『君のためなら世界だって壊してあげる』 ACT 51 『-君の思惑、僕の思惑 2-』 信じられない、・・アルヴィス自身の常識ではおおよそ考えつかない、公衆の面前でのキスをされ。 頭の中が真っ白になりながら、それでもアルヴィスは必死に藻掻いた。 「・・・ん・・・・っ、・・・」 パニックになり過ぎて、何も考えられない。 心臓が早鐘のように激しく打ち付け、背筋に冷たいモノが走る。 ドクドクと脈打つ、自分の心臓の音がやたらと煩(うるさ)く主張して。 息苦しさと共に、アルヴィスの耳から周囲の一切の音が消えた。 ・・・どうしよう。 みんな見てる。 誤魔化せない・・・! 早く何とかしないと。 何とかって、・・・どうすれば?? どうしよう・・・どうしたらいい? ・・・何とかしないとなのに・・・!! 頭の中で繰り返されるのは、焦りの感情だけ。 それらばかりがグルグルと、解決策も見つからないままアルヴィスの頭に浮かんでは消える。 「・・・・・・・・・」 自分の唇に、ファントムの唇の感触を受けながら。 アルヴィスは途方に暮れて、至近距離にあり焦点が上手く合わずぼやける、幼なじみ兼恋人の顔へと視線を向けた。 銀色の長い睫毛に縁取られた、アメシストの瞳。 透明感のある紫色の眼は、まるで磨いた珠のように滑らかで宝石のようにキレイだ。 見つめ続けていると、気が遠くなり意識が吸い取られていくような感覚に陥り(おちいり)そうになるファントムの眼。 音を失い、自らの鼓動のみが聞こえるアルヴィスの世界で。 自分を映す彼の瞳が、アルヴィスの全意識を奪っていく。 「・・・・・・・・・・」 そこに永遠の時間が流れたような気がした、次の一瞬。 「―――――――・・・ワレ、何しとんねん!?」 アルヴィスの耳傍(みみそば)で、咎めるような色合いを含んだ声がした。 ソレを皮切りに。 耳に入り込んだ水が抜けた時のように、アルヴィスの世界に音が戻ってくる。 「・・・・・、」 声の正体を確かめようとアルヴィスが顔を向けるより早く、唇が離されアルヴィスの肩を掴んでいたファントムの手が後頭部に回った。 要は、ファントムの胸元に顔を押しつけられる形で、アルヴィスはより深く抱き締められた体勢にさせられたのである。 「何って、・・・キスだけど?」 ファントムの腕の中に閉じ込められたままで、アルヴィスは頭上から発せられる年上の恋人の落ち着き払った声を聞いていた。 「そんなん、見ればわかっとんのや!! 自分が言いたいのは、なんでそんなことするのかって事やねん!!」 対する相手は、荒々しく尖った声でそう捲し(まくし)立ててきた。 何故に彼がそう激昂するのかは分からないが、言葉遣いやイントネーションから声の主が誰なのかは視覚で確認せずとも分かる・・・相手はナナシだ。 「・・・・・!!」 見られた―――――。 ファントムに抱き締められながら、その事実にアルヴィスは身体を強張らせる。 先ほど、ファントムが彼らのことを口に出した事からも、既に自分たちの姿が黙認出来る位置までナナシが歩いて来ていたのは間違いないだろう。 そしてファントムに見えたと言うことは、ナナシ達だって此方が見えた筈。 ナナシがこうして食って掛かってきている以上、それは明白だ。 ・・・・と、いうことは・・・・。 「お前、誰だよ!? アルヴィスに何しやがる・・・・!!!」 そうアルヴィスが予測した時、クリアで明るい声がアルヴィスの背に浴びせられた。 クッキリとした元気の良いその声に、アルヴィスは有りすぎる程に聞き覚えがある。 ―――――ギンタ・・・・。 心の中で、兄弟同然に育った青年の名を呼び。 アルヴィスは思わず、きつく自分の唇を噛んだ。 やっぱり、彼にも見られていた―――――――ナナシと一緒に歩いていたギンタが、アルヴィス達の姿に気付かない訳は無いのである。 そして、ナナシまでがこうして憤(いきどお)るのは予想外だったものの、アルヴィスのこんな状況にギンタが黙っている筈は無い。 「・・・・・・・・・・・」 マズイ。 このままでは、一触即発だ。 アルヴィスが早く何か言い訳しなければ、この状態では事態がますますエスカレートしてしまいそうである。 しかしそう思い焦る心境とは裏腹に、アルヴィスの身体はファントムにしっかりと頭を抱えられ胸に押しつけられている体勢の為、取りなすどころか振り返って声を発することさえ出来なかった。 「アルヴィスに変な真似したら、この俺が許さねーからなっ!?」 「そうや! ワレ、なんの権利があってアルちゃんに・・・・」 「アルヴィス離せっ! 離さねーと、・・・・」 そうこうしている内に、2人の怒号がほぼ同時にアルヴィスの背中・・・正確にはファントムへと浴びせられる。 その剣幕の激しさにアルヴィスは思わず身を縮めたが、当のファントムは少しも動じた様子は無かった。 「・・・・・・・・・・」 それどころか、ファントムが声もなく笑ったのを感じる。 アルヴィスは背中にナナシとギンタの殺気めいた気配をひしひしと感じているというのに、ファントムは全く意に介してはいないようだ。 「キミがギンタだよね? ・・・初めまして、僕はファントム」 身を縮めたアルヴィスの、首の付け根辺りを宥めるように撫でながら。 ファントムが軽く頭を傾げるようにして、礼儀正しく口を開いた。 まるで自分の子を抱いた親が、子供の友人へ挨拶するかのような気安い態度である。 「・・・ファ、ファン・・・トム? お前が・・・!?」 その雰囲気に出鼻をくじかれたのか、ギンタが戸惑うような声でファントムの名を口にした。 アルヴィスには何となく、そんなギンタの気持ちが分かる気がする。 きっと、ギンタには今のファントムの顔が、『人の良い好青年』にしか見えないのだ。 思わずウットリしてしまいそうなキレイな顔で、天使みたいに邪気の無いように見える微笑みを浮かべられたらもう――――――・・・彼の性格を知っているアルヴィスですら、咎める気持ちが失せてしまいそうになる。 ファントムと初対面であるギンタには、さぞかし効き目があるだろう。 「この前、ご挨拶行った時にはダンナさんにしかお逢い出来なかったからね。こうして、話す機会が出来て嬉しいよ」 「へ? あ、・・・うん・・・」 そして、人間というものは最初から好意的な態度を取られてしまうとなかなか、攻撃的には出られないモノである。 もう、完全にファントムのペースだ。 「・・・・・や、・・えと・・その、・・・」 「なんやギンタ、知り合いやの・・?」 案の定、先ほどの勢いは何処へやら。 ギンタはもう言葉もしどろもどろで、ナナシまでもがそのペースに乗せられかけている。 「ギンタには、是非とも御礼が言いたかったんだよ。今までアルヴィス君と仲良くしてくれていて、ありがとう」 「・・・う、いや、・・そりゃまあ・・・って、別に礼言われることじゃ・・・・」 「お近づきの印に、その内に食事でも一緒にしたいね。お肉が好きって話だから、今度J2苑にでも食べに行こう」 「えっ!? J2苑!!?? マジでっ?」 各界の著名人の御用達で有名な、超高級焼肉店の名前を出され、ギンタはもう陥落寸前である。 「うん、約束するよ。僕、あの店にはちょっとした知り合いが居るからね・・・スペシャルメニュー用意して貰えるし」 「・・・・!!!」 というかもう、ギンタは落ちたかも知れない。 ギンタは、自他共に認める大の肉好きだ。 天使みたいな笑顔にほだされ、食べ物に釣られ・・・・完全にファントムを『善い人』と認識しただろう気がする。 理由は少し情けないが、それでもまあ下手に大事(おおごと)になるのは回避出来たとアルヴィスは安堵しかけた。 だが、そんなアルヴィスの背の方で。 ギンタが動きを止め、大きく息を吸い込む気配がした。 「・・・いや、そーじゃないだろ!! 肉なんかどーでもい、・・訳でもねーけどっ! そーじゃなくて、」 そして一息に言い放つ。 「なんでお前がアルヴィスにキスなんかしてんだよっっ!!? それになんでいつまでもそーやって抱き締めてんだっ!!」 流石に、肉でも衝撃的だっただろう光景は忘れてくれなかったようだ。 「ギンタ、それは・・・!」 アルヴィスは何とか弁解しようと、思わず振り返ろうとしたが相変わらずファントムにがっちり抱き込まれていて身動きが取れない。 それほど力を入れて押さえ付けられている感じでは無いのに、全く動けない。 「流石だね、ギンタ。そうやって今までアルヴィス君を守ってくれてたんだ・・・ありがとう」 完璧にアルヴィスの動きを封じたまま、ファントムはのんびりと礼を言う。 そんな物言いをしたら、ギンタが益々憤(いきどお)るだろうことはファントムにだって分かるだろうに・・・・殊更煽るような、やんわりとした言い方だ。 「もういいから、アルヴィス離せっ!!」 「・・・おっと、」 「!?」 のらりくらりとしたファントムの言葉に切れたのだろう、ギンタが発した怒声と同時にアルヴィスの身体がファントムの腕によって90度回転する。 ――――――数瞬、遅れて。 「ぉわっ!?」 ギンタの慌てたような声と、ドシャッと地面に倒れ込むような音が聞こえた。 反射的に、音の方へと視線を向ける。 「・・・・・・ギンタ・・・」 無理矢理回転させられた時に、身体の向きが多少変わり横顔がファントムの胸に押しつけられる形となったアルヴィスは、地面に寝そべったギンタの姿を見ることが出来た。 「ふふっ、・・元気がいいねえギンタは。でもね、・・・・あんまり元気良すぎるのも怪我の元かも知れないから気をつけた方がいいよ・・・?」 恐らく、ギンタがファントムに掴み掛かり。 ファントムがそれを避けた為に、ギンタが勢い余ってつんのめってしまったのだろう。 「・・・・・・・・・・・」 アルヴィスは怖々と、ギンタに声を掛けるファントムの顔を見上げた。 ファントムは普段は温厚そのものだが、自分に攻撃してくる者には容赦しないタイプである。 しかし、見上げた年上の恋人の顔は、柔和そのものだった。 いや、むしろ楽しそうと言うべきか。 「キミは、アルヴィス君の兄弟同然の存在なんでしょう? だったら弟の恋愛関係は気になるかもだけど・・・でももう、大学生だしキミがいちいち干渉してくる必要は無いよねえ? それに僕が居るんだから、キミが気にする必要は全く無いし!」 「なっ、・・・!!?」 スラスラと、立て板に流した水のように。 ファントムは滑らかにそう主張すると、アルヴィスを腕から放した。 そして、言葉に詰まるギンタへと素早く何事か口を寄せて話しかける。 「・・・・・・・!!」 瞬間、ギンタが大きく目を見開き言葉もなく黙り込むのをアルヴィスは見た。 「―――――そして、キミもね」 言いながら、ファントムがフワリと移動して横に立っていたナナシの方へと口元を寄せる。 「・・・・・・・・・・・・・・」 その間の、ファントムの顔は影になってアルヴィスには見えなかった。 だが、話しかけられているナナシの顔色がハッキリと変わるのが、アルヴィスには見えた。 ただ驚いただけに見えたギンタとは違う、明らかに狼狽した様子でナナシが弾かれたようにファントムを凝視する。 「・・・・・・・・・」 それに対して、ファントムが何事かまた囁いたように見えたが、声もアルヴィスの所までは届かなかった。 「・・・・ファ、」 「アルヴィス君、ギンタ達はわかってくれたよ♪」 ナナシの尋常じゃない顔色の変化に、思わず問い詰めようとしたアルヴィスだったが、それを遮るようにファントムがくるっと此方を振り返る。 無邪気とも形容出来るだろう、天使の笑顔だ。 「・・・・・・・・・・・・・・・」 こんな表情をしている時のファントムが、アルヴィスの欲しい答えをくれた試しは余り無い。 絶対、分かってくれたとか、そんな穏和な会話じゃなかっただろうという事はアルヴィスにだって分かっているのだが。 「・・・誰が弟だ! 俺とギンタは同い年だぞ・・・」 聞いても、上手くはぐらかされてしまうのがオチである。 焦れて、怒れば怒るほど、ファントムは楽しそうにアルヴィスを翻弄する。 恐らく、そうやって怒ったアルヴィスの反応を見るのがファントムは好きなのだ。 彼はあらゆる手段と場所を選ばず、そうしてアルヴィスをからかうのが好きである。 しかも結局、散々気を揉ませておいて、答えを教えてくれないという最低さなのだ。 だからアルヴィスは、その手には乗るもんかと、質問そのものを飲み込むことにした。 ―――――――言われた時のギンタやナナシの表情といい、何か周りには知られたくないだろう秘密を知っているとでも言ったような様子で、とても気にはなったのだが。 かといって、ファントムがアルヴィスにあっさり教えてくれるとは思えないから諦めるしかない。 「えー? だってアルヴィス君12月生まれだし、彼は7月だよね? ちょっとだけギンタのがお兄さんでしょう」 「・・・・・・・・・・」 本当に、何でも良く知っているので。 ファントムなら、アルヴィス自身が知らないアルヴィスの事も把握していそうで、たまに怖くなる。 さっきまで、あんなに興奮して食って掛かっていた筈の2人が。 凍り付いたかのように固まったまま自分たちを見ている事からも、ファントムの得体の知れ無さが感じられて・・・・・・・・・・・アルヴィスは、自分の恋人ながら背筋が寒くなる感触を覚えた。 絶対、単なる軽口ではあんな様子にはならないだろう。 ファントムがなにがしか、2人にとって禁句になるような言葉を口にしたとしか思えない。 しかし、それは何なのか? ずっと一緒に育ってきたアルヴィスにすら、分からないギンタの秘密。 アルヴィスだって今日初めて名前を知った存在である、ナナシの秘密。 なんで、ファントムが知っているのか?? 常識的に考えれば、知っている筈無いじゃないか・・・・・!! 「さあ、ギンタも分かってくれたことだしそろそろ帰ろうか・・・・」 「・・・・・・うん」 釈然としない気持ちを抱えながら、アルヴィスはファントムに即されるままに車へと乗り込んだのだった―――――――。
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