウゼが神とも崇める『主』にはアルヴィスを含め、なるべく誰にも護衛のことは気付かれないのが好ましいと言い渡されていたから、本来ならそれは避けたいところである。
だが今の状態では、そうも言っていられない。
アルヴィスを抱えているのはナナシという男で、・・・大学内の関係者の中では、特に気をつけるようにと言い渡されている人間だからだ。
護衛を任されているパウゼとしては、そんな人物とアルヴィスを、いつまでもくっつけた状態にしているワケにはいかなかった。
そんなのが『主』にバレたら、自分が彼にどれだけ不興を買うことになるか、考えるだけでも怖ろしい。
ここはもう、ナナシに正体がバレようが最悪アルヴィスにもバレてしまうことになろうが、――――――手段は選んでいられない。
とはいえ、様子を伺う限りアルヴィスは眠っているか何かのようなので。
上手く立ち回れば、彼が何も分からないでいる内に、この現状を改善できる可能性もまだある。
「・・・・・・・・・」
この際ナナシには首の骨でもねじ切られて貰って、永久に黙っていて貰うのが手っ取り早い気もするな。
そうしたら眠っているアルヴィスを抱えて、さっさと下山出来て任務完了だ―――――と、思いつつ。
流石にそれは早計か、と考え直すパウゼだ。
もしもアルヴィスが起きていたり、途中で目が醒めて、その瞬間にナナシの首をねじ切ったりなどした日には・・・・・さぞかしアルヴィスを驚かせることになる。
驚くだけならいいのだが、やはりショックを受けるだろう。
アルヴィスはデリケートなので、精神面にも気を遣うように――――――との厳命を『主』から受けているパウゼとしては、避けておくべき行為のような気がしたからだ。
アルヴィスがそんな軟弱な神経でさえ無ければ、騒がれる前にナナシを瞬殺し。
アルヴィスが寝ているならばそのまま、起きてしまったなら何とか上手く言いくるめて下山、・・・という手段が取れるのだが。
「・・・・・・・・・・」
あくまでパウゼが守るべきお姫様の神経は軟弱、・・・もとい繊細であり。
アルヴィスが実際に眠っているのかどうなのかも、この場から判断するのは困難で・・・パウゼが思い浮かべた方法は、得策と言えないことだけは確かだ。
「・・・・仕方ねェ」
正体がバレたら今度からの護衛がやりにくくなる。
アルヴィスが熟睡してるようならば、処分してもOKだろうか・・・・そんなことを考えながら、パウゼは洞窟の内部へと足を踏み入れる。
「――――――・・・」
そして。
金髪ロン毛男が抱き寄せたアルヴィスの羽織るタオルから、剥き出しの白い肩が覗いているのを目撃し――――・・・・パウゼは、今まで以上に絶望的な気分になった。
剥き出しの肩・・・良く見れば、タオルからはみ出たアルヴィスの両足だって、素足の状態である。
白いふくらはぎが、細い足首が、こんな所まで形がいいと感心させられる足裏が、・・・眼に眩しい。
「・・・・・・・・・・・・・」
ああ、ダメだ。
お咎(とが)め決定。
この失態は、制裁モノだ――――――・・・パウゼは心の中で、天を仰ぐ。
アルヴィスの肌は、誰かの視線に晒すだけでも許されない筈だったのに、晒すどころか直に触れられている状態だなんて、一体どう言い訳すれば良いのか。
――――――いや、もう言い訳なんて考えているヒマも無かった。
ともかく一刻も早く、アルヴィスに張り付いている男を引っ剥(ぺ)がさなければならない。
「・・・・・・・・、」
パウゼは、何やら必死な様子でアルヴィスの顔を覗き込んでいる男へと、音もなく近づくと。
肩を無造作に掴んで、そのまま自分の背後へと引き摺り倒した。
「――――・・・な、・・!?」
背後で痛そうな呻きと驚きの混ざった声が上がったが、それを無視してパウゼは支えを無くしその場に倒れかかったアルヴィスの身体を抱いて、すぐに状態を確かめる。
容赦なく後ろへと転がしたナナシは、恐らく後頭部を打ち付けて悶絶しているだろうが、それには一切構わず、パウゼはひたすらアルヴィスの状態確認に神経を集中した。
「・・・・・・・・・」
そして安心する余り、思わず脱力する。
あられもない姿なのに変わりはないが、素っ裸では無い。
辛うじて下着は身につけていてくれて、本当に良かった・・・これで最悪の事態だけは避けられた、と安堵する。
「・・・・・・・・、?」
だが、すぐにアルヴィスの様子がとても宜しくないことに気がついて、パウゼは顔をしかめた。
グッタリと目を閉じ、額に汗を滲ませながらの苦しそうな呼吸、蒼白な顔色・・・・喉奥から聞こえるゼイゼイという異音を確かめる迄もなく――――――・・・・これは、喘息発作だ。
それも、度合いからいけば恐らくコレは中レベル以上の発作。
―――――・・・マジかよ、オイ!!?
一難去って、また一難。
先程とは別意味で、パウゼはまた天を仰いでしまった。
今度はアルヴィスの貞操ではなく、命が掛かった大問題。
責任は、重大だ。
これなら眠っていただけのアルヴィスが起きて、自分の正体が彼にバレて困る展開の方が、よっぽどマシである。
「・・・・・・・・・・」
これがいつも通りの日常であったなら、問題は無かった。
パウゼは速やかに『主』へとアルヴィスの容態急変を告げて、教えられた処置をしながら、彼の指示に従えば良いのだから。
「・・・・・・・・・・」
けれどもここは、山の中。
携帯している衛星電話で、とりあえず指示を仰ぐことは可能でも――――――救急車を呼んだり、『主』や他の医者が駆けつけられる場所では無い。
「・・・・・・・・・・」
アルヴィスが重度の喘息持ちなのは、予(あらかじ)め聞いて知っていることだったし。
対処法も万が一の時の薬も、パウゼは教えられているし持参してはいる。
けれどあくまで応急処置だし、パウゼは医者では無いから・・・・処置をすることに自信があるワケでは無かった。
自信が有る無しというより、むしろ出来るだけやりたくない。
「・・・・・マジかよ、・・・」
パウゼの額に、じっとりと冷たい汗が滲んだ。
何しろ、実際にアルヴィスに処置をする羽目になるのは、これが初めてである。
普段パウゼがやっている『作業』は、相手の命など全く気にする必要が無い・・・・というよりか、それを奪うのが主な仕事だからして、対象者の命を救わなければならないような、繊細な行為など守備範囲外なのだ。
「パウ、・・ゼ?!」
それだのに。
さっき後ろへ転がした男は、パウゼの気も知らずに大声で叫んで、考えを乱してくれる。
まあ、事情を知らない彼にしてみれば、騒ぐのは無理もないのだが。
「なっ、・・・なんでや!?」
けれど今、パウゼはそんなことに関わっている場合では無い。
「なんでお前が、此処に居るん?!」
アルヴィスの生死がかかっているのだ―――――・・・僅かな時間も、惜しかった。
「おかしいやろ!? なんでお前が此処に居るのや・・・!!」
「・・・・・・・・・・」
後ろからは相変わらず叫ぶ声が聞こえていたが、パウゼは完全にそれらを無視する。
頭の中では、以前に教えられた『こういう場合』の対処法を思い出すことに必死だ。
アルヴィスの、何となく人形を抱いている気分にさせる小振りな頭を支え、まだ辛うじてちゃんと呼吸をしていることを確かめて――――――薬を吸引させやすい体勢へと、彼の身体を支え直す。
「ワレ、何シカトこいてんじゃコラァ・・・・!?」
そうこうしている内に、ナナシの声に怒りの色が混じり始め、立ち上がる気配が感じられた。
「ヒトが聞いとんのやから、返事ぐらいせんかい!!?」
怒鳴り声と共に、ガッ、とパウゼの肩が強く掴まれる。
―――――・・・やっぱ殺しとくか・・・。
瞬間的に握ったナイフで、パウゼは近づいてきた青年の喉元へとその刃を閃かせた。
「っ!?」
髪一筋ほどの距離で、ナナシがそれを避ける。
大した反射神経だ。並の人間であれば、アッサリと喉元を切り裂かれている所だっただろう。
だが、避けてそのまま動きを固めてしまっているのが、素人ならではの甘さである。
パウゼは手にしたナイフの切っ先を、驚いて硬直したままのナナシの顔面へと突き付けた。
「・・・・・・・・、?」
見開かれた青灰色の瞳・・・・その眼球すれすれに、鋭い刃先を寸止めする。
瞬(まばた)きすれば、刃先が触れる距離だ。
「・・・なん、」
「うるせェーよ、今こっちは取り込んでんだ」
そのまま眼球ごと、脳に達するまでナイフを突き立ててやろうかとも思ったが。
少し考えて、パウゼは再び口を開く。
「ちっと、黙っててくんね? ・・・いまアンタに構ってるヒマねーの」
そう言って、刃先をナナシから遠ざけた。
「――――・・・ワレ、・・・何モンや?」
流石に恐怖を感じたのだろう。
途端にナナシがジリジリと後ろの方へと下がって、パウゼから距離を取った。
「始末されたくねェーなら、邪魔すんな」
ぶっきらぼうに言い放ち、パウゼはナナシに背を向けた。
正体など今更だから、説明してやってもいいかと思ったが、生憎(あいにく)今はそんなのんびりとした状況ではない。
「・・・・・・・・・・」
ナナシの何か問いたげな視線を背に感じたが、それきり無視してアルヴィスに集中する。
これは一応、パウゼなりのナナシへの思い遣りでもあった。
パウゼは、このナナシという男のことを嫌ってはいない。
大学内でアルヴィスが関わる人間としては、要注意人物とされ、なるべく近寄らせないように―――――との命令が下っていたから、パウゼ自身もそれほど彼と接していたワケでは無いけれど。
それでも、好感が持てるヤツだと思った。
見た目は確かにチャラチャラした遊び人風であり、如何にも軽薄そうな男だから、警戒されるのも分かるような感じではあるが、実際に話してみれば気さくで明るくて面倒見の良い・・・男気に溢れた人間だと感じたのである。
立場など全く関係無く、本当に大学生同士で出逢っていたのなら、気の良い友人として付き合えた気さえしていた。
だから、いつもなら面倒になればすぐ殺すのがモットーなパウゼだが、今は思いとどまったのである。
とりあえず、・・・今だけは。
「ちっ、・・・やっぱ発作じゃねーか・・・言わんこっちゃねえ」
背後からの、ナナシの疑惑に満ちた視線をビシビシ感じつつ。
パウゼはアルヴィスを眺めて、溜息を付いた。
普段から激しい運動を禁じられ、防犯上の意味も含めてではあるが、学校の行き帰りを車で送り迎えされているような人間が山登りなんかするからだ。
そんなの、発作起こしたいって言ってるようなモンだろ・・・と、言えるものなら言ってやりたいところではあるのだが。
残念ながら、パウゼはアルヴィスに文句を言える立場では無いし、そもそも今はアルヴィスの意識自体が殆ど無い。
「・・・・・・はあー・・・。」
もう一度深い溜息を吐き、胸に過ぎる様々な不満も一緒に吐き出して。
パウゼは、気を入れ替えて『処置』に取りかかった。
もうナナシが暴れないと判断して・・・・まあ暴れたら、今度はトドメを刺してやろうと思っているが・・・・ナイフを傍らに置き。
パウゼはポケットから、持参してきたスプレー式の吸入器を取り出す。
噴霧(ふんむ)部分を除きスプレー本体が手の平に収まる程の大きさの『それ』は、MDI−定量噴霧式吸入器−と呼ばれる喘息発作時の吸引薬だ。
アルヴィス自身もこれは常に携帯している筈だが、今のこの状態は、使った後なのかそれとも使う間もなく調子が悪くなったのか―――――どちらにせよパウゼが教わっているのは『コレ』を吸引させることだけだったから、躊躇することなく薄く開いた口元へと吸引口を近づけた。
「ほら、クスリだよ。・・・・・アルヴィス様、口開けて?」
「・・・・・・・・・・・」
意識が殆ど無い状態だから、当然アルヴィスは口を開けない。
まあ意識がほぼ無いと分かっているからこそ、パウゼだって『様付け』でアルヴィスの名前を呼んでいる。
普段であれば、『アルヴィス』と呼び捨てしなければならないところだ。
何せアルヴィスは、パウゼのことを大学での友人としか思っていない・・・自分を護衛しているなどとは全く知らないのだから。
それでもパウゼの認識としては、アルヴィスはあくまで『主』の恋人であり、守らねばならない大切な存在あるからして――――――心の中では『アルヴィス様』と呼んでいる。
こういう、アルヴィスに気付かれない状況下にある時は、せめて様付けで呼びたいのが本音だった。
「アルヴィス様? あー・・やっぱ無理か、聞こえてねーよな〜〜〜」
意識がないのは、とうに分かっている。
けれど、開けてくれないことには、薬を吸わせられないのだ。
「少しくらい、ぺちぺちってしても怒られねェーかな?」
「・・・・・・・・・・・」
「・・・いやでもそれはやっぱマズイか・・・」
ここは何としてでも吸って貰わなければ・・・そう考え、刺激を与えることを思いつくが、その方法がまた悩みどころである。
軽く叩いてみようかとも考えたが、仮にも『主』の大切な恋人を平手打ちするのは気が引けた。
「アルヴィス様、苦しいなら頑張って吸わねーと! アルヴィス様? おーい、・・・聞こえますかー??」
「・・・・・・・・・・」
仕方なく、懸命に呼びかけしてはみるものの、やはりそれではアルヴィスが全く反応しない。
「・・・・駄目だ。やっぱ、軽くペチッとくらいは刺激した方が――――――・・・ああでもなあ、軽くでも叩くなんてのは・・!」
目を閉じ、相変わらずグッタリしたままのアルヴィスの白い頬に手を掛けて。
パウゼは暫し、逡巡(しゅんじゅん)した。
「けどこのまま酷くしたら、それはそれで怒られんだよ絶対。やっぱペチッと・・・!」
「・・・・・・・・・」
アルヴィスを叩くのは、出来ればしたくない。
しかしこのまま薬を吸わせられなければ、命に関わるだろう。
命に関わるまでは言い過ぎだとしても、発作を長引かせ酷くさせたら、それはそれでお咎めがくるのは間違いなかった。
何より、『主』に失望されたらと思うと堪らない。
「いや、けど仮にも・・・・。うーん、やっぱり畏れ多いよなァ・・・?」
「・・・・・・・・・・」
とはいえ。叩いても意識が戻らない可能性だってあるから、やはり踏ん切りがつかない。
それに意識が戻るように、という意味でなら、ある程度強めに叩く必要がある気もするから尚更だ。
「アルヴィス様? アルヴィス様、起きてくださーい? ク・ス・リ、ちゃんと吸わないと苦しいまんまですよ〜〜アルヴィスさま〜〜〜〜?」
「・・・・・・・・・・・」
「てか、マジ頼んますって! このままじゃ俺が怒られんの決定だから!! 起きて、アルヴィス様。・・・起きろ!!」
「・・・・・・・・・・・」
仕方なく、何度も呼びかけてみるパウゼだが、やはりアルヴィスの反応は無かった。
最終的には殆ど怒鳴り声になりつつの呼びかけになってしまったけれど、効果は無い。
「・・・ってコレで起きてくれんなら、苦労しねェーよなァ。いや完全に起きて貰っても困るんだけど・・・」
仕方なくパウゼはアルヴィスの口に押し当てていた吸入器で、閉じた唇をこじ開けるようにして薬の噴霧口を咥えさせた。
「・・・・・・・・・仕方ねぇ」
薬は、本人が肺の奥へと吸い込まなければ効果は無いらしい。
しかし、本人が協力してくれない以上、こうなれば無理矢理に吸わせるしかないと判断したのだ。
スプレー式だから、口内へ噴射してやれば僅かでも吸い込むかも知れない。
ただし吸入させるのは3回まで、と厳命されているからチャンスは3回だ。
パウゼはアルヴィスの顎を掴んで押さえ付け、咥え込ませた吸入薬のプッシュ部分を押す。
「・・・・・ゴホッ、・・」
それとほぼ同時にアルヴィスが弱々しく咳き込んだせいで、実際に吸えているのかどうなのか、全く良く分からなかった。
しかしこれ以外に手段が無いのだから、パウゼとしてはとりあえずこの『処置』を続けるしかない。
「・・・・これで、5分経ったらまた吸わせて・・・だよな、確か」
支えていなければガックリとそのまま白い喉元を晒し、後方へ頭を傾がせてしまうアルヴィスを見ながら。
パウゼは、不安を隠せずに呟いた。
吸えていなかったら、どうしよう?
吸えていたとして、これで状態が改善しなければどうしたらいい?
「・・・・・・・・・」
気ばかり焦るが、どうしようも無かった。
だがとりあえず、5分待っている間にも出来ることがある。
まずは、アルヴィスの着替えだ。
山に入ってすぐ、ペタからその一帯の天荒が崩れるだろうとの指示を受け、1度引き返して雨天時の装備を調えてから再度入山したパウゼである。
自分の装備は勿論、アルヴィス用の着替えも持ってきた。
アルヴィスが軽装のまま、準備など何もせず山へ入っただろうことが容易に想像出来たからである。
アルヴィスの着替え自体は、いざというときの為にペタから持たされており車に積んであったモノだ。
アルヴィスがこんなタオル1枚引っかけた状態だったなどとは、パウゼは自分の保身の為にも間違っても報告出来ないので、手っ取り早く着替えさせる。
本来なら脱がす手間もあったから、それに躊躇していた所だろうが、今回はアルヴィスが既に裸同然の姿だから迷う必要も無い。
意識が無く、人形同然にされるがままのアルヴィスは、着替えさせるのも簡単である。
持ってきたトレーナーとジーンズ、そしてレインジャケットを羽織らせるのも容易だった。
下着も準備はしていたし、濡れているから本当はそれも・・・というべきなのだろうが、そこはアルヴィスに意識が無いから気付かないことにしておく。
自分で履き替えてくれるなら問題ないが、流石にパウゼが脱がすのは―――――・・・何となく、『主』の不興を買いそうで、したくなかった。
「・・・・・・・・・・」
グッタリしたままのアルヴィスを抱え直し、まだ吸入させる時間にならないのを見て、パウゼはチラ、と後方を振り返った。
「・・・・・・・・・・」
ジッと、此方を複雑な顔付きで見ている青灰色の瞳と眼が合う。
「一応確認しとくけど。脱がしたの、アンタじゃねェよな?」
「・・・・・・・あ?」
突然のパウゼの質問に、髪の長い青年・・・ナナシが怪訝(けげん)な表情を浮かべるのが分かったが、構わずに再度問う。
「だから、服。脱がしたの、アンタかナナシ?」
ナナシにとってはどうでもいいことかも知れないが、パウゼにとっては重要だ。
脱がしたのがナナシなら、・・・説明如何によってはやはり、始末しなければならなくなる。
「・・・・ワレ、一体・・・・アルヴィスの何なん?」
だがやはり、ナナシはまずそれが気になるようで、パウゼの質問には素直に答えてこなかった。
「さっき、『アルヴィス様』・・・言うてたよな? ちゅーことは、ワレはアルヴィスに仕えてるヤツていうことなん?」
「ま、そんなモンだな。正確に言えば違うけど、似たようなモン」
いいからサッサと質問に答えやがれ――――――内心でそう思いつつ、パウゼはアッサリと認めてやる。
どのみち、先程の様子でパウゼが単なる大学での知り合いでは無いとバレているのだ・・・今更、取り繕っても仕方がない。
「俺様は、アルヴィス様の護衛目的で大学に行ってる。つまり、アルヴィス様に付いた虫を払う役目ってことだ。だからさ、・・・・わかんだろ?」
そう言って、パウゼは此方を睨む、大学での『友人』を見返した。
「ま、アンタの大学内での態度は、俺様的には評価はしてんだけどな? けど、どうせならもちっと徹底的に、アルヴィス様から距離取っときゃ良かったのに」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「俺は結構アンタのこと買ってたんだぜ? ナナシ。俺の役目は、アルヴィス様をあらゆる意味で守ることだから―――――近づき過ぎるヤツは処分しなきゃなんねェ」
この仕事もラクじゃねェよ、と肩をすくめて見せても、ナナシは黙って此方を見つめたままだ。
パウゼがナナシに抱くイメージ通り、それなりに肝は据わっているらしい。
「ところで脱がしたのは、アンタかナナシ? 返答如何によっては俺、・・・色々と行動起こさないとなんだけどよォ」
「・・・・・・ワレ、あの白い鬼さんの手先なんか・・・?」
ようやっと、パウゼの言葉にナナシが口を返した。
白い鬼、が誰を指しているのかを理解して、パウゼは意味深な笑みを浮かべる。
やはり勘も鋭いし、頭の回転もそれなりらしい・・・立場さえ違ったら、きっと本当に良い友人同士になれただろう。
「違うぜ。俺は、『神』とも崇める尊いお方に仕えている」
けれども、それはあくまで現実ではない。
「・・・あの方の為なら、俺は何でもやるのさ」
「・・・・・・・・・・・」
本心からの言葉を言ってやれば、ナナシは余計に顔付きを厳しいモノとした。
1度、『主』自らが、アルヴィスのことでナナシには言及しているらしいから、パウゼが返答によってはどんな行動を取るのか理解したのだろう。
「いいから、早く答えてくんね? これから俺、報告しないとなんだからさァ」
しかし、それで怯えようが身構えようが、パウゼの知ったことではない。
パウゼの関心は、アルヴィスが着替えを済ませ身支度が調った状態であることと、アルヴィスをあんな裸同然の姿にしたのがナナシなのか、そうじゃないのかだけに尽きる。
何故なら、それによって――――――パウゼはナナシの処分を考えなければならないし、自分への『主』の評価が変わってしまう可能性があるのだから、結構重要だ。
いや、実際に報告した時点で『主』がどう判断を下すかにも拠るので、ナナシが命拾いするかどうかは微妙なところなのだけれど。
「・・・報告て、ここ圏外やで? 携帯なん、使われへ・・・」
「あァー俺様のは衛星(通信)なんだ。・・って、そんなんどーでもいいから言えよ。どっちだ?」
「そんなん、・・・」
何度も即して、ようやくナナシが答えようとしたらしい、その時。
「・・・・・・ゴホ・・・う、・・っ、・・」
パウゼの腕に抱えられていたアルヴィスの身体が、ビクビクと痙攣(けいれん)を始めた。
そして、アルヴィスの口から咳以外の呻き声が漏れ始める。
「・・・アルヴィス様?」
異変に気付き、慌ててパウゼが様子を伺えば。
今まで投げ出されたままだったアルヴィスの手が、心臓疾患でもあるかのように胸元に宛がわれ、辛そうに顔をしかめている。
「アルちゃん、苦しいんか!?」
ナナシも血相を変えてアルヴィスの顔を覗き込んでくるが、正直、パウゼには邪魔でしかなかった。
「退けっ!」
ナナシの顔を押しのけて、再度、吸入器を咥えさせる。
薬が効いていないのだ―――――早くちゃんと、吸わせなければ。
「・・・ごほっ、ゴホゴホッ、・・・ぐ、・・・」
そう思うのに、アルヴィスが激しく咳き込んで、それもままならない。
「アルヴィス様、頼むから―――――」
苦しげに首を振るアルヴィスを抑えつけ、パウゼは何とか口内へ必死に吸入器のノズルを突っ込み、プッシュ部分を押そうとした。
その、途端。
「・・・・・・・うっ、ぐ・・・・!」
ぐうっ、とアルヴィスの喉が鳴き―――――・・・ごぷっ、と濡れた音がしたかと思うと、喘ぐように開いた唇から、眼にも鮮やかな緋色の水が溢れてきた。
「っ!?」
アルヴィスの白い顎を真っ赤に染め溢れ出る液体に、パウゼもナナシも呆然として声も出ない。
「ごほっ、ゴホ・・・ッ、・・・ぐう、・・・っ、・・・!!」
後から、後から。
この場には不似合いなほど、鮮やかで眼に焼き付く『赤』がアルヴィスの口元を・・・顎を、首を――――――そしてパウゼの手を、染めていく。
「・・・・・・・・・・」
その緋色の液体が、アルヴィスの命そのものであり。
それが流されれば流されるほど、彼の生命が危うくなっていくのだ――――――と、頭では理解していながら。
「・・・・・・・・・・・」
自らの手を伝う生暖かい血液の感触を味わいながら、パウゼは目の前と対象的に、頭の中が真っ白になって何も考えられなくなっていた――――――――――。
NEXT 76
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言い訳。
トム様だそうとして頑張ったんですが、やっぱり出すまで書いたら長過ぎるので今回は此処で切ります(爆)
次回は絶対、トム様出します・・・!(笑)
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