『君のためなら世界だって壊してあげる』 ACT 53 『-伏魔殿2-』 初めて彼を見かけた時は、―――――――生きた人形が歩いているかのように錯覚した。 それも由緒あるアンティーク品を取り扱うような店で、最奥のガラスケース内に陳列された・・・・目の玉が飛び出るくらいの値段が付けられた、ビスクドール。 抜けるような、と形容するのが相応しいだろう白肌に、服の上からでも分かる華奢な体つき。 青みがかった艶のある黒髪に縁取られた小さな顔は、天使はかくあるべき存在・・・と例に挙げたくなる程に、繊細で美しい。 けれど。 それはまるで、最高の技術を駆使して限界まで薄くうすく加工された――――――ガラス細工の器のようでもあり。 少しでも乱雑に扱えば、呆気なく壊れてしまうような脆さを伴ったキレイさだった。 言うなれば、自然界にそのままでは存在出来ないだろう美しさ。 彼の身を包む上質の衣服と同様、生まれ落ちた瞬間から大切に守り慈しまれ・・・・何不自由なく育てられてきたので無ければ、存在出来なかっただろう儚さを感じた。 花に喩えるのなら、蘭や薔薇――――――所謂(いわゆる)、温室育ちというヤツである。 いや、彼ほどの美貌ならば青いバラというべきか。 自然界には絶対に存在しない、青の色素を持ったバラ。 彼の存在は、まさに奇跡的だった。 ―――――――だが、本当に奇跡だったのは姿形だけでは無かったのだ・・・・。 「・・・・・・・・・・」 温室で風にも雨にも当てられぬよう、大事に育てられただろう青バラ。 恐らく、外には冷たい雨が降ることも、吹き荒(すさ)ぶ風があることも知らないだろう。 まさしく、高嶺の花で。 野ざらしのまま、誰に手を掛けて貰う事も無く生き延びてきた雑草みたいな自分とでは、育ってきた環境が違いすぎたから。 ――――――彼を、見かけた時。 本来ならば、こうして目にすることですら奇跡に近い事なのだろう・・・そう思ったのを、ナナシは覚えている。 そして。 人間という生き物が、物珍しいキレイな存在を見つけたら近づいて良く眺め。 あわよくば触れたい――――――と、思ってしまうのは極めて自然な心理であったから・・・・ナナシは彼に近づいた。 けれど最初から、友達になれたり付き合えたり・・・・そういった普通の人間関係を育めるという期待はしていなかった。 住む世界が違いすぎるだろうし、そもそも自分などは相手にしてくれないに違いない。 ただ、ちょっとだけ話が出来て。 小さく形良い唇から発せられる声が、どんな感じなのかを確かめて。 遠目からでも酷く印象的な、その深い青の瞳が・・・・近くで見ればどれ程に美しいのかを堪能出来れば・・・・・。 それで、出来たら今宵限りのデート&少しの報酬が頂ければ御の字だ―――――――そんな風に考えながら、彼に近づいた。 そうして、・・・・知ったのだ。 希有な青いバラは、単なる温室育ちじゃないことを。 空調も土質も、陽の光ですら完璧にコントロールされた守られた空間より・・・・風が吹き荒れ砂混じりの痩せた土でも、自然の光の下を好む素朴な花であることを。 栄養が少ない痩せ細った土の僅かな養分や、物陰のせいでほんの少ししか当たらぬ日光を・・・・我慢ではなく恩恵と受け取り、素直に喜ぶ花だということを。 ―――――――ささやかな幸せに、素直に感謝出来る心の持ち主。 偽善でも何でも無く、・・・心から素直にそう思える存在。 姿形のキレイさより、その心こそ美しいと。 その時にナナシは、深くそう思ったのだ―――――――。 「・・・・・・・・・・、」 しかし、青いバラはその希少性と美しさ故に――――――悪魔の温室に囲われている。 魔王が執心し、愛でる花。 堅固な檻に閉じ込められ、姿は見えるのに触れることは叶わないのだ。 その瑞々しい美しさを、眺められる程の距離にあり。 手を伸ばせば、触れられそうな近さにあるというのに。 格子の隙間から手を入れる事が出来たなら、その薄い花弁を撫でる事は可能だろうに。 「・・・・・・・・・・・」 高嶺の花なのだと、・・・・・元から手に入らぬ花なのだと最初に思った筈なのに、気付けば諦められない自分が居た。 どうしても、・・・・・欲しかった。 見た目の、脆く儚げで温室育ちの弱々しい美しさを裏切る――――――純朴で飾らず、凛とした強さを持った、心根の真っ直ぐな彼が。 彼こそ、荒れ果て投げやりになった自分の心を癒してくれる、運命の花だと思った。 やっと見つけた・・・ずっと欲しいと願っていた花だ。 ――――――・・・諦められない。 後で魔王に、どんな身の毛のよだつような制裁を受けようと。 自分や周囲が、どれだけの苦しみを与えられようと・・・・・・・・彼が手に入るというのなら、全てをかなぐり捨てて連れ去りたい・・・そんな激情に駆られる。 ―――――――それくらい、欲しいと思った。 「・・・・・・・・・・・っ」 しかし、花は魔王の温室で深く根を張り・・・・その根には大事な花が勝手に持ち出されぬよう頑丈な鎖が絡められている。 ナナシがその花を手に入れるには、花を手折るしか術は無かった。 だが手折れば当然、・・・・花は長持ちしないのだ。 水をやり、せっせと世話をしたとしても――――――根を無くした不完全な花は弱り、やがては枯れてしまうだろう。 本物の太陽を浴びせたとしても、それは変わらない。 紛い物の光より、本物の太陽を浴びせてやりたいと思うが、それで花が生き続けられる筈も無い。 彼本人が幾ら、僅かでも本物の光を浴びたいと願っていたとしても・・・・所詮、青いバラは自然界の厳しい環境では生きられない花なのだ。 ―――――――ナナシが、その花を強引に盗み出せば・・・・・・結局は花も何もかも、全てを失う事になる。 「・・・・・・・・・・・・・・・」 やっと見つけた、自分が心から欲しいと思う大切なモノ。 けれどそれを手に入れるのは不可能で、余計な足掻きをすれば大事な仲間達までが危険に晒される事となる。 「・・・・・・・・・・」 こんな。 理不尽な脅しに屈して用件を飲むのは、腸(はらわた)が煮えくりかえる程に我慢がならず。 納得など絶対出来ないし、こんなに諦め悪く食い下がるのは生まれて初めてだという程、彼に拘りまくっているのだが――――――ナナシの、ファントムへの返答の選択肢は、たった1つしか残されていなかった。 「〜〜〜〜〜〜っ!」 悪魔に屈服し、頭を下げてお目こぼしを願う事しか、・・・である。 長いものには巻かれろ・・・・・そういうスタンスで、のらりくらりと生きてきた。 人間の世界も動物界と同じで、生まれついての環境で支配する側とされる側というモノが決まっている。 トラにネズミが敵う筈は無いし、クジラにプランクトンが敵う筈も無く―――――――捕食されても当然で、誰も気にしないし救おうなどと思うヤツもいない。 人間界は表向き弱者に対して優しいが、ひと皮剥けば動物社会の弱肉強食と殆ど変わらない・・・・1歩混沌とした闇社会へ足を踏み入れれば、弱き力のない存在は強者に媚びへつらい言いなりにならなければ、生きていけないというのがセオリーだ。 割り切れない感情も、様々な理不尽さも。 力関係を計っては、ある時は押しつけ、またある時は押しつけられながら。 それでも何とか、自分が大事にしているモノだけは守りきって・・・・・そうやって、生きてきた。 手に入らない時は縁がなかったのだとスッパリ諦め、割り切って生きてきた。 それが恵まれない環境で育ってきた自分の処世術だったし、唯一の生き延びる手段でもあった。 だから今だって、―――――どう行動しなければならないのかは、理解していた。 「・・・・・・・・・・・、」 今、ナナシの目の前に居る男は、闇社会の頂点近くに座している存在なのに違いない。 ナナシにはもう、他に選択肢が残されてはいなかった。 例え、今まで生きてきた中で最大限に納得出来ず。 諦められない事だったとしても・・・・それでも、言うべき言葉はたった1つだった。 「・・・・から、」 「え? なあに? 良く聞こえないなあ・・・」 ナナシの血を吐くような思いで振り絞った返答に、笑いを含んだ声音が発せられる。 「っ、・・・言わんから!!」 「―――――――・・・何を?」 気怠げにテーブルに片頬を付いた、ファントムに向かってナナシは必死に言い募った。 「アンタの事はアルちゃんには言わん! 今日のことも何ひとつ口にせんと約束する・・・!! やから、関係無い奴らに手ェ出すんだけは・・・・!!!」 自分が。 ナナシが、折れるしか無かった―――――でなければ、皆殺しにされてしまう。 「・・・・・・・頼む、仲間達に手ェ出さんと約束してくれ・・・!!」 「・・・・・・・・・・」 面白そうに此方を眺める、銀髪の悪魔に頭を下げる。 己が抱えている、大切な存在たち。 何の罪もない仲間達に手を掛けられるのだけは、・・・避けなければならなかった。 ずっと一緒に育ってきた、掛け替えのない仲間達だ。 自分がどんな目に遭ったとしても、何が何でも守り抜きたい『家族』たちだ。 それに、アルヴィス自身に何か危害が及ぶのも避けたかった。 ――――――所詮(しょせん)、アルヴィスとの出逢いは神様の気まぐれ。 泥にまみれて生きている自分に、束の間見せてくれた美しい幻。 この手に触れたいと・・・掴み取りたいと願ったのが、間違いだったのだ。 花は温室の中で枯れることなく、その姿を健やかに保って咲いている・・・・今はただ、それだけでいい。 無理に盗み出し、その形を歪め枯らすことになってしまえば――――――ナナシはそれこそ一生後悔することになるだろう。 そうなるくらいなら、幾らでも自分がプライドでも何でも捨てて、犠牲になりたい。 それで守れるのなら、この男に土下座でも何でもしてやろう。 誇りだとか矜持(きょうじ)だとか・・・そんなのに拘って大切なモノを失うくらいならば、屈辱に胸が焼け付くみたいに痛むとしても――――――・・・耐えてみせるから。 「・・・・・・・・・」 しかし、目の前の片手で頬杖を付いた男は物足りなさそうにナナシを見やり、溜息をついた。 「ねえ。ちゃんと僕の話を聞いていた? ・・・そんな言葉だけじゃ全然、足りない」 「・・・・・・・・・・・!」 これ以上、何を言わせようというのか。 それこそ土下座しての平謝りでも望まれているのかと、ナナシは身構えたが。 目の前の悪魔は退屈そうに、小さなアクビを1つして見せただけだった。 「ああもう、・・飽きてきたよ。好みじゃない顔ずっと見てても楽しくないし・・・帰ろうかな・・・」 ふわぁ、とまた1つアクビをして。 ファントムはアクビのせいでうっすらと涙が浮かんだ瞳を、ナナシに向けた。 端正な顔に浮かべた表情は眠たげで、見ようによってはあどけなくすら見える。 けれどその瞳には、感情を伺わせない猫科の肉食獣のような―――――無機質で、此方の存在を一切認めていないかのような、冷たい色が浮かんでいた。 きっと彼の目には、ナナシはそこらに置いてある物と同じ程度にしか映っていないのかも知れない。 このまま話は中座して、ファントムは自分で口にしたとおりに立ち去るのかと思われたが。 「でも、・・・帰る前にこれだけは承諾して貰わなくちゃね」 気怠そうに、そう口を開いた。 「―――――アルヴィスに近づくのを禁じる」 一国の主が、呼び出した平民に命令を下す時のような・・・ぞんざいな口調だ。 「物理的にも、精神的にもね。・・・ホントは、アルヴィス君とキミが同じ空間で息を吸うのだって我慢ならないけれど、まあそこら辺は許してあげるよ。キミ、一応それなりに苦学生?してるみたいだし―――――・・・大学卒業できない事になったら、カワイソウだからさ」 言いながら、口の端だけを吊り上げて微笑する。 「・・・・自分がアルちゃんに近づかなかったら、・・・アンタもこっちに手ェ出さんのやな?」 眼力だけで人を殺す事が出来るのならば、いっそ死んでくれとばかりにナナシはファントムをキツク睨み付け。 確かめるように、言葉を発する。 この悪魔は酷く狡猾で、油断がならない。 此処できちんと言質(げんち)を取っておかねば、約束は単なる一方的な不公平極まりない取り決めとなってしまうだろう。 「うん」 そんなナナシの心理を知ってか知らずか・・・・間違いなく分かっているのだろうが、ファントムはアッサリと軽く頷いた。 「僕だって面倒な事はしたくないし。・・・キミがそうやって聞き分け良くしてくれてるなら、敢えて何かする必要は無いよね」 「・・・・・・・・、」 その言葉に、ナナシはほうっと安堵の吐息をつく。 どんなに軽い物言いであろうと、肯定した以上は約束は約束だ。 これで、ナナシがアルヴィスに近づきさえしなければ、仲間の安全は守られるだろう。 ――――――そう、最初から。 あの出逢いは、夢だったのだと・・・・思えばいい。 初めから無かったのだと思えば、きっと・・・・。 最初から何も始まっていなければ、何も起こらないで済むのだ。 そうすれば。 事態は何も、 変 わ ら な い ・・・ 。 「忘れないでね。・・・・自分が言ったこと」 僅かに気を抜いたナナシに、ファントムの静かな声が掛かる。 ナナシがハッとして顔を上げれば、長い前髪の隙間から深い紫色の瞳がじっと此方を見据えていた。 右目は銀糸の髪に隠されていて、見ることは出来ない。 ナナシには隻眼しか見えていないのに、魂ごと凍らされてしまうかのような鋭い光を湛えた瞳だ。 実際に悪魔が居たならば、きっとこんな目をしているに違いない。 いや、大昔に『邪眼』などと呼ばれ畏れられたのは・・・・こんな眼を持った者の事だったのでは無いだろうか。 視線だけで、本当に命を奪えてしまえそうな眼だ。 「大学の中でなら、僕が見えないから大丈夫・・・とか思ってたら大間違いだよ? 僕はいつだってアルヴィス君のことを見ている」 「・・・モノホンのストーカーやな。・・・いつか掴まるで・・・?」 だが、この男はその気になったら本当にするのだろう。 ――――――もちろん、法律に罰せられる事も無く、巧妙に。 「やだなぁ」 目の前の悪魔が、楽しそうに笑い声を立てる。 「ストーカーじゃなくて、僕はアルヴィス君の王子様だよ? ・・・王子様はね、お姫様を守る為ならば何だってするんだ」 ――――――それこそ、悪いドラゴンだってやっつけないとだよ。 いけしゃあしゃあとそう言いながら、ファントムは頬杖を解き。 片手でもう片方の握った拳を包み込むような、妙な手つきをして見せた。 「・・・・?」 一体何の真似かとナナシが怪訝な表情をなったのを見て、ファントムが意味深な笑みを浮かべつつ、そっと手を開く。 「・・・・・、!?」 その手には、いつの間にか1枚のカードが握られていた。 トランプよりも少し大きめな、地面に倒れた男に夥しい数の剣が突き刺さっている不気味な絵柄のカード。 ナナシが見たこともない絵のカードだが、形状から言って占いなどに使うタロットカードのようである。 「約束を破ったら・・・これがキミの運命だよ、ナナシ」 1本だって致命傷だろうに、10本もの剣に背を突き刺された男は既に息絶えているだろう構図のカードを、ヒラヒラとナナシに翳して見せ。 ファントムは、楽しげにそう言ってきた。 「ちなみにコレはUpright-アップライト-(正位置)だからね。Reverse-リバース-(逆位置)の意味じゃないよ」 「・・・・・・・・・・・」 ナナシは、タロットカードにさして知識は無かったが、カードの位置が正しいか逆さまかで、意味が全く異なる解釈をされる事くらいは知っていた。 ファントムが口にした『アップライト』は『正しい』とかの意味だから、つまりは剣に突き刺さった不気味な図柄通りに意味を解釈しろと言っているのだろう。 「・・・・・・・・・・」 要するに、言いつけに逆らったら命は無いと言いたい訳だ。 「・・・・ワレ、手品師やったんかい」 内心ゾッとしつつ、怖がっていると悟られたくなくてナナシは嘯(うそぶ)いた。 本当は、何も無い空間から突如現れた事とカード自体の気味悪さに、何とも言えぬ恐怖感がジワジワと身体に浸透して来つつある。 ファントムが見せたのは、マジシャンが良くやる初歩的なマジックの一種だろうし・・・カードは所詮カードであって、それに何ら超常現象を起こすような効果など無いと分かっているのに――――――――心に巣くった強烈な不安感が拭えなかった。 本当に、・・・・魔法を使われたような。 ファントムならば、幾らでもそういった不可思議な仕業をしでかしてもおかしくない。 そんな錯覚を、目の前の男は抱かせるのだ。 「随分と縁起悪そうなカードやね。けど、・・・・アンタが出すんやったら悪魔とか死神のカードの方が相応しいし、そっちのがメジャーやない?」 その錯覚を振り払おうと、ナナシは気丈に会話を続けた。 「それもタロットなんか? ・・・・自分に脅し掛けるつもりやったら、そんな不気味は不気味でも訳分からんカードより、悪魔とか死神の絵が付いてた方が効き目あったわ。残念やったな!」 「・・・・ふふっ、」 目の前で、悪魔がカードを手にしたままニッコリと機嫌良く笑う。 本当に顔だけは神々しい程に美しく、そうして笑った顔など天使のように無邪気にすら見えた。 「だって、The Devil(悪魔)やThe Tower(塔)・・・そしてDeath(死神)は解釈が生温いんだよね。・・・だから、このsword(剣)の10が僕はお気に入りさ」 このカードのUprightは、とっても救いよう無いくらい悪い意味だからね――――――眼前の、天使と見紛う美しい青年はそう言葉を続ける。 「・・・不運、哀しい出来事、困難な事態、悲観、悲痛、窮地に苦痛、そして終焉。・・・・ね? 素敵な意味の言葉ばかりでしょう?」 「・・・・・・・・・・」 けれど、その中身は間違いなくドス黒い闇に染まった魔王そのものなのだ。 物騒な単語を並べ立てた悪魔は、とても楽しそうである。 「だから、そうなりたくなかったら――――――・・・自分の言った事は忘れないようにね」 言いながら。 ファントムはカードを持った手を隠すように、また逆側の手の平で自分の手を覆う。 そして本物のマジシャンの如く、鳩でも出すかのようにパチリと指を鳴らして見せた。 次の瞬間。 「・・・っ、・・!??」 ナナシの眼が、限界まで大きく開かれる。 先ほどのカードが現れた時など、比較にならない程の衝撃だ。 思わず、自分の眼を疑う。・・・・まさか!? 「・・・・・・・・・・」 「ジョークで言っているつもりは無いよ」 言葉を失い、その場で硬直したナナシに、銀色の悪魔が悠然とした様子で声を掛けて来るが反応出来なかった。 「・・・・・・・・・」 眼が、ファントムの手の中の物体に吸い付けられて、・・・・視線が外せない。 「アルヴィス君に近寄ったり手を出したりしたら・・・死、あるのみだ」 「・・・・・・・・・・」 「絶対、殺すから」 ファントムの手に握られた、黒光りする物体。 手の平に握り込めそうな、小さな鉄の塊だ。 けれどそれは、ナイフなどよりずっと殺傷力のある、危険な武器で・・・・モデルガンのような玩具などでは無く・・・れっきとした拳銃なのだとナナシは理解していた。 取り締まりが厳しく、そうおいそれと手に出来る筈のない武器をファントムはいとも簡単にナナシの前に取り出して見せたのだ――――――――。 「・・・・・・・・・・」 驚きに声もなく、その場で固まっているナナシを見て。 ファントムは、そっとナナシに向けていた銃口を逸らせ・・・先ほど突然出現させた時と同じに、拳銃を何処(いずこ)かへと消し去った。 「フフ・・・大丈夫だよ、今は撃たない」 「・・・・・・・・・・」 「けれど、その頭にいつ風穴が開くかは分からないから、・・・気をつける事だ」 「・・・・・・・・・・」 思わず見とれてしまう程のキレイな顔に微笑まれても、少しもナナシの心は弛まなかった。 どんなに美しく、天使のような微笑でも――――――ひと皮剥けば、その本質は狡猾で残忍な悪魔そのもの。 人を人とも思わぬような、数々の軽口めいた残酷な言動は全て、本気なのだろう。 この男は、アルヴィスに近づく者に一切容赦する事なく、その爪と牙で嬉々として引き裂くのだ。 アルヴィスに近づけば、間違いなく自分諸共に関係した人間全てが、抹消される。 ――――――約束だよ? 妙に耳に残る声音で、そう繰り返されるのを。 ナナシは激しい眩暈を感じ、意識が遠のきそうになりながら、その意識のそこで聞いていた・・・・・・・・。 呆然と固まったまま、微動だにしない男を捨て置いて。 ファントムは席から立ち上がるとそのまま、隣接されている個室の方へと足を向けた。 実はナナシとの会食をセッティングする前に、ファントムはアルヴィスを連れて元々このホテルに食事に来ていたのである。 食後、体調を崩し掛けていたアルヴィスに睡眠導入剤と解熱効果のある薬を飲ませ・・・彼が眠ったのを確認してから、ファントムはナナシに指定した隣室の方へと出向いたのだ。 「・・・・・・・」 今までいた個室と同様に、中央に丸テーブルがある部屋の隅に置かれたソファにそっと近寄る。 その傍らに立っていた長髪の男が、静かに礼をして脇に下がった。 「良く眠っております。・・・熱も下がったようです」 「そう。・・・良かった」 脇に控えた男・・・ペタの言葉に僅かに表情を弛ませ、ファントムはソファで眠っている青年の傍にかがみ込む。 「うん、・・・熱はもう無いね。薬効いたかな・・・話はもう終わったから、帰ろうか」 眠る青年の頬に軽く触れ確かめながら、そう呟いて。 ファントムは青年に掛けられているブランケットごと、器用に彼の身体を包み込んで抱え上げた。 「あの男はどうしますか?」 抱き上げたまま、部屋を出て行こうとするファントムに、ペタが声を掛ける。 「んー・・あのまま放っておいていいんじゃないかな。自分でココまで来たんだし、帰れなくはないだろうし・・・なんか気が遠くなってるみたいだけど、その内正気になるんじゃない?」 目線は抱き抱えた青年に落としたまま、ファントムはどうでも良いことのように答えた。 実際、言いたいことは伝えたから、この後にナナシがどんな状態になっていようとファントム的にはどうでも良いのである―――――――アルヴィスにさえ近づかないのであれば。 「放っておけばいいよ。・・・それより、早くアルヴィス君ベッドに寝かせてあげたいから、車出して、ペタ」 「分かりました」 自分の言葉に頷き、車を用意する為に先に部屋を出た男を見送って。 ファントムは眠る青年を抱えながら優しくその頭を撫で、アルヴィスの髪にキスをした。 「・・・・安心してねアルヴィス君。アルヴィス君に付きまとい掛けてた悪い虫は、僕がちゃんと追い払ってあげたから」 そして、青年を起こさない静かな声音で甘く囁く。 「だから大丈夫だよ。もしまた付き纏うようなら・・・・・・僕が、叩き潰してあげるからね」 囁いて、クスクス楽しそうに笑い声を立てる。 その顔に浮かぶのは、ナナシと話していた時とはまるで違う、とてもとても機嫌が良さそうな・・・極上の笑みだ。 声音も酷く甘い。 「キミのことは、僕が全て守ってあげる。大事に大事に―――――・・・全部しまっておいてあげるから」 誰にも、指1本・・・髪の毛ひと筋だって触れさせないよ。 ・・・・うっとりとそう呟く表情は、声と同様にとても甘く優しくて――――酷く幸せそうなものであった・・・・。
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