『君のためなら世界だって壊してあげる』




ACT 52 『-伏魔殿-』








 辺りには、ゆったりとしたピアノ演奏の音が流れ。

 高い天井にはキラキラと目映い、シャンデリア。

 大きく取られた窓からは、遙か下に街の明かりが散在し・・・・凝った作りの窓枠と重そうな刺繍が施されたカーテンが、その夜景を一幅の絵画のように引き立てている。

 飛び跳ねても、物音ひとつ立てないだろう分厚い絨毯(じゅうたん)に、一目で高価なアンティークと分かるテーブルに椅子・・・・・・・・・美しい柄布と真っ白な布の二重がけにされたテーブルクロスの上に並べられた料理を見るまでも無く、此処が超高級なレストランであると誰もが感じることだろう。

 その、レストランに設けられた個室のひとつで。
 ゆったりと椅子に腰掛けつつ――――――グラスに満たされた、赤く透きとおるような液体を微かに揺らしながら。


「やあ」


 此方を見るなり、銀髪の青年は楽しげに微笑んだ。


「さっきぶりだね。とりあえず、座りなよ・・・」


 そう言い、手で差し招く姿はまるで、王侯貴族のようにサマになっている。
 顔の作りが恐ろしく整っているから、どんな高級な場所でも似合ってしまいそうだ。

 まあ実際、育ちもいいのだろうが。
 襟ぐりに特徴がある首元が大きく開いたデザインシャツに、光沢があるリネン素材の薄いグレーのジャケットは明らかにハイブランドの仕立てだろう。
 普段、自分が金持ち相手に如何に『それらしく見えるか』と、苦心して装っているから分かる。

 そんじょそこらのブランドの品ではない、一桁も二桁も違うようなハイクラスのブランド物。
 夕方に目にした、高級外車を乗り回す姿を見て無かったとしても、金に困るような生活とは縁遠いだろう事は簡単に分かる。


「・・・・・・・・・・・」

「夕食まだなら、何か食べる? ここの鴨肉は、結構美味しいからオススメだよ」

「・・・・・・・・・・・」


 そして。

 ああ、それくらい知っているよね――――――黙りこくって立ち尽くしたままの自分・・・ナナシに、しれっとそう言って来る辺りがかなりイヤミだ。


「・・・・ここ、来るのは初めてなんやけど? 好みの場所や無いし」


 暗に呼び出されなければ来なかったと、言いながら席に着けば、銀髪の美青年・・・ファントムは意外そうに肩をすくめた。


「そうなんだ? ・・・てっきり、色んな子と遊び歩いてるみたいだから・・・ここも行きつけなのかと思ったよ。ここは、彼女たちみたいな女性が好む場所だからね」

「・・・・・・・・っ!!」


 予想はしていたが、初っぱなからサラリとストレートな言葉をお見舞いされ。
 ナナシは思わず、膝上でテーブルクロスの裾を握りしめてしまった。












 ――――――今日という日は最高にツイていると思ったのだが、もしかすると最悪なくらいにツイていない日なのかも知れない・・・。












 ナナシにとって、生まれて初めての純愛と言える感情を献げられると思った存在、『アルヴィス』。

 運命的な出会い(なのだと、ナナシは固く信じている・・・)をし、けれど何処の誰なのかも分からないまま悶々と時を過ごして――――――――このままもう二度と逢うことは叶わないのかと、何故あの時にせめて名前くらい聞かなかったんだと後悔しまくっていたこの2週間あまり。

 今日ようやく、再び奇跡的な邂逅(かいこう)を果たして・・・・・・・ナナシとしては、もう絶対に、何が何でもアルヴィスと結ばれてやる!!! と、決意したばかりだというのに。
 大学で、アルヴィスを見つけた時の感動も冷めやらぬ内に、得体の知れない男にアルヴィスがキスされているのを目撃してしまった。


 アルヴィスと再び出会えた事も充分に衝撃的だったが、キスシーンは更に大衝撃である。

 しかも、悪い意味での衝撃だ。

 自分でも何をどう感じてるのか分からない程に動揺して、目の前が真っ赤に染まって。
 そのまま気付いたら、ナナシはアルヴィス達の前に飛び出していた。

 例えて言うなら、丹念に洗い上げた洗濯物に、真っ黒なインクでもぶっかけられてしまったような。
 大切に育て、やっと芽吹いたばかりの花を無造作に摘み取られてしまったかのような―――――とにかく、大切なモノが踏みにじられる事への激しい怒りを感じた。

 まだそんなに親しくなっていないから、アルヴィスとどんな関係なのだと詰め寄るのは早いと頭の中では分かりつつ・・・・2人の関係を問いたださねば、気が済まなかったのである。

 けれど、不埒(ふらち)にもアルヴィスに狼藉(ろうぜき)を働いた男は余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)な有様で。
 激昂したナナシの耳に唇を寄せ―――――・・・・口調だけは柔らかく、けれど毒液を流し込むかのように『ある言葉』を囁いてきた。









 ――――――アルヴィス君にも、お小遣い貰うつもり・・・?

 でもそんなの、僕が許さないから――――――。







 愕然として、弾かれるようにファントムを見返したナナシに。
 彼は艶然と微笑み、更に言葉を続けた。

 欠点が1つも見つけられない整った顔の中で、紫色の瞳が悪魔のように爛々(らんらん)と光りナナシを見据えている。






 ――――――キミがしてること、アルヴィス君が知ったらどう思うかな・・・?

 真っ直ぐな子だから・・・フフッ・・・きっと、とても驚くよね・・・・。






 耳元で囁かれる声は甘く、酷く優しげで。
 言葉を口にするファントム自身も、まるで世間話をするかのような穏やかな表情だった。

 しかし、言っている内容は全く違う。
 初対面の筈なのに、何を何処まで知っているというのか。

 この男は一体、何者なのか・・・・?

 その言い知れない不気味さに、ナナシは表情を強張らせた。

 ファントムは確実に、ナナシの『バイト』内容を知っている。
 隣でギンタが同様に凍り付いていて、恐らく彼もまたファントムに何か言われたのだろうと思ったが、それを気にする余裕も無い。

 そしてファントムは、ナナシ達が取るであろう態度を予期していたらしく、それ以上は先ほどの話内容に触れることはせず。






 ―――――――話がある。後で、ここにメールを。





 立ち尽くしていたナナシにそれだけ言うと、素早く小さなカードを手渡してきて。
 そのまま、少し離れた場所に居たアルヴィスを促(うなが)し、乗ってきた車で立ち去ってしまった。

 あくまで、ナナシが言うなりになるだろうと思っているらしい勝手な態度だ。
 ナナシは腹立ち紛れに、思わず渡されたカードをグシャリと握りつぶしたが。

 考え直して、ファントムの言うとおりに連絡してやる事にした。













「・・・・・・・・・・・・・」


 そして、現在(いま)に到る。
 ナナシがカードに書かれていたアドレスにメールをして、ファントムが指示してきたこの高級ホテルのレストランへと足を運んだのだ。





 ――――――去り際の命令口調の言葉にナナシは反発を覚えたし、それまでの短いやり取りもハッキリ言って不快なモノでしかなかった。
 言うとおりにするなんて、酷く癪に障る。

 無視を、決め込むべきだろうと思った。

 だが、・・・・・彼が一体何者なのか。
 アルヴィスと一体、どんな関係だというのか。

 そして何故、自分のことを知っている風だったのかが、やはりどうしても気に掛かる。

 ファントムとアルヴィスが去った後、やはり呆然と立っていたギンタに、知っていることをあらかた聞いてみたが彼も良く知らないようで、ナナシが欲しい情報は得られなかった。

 アルヴィスの幼なじみで医学生らしい・・・という説明だけでは、少しもファントムが何者なのか判明しない。
 自分が何も知らないのに、相手は自分の情報を知っているという状況はとても不愉快だった。

 相手が、ナナシの情報を手に入れていると言うのなら。
 こっちだって、せめてその相手が何者で、どういった理由から調べたのかくらいは知っておきたかった。

 更に、無視を決め込んで連絡をしなければ、尻尾を巻いて逃げたと思われかねない。
 アルヴィスと、これから新たに親密な関係を築きたいと願っているナナシにとって、それは耐え難い屈辱だった。

 ファントムが、アルヴィスに近づくなと牽制するつもりならば。







 ―――――――受けて立とうやないの・・・・!!





 そういう、男としての矜持(きょうじ)もあった。

 薄汚れ、野良犬のように他人の施しをアテにして、街を彷徨いて(うろついて)いた自分。
 そんな自分を叱り、そんなじゃ駄目だちゃんと生きろと――――――励まし、元気づけてくれたのはアルヴィスだ。

 キレイな外見だけじゃなく、清廉なその心意気にこそナナシは心打たれ・・・強く惹かれた。

 出逢ったのはたった数週間前の事だが、ナナシの今までの人生観を変えるのに充分すぎる程の体験だった。
 ナナシに生ぬるい溝(ドブ)の中から抜け出す気力を与え、冷たいけれど清浄な水で暮らす意志を持たせてくれたのは、アルヴィスである。

 そんな、身も心もキレイな彼が・・・・・・・・・・・あんな得体の知れない、初対面の人間を脅すような悪魔の毒牙に掛かるのは、絶対に見過ごせないと思ったのだ。
 言わば、魔王に囚われた姫君を助けに乗り込む騎士のような心境で、ナナシは指定の伏魔殿(ふくまでん)へと足を踏み入れたのである。










 厳しいドレスコードのある、高級ホテルの最上階レストランで、更に貸し切りの個室。

 庶民ならプロポーズとか、一世一代の人生での大イベントの時でも無ければ縁がないだろうゴージャスな場所だ。
 大奮発を覚悟しなければ、セレクトしないような店である。
 まして一介の大学生には、敷居が高すぎる。

 そんな場所を指定する辺りに、正体主の底意地の悪さがミエミエだ、と内心でナナシは悪態を付いた。

 けれど生憎と、ナナシはこういった店に疎い質(たち)では無い。
 テーブルマナーだって、こういう場所での立ち居振る舞いだって、堂に入ったモノである。
 流石にここまでの高級店に足を踏む入れた事は無かったが、伊達に金持ちのお嬢様方と遊んでいる訳では無いのだ。
 服装だって、それなりである。
 お嬢様方の貢ぎ物だが、有り余っている金を躊躇いなく使ってくれているだけあって、とても上等なスーツだ。

 そして彼女たちに気に入られる為には、それなりに上品にそつなく振る舞う事が要求されるから、こういった場所でもファントムが望むようなオロオロした態度だけは決して見せずに済むだろう――――――それなりに、場数はこなしている自信もある。










「・・・何、言うてるのか、わからんなあ・・・?」


 テーブルクロスを握りしめたいた手を離し、ナナシは椅子の背もたれに深く寄りかかった。
 食事する意志は無いと示す為、皿に乗ったままのナプキンには手を出さない。


「アンタが何を言いたいのか、自分にはサッパリ分からんわ・・・!」

「そう? 此処に来てくれた時点で、分かってるんだと思ったけど」


 笑みを消せば酷く迫力があると評判の、切れ長の瞳で相手を睨み付けながら、憤った感情を乗せてナナシが言葉を吐けば。
 悪魔のように美しい銀髪の青年は、相変わらず柔らかい笑みを顔に乗せたまま小首を傾げる。


「普通はさ、あれだけのやり取りじゃあ・・・僕と会おうと思わないよね。なのにキミは、此処に来た。それって、・・・・・」







 ―――――――キミにとって、酷く気に掛かることを僕が言ったからでしょう。

 ・・・どうして僕が、キミのことを知ってるのか・・・とかさ?





 さらりと、確信めいた言葉を口にして。
 ファントムは、じっとナナシを見つめてきた。

 天井から吊り下がるシャンデリアの光に、ファントムの銀色の髪がキラキラと反射している。
 銀色の髪に、とろけるような色合いのアメシストの瞳、白い肌。
 色素の薄い・・・天使とはかくなる者・・・と称したくなるような、神々しい程の美貌だ。

 けれど、冷たい。

 とても優しげな、甘い笑みを浮かべているのに――――――見つめている者の心の中で、陶酔してしまうのと同時に、その片隅で危険だと警鐘が鳴り響くような・・・・酷く落ち着かない心地にされる笑みである。


「・・・何を知っとる、言うん? 自分、アンタの事、よう知らんのやけど・・・・?」


 自然、きつくなるナナシに口調にもファントムはまるで気圧される風は無かった。


「安心してよ。・・・他人のプライヴェートに、そう興味は無いから」


 そう言いながら、銀髪の青年は傍らの席に置いていた大きめの封筒を手にし――――――――それを、ナナシの方へ差し出してくる。


「・・・・・・・・・・」


 無言でそれを受け取ったナナシを見つめ、ファントムは持っていたグラスのワインを一息に煽った。


「僕が知ってるキミの情報は、その程度だよ。だから安心して?」

「・・・っ、・・何や、これっ!??」


 即されるままに封筒を開け、中の書類を目にした途端、ナナシの顔は強張った。


「・・・・・・・・・・、」


 びっしりと文字が打ち込まれた数十ページにも渡る書類と、数十枚の写真。

 それらはナナシの生い立ちであり、幼い頃からの孤児院での暮らしぶりやら交友関係、そして現在の行動範囲に到るまで、ほぼ全ての情報が網羅されていた。


「調べさせる気は、無かったんだよ?」


 呆然とするナナシに、ファントムがそう声を掛ける。


「でもね、キミがアルヴィス君に接触するというのなら―――――・・・やっぱり知っておきたいから」

「・・・・アルちゃんと自分、ちゃんと逢ったのは今日が初めてやで!??」


 この膨大な量のデータを、どうやって調べたというのだろう。

 確かにアルヴィスとナナシは、今日が初対面では無い。
 だが言葉を交わしただけであり、名前だって今日大学の食堂で会うまで知らなかった。

 車で帰る間に、アルヴィスからナナシのことを聞き出したにしたって、アルヴィスは自分より1つ年上な事と名前しか知らない筈である。
 そこからどうやって、―――――几帳面な書類を見るに、恐らく興信所などに依頼したのだろうが――――――この短時間に此処まで調べ上げたのか。

 勝手にプライベートな事柄を暴かれたという怒りより先に、不気味さがナナシの胸に立ちこめた。

 知らないウチに、自分の手の中を全て暴かれているというのは、言いようの無い怖さがある。
 いつの間にか、額にじっとりと汗をかいていた。


「うん、そうだろうね」


 ナナシの、手負いの獣のような怯えながらも刃向かおうとしている視線に、少しもたじろぐ事無く。
 ファントムはグラスをテーブルに置き、両手で頬杖を突きながらナナシを見返してきた。

 その表情はあくまで穏やかで、何か面白いモノを眺めるような余裕の態度だ。
 口調自体も、とても軽い。


「・・・でもまあ、どうして僕がキミの情報を知っているかとか・・・どうやって調べたのかとか、そんなのはどうでもいい事だよ」

「・・・・・・・・・・・」


 どうでもいいか、そうじゃないのか―――――いや全然、調べられた当人としてはどうでも良い事で片付けられる問題では無い筈なのだが、しれっとそうファントムに言われ、ナナシは呆れて返す言葉も見つからない。

 他人のプライベートを勝手に暴いておいて、どうでもいいとはどういう言い草だろう。
 失礼極まりない。
 本当に顔に似合わない、歯に衣着せぬ物言いをズバズバする男だ。

 自己中も、此処まで来たら立派である。


「僕が言いたいのはね、・・・・」


 ふと、ファントムが笑みを消し目を細めた。


「・・・アルヴィス君には近づくな・・・って事だけ」

「――――――・・・っ、・・!!」


 刹那。

 周りの空気が数度、急激に下がったような錯覚を感じて・・・ナナシは、息を止めた。
 ベリベリと、美しい天使の外皮が引き裂かれ、中から禍々しい悪魔が顔を覗かせるのを目にしたような―――――そんな錯覚を覚える。

 見目麗しい姿形は同じでも、彼の属性は決して『光』では無く・・・・『闇』だ。

 目の前で、銀髪の悪魔がまた笑う。


「ね、簡単でしょ? 僕の大事なアルヴィス君が、キミの毒牙に掛かったら大変だから」


 顔は笑っているが、目は決して笑っていない。

 絶対零度の微笑みだ―――――少しでも油断をすれば、忽ち(たちまち)相手を凍り付かせる悪魔の笑み。


「人聞き悪いこと、言わんといて欲しぃなァ・・・自分、そない悪人やないで? 毒言うんなら、ワレの方やないの・・・?」


 額だけでは無く、緊張感から背中にまでじっとりと冷たい汗をかく。
 それでも、屈することだけはしたくなくて、ナナシは言い返した。

 しかし目の前の白い悪魔は、まるで堪えた風もない。


「他人の好意につけ込んでの金稼ぎを、どうこう言うつもり、僕は無いけれどね。キミみたいなのに引っかかる方がマヌケだと思うし。・・・でも、そういった人種をアルヴィスに近づけさせる気は無いんだ」


 そう言って、ファントムは再び目を細めた。


「―――――あの子が穢れてしまうからね・・・・そうなる前に、排除するよ?」

「・・・・・・・・、」


 その眼光の鋭さに、ナナシはまた息を詰める。

 本気の目だった。
 冗談でも何でも無く、ファントムはナナシを殺すと・・・・そう言っている目だ。
 まさか、実際に命まで取る訳では無いだろうが。


「逆らったら、金に物言わせて世間的に自分、抹殺する言うん・・・? 大層な手間を掛けるんやね! 自分、単なる大学生やで・・・!?」


 心臓が締め付けられるような恐怖を感じつつ、何とかそれを表に出さないように押さえ付け、そう虚勢を張るのが精一杯だった。

 だが目の前の男はナナシの言葉を聞くと、キレイなアーモンド型の瞳を少しだけ驚いたように丸くする。


「・・・まさか。そんな手間掛かりな事はしないよ」


 ファントムは、とんでもない、といった風に首を振る。
 苦笑を浮かべたその瞬間だけは、悪魔ではなく天使のような人の良い青年に見えた。

 けれど、否定した次の瞬間。
 ファントムは、もっととんでもない事を口にした。


「・・・キミの命を終わらせるだけだ」

「・・・・・・・・・・・・・・!!」


「簡単だよ。その首を掴んで、握り潰せばいいだけだし。ああ、・・頭を壁に思い切り叩き付けて、頭蓋骨砕いちゃうのもお手軽かな。・・・・それとも、ライフルで心臓か脳を撃ち抜かれる方がいい?」


 映画か何かのような、物騒な言葉を淡々と口にする。


「・・・・笑えない冗談やね・・・・」


 引きつりながら、何とか言葉を返したナナシに。


「え、至って本気だよ。僕のアルヴィスに手を出す輩なんて、生かしておく筈が無いじゃないか!」


 全員、死刑に決まっているよ―――――恐ろしい言葉を連発しつつ、ファントムはクスクスと楽しそうな笑い声を上げた。


「僕はアルヴィス君の為なら、何でもする。・・・それこそ、望まれれば世界だって壊してあげるつもりさ・・・!」


 笑うファントムの瞳に、狂信的な光を見て。
 ナナシは額どころか身体中に、冷たい汗がどっと噴き出るのを感じた。

 アルヴィスは、とんでもなく色々ヤバイ男に付きまとわれているのでは無いだろうか。
 ただ狂っていると片付けるには、この男は危険すぎる。
 単に誇大妄想を大言壮語に口走っているだけなら良いのだが、この男は実際に行動を起こす事を躊躇わないだろう。

 殺すと言ったら殺す――――――そこに世間一般の『倫理』や『秩序』、『常識』は存在しないのに違いない。


「それで、・・・」


 悪魔に囚われた姫君を案じて、ナナシは気力を振り絞って問うた。


「・・・・アンタとアルちゃん、どういう関係やの・・・・?」


 その問いに、銀髪の悪魔はにんまりと機嫌の良い笑みを浮かべる。
 紫の眼を細め、キューッと口角を吊り上げたその笑みは顔立ちが酷く整っているだけにゾッとするほど美しい。


「アルヴィス君の全部は、僕のモノだよ。他のヤツには、一欠片(ひとかけら)だってあげない」

「・・・・・・・・・・」


 随分と大層な言い様である・・・これでは、独占欲の塊だ。
 しかも、質問の回答には微妙になっていない。

 だが、ファントムの異様なほどのアルヴィスに対する執着を目の当たりにして・・・・ナナシは背筋が冷たくなるのを感じた。
 一欠片だってあげない―――――それはつまりアルヴィスに少しでも手を出せば、残酷極まりない悪魔の制裁が待っていると・・・そう言わんばかりだからである。

 そんなナナシの様子など気にする風も無く、ファントムは更に言葉を続けた。


「・・・・どういう関係か、と言ったら。・・・・そうだね、簡単に言えば将来を誓い合った仲だよ」

「!? 何やて!!?」


 聞き捨てならないセリフに、恐れも忘れてナナシが叫ぶ。

 ひょっとしたらそうでは無いかと、心の底で考えてはいたが出来ればそうであって欲しく無くて―――――あえて、無理矢理に考えないようにしていた『可能性』。

 幼なじみで医学生で・・・・そんなのはどうでも関係無いと思ったが、今現在いっしょに住んでいるというのは別言葉で言うなら、『同棲』に他ならない。
 そして、同棲していると言うことは・・・・・・・・・それは、要するに。
 軽はずみに付き合う付き合わないのレベルでは無くて、――――――将来を誓い合った・・・『結婚』前提の、恋人としてのランク最高峰の域に到達している可能性もあるという事なのだ。

 しかも、アルヴィスの父親代わりの存在にも挨拶済みらしい。
 だからファントムとアルヴィスの関係の線で、一番考えられる濃厚な線だったのだが・・・・・ナナシは意図的にその部分は考えないようにしていたのである。


「・・・・・・・・・・アルちゃんを、金で買ったんや無いやろな・・・・?」


 相手が相手だから、マトモに婚約関係を結んだとは思えず。
 本当の事などファントムが言うはずは無いと知りつつも、ナナシはドスの利いた声でつい確認してしまう。


「いやだな・・・」


 対するファントムは、ナナシの物言いに言葉ほど気を悪くした様子も無く笑顔のままで首を横に振った。


「・・・・そういう貧しい発想って、どういう部分から沸いてくるんだい? アルヴィス君は、ちゃんと僕のお嫁さんに来てくれるって、自分からそう言ってくれたんだよ」


 10人いれば、10人全てがうっとりと見惚れる笑顔と甘い話し方だが。
 内容は全て、嘘くさい。


「・・・・信じられへん」


 依然として睨み付けた状態でナナシが言えば、目の前の美青年は獲物を見定める肉食獣のように目を細め――――――・・・今度は歯を覗かせたままで、口角の端を吊り上げた。


「キミが信じようと信じまいと構わないよ。・・・・・・・それが事実なんだから」


 ゾッとする程冷たい、悪魔の微笑みだ。

 その表情を見て、更に確信する。
 あり得ないだろう―――――こんな悪魔に、アルヴィスが心を許しているなどとは。

 そんなのは、絶対に間違っている。


「・・・さっき、『アルちゃんに近づくな』言うてたよな? アンタがそんな脅し掛けるヤツやなんて、アルちゃんは知らんのやろ・・・・?」

「言う必要は無いよね」


 さらっと返された言葉は、ナナシの考えを肯定していた。

 アルヴィスが、この男と付き合っているというのが事実なら。
 ――――――アルヴィスは絶対、この悪魔の本性を知らないのだ。


「・・・自分、あっさり言いなりになるんも、タダで殺される趣味も無いねん。殺されるんやったら、せめてその前に一矢報いたるわ・・・・アルちゃんにアンタの本性教えたる・・・・!!」


 この悪魔がアルヴィスに執着し、アルヴィスに近づく者に容赦しないという事は、それだけアルヴィスを大切に想っている証拠でもある。

 ならば、ソレを逆手に取れば、悪魔の尻尾くらいは掴めるのでは無いだろうか。
 アルヴィスに、その本性をバラしてやると言えば―――――――少しくらいは、事態が良い方へ向かうのではないだろうか。


 伊達に世間の辛酸をなめ、底辺を這いずり回って生きてきた訳じゃない。
 ただ妙なくらいに頭が回る、金持ちの苦労知らずになど翻弄されて堪るものか。
 せっかく巡り会えた『奇跡』の存在を、悪魔などに蹂躙(じゅうりん)されてなるものか――――――その気概だけが、ナナシを支えていた。



 本当は。

 辛酸をなめてきたから、分かる。
 世間の闇部分を、少なからず目の当たりにしてきた暮らしだからこそ、感じる。
 目の前の男こそが、その『闇』の塊みたいな存在なのだと――――――逃げた方がいいと警鐘を鳴らしている自分がいる。

 けれど、・・・・・・・・・。


 薄汚れた自分の手で、触れて良いのか戸惑う程、白い花。

 けれど、・・・・唯一見つけた、やっと手に入れることが叶いそうな花なのだ。
 偶然にも手を伸ばせば、触れられるところまで来てくれた花。

 諦めたくなかった――――――どうしても。

 一度、その白さを目にしてしまったらもう・・・・・その花がいなくなるなど、考えられない。




 だから、・・・・・・。














「・・・・・ねえ」


 目の前の悪魔が、ついにその美しい顔から笑みを完全に消した。
 そして、吹雪の声で言葉を発する。


「消すのがキミだけなんて、僕は一言も言ってないよ?」

「・・・・・・・」


 ファントムが、何を言わんとしているのか。
 その言葉の意味を悟り、ナナシは声もなく衝撃に目を見開いた。


「当たり前でしょ・・・・キミに関わる、キミにとって大切なモノ、全部壊すよ? 名前なんて言ったっけね・・・チャップ? あとスタンリーにモックに・・・えーとそれから・・・とにかく全部。手始めにはキミと今一緒に住んでる奴ら、全てだね」

「!?? そ、・・・んなこと、出来るはず、・・・・・・」

「あとは、そうだなァ・・・・街外れにある、孤児院? 周囲がみみっちい住宅地ばかりで夜は寂しいみたいだから、きっと大きな炎がすごく映えるよ。全焼したら、さぞかしキレイだろうね! 焼け跡からは夜な夜な幼子の泣き声が・・・なんて感じで、寂れたエリアが心霊スポットに生まれ変わるかも! 面白そうだから、大々的に燃やしたいね!?」

「・・・・・・・・・・・!!」


 否定する声が酷く擦れて、上手く言えなかった。
 否定したいのに、不可能だろうと叫びたいのに、喉が痙攣したように引き吊れカラカラに乾ききって――――――声が出なかった。


「出来るよ?」


 ファントムはナナシに、とてもとても嘘くさい・・・偽善者めいた笑みを浮かべ、サラリと請け負う。


「知ってる? この世はね・・・・ある程度の金と人脈さえあれば、何だって出来ちゃうんだよ。そう・・・ある日突然、あるアパートの一室から住人が全員姿を消しても・・・・それは元から無かった事にだって出来ちゃうんだ。簡単だよ・・?」


 警察も法律も、世論も、道徳も何もかも―――――そんなの一切関係ない。

 この世は、誰も気付いていないだけで闇に包まれた世界だから、どうとでもなるんだよ・・・・・・・・そう言って笑うファントムは、本物の悪魔の化身のようだった。


「・・・・アルヴィス君に、この事は内密にね。僕だって、出来れば彼を自由にしてあげていたいし」

「・・・・どういう意味や・・・?」


 自分の信じていた世界が根底から打ち砕かれそうになるのを感じ、グラグラと意識が遠のきそうになりながら、ナナシは何とか聞き返す。

 水晶のシャンデリアに煌めく、銀髪とアメシスト色の瞳が、視界の全てを奪い尽くし意識までも吸引していくようだ。

 サラサラとした銀糸の髪に、甘く蕩けるような輝きを見せる紫色の瞳。
 夢のように美しい容貌と、耳障りの良い脳を直接痺れさせるかのような柔らかな声に、気が遠くなる。


 ―――――――抗う意識を、完全に奪われてしまいそうだった。



「・・・だって、アルヴィス君は優しい僕が好きだからね」


 ナナシの霞む視界の中で、白い悪魔が笑う。


「こんな僕を知ったら、あの子はビックリして逃げちゃうかも知れないでしょう? こんなに愛してる僕のこと誤解して、間違って逃げちゃったら大変だから―――――・・・そうなったら、鳥籠に入れて閉じ込めてしまわなくちゃ」

「・・・・アルちゃんを? 監禁する言うんか・・・・?」

「違うよ。危険な外に勝手に出ないように、守ってあげるんだ。でもね、小鳥は自由が好きだから。・・・・出来れば自由に外に出ていられるんだって、思わせてあげていたいんだよ」


 囁く声はとても甘いのに、・・・・・・・言っている内容は、悪魔に相応しいものだった。


「今も、ホンマは自由やない、ってことなんか・・・?」

「当たり前だ。完全な自由なんて、アルヴィス君の為にならないよ。僕がちゃんと、手に囲ってあげていないとね・・・?」


 クスクス楽しそうに笑う悪魔は、とても無邪気で・・・・見た目は本当に、天使の如くに神々しい。

 恐らく、その両手に囲われたアルヴィスは、端から見ればとても幸せな存在に見られるのだろう。

 大切にたいせつに慈しまれ、守られた幸せな子。
 天使に愛されている、幸運の持ち主。

 けれど本当は、悪魔が持つ銀の鎖で雁字搦めにされ、籠の中に閉じ込められた哀れな存在。

 アルヴィスは今までも―――――――そして放っておけばこれからも、悪魔に囚われ続ける。




「・・・・でもね。籠に入れたら、あの子は外に出たいと暴れて、怪我をしてしまうかも知れない」


 そう言って、ファントムはナナシに悲しい顔をして見せた。


「そんなのは僕、可哀想で見ていられないからね・・・・・そうしたら、僕はあの子の羽根を折らなければならない。あの子はきっと泣くよ・・・・ねえ、キミはあの子が泣くのそんなに見たい?」

「・・・・・・・・・・・・・」

「閉じ込めた、部屋のドアを叩きすぎて手が痛んだら可哀想だし・・・・足で蹴って捻挫するのも見てられないから、身体が麻痺する薬を打って。叫びすぎて、喉を痛めるのも可哀想だから声帯も切り取らないとかも知れない。お人形みたいに、ただ黙って座っているあの子もきっと、すごく可愛いだろうけど・・・・出来れば僕は、今のままのアルヴィスを可愛がりたいよ」

「・・・・・・・・・・・・・・」

「ねえ、キミはそんなアルヴィス君が見たいの・・・・?」

「・・・・・・・・・・・・・・・」


 ファントムの言葉は、詭弁(きべん)だ。

 責任を転嫁し、全ての原因はお前だと――――――・・・実際に手を下し罪に手を染めるのはファントムなのに、その罪の発端はナナシだと言っている。
 そんな理屈は通らない・・・・決して納得など、出来るものでは無い。



 それなのに・・・・・・・・。



「・・・・・・・・・・・・・、」


 どうすることも出来ない憤りに、―――――――ナナシは強く、唇を噛んだ。

 

 

 

 NEXT 53

++++++++++++++++++++
言い訳。
なーんか、今までで一番性格悪いトム様を書いたよーな気が致します(笑)
ていうか、ナナシが可哀想(爆)
ナナシ、普通にイイ男なんですけどね・・・・トム様が相手だと、ホント可哀想><
でもこれ、まだナナシだから何とか耐えられてますが――――――インガだったら既にもうヤバかったかもです(笑)
というか、ちょっとアルヴィスに接近しただけでコレだから・・・・キスなんかしちゃってるインガのことが発覚したらもう、死刑決定ですn☆
心狭いな、トム様(笑)
もう、ちょっとでもアルヴィスにチョッカイ出されるのは我慢出来ないんだから・・・・!!(笑)
ネチネチした暗い話でスミマセン。
ついでにアルヴィスが名前しか出てこなくてスミマセン・・・・次回はきっと出ます・・・・☆