『君のためなら世界だって壊してあげる』 ACT 49 『頼むから、そっとしておいて・・・!』 「・・・・・・・やっと終わった・・・・」 4時限目の講義が終わった途端、アルヴィスは溜息と共に思わず本音を零してしまった。 ―――――・・・疲れた・・・。 高校時代と違い大学では90分授業が1コマだから、それをバランス良く午前と午後に分けて4つ取っただけなのだが―――――・・・まだ、大学生活に馴染んでいないらしい身体にはきつく感じたようである。 入学して以来、殆どまともに授業を受けていなかったから、身体が大学生の生活リズムになっていないのだ。 更に言えば、まだ体調が完全では無い。 大学入学寸前に再び発症してしまった気管支喘息のせいで、アルヴィスの体力は根こそぎ奪われてしまい、本音を言えば午前中の講義を受けただけで、既に疲れを感じていた程である。 そこへ持ってきて昼食時には、周囲から注目されまくるという予期せぬ不本意な事態に追い込まれ・・・・アルヴィスはすっかり、疲労困憊(こんぱい)していた。 「・・・・・・・・はー・・」 席に着いたまま立ち上がることもせず、古びた堅い机に上体を突っ伏して懐きたくなってくる。 ひんやりした机の感触が気持ちよくて、本当にそうしてしまいたくなりながら。 周囲の生徒達が各(おのおの)の筆記用具やら教科書をしまう喧噪(けんそう)の中、アルヴィスものろのろと帰り支度を始めた。 全身が重怠く、体内に妙な熱がこもって――――――外はもちろん、教室の中も丁度良い程の温度だというのに・・・・汗が滲んでくる。 覚えのある、嫌な兆候(ちょうこう)だ。 微熱が出てきたのかも知れない。 「・・・・まずいな」 ぼそっと呟き、アルヴィスは顔をしかめる。 無理はしない大丈夫だからとファントムに言い切って、アルヴィスは今日、大学へ来たのだ。 それなのに熱など出したら、また明日から通わせて貰えなくなってしまう可能性がある。 ――――――早く帰って、今日はさっさと寝てしまおう・・! 「・・・・・・・・」 徐(おもむろ)に席を立ち、アルヴィスは帰り支度の手を早めた。 その途端。 「アルヴィス! お前まだサークル入ってないだろ? これから見学とかしに行かねェ?」 金髪青年の元気な声が、アルヴィスに掛かる。 昼食時の騒動で腹を立てたアルヴィスは、ギンタとわざわざ離れた席に着いたのだが――――――・・・・そんな此方の心境など一切汲まない、クリアで明るい声だ。 「・・・・ギンタ」 「お前はどうせ弓道やるんだろ? 俺はどうしようかな〜〜〜俺もどうせならアルヴィスと一緒に始めて見ようかと思ってさ、まだサークル決めてなかったんだよな!」 アルヴィスの冷たい目線、低い声にも全く気付くことなく、昼間の騒ぎの元凶は楽しそうに喋り続けた。 「・・・・・・・・・・」 しかも、話題はサークルのことである。 高校時代の3年間、みっちりと部活で弓道に打ち込んでいたのを見ていたギンタは、大学でもアルヴィスが弓道サークルを選ぶだろうと信じて疑っていない様子だった。 高校の時は、たまに誘っても帰宅部がイイと言って全く興味を示していなかったギンタが弓道を始める気になっているのは、どんな心境の変化か知らないがアルヴィスとしても喜ばしいことだ。 自分の好きなモノを、誰かも好きになって始めてくれるのは純粋に嬉しいと思う。 「・・・・・・・・・・」 けれど。 ギンタは此方の事情など、さして知らないのだから仕方ない事だが、今のアルヴィスの身体では当然、――――――必須授業を受けるのが精一杯で。 サークル活動が出来る程の余力などは、全く無い。 それは、ほんの先頃までは大学へ行っても弓道をやるのだと自分で思って疑ってもいなかったアルヴィスとしても――――――――未だ受け入れがたい事実だ。 だからまだ、弓道のことは考えたくないし口に乗せたくも無い。 「・・・せっかくだけど、見学はまた今度にするよ。休んでばかりいたから、まずは授業に追いつかないとだし・・・」 えー! と不満顔になるギンタに苦笑しつつ、アルヴィスは首を横に振った。 「正直、まだサークルに入る余裕無いんだ」 学力面というより、体力面で・・・・というのは心配を掛けるだけだし、アルヴィス本人としてもまだ認められない部分なので言わないでおく。 「けど、・・・・」 「あ。もうこんな時間だ、・・・帰らなくちゃ」 何事かを言いかけたギンタの声を遮り、アルヴィスはチラリと腕時計を見て、手にしたままだったノートを鞄にしまい込んだ。 迎えの車が、きっかり5時に大学の正門から少し離れた場所で待つ事になっている。 ギンタとダラダラ話していたら、教室から正門前での移動時間を入れるとギリギリ間に合う状態になってしまった。 迎えに来てくれる車の運転手は気の優しい人物だから、アルヴィスが多少遅れた所で何も言わないだろうが・・・・それでも、待たせるのは申し訳ない。 それに、大きな黒塗りのベンツが正門傍に長時間待機しているのは―――――・・・・やっぱりとても目立って、乗るのを躊躇ってしまう。 最初に送ってもらった時はうっかり正門前に停めて貰ったせいで、ものすごく人目を引き、アルヴィスは酷く居たたまれない思いを味わった。 それからは頼むから、少し離れた場所・・・・出来れば5分くらい歩いてたどり着けるような地点で待っていて欲しいと繰り返し訴えては却下され、ファントムと何度も交渉した挙げ句にようやく正門からちょっぴり離れた場所――――正門からアルヴィスが出たら、即座に確認出来る程度の場所―――――で待機ということでOKが出た。 つまりは、少し目立つのが回避されただけであり。 アルヴィスが遅れれば遅れるだけ、学生達の目に付いてしまうのは避けられない。 そもそもは、ファントムのマンション・・・というかフロアごと借りているホテルだ・・・から、アルヴィスが徒歩と電車で通学すれば問題は全部、解決出来ると思うのだが。 アルヴィスの体調と防犯上の問題があると言って、ファントムがどうしても車での送迎は譲らなかった。 体調は確かに微妙な所だが、誘拐されたって金は無いし襲われる理由もないじゃないかとアルヴィスがどんなに訴えても、ファントムは首を縦に振らなかった。 生まれついてのセレブな彼には、一般庶民である自分の感覚などは幾ら説明しても理解出来ないんだろうか・・・・・・そう思って、最後にはアルヴィスが折れる羽目となったのだ。 確かに、彼ほどの暮らしぶりならば金目的で狙われることだって、ありそうな気がする。 ――――――攫われてしまうほど、ファントムが可愛らしい性格かといえば甚(はなは)だ疑問な所だけれど。 (そんな風に結論づけたアルヴィスだったが、自分も今現在、端から見ればセレブと呼ばれる存在となっている事には全く気づけていないのだった・・・・。) 「なあなあ、ここ1ヶ月くらい俺たち全然ハナシとかしてねーじゃん! 今日は駄目かもだけどさ、明日とか週末とか、・・・」 足早に大学内を歩くアルヴィスにくっついてきたギンタが、尚も話を続けようと食い下がってくる。 「ん、・・ああその内な」 歩を緩めずギンタに返したアルヴィスの言葉は、酷く素っ気なかった。 ファントムとは全く別意味で金銭感覚が無い(ファントムの場合は資金に余裕があって無駄遣いしているという意味だが、ギンタの場合は実際に無駄に使える金が無いのに使い切ってしまうという困った状態だ)ギンタが独り暮らしをしている、と聞いてアルヴィスもそこら辺は気になっていて、出来ればゆっくり話したいとは思う。 ちゃんと節約しているのか、とか。 生活費は足りてるのか、とか。 バイトはどんなのをしてるんだ・・とか。 大学の勉強と、両立できるようなのを選んでバイトしてるんだろうな、とか。 兄弟として、聞きたいこと確認したいことは盛りだくさんだ。 ―――――――だが、今日は時間が無い。 早くしないと、また乗り込む時にとても恥ずかしい思いをしてしまうのだ。 「やっぱさー、今までずっと3人暮らしだったろ? それがいきなりに1人で暮らすと結構寂しいんだよなーメシとかさぁー」 「お前は友達が沢山いるだろ・・・」 「居るけど、やっぱ違うじゃん! アルヴィスじゃねぇし」 「ちゃんと食べているんだろうな・・・? 好きだからってカップ麺ばかり食べてたら栄養偏るし、栄養考えて、モヤシとか納豆も食べろよ? モヤシは安くて良く特売にもなるから、・・・」 それでも一緒に暮らしていた頃の気安さで喋りながら、校舎を出ようかという所でまた別の声が掛かった。 「アルちゃーん! 今帰り? 自分もやねん、一緒に帰ろ〜〜」 「・・・・ナナシ・・・」 細かいゼブラ柄のカットソーを着た姿を、確認するまでもなく。 陽気な関西弁で話しかけて来た青年は、昼間の騒ぎでの、もう1人の元凶ナナシである。 「自分、3現で終わりやったんけどアルちゃん達は1年やから、多分もいっこ取っとるやろな思て待ってたんよ」 切れ長の青灰色の瞳を嬉しそうに細め、笑いかけてくる姿は見目が整っているだけに、免疫のない者ならそのまま魅入ってポーッとしてしまいそうだ。 背の半ばまで不揃いに伸ばした、薄茶色の長く真っ直ぐな髪。 その洒落た髪型に見合うだけの、彫りの深い端正な顔立ち。 モデルでも出来そうな長身と、その整った顔で甘く見つめられ人懐こく笑いかけられたら―――――・・・大抵の人間は絆(ほだ)されてしまうのでは無いか、・・・そんな気がしてくる。 「確かに帰るとこだけど・・・俺、車だから」 しかし、幸か不幸か、アルヴィスは免疫が有りまくりなのだった。 幼い頃から、そして今現在、ずっと悪魔のように美しいと云われる男を至近距離で見てきているのだ。 昼間と同様、ナナシに対して臨戦態勢を取り始めたギンタを制してクールに答える。 その間も、もちろん足は止めていない。 「残念ながら、門までしか一緒にはいられないな・・・」 「えぇっ車? アルちゃんやっぱ君って、お金持ちの坊(ボン)やのっ・・・!?」 「違う。金なんか無い」 愛想無く答えつつ、足をどんどん早めていく。 「でも君、こないだ・・・」 「―――――って訳で、また明日」 じゃあこれで、と素っ気なく言ってのけ。 呼び止めようとするナナシやギンタを余所に、アルヴィスはますます足を早めた。 昼間の騒ぎですっかり懲りていたから、アルヴィスとしてはギンタにもナナシにも、車で帰る自分の姿は見られたくない。 正確に言えば、車が見られたくないのである。 あの左右のヘッドライトの真ん中に据えられた、有名過ぎる三方に光を放つ星・・・Three Pointed Mark・・・陸海空全てを制する、という意味が込められているというマークが取り付けられた高級外車。 ・・・・あんなのに乗る所を見られたら。 ギンタには俺も乗りたいと後日騒がれ、ナナシにはまたも君はすごい金持ちなんだろうと誤解されて騒がれかねない。 ――――――正門までが勝負だ。・・・引き離しておかないと・・・!! 内心そう思っているから、アルヴィスの足取りはもう殆ど小走りである。 身体が怠いとか、息が切れるなんてことを気にしている余裕など無かった。 だが正門に差し掛かったら、モタモタせずに一気に曲がって車まで走ろう――――――・・・と、考えながら足早に歩いていたアルヴィスの耳に、不意に傍らをすれ違っていく学生達の声が飛び込んできた。 ――――――ね、あのスッゴイ美形、誰なのかな!? ――――――キレイだよね−! モデル? マジ格好いいんですけど!! ――――――誰か待ってるのかな、彼女・・・? きゃわきゃわと、甲高い声で騒ぎながら歩き去る女子学生たち。 校門前に誰か、来ているらしい。 さして興味もなく聞き流そうとしたアルヴィスだったが、更に耳にしたキーワードを二つばかり拾って―――――――思わず足を止めた。 ―――――――サラッサラだったよね、あの銀色の髪! 触りたーい・・!! ―――――――あの黒い車、ジャガーでしょ? 高級車だよネ・・・。 「・・・・・・・・・・・」 銀髪で、サラサラで、キレイで、高級車でジャガー。 幼なじみで恋人でもあるファントムは、銀髪でサラサラで、自分の愛車はジャガーでしかも黒いのに乗っている。 更に、ジャガーに乗っていて『すごい美形』となると・・・・。 「・・・・まさか・・」 不吉な程の適合ぶりに、足を止めたままアルヴィスは正門の方へと視線を向けた。 「・・・・・・・・・・」 無いない、あり得ない。 ファントムは医大の4年で、普通の大学生なんかよりもずっと多忙の筈である。 カリキュラムも多いだろうし、ここのところずっとアルヴィスの体調を気遣って休んでくれたりしてたのだから、余計に忙しい筈だ。 まして1年生のアルヴィスが4時限目を終えてすぐに帰るような時間に、間に合うように迎えになど来れる筈は無い・・・・そう、自分に言い聞かせる。 しかし。 「!?」 正門に近づき、周囲の状態が肉視出来る状態になって――――――・・・アルヴィスは思わずガックリと肩を落とし、空を仰ぎたい心境となった。 ベンツと比べても見劣りしない、黒塗りの見覚えある派手なフォルムの高級外車が正門前に横付けされ。 運転席側のフロントドアにもたれる様に立っている人物は・・・・・紛れもなく、アルヴィスの恋人であるファントムだ。 周囲に留まった学生達から好奇の視線を浴びせられるのもモノともせず、まるで撮影のワンシーンであるかのような悠然とした態度で、車に寄りかかっている。 実際、黒のパーカーの上に薄手のジャケットを羽織った気取らない格好をしているのに、彼特有の優雅な雰囲気と他者の追随を許さない見目麗しい姿のせいで、その場所一帯だけ違う空気が流れているように感じた。 言うまでもなく、正門前は下校時間という事をさっ引いても、異常な程の人だかりが出来ている。 ―――――――ファントムのせいだ。 「・・・・・・・・・・」 アルヴィスは無言で、くるっと方向転換をしようとした。 だが、それより恋人のアメシスト色の瞳がアルヴィスを捉える方が一瞬早かったらしい。 「あ、アルヴィス君! 待ってたよ、授業お疲れさま♪」 関心の的になっている張本人が、美しい顔に極上の笑みを乗せてアルヴィスに声を掛けてきた。 「・・・・・ファントム・・・」 手を振られ、仕方なくアルヴィスは足を止めて力なく手を振り返す。 ファントムに集まっていた視線が、一気に自分に向くのを感じて。 アルヴィスは出来ない事だと知りつつも、念じたら何処か違う場所へワープ出来たらいいのに・・・っ!! などと考えながら、引きつった笑みを浮かべたのだった――――――――――。
NEXT 50 |