『君のためなら世界だって壊してあげる』




ACT 69 『真夏の雨−8−』



 

 

 ――――――・・・ふと気付けば、何も見えない真っ暗闇の中に居た。


 完全なる闇。

 周囲へ意識を巡らせても、何も視界に映らない。

 それどころか、身体自体が存在していないかのように、一切の感覚が無かった。

 手も足も、自分自身さえの感覚までがアヤフヤで、不確かなものに思える。


 ただ、ひたすら痛いと感じた。

 何処が、というのは明確では無く・・・おそらくは身体の末端部分から伝わってくる感覚なのだろうが・・・・果たして自分にそれらが備わっているのかは朧(おぼろ)なので、良く分からない。

 ただ、とにかく痛いと思った。

 ピリピリと表層部を刺激するような・・・内部からギシギシと骨か何かが軋(きし)んでいるような・・・異なる種類の痛みが、自分を襲っている。



 そして、それとは別に。

 何か、とても不快な感覚が自分の全身?を覆い尽くしていた。


 ―――――その不快さに堪らず、存在するのかしないのか分からない自分の四肢を蠢(うごめ)かそうとする。




 途端、剥き出しの神経に直接触れられたかのような衝撃にも似た、ビリッとした激痛が走り―――――――。











「・・・うぁ・・・っ、・・・!?」


 思わず声をあげそうになった途中で、・・・・我に返った。

 喉から飛び出た自分の呻(うめ)きが鼓膜を刺激して、靄(もや)の掛かっていた脳が、覚醒する。

 同時に、アヤフヤだった身体の感覚が一気に戻ってきた。


「・・・・・・・・・・」


 意識の戻りに即されるように、うっすらと目を開けば―――――誰かの顔が、間近にあるのがボンヤリと分かる。


「・・・・・!!」


 必死な様子で、その顔が何かを叫んでいた。


「・・・・ルちゃん!!」

「・・・・・・・・・」


 耳のすぐ傍なのだから、そんな大声を出さなくてもいいのに・・・・そう思って、顔をしかめる。

 大体、何をそんなに叫んでいるのか。
 まだ頭がグラグラして、視界も何故だか暗いから、今の状況が良く分からない。

 考えがまとまらないから、耳元で騒がないで欲しい。


「アルちゃん!!」

「・・・・・・・・・・」


 それなのに。

 すぐ傍にある誰かは、ちっとも黙っていてはくれないのだった。


「アルちゃん!!」

「・・・・・・・・・」


 本当に煩(うるさ)い。

 『アルちゃん』とは、何なのか。

 アルちゃん。・・・アルちゃん、・・・・・・・目の前の口が繰り返すその言葉を、頭の中で反芻(はんすう)して。


「・・・・・あ、・・・俺の・・・・」


 ――――――ようやく、自分の名が呼ばれているのだと気付く。

 『アルヴィス』という名前を彼はそのまま呼ばず、略した上に『ちゃん付け』して呼ぶのだった。


「アルちゃん!? 良かった、気がついたんやね!??」

「・・・・・・・ナナシ」


 聞き覚えのある関西弁を喋る青年を見つめ、何度か瞬(まばた)きを繰り返して。
 アルヴィスは、ようやく完全に意識を取り戻した。

 眼前には、嬉しそうな表情を浮かべた端正な顔がある。

 意識を失う前にも、最後に見たのはこの顔だった。


「・・・・・・俺・・足が滑って・・・・」


 咄嗟のことだったから、ハッキリとは覚えていないが―――――――アルヴィスは、足を滑らせて下の斜面へと落ちたのだ。

 雷鳴が轟(とどろ)き、雨の線が無数に光って浮かび上がる中・・・・・宙に身体を放り出されながら、此方に向かって必死に手を伸ばしつつ叫んでいる彼の顔を確かに見た。


「・・・・・・・・・」


 そこからの記憶はスッパリと途絶えているけれど、全身がギシギシと軋(きし)むように痛んでいるし、腕や足がピリピリとした痛みを訴えている。

 それらは、落下時に生じた打撲や擦過傷(さっかしょう)のせいだろう。
 全身を包むこの気持ちの悪さは、頭から足の先まで雨でズブ濡れになっているせいだ。


「・・・・・・・ここは・・・?」


 そこまで思い出して。
 アルヴィスは、自分が見覚えのない、薄暗い岩だらけの場所で寝かされていることに気がついた。

 とにかく薄暗くボンヤリとしか周囲が伺えないために、眼を凝らしてもナナシの姿とゴツゴツした岩肌が辛うじて見える程度だったが、土や草などの匂いが漂う独特の湿った空気と耳に届く小さな雨音が、自分たちはまだ屋外に居るのだと知らせている。


「よう分からんけど、ともかく雨避けな思って探してて見っけたんや。洞窟ーいうほどはデカく無いねんけど、雨宿りするには充分な穴やね」


 どうやら、ナナシが落ちたアルヴィスを見つけてここまで連れてきてくれたらしい。


「・・・・上から落ちたんは、覚えとる?」

「・・・何となく」


 ナナシの言葉に、アルヴィスはゆっくり頷いて見せた。

 首筋も傷めたのか、チョット動かすだけでもズキリと痛む。


「アルちゃんが足滑らした場所、ちょうど斜面がガバァ抉られとってなあ」


 ナナシはまるでこの場から、その場所が見えるかのように岩肌の天井へと視線を巡らせた。


「切り立った、崖みたいになってたみたいやねん」

「・・・・・・崖?」


 全く想像もしていなかった単語に、アルヴィスは再び眉を寄せる。


 登っていた山は、傾斜の緩い何てことのない低い山だった筈だ。
 ――――――それこそ、山というより丘と形容した方が相応しいような。

 だからこそ皆、ギンタの思いつきにもさして反対せず、準備も何も無いままに登ることを決めた。

 崖なんて、危険なモノがあるような山には決して見えなかったのである。


「登った側から見たら、小学生のガキでも登れるようなちゃちい山に見えたんやけどなあ。
 裏側は、結構切り立った崖になっとったみたいなんや」

「・・・・・・・・・・」

「ま、要は自分らが登ったバーベキュー場側と、その裏側じゃ山裾(やますそ)に段差があったいうことやね。裏側から見たら、自分らがスタートした地点は既に山の中腹やったいうことや」

「・・・・・・そういうことか・・」


 ナナシの説明に、ようやくアルヴィスも合点がいく。

 つまりは、自分たちが登った側から見たら低い山でも、その逆から見ればそれなりに標高のある高い山だったということである。
 そしてアルヴィスは、恐らくその裏側の方へと落ちたのだ。


「・・・・・・・・・・・」


 完全に油断だ。

 大した危険など有り得ないと、頭から思い込んでいたから――――――・・・滑落するかも知れないなんて、考えもしなかった。


「・・・・・・・・・・・」


 身体はあちこち痛むが、ともかく現状をちゃんと把握しようと、アルヴィスは無理に身体を起こそうとした。

 このままでは、ナナシの顔と薄暗い岩肌しか見えない。


「あ、・・・まだ寝とき? 急に起きん方がええ」


 そっと背に回されていた手で肩を掴まれ、それをやんわり止められる。
 アルヴィスはナナシに抱き抱えられるようにして、上半身を支えて貰いつつ横たえられた体勢にされているらしい。


「酷く痛むとことか、あらへん? いちお見た限りではヤバそうな傷は見当たらなかったけど・・・」


 そう労(いたわ)るようにナナシは問うてきて、それから申し訳無さそうな表情を浮かべた。


「ゴメンな。・・・ちゃんと庇うたつもりやったんけど・・・怪我させてもうた・・・」

「・・・?」


 庇った、という言葉にアルヴィスは首を傾げる。

 アルヴィスは一人で落下した筈で、・・・・そこに『庇う』という言葉が出てくるのは、おかしな気がしたのだ。

 ナナシが謝る謂われも無い。
 アルヴィスが勝手に足を滑らせて、落ちたのだから。

 けれどもナナシの謝罪は、まだ続いていた。


「夢中で抱え込んだんやけど、結構、斜面転がってまったみたいでなあ・・・そん時にやっぱ庇えきれんかったようや。堪忍な」


 色んな場所に切り傷あるし、打ち身もこさえとるみたいや・・・痛いやろ堪忍な、と済まなさそうに何度も繰り返す。


「・・・・・・・・・」


 だから何で、お前が謝る?

 そう問おうとして、アルヴィスはナナシの顔こそが傷だらけなのに気付いた。

 薄暗くて視界がハッキリしないから、今まで気付かなかったが・・・・・・・顔どころか、腕もそこかしこも、泥だらけの傷だらけだ。
 至る所に血が滲んだその姿は、アルヴィスなんかより余程重傷なのでは無いだろうか。


「・・・ナナシが、・・・・・痛っ、・・・」

「アルちゃん、まだ起きたら―――――・・・」


 ナナシの制止を無視して、アルヴィスは痛みを堪えて身体を起き上がらせる。

 上体を起こしたことで今までより視界が開け、周囲の様子をようやく自分の眼で確かめることが出来た。


「・・・・・・・・・」


 起き上がり、高くなった目線でナナシを見れば、やはり傷だらけなのが伺える。

 端正な顔にも剥き出しになった手足にも、そこかしこに水を含んだ土で汚れ、血が滲んだ細かい傷が見えたし、服も髪も泥だらけのぐしょぐしょだ。
 濡れて泥だらけな姿なのはアルヴィスも大差ないだろうが、傷は明らかにナナシの方が多いし、程度も酷い気がする。


「・・・・・・俺を、庇ってくれたのか・・・・?」


 先程のセリフと、今の彼の姿を見て導き出した答えを口にすれば、ナナシは小さく笑って堪忍な、とまた繰り返した。


「あんま、意味無かったみたいやけど・・・」


 その言葉はそのまま、肯定を意味する。


「咄嗟に腕掴んでアルちゃん引き寄せたまでは良かったんやけど、体勢考えんで手ェ出したから結局ジブンも落ちてまってなあ―――――・・・次の瞬間には、気ぃ付いたら斜面ゴロゴロ転がっとって着地成功も何もあらへんかった!」


 そう言って笑う口元も、泥と血で汚れていて痛々しい。


「そのまんま、ジブンも意識無うなってたみたいやねん。で、気付いたら横でアルちゃんが伸びたままやったさかい、・・・焦ったで・・・ホンマ」

「・・・・・・・・」

「けど、・・・目ェ醒めて良かった・・・」

「・・ナナシ・・・」


 そうやってアルヴィスを気遣ってくれる彼の方こそ、よっぽど傷が深いだろうに。
 彼はアルヴィスを見て、良かったと繰り返す。


「・・・・・・・・、」


 そんな彼に礼を言わなければと思うのに、言葉が出てこない。

 自分の身を挺して庇ってくれた彼に、ちゃんとそれ相応な感謝をと思うのに――――――ナナシの行為に見合うだろう言葉が、見つからない。

 ちゃんと伝えたい。
 ありがとう・・・すごく感謝していると伝えたいのに、・・・それが伝わるだろう相応しい言葉が頭に浮かばなかった。


「・・・・・・・・・」


 こういう時、ファントムなら――――・・・と思いかけて、アルヴィスはそれが酷く甘えた考えなのだと気付く。

 何も言わずとも理解してくれる・・・そんな人間が、ファントム以外にも都合良く居るわけがない。

 ファントムは、何故か昔からアルヴィスの気持ちを察するのが得意で。
 口下手で思ったことを上手く伝えられないアルヴィスが、困って彼を見上げるだけで・・・いつだって、アルヴィスの言わんとすることを汲み取ってくれた。

 彼が傍に居てさえくれれば、何も困ることはなかった。
 アルヴィスがファントムを見つめるだけで、事足りていたのである。

 それが幼い時も再会してからも変わらない、ファントムとアルヴィスの間だけで通用する『日常』だった。

 もちろんファントムと以外で、それが成り立たないのは、彼と離れていた12年もの間に痛感し理解していたし――――――彼以外の人間に、目で訴えて分かって貰おうと思っている訳では無い。

 伝えたいことはちゃんと、口なり何なりで意思表示をするべきだと分かっているし、ファントム以外の相手には口下手なりにそうしてきた。


 けれども、・・・・何故だろう。
 ナナシ相手になると、アルヴィスは途端に伝えたい言葉を見失いがちになる。


 ギンタなら、相手の反応を考えずに思ったことを言えば良いし。

 ダンナであれば、アルヴィスが思ったとおりのことを言うのを望んでくれるのが分かるから、やっぱり素直な気持ちで本音を口に出せる。

 その他の人間ならば、とりあえず自分が思ったことを口にしてみて、分かってくれないようならそれはそれでイイと思うから構わない。

 ファントムであれば、そもそもアルヴィスが自分で気付いて無いようなことまで先に理解してくれるような聡さだから、――――――言葉で伝えられなくても、困る前に助けてくれる。


 だけど、ナナシの場合だけはダメなのだ。

 ナナシには、・・・自分が言葉を発した後の反応までが気になってしまう。
 だから、迂闊(うかつ)な言葉は言えない。

 だけども当たり前だが、ナナシはファントムでは無いから・・・・アルヴィスがちゃんと言わない限り、思ったことは伝わらないのである。


「・・・・・・・・」


 すごくすごく、感謝しているのだと。
 庇ってくれるなんて、本当にどれだけ有り難うと言えば、その気持ちに報(むく)いられるだろうかと思っているのだが――――――・・・それを伝えるのにピッタリだろう言葉が見つからない。

 単にありがとう、と言うだけでは全然足りないのは分かっている。

 そんな足りない言葉だけを言ったなら、逆に礼を欠いてしまいナナシが気分を損ねるんじゃないかという気もする。

 だって、一歩間違えたら死んでいたかも知れないのだ。
 今こうしてアルヴィスが無事でいるのは、ナナシが庇ってくれたお陰である可能性はかなり高い。

 だけど、それをどう伝えればいいのかが分からないのだ。


「・・・・・・・・・・」


 ナナシがファントムみたいに、自分の気持ちを分かってくれればとつい思ってしまうけれど、それは甘えに他ならない。


「・・・・・・・・・・」


 こうして。
 アルヴィスが困った顔をしてナナシを見ていても、彼には何なのか良く分からないだろう。

 実際、ナナシは心配そうにアルヴィスの顔を覗き込んできた。


「アルちゃん、・・・寒い?」

「・・・・え、・・」

「真夏とはいえ、雨降っとるし日も暮れてきたみたいやしな・・・気温下がってきとる・・・寒ない?」


 言いながら、アルヴィスの頬に手の平を当ててくる。
 どうやら曇った表情を浮かべたアルヴィスを、寒がっていると思ったらしい。


「・・・・ッ!」


 そのナナシの手の方が冷えていて、アルヴィスは思わずビクッと身体を竦(すく)ませた。


「あ、堪忍。自分の手の方が冷たいやんな」


 苦笑して、ナナシがすぐに手を引っ込める。


「けど、・・・・このままこうしてたらマジで遭難やなあ・・・」

「・・・・・・・・・・」


 思い出したように呟かれた言葉に、アルヴィスもそれまでとは別意味で、深刻な面持ちになった。

 突然の土砂降りの雨に、慌てて動き回った挙げ句の滑落(かつらく)――――――・・・正規のルート?からは、大きく外れてしまったことだろう。
 一緒に登っていた筈のギンタ達からは、かなり離れた距離に居ただけに、彼らに発見して貰うのは難しい気がした。

 加えて、ここらは携帯電話の電波が届かない。
 従って電話で連絡を付けるのは不可能だ――――――・・・自力で下山するしか方法は無いだろう。

 しかも、滑り落ちたのが山の裏側であり、・・・登ってきた側よりもかなり、道のりも傾斜も厳しいだろうと思われる方を降りなければならない。


「・・・・・・・・・・」


 想像もしていなかった事態に、今の状況が夢であってくれればいいのに・・・・と、アルヴィスは現実逃避をしたくなった。

 ファントムに無断で、こんな遠くまで遊びに来て。
 山にまで登り、挙げ句の果てに遭難までしてしまった日には――――――・・・後でどれだけ、厳しい『約束』を取り付けられるか考えるだけでも怖ろしい。

 こんな風に危ない目に遭ったのを知られたら、冗談ではなく部屋に閉じ込められて・・・・・本当に暫く外に出して貰えなくなるかも知れない。
 実際ファントムには、事ある度に『○○したら、部屋に閉じ込めて飼うからね?』などという脅しを、半分本気混じりな声色で言われているアルヴィスである。


「見つけて貰えるとは思えないし、・・・自分で降りないとだろうな・・・」


 それらを思い出し、更に落ち込みながらアルヴィスは自分の見解を口にした。


「このまま、こうしている訳にはいかないだろう・・・」


 落ちた時に打ったのだろう、身体のあちこちがギシギシ痛む。
 力を入れた足首にもピキッと嫌な痛みが走ったが、それには構っていられなかった。

 何とか、その身体に更に鞭(むち)打って歩かなければならない。
 真夏とはいえ、山なら夜はかなり冷え込むだろうし、ジッとしていたら凍死しかねないのだ。

 山へ登る準備などは何も無い軽装で来ている上に、もう日が暮れかけているのだから、尚更急がなければならない筈だった。


「けど、・・・今日は無理や」


 立ち上がろうとしたアルヴィスを、ナナシがやんわりと押しとどめる。


「自分ら、灯りも何も持っとらんやろ? ・・・もう日が暮れる・・・今から外に出るんは、危険すぎる」


 言いながらナナシはアルヴィスから少し離れて、傍らに転がっている僅かな枯れ枝や葉を集め始めた。

 岩がゴロゴロしているだけの場所かと思えば、入り口から落ちた枯れ枝やら葉やらが、風に乗って吹き込み、多少は奥の方に溜まっているらしい。
 ナナシがそれらを両手で山にかき集め、懐からライターを取り出して火を点ける。

 小さなちいさな、僅かな風の揺らぎで消えてしまいそうな、細い蝋燭(ろうそく)に灯したような炎がナナシの囲う手の中で息づいた。
 たったそれだけの明かりで、薄暗い穴の中の様子が随分と伺えるようになる。

 幸いにも雨で湿ったりはしていなかったようで、枝や葉は勢いよく燃え始めた。
 だが、あくまでも明かり取りとしての役割しか果たして居らず、暖を取るほどの火力は無い。


「雨も降っとるし、・・・暗さで見えんでまた転がり落ちたら、今度こそ死ねるかも知れん」

「だけど、・・・」


 ナナシの言うことは、もっともだ。

 けれど、だからといってこのままでも居られないのが実状だった。

 2人とも、雨の中転がったせいでびしょ濡れであり――――――それでなくとも日が暮れかけて、真夏とはいえ気温が下がり・・・・酷く身体が冷えて、寒いのである。
 早く下山して、温かい場所へ行かなければ、・・・・凍えてしまう。
 着替えもないし、こんな暖の採れない場所にいたら、間違いなく明日の朝には冷たくなっている気がした。

 昼間のジメジメとした暑さがそのまま、湿気を帯びた寒さへと変化している。
 こうしている今も、寒さに身体の震えが止まらなかった。

 先程までは打ち身などの身体の痛みに気を取られ、寒さはさほど感じては居なかったのだが――――――今は、身体が冷えてくる感覚が1番辛く思える。


「・・・・・・・・・」


 急速に心細くなってきて、アルヴィスは途方に暮れて俯いた。


「アルちゃん、寒い? ・・・ちょお、待っててな?」


 そんなアルヴィスを宥めるように、ナナシがクシャリと濡れた髪を撫でてきて。
 それからやおら立ち上がり、また何か拾い始める。


「・・・・・・・?」


 黙ってナナシの行動を眺めていれば、彼は再び、穴の中に落ちている枯れ枝などの燃えさしを集めているようだった。


「こうして燃えるモン集めたら、多少は寒さしのげる思うんやけど・・・」


 言いながら、次々と拾ったモノを点けたばかりの火に投げ込み始める。
 果たして、火はパチパチと乾いた音を立てながら勢いを増して燃え始めた。

 一気に周囲が、明るいオレンジの光に満たされる。

 炎の勢いに、背中は寒いままだが照らされた顔や身体の前の方だけは、熱くさえ感じるほどだ。


「・・・・とりあえず、この火ぃと・・・雨防げるこの穴があったら当分は大丈夫そうやね」


 水は雨降っとるから、どうとでもなるし――――――そう言って、ナナシが笑顔を見せる。


「燃やすモン無くなるまでは、何とかなる思うから大丈夫やで、アルちゃん!」

「ナナシ、・・・」

「寒いやろけど、も少し我慢してな。じき温(あった)かくなる」


 たき火に照らされたナナシの顔が、やけに頼もしく思えて・・・・アルヴィスは自然と口元を綻(ほころ)ばせた。


「大丈夫やで。火が燃え尽きる前に、お日さん拝める思うし・・・明るくなりさえしたら、ちゃんと下山でける筈やから」

「・・・・・そうだな」


 ナナシの笑顔と元気づける言葉に、心細かった気持ちが少し浮上するのを感じる。

 優しい、見る者を安心させる明るい笑顔だ。
 きっと、ナナシが面倒を看ているという子供達も、こんな表情をしてくれる彼に懐いているんだろうな―――――・・・漠然と、アルヴィスはそんなことを考える。

 本当に、出来た人間なのだ。

 崖から落ちる自分を、ナナシだって死ぬかも知れないのに庇ってくれて。
 道連れに落下して・・・怪我までしたのに、今の状況に陥(おちい)った原因であるアルヴィスを、叱責することもしない。

 それどころかアルヴィスを気遣い、アルヴィスが不安なのだと思ったらしく、元気づけてさえくれる始末―――――・・・本当に、出来た立派な人間だ。


「・・・・・・・・・・」


  アルヴィスは、彼に何も・・・・勝手に自分の考えを押し付け機嫌を損ね、八つ当たりをしただけで。
 未(いま)だ満足なお礼ひとつ、何1つ返せてはいないのに。


「・・・・・・・・、」


 自分が不甲斐なくて、アルヴィスは黙って傍らにあるナナシの濡れた服を掴んだ。


「・・・アルちゃん?」

「・・・・あの、・・えっとその・・・」


 上手く言える自信は無いから、せめてとナナシの青灰色の瞳を覗き込むように目線を合わせる。


「・・・・・・・・・・・」


 キレイな、くっきりとした二重の・・・・切れ長な瞳。
 どちらかと言えば鋭いと思っていた印象の目は、間近で見れば、まるで草食動物のそれのように穏やかで・・・優しげに見える。

 透き通る青みがかった灰色の虹彩が、光に当てたビー玉みたいで、とてもキレイだ。


「あの、・・・さっきは・・・ありがとう。・・・助けてくれて」


 結局、色々と思い悩んだけれどもそれしか言うことは出来なかった。

 けれど、せめて感謝の想いだけは精一杯視線に込めて、ナナシを見つめる。


「俺の、せいで・・・いろいろ迷惑かけて・・・・ごめん・・でも、感謝してる・・・」


 そう言って、アルヴィスが僅かに目線を伏せた、その瞬間。


「アル・・・ちゃん・・・!!」


 不意にナナシが動いた。

 肩に手を伸ばされ、その手が思い切りアルヴィスの身体を引き寄せてくる。


「――――・・・!?」


 気付けば、アルヴィスはナナシに深く抱き込まれた体勢になっていた。
 鼻先を、ナナシの長い前髪が擽る。


「・・・・ナナシ?」

「・・・・・・・・・・」


 どうしたのかと名を呼んでも、ナナシはアルヴィスを抱き締めたままで微動だにしない。

 まるで、アルヴィスの声が聞こえていないかのようだ。


「・・・・おい、・・・ナナシ・・・?」

「・・・・・・・・・」


 息をするのが苦しいくらいの、きつい抱擁だった。

 アルヴィスが身じろいでも、びくともしない。
 それどころか、アルヴィスの動きを制するように片方の手がアルヴィスの後頭部に回される。


「・・・・・・っ、」


 アルヴィスの耳元で何かを堪えるような、ナナシの苦しげな吐息が聞こえた。

 次いで、ギリ・・・と歯を噛みしめるような音が聞こえる。


「ナナシ? どこか痛むのか・・・!?」


 心配になって、アルヴィスは押さえ付けられている頭を揺らし、拘束を解こうと藻掻いた。

 身体を襲う痛みに、パニックになって。
 意味無く、咄嗟に自分を抱き締めてしまったのかと思ったのだ。


「おい、ナナシ・・・どうなんだ!? 痛いのか!??」

「・・・・・・・・ちゃうよ、何処も痛くあらへん」


 再度の問いかけに、ナナシが詰めていた息を吐きだし・・・ゆっくりと、アルヴィスを抱き締める腕から力を抜いた。


「本当か? だって今・・・・」

「ホンマやって。どっこも痛いとこなんてあらへんねん」

「でも今・・・」

「なあアルちゃん、」


 尚も心配し、疑って掛かるアルヴィスの言葉を遮るように、ナナシが口を開く。

 いつもと違い、何処か深刻そうな響きが篭もった声音だった。


「アルちゃん、・・・自分な・・・」


 自然、再び視線を合わせることとなり、見つめ合いながらナナシが言葉を続ける。

 たった今まで浮かべていた苦笑も消して、真剣な面持ちで此方を見るナナシは、元が整った顔立ちであるせいか酷く迫力があって・・・・アルヴィスは、眼を反らせなくなる。


「自分、アルちゃんのこと――――・・・・」

「・・・・・・・?」


 アルヴィスは、ナナシの少し大きめで、形良く整った男らしい唇が動くのをただ黙って見つめていた―――――――。







 

 

 

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言い訳。
そーなんです、この章のメインは、アルヴィスにナナシさんと山で遭難して貰うコトだったのでs(殴)
ナナシさんもたまにはイイ思い?させてあげたいなーなんて思っちゃいまして(笑)
遭難中だけど、好きな子と二人っきり。
果たしてナナシの理性は持つんでしょうか!?(爆)
ていうか、2人ともズブ濡れだから服を何とかしないとなんですよねー。
ついでに真夏とはいえ夜半は冷えますから、暖まる必要もありますよねvv←
遭難して身体冷えてる時は、人肌が1番という話ですが・・・・・さてこの2人はどうするでしょうか。
いや実際それやっちゃったら、トム様が激しくお暴れにおなり遊ばしそうですけどもね・・・!(爆)