『君のためなら世界だって壊してあげる』




ACT 68 『真夏の雨−7−』



 

 

「アルちゃん! ・・・アルちゃん、ちょお・・待ってや!!」


 流石に息切れが酷くなり、そろそろ少し休もうか・・・とアルヴィスが思い始めた頃。

 いきなり耳元で自分の名を呼ぶ声がして、振り向く間も無くグイッと手首を掴まれた。


「・・・・何だよ、離せ」


 反射的に掴まれた手を払おうとしながら視線を後ろへ流せば、予想通り金髪の青年が立っていた。

 走ってきたのか息を弾ませており、汗だくになっている。
 アルヴィスの手を掴んだままの、ナナシの手も熱く湿っていた。


「・・・アルちゃん・・怒らせてもうたし、・・・一緒に歩くの嫌なんやな思たから・・・自分、ちょお離れて登ろう思たんやけど・・・・・・」


 背を丸め、片手を膝に置いた体勢のまま、息も切れ切れにそう言って。
 ナナシは、ようやっと顔を上げてアルヴィスの方を見た。


「・・・・・・・・・・」


 汗に濡れた精悍(せいかん)な顔が、やけに真剣みを帯びていて、アルヴィスは一瞬目を奪われる。


「やっぱダメや、放っておけん・・・・」

「・・・え、?」


 だからアルヴィスは、ナナシが渋い顔で続けて言った言葉の意味をすぐには掴めなかった。

 先程までの落胆した想いや憤りも束の間(つかのま)忘れて、ナナシの青灰色の双眸(そうぼう)をただ見つめ瞬(まばた)きを繰り返す。


「やってアルちゃん、明らかにオーバーペースや! 歩くの速すぎやねん」


 だが、ナナシの顔は真剣そのものだ。


「そのまんま登ってたら途中でバテて、帰れんようになるどころか上に登り切る前に座り込む羽目になってまうよ?」


 ほらもう、そんな息上がっとるし・・・・そう言って、ナナシはまた首を横に振った。

 どうやらアルヴィスのハイペースぶりを、心配してくれたらしい。


「・・・・息が上がってるのは、お前の方だろ?」


 けれど素直に、アリガトウと言う気にはなれず。
 アルヴィスは、未だ荒い息をしているナナシを見やってそう指摘した。

 心配してくれる気持ちは嬉しいが、アルヴィスだって小さな子供ではないから、自分のペースくらいはキチンと把握しているつもりだ。
 確かに今、多少息苦しくはなってきているし疲れも出ては来ているが、まだまだ元気だし何とも無いと言う自負がある。

 どれだけ走ってきたのか知らないが、膝に手を付き肩で息をしているナナシの方が、よっぽどにオーバーペースだ。


「そんな息切らして言われても、全然説得力無いんだが」


 背を丸め荒い息をする青年を、見下ろすようにして。
 呆れ顔でアルヴィスがそう口にすれば、ナナシは端正な顔に苦笑を浮かべる。


「・・・それは、しゃあないねん。自分、アルちゃんの姿見えんようなって暫く経つまで、先行くーって冷たく言われた場所から、一切動かなかったんやもん」

「・・・・・・・・」

「けど、アルちゃん歩くの随分早いなあーいうのは、後ろから眺めてて思っててん。ほんで、追いかけよかヤメとこか、暫く迷ってなあ・・・・・」

「・・・・・・・・・」

「――――ほんで、やっぱ気になるし、追いかけよ思うて・・・・そっから全力疾走したわけや!」

「・・・・・・・・・」


 アルヴィスが『先に行く』と言い放った場所は、ここからもう随分と離れている筈だ。
 そこからナナシは、此処まで走ったというのだろうか。

 バーベーキュー場傍にある、何てこと無い小さな裏山とはいえ・・・登るにはそれなりに傾斜があるし、道も悪い。
 走ってアルヴィスの所まで追いつくのは、容易ではない筈だ。

 それなのに彼はアルヴィスのことを気に掛け、登ってきてくれたのだと言う。
 暑い中、汗だくになりながら息を切らせて、走って来てくれたのだ。


「アルちゃんが怒っとるいうのは分かっとったけど、やっぱ気になって放って置けんかった」

「・・・なんで。どうして、・・・」

 額の汗を拭いながら苦笑いを浮かべて話すナナシに、アルヴィスは思わず声を零す。


「ん?」

「どうしてそんな、・・・俺なんかの、・・・走ってまでなんて、・・・・なんで・・・」


 アルヴィスの口をついて出る言葉は、どれも皆、中途半端で。
 譫言(うわごと)のように意味を成さない、何を言いいたいのかサッパリ伝わらないようなボソボソとした物言いになってしまった。


「・・・どうして、・・・そんな」


 『なんで』だとか『そんな』だとか、『どうして』という言葉ばかりを繰り返して、自分でも意味不明だ。


「アルちゃん?」

「・・・あ、・・その・・」


 ナナシが、アルヴィスの方を見て怪訝(けげん)そうな顔をしている。

 彼にしてみれば、一体何なんだと思うのが当たり前だろう。


「・・・・・う、」


 それはアルヴィスだって、分かっている。

 分かっては、居るのだが。


「・・・・・・・ナナシは、・・・なんで、・・・」





 ――――――・・・だって、俺のこと嫌ってるのに。

 俺のこと避けてるクセに、どうしてそんなことをする・・・・?





「・・・・・・・・・、」


 肝心要(かんじんかなめ)の、聞きたい部分が言葉に出来ない。

 訊きたいけれど、確かめたくない。
 知りたいけれども、認めて欲しく無い。

 こうしてずっと、胸の内に凝(しこ)りを抱えているのは苦しくて嫌だと思いつつ・・・それでいて、真実が突き付けられることを嫌がっている。

 だから今も、ナナシの口から本当のことを告げられるのが怖くて、・・・・最後までちゃんと言葉を続けられないのだ。

 どうしてナナシが息を切らしてまで、アルヴィスを追ってきてくれたのか。
 ――――――その真意は、知りたくて堪らないくせに。


「・・・・・・何でも無い」


 何も伝えられないまま、アルヴィスはただ傍に立つナナシから目線を外す。


「俺のことなんて、放っておけばいいのに・・・」


 言いたいのは、別のこと。
 でもそれが喉から発せられることは叶わず、ナナシには届かない。

 せめて、わざわざ走ってくるほど気遣ってくれたのだから・・・アリガトウと礼くらいは言うべきだろうと思うのに、それすらも言えないままだ。


「やって・・・気になったんやもん」


 けれどナナシは、アルヴィスのそんな態度を気にする風も無く眉尻を下げて、笑って見せた。


「・・・・・・・」


 その笑顔と声が、あんまり優しくて。
 アルヴィスは少しの間、ナナシの表情に魅入ってしまう。


「身体、ちゃんと労(いたわ)らなあかんよ? アルちゃん、喘息持ちやろ」

「・・・・!?」


 だが、次に言われた内容にそんな気持ちは一気に吹き飛んでしまった。

 アルヴィスの、持病を知っていたから。

 ナナシはそれを心配して、追いかけてきた・・・・?

 見かけに反して面倒見の良い所がある彼だから、喘息持ちのアルヴィスが具合でも悪くなったら大変だと、気に掛けてくれただけで。


「・・・・・・・・・」


 喉元に、何か重苦しい塊を詰め込まれたような気分になり。
 アルヴィスは、唇を噛んで押し黙る。


「・・・・ギンタに聞いたのか?」


 その後、取り繕(つくろ)うように開いた口から出た言葉は、自然とまた冷えたものになってしまった。


 大学内で、アルヴィスは自分の持病について口にしたことは無い。

 一応、校医にのみ説明は済ませてあるが、それ以外の場でアルヴィスが喘息であると明かしたことは無いのだ。
 発作で何度も学校を休んではいるけれど、その都度、風邪だとか何だとか適当に誤魔化してはいたし・・・ファントムにも余計なことは言わないように頼んである。

 だから、アルヴィスの持病を知る兄弟として育ったギンタが言っていない限りは、ナナシが知る筈も無いのだ。


「あー確かにギンタからアルちゃんが昔、小児喘息やったって話はこの前聞いたで?」


 アルヴィスの言葉に、ナナシが何か思い出すような表情を浮かべる。


「けど、自分がアルちゃんの喘息気付いたんは、ギンタに聞いたからやない」


 大体、小児喘息でやったら普通オトナになったら治るやん・・・そう言って、ナナシは言葉を続ける。


「アルちゃんが学校で、たまーにMDI使とるの見かけるねん」

「・・・・・えっ、!?」

「しかも、2種類使い分けしとるやろ? アレ、予防用のと発作止める緊急用のスプレーやねんな」

「・・・・・・・・、」


 ナナシの口から、MDIという単語が飛び出て、アルヴィスは驚きに目を見開く。

 MDIは気管支喘息の薬を吸入する為の、定量噴霧式吸入器の略称だ。
 ナナシが言うとおり、日常的に使用する予防の為のモノと、発作が起こった時に使う緊急用のモノがある。

 当然、患者やその家族など、実際に喘息症状に関わる人間以外はそう知らない筈の名前だ。
 アルヴィスのように、いつ発作が起こるか分からない患者は常に携帯し持ち歩いているもので、今だってパーカーのポケットに突っ込んである。


「・・・・・・・・」


 だが、どうしてそんなことをナナシが知っているのか。
 驚きの余りに言葉を失ったアルヴィスに、ナナシはあっさりと種明かしをしてくる。


「ウチで一緒に暮らしとるチビがな、やっぱりそれ、使うとるねん」

「・・・・・・・・・・」

「小児喘息で予防用のMDI使わせてるねんけど、それでもやっぱり風邪引いたーとか、騒ぎすぎて咳き込んだー言うては、ゴホゴホ苦しそうにしおってのー」


 その説明で、アルヴィスはようやく合点がいった。

 つまりナナシには、身近にアルヴィスのような喘息の患者が居たのである。
 それなら自分が咳をした時の様子や、たまに起こるゼェゼェという喉(のど)鳴りを聞いたり、MDIを使用しているのを目にすれば、すぐにピンと来ただろう。


「――――――やから、心配やってん」


 ナナシは、更に言葉を続ける。


「アルちゃんもちゃんと薬は使うとるんやろうけど、無理したら発作起こすんちゃうかなって」

「・・・・・・・・・」

「発作起こすと、もう見てられへん〜〜〜って思うくらいホンマ苦しそうやもんな。・・・アルちゃんがそんなんなったら大変やー思うたら、つい走っとった!」


 何とも無いみたいで安心した――――――そう言って、ナナシは屈託無く笑った。


「・・・・・・・・・・」


 その笑顔を見ていると。

 アルヴィスは何となく・・・勝手にナナシの心境を決めつけて、嬉しくなったり悲しくなったり怒ったりガッカリしたり・・・一喜一憂(いっきいちゆう)していた自分が、恥ずかしくなってくる。






 ―――――・・・そう、だよな。

 ナナシは口ばかりじゃなく、態度でまで俺を心配してくれるイイ奴なんだ。

 俺を追って、こんな汗だくになってまで登ってきてくれた。

 俺のこと避けてるかも知れないとか、そんなのどうでもいいじゃないか・・・!

 だって今、ナナシは俺と歩いていて、こうやって一緒に登ってくれている。

 ・・・・トモダチだって、思ってくれてるからだよな・・・?







「気にしてくれたんだな・・・・ありがとう」

「あー・・いや、ジブン昔っからお節介な質(たち)やねん・・・・、」


 表情を和らげてアルヴィスが礼を言えば、ナナシは少し照れたように頬を掻いた。

 そしてわざとらしくゴホン、と咳払いをしてアルヴィスより少しだけ先に立つ。


「ほな、・・・無理せんでゆっくり登ろ?」


 さっきと同じように、また差し出される大きな手。

 少し荒れた、働いている男の手だ。

 アルヴィスがその手を取ろうと、自分の手を伸ばし掛けたその時。

 ぽつ、と手の甲に水滴が弾けた。


「・・・・あ、」


 冷たい―――と思った次の瞬間には、後から後から、間断無く大粒の水滴が空から降ってくる。

 物凄い雨音と共に、剥き出しだった腕も頭も、Tシャツから何からあっという間にびしょ濡れだ。

 晴れていた筈の空を見上げれば、灰色の雲が速い速度で立ち篭めようとしている所だった。

 たちまち、辺りが薄暗くなってくる。

 大粒の雨が所構わず、シャワーのように身体を叩いて、その勢いに痛みを感じるほどだった。

 今までの天気の良さが、嘘のような変わりようである。


「アルちゃん、こっち!」


 余りに劇的な天荒の変化に呆然としたアルヴィスの手を、雨に濡れたナナシの手が掴む。


「とにかく早よう、雨防げるとこ急ご!」


 叫ぶように言って、ナナシはアルヴィスの手を引いた。

 引かれるままに、アルヴィスも走り出す。

 雨に濡れた草と湿った土のせいで、足が滑って上手く走れない。
 流石、山である・・・こんな豪雨に当たったのは生まれて初めてだ。

 元々、申し訳程度に道と呼べるような獣道だから、鬱蒼(うっそう)と茂った木々と顔を叩く激しい雨に視界が取られて、方向感覚が分からなくなってくる。
 今ナナシに置いて行かれたら、確実に迷子になれるだろう。

 何にしろ、こんな人気(ひとけ)の無い山で雨宿り出来るような場所があるとも思えず、探すだけ無駄なような気がしてきて。
 アルヴィスはナナシに手を引かれながらも、自然と足が鈍ってきていた。

 雨が体温を奪って、手足の先の感覚が薄れてくる。

 これだけ濡れてしまえば雨宿りも今更といった感が否めないし、彷徨(さまよ)い続けて体力を減らすよりは立ち止まってた方がまだマシじゃないだろうか―――――――・・・そんなことを考えつつアルヴィスが足を動かしていると、ナナシが急に声を上げた。


「あそこや! アルちゃん、あの木の根元!!」

「・・・・?」


 目に入ってくる水滴に片目を閉じながらナナシの指さす方を見れば、脇から大きく根を張り出しながら伸びている巨木があった。

 張り出した幹の部分がちょうど庇(ひさし)のようになっていて、雨を防げそうである。


「・・・・・・・・・、」


 ようやく、雨宿り出来そうな場所を発見して。

 僅かな間だったが、後で思えばナナシもアルヴィスも気を抜いてしまったのだろう。

 ホッとして、繋いでいた二人の手が弛んだその刹那。


「――――っ、!」


 新たに踏み出そうとしたアルヴィスの片足が、ずるりと滑り・・・・そのままバランスを崩して身体が横の方へと傾いた。

 繋がっていた手も、その勢いに離されてしまう。

 そして、次の瞬間。


「!!?」


 あろうことかアルヴィスの身体は、突如、宙へと放り出されたのだった。


「アルちゃ・・・・・!!?」


 薄暗くなっていた筈の山中で、何故かハッキリと浮かび上がるナナシの驚愕(きょうがく)した顔と、伸ばした自分の手がアルヴィスの眼に焼き付く。

 何が起きたのか、分からなかった。


 頭の中が、真っ白になる。



「・・・・・・・・・・」


 青白く輝く無数の光の線と、激しい風音、黒々とした葉をざわめかせる木々・・・・それらを視界に収めたのを最期に、アルヴィスの意識は途絶えたのだった――――――。






 

 

 

 NEXT 69

++++++++++++++++++++
言い訳。
ようやっと、持って行きたい展開へと書き進めることが出来ました☆
そーなんです、この話ってアルヴィスに遭難して貰いたかったんですよねー!(爆)
でもなかなか、その展開に持って行けず、地団駄してました(笑)
今回何とか、アルヴィスに足を踏み外し落ちて貰えて(?)良かったです。←
次回は、・・・って此処で語っちゃうと種明かしになっちゃいますね。
ってことで、ナイショにしときます・・・(笑)