『君のためなら世界だって壊してあげる』 ACT 43 『交差した道の行方 −36−』 「・・・・さてと。そろそろ目が覚める頃かな・・・・?」 ペタが去った後、暫くソファに座ったままで本に目を通していたファントムは、そう1人ごちてガラス製のダイニングテーブルが置かれたキッチンへと向かう。 家政婦の姿は無かったが、先刻言いつけておいた通りテーブルの上にはトレイが置かれ、白く小さなボウルには湯気の立つ粥が盛られていた。 ファントムは冷蔵庫から更にリンゴジュースを出してグラスに注ぎ、それもトレイに載せて持つ。 そして、寝室の方へと向かった。 もちろん、熱を出して寝込んでいるアルヴィスに食事を運ぶ為だ。 ――――――――昨夜、アルヴィスを抱いた。 病み上がりで退院したばかりだし、自重しようと思ってはいたのだが、・・・つい煽られて止められなくなってしまった。 抱くのなんて、単なる性欲処理か遊びの一端。 常日頃その程度にしか思っていないファントムが唯一、特別な意味を持って抱きたいと思っていた相手だ。 そんな相手の軽い戯れにすら反応してしまい、戸惑っている可愛い姿を目にしてしまったら・・・・その気になってしまうのは仕方がないというものだろう。 勿論アルヴィスの体調が急変したらすぐ止めるつもりではいたのだけれど、気を付けていた為なのか。 それとも、たまたま予(あらか)じめ事前に吸引させておいた薬のお陰だったのか。 ――――――――幸運にも、最後まで出来てしまったのだ。 ただやはり体力的にそう無理が出来る状態では無かったから、案の定アルヴィスは夜中に熱を出した。 とはいえ気管支の病状が悪化しての発症では無かったので、抗生剤と氷枕で状態は安定している。 どっちみち、昨夜の行為のせいで今日は動けなかっただろうし。 熱があろうと無かろうと体調的にまだ寝ていて貰った方が、ファントムとしては安心だ。 生真面目なアルヴィスの事だから、退院したとなればまた遅れた分の授業内容の確認やらその他の準備をしたがり、安静にしていてくれないんじゃないかという心配も、これで解消である。 大人しく横になっていないようであれば、薬で眠らせるつもりで鎮静剤は家に持ち込んであったが使わなくて済みそうだ。 腰が痛くて熱があったら、流石にアルヴィスも動く気にはなれないだろう。 だからまあ、諸々の事を総合して考えると、やっぱりエッチして良かったよね!・・・と言うのがファントムの弾き出した結論だ。 無論、そんな考えはアルヴィスに言えば間違いなくヘソを曲げるのが決定だから、口にはしないが。 まだ眠っているようならば無理に起こしたくは無いので、ノックはせず静かに寝室のドアを開く。 「・・・・・・・・・・・、」 そっと中を伺えば、ベッドに横たわったままでアルヴィスがぼんやり、天井を見上げていた。 彫りが深いと形容できる程では無いが、優美で理想的な曲線を描く白い横顔がとてもキレイだ。 スッと通った高い鼻梁に小ぶりで柔らかそうな唇、細い顎から首に掛けての華奢なラインが、アルヴィスの儚げな美しさを際だたせている。 長い睫毛が鮮やかな青の瞳に煙るような影を落とし、そうしてただ一点を見つめている様子は、さながら稀少なアンティークドールみたいな可憐さだ。 身動き1つしない姿は造り物みたいに整った顔立ちの彼を、本物の人形のように錯覚させる。 本当に、・・・・見た目だけは儚げで。 掌中の珠の如くに両手で囲い、風にも当てぬよう守りたくなる可憐さだ。 ―――――だが決して、アルヴィスがそれだけで評価されるべき器では無い事を、ファントムは知っている。 キレイな薔薇には棘(トゲ)・・・・いやアルヴィスの場合は可憐で庇護欲を誘う子猫のように見えて、実は大型肉食獣の子供でした・・・・といった感じだろうか。 幼なじみであるファントムにはそういった態度を取らないが、礼儀に欠けた相手や尊敬に値しないと判断した輩には、例え目上であろうとも毅然とした態度で毒を吐き反発する。 売られた喧嘩も、大抵買う。 曲がったことが大嫌いだから、そういった不正を働く輩には容赦せず手も口も出す気性だ。 怖じ気づくこと無く自分より強い相手にも立ち向かおうとする、アルヴィスの幼い頃からのその気の強さはファントムとしても可愛いし、気に入っている部分ではあるのだが―――――――・・・少々危うい。 隙のない外見と相まって、常人よりも数倍反感を買いやすいだろうから、余計に心配だ。 子猫には子猫なりに爪と牙があり、調べた限りでは今のところそれなりに、チョッカイを掛けてきた相手は返り討ちにしているらしいが。 今後も同じような結果になるとは、限らない。 ファントムから見てアルヴィスは、相手と自分の力量の差を見定める目がまだまだ未熟だし、相手により手も足も出ない・・・・という事だってあり得るのだ。 ―――――――とはいえ、ファントムはその気性を正そうとは全く考えていなかった。 そういった危険は自分がアルヴィスの代わりに全て、握り潰してやればいいだけの事だからだ。 アルヴィスの負けん気が強く権力やその他の長いものにも巻かれない性格は、ファントムのお気に入りである。 例えて言うなら、子猫が毛を逆立てて怖がりながらも大きな相手を威嚇しているような可愛らしさだ。 その微笑ましい可愛らしさを矯正してしまうなんて、勿体なさ過ぎる。 それに、どんな相手にも毅然とした表情で、あの深い青の瞳に強い光を宿し対象を見据える眼差しは―――――――・・・・何よりもファントムを魅了した。 穢れのない、清純な『青』。 汚らしく濁りきった世界の中で、燦然と輝く一対の稀石(きせき)。 見つめているだけで、心が洗われるような心地になる。 ―――――――あの『青』を守るためなら、ファントムは何だって出来るのだ。 「おはよう。・・・良く眠れた?」 声を掛けながらベッドに近づき、サイドテーブルにトレイを置いて。 ファントムは、アルヴィスの顔を覗き込む様にしながらベッドに腰掛けた。 ついでに彼の華奢な首筋に軽く手を当て、体温を測る。 ―――――さほど高くはない・・・微熱程度に下がったようだ。 「調子はどう・・・?」 「・・・・いたい」 ご機嫌を伺うように優しく体調を問えば、アルヴィスは邪険にファントムの手を払い・・・掠れた声で言葉少なに答えてきた。 ビスクドールのように可憐な容姿の青年が口にするには、少しばかりぶっきらぼうすぎる物言いである。 「痛いのはどこ・・・・?」 渋い顔で答えたアルヴィスに、ファントムは重ねて聞いた。 熱や昨夜の行為が原因の痛みならば問題無い。 けれどもしも痛みを訴える箇所が、気管支や肺だったりしたら大変だ。 下手をすればまた、入院沙汰になってしまう。 「息を吸うと、胸の奥が痛いとかじゃないよね・・・・?」 ファントムがつい、目に付いた異常は無いかと真剣な表情で見つめれば、アルヴィスは機嫌が悪いとハッキリ分かる目つきで此方を睨み付けて来た。 炎のように揺らめく色合いを見せる、サファイアの瞳が何とも美しい・・・美人は不機嫌でもキレイだ。 アルヴィスは、眉間に深いしわを寄せて大きく息を吸い。 キレイだな、と見蕩(みと)れているファントムに向かって口を開く。 「・・・のどもあたまも、・・・・こしも・・・・っ、・・・ぜんぶ、・・いたい・・・っ・・・!!」 「・・うぅ〜ん・・・・・声がすっかり、枯れちゃったねぇ」 本人は叫びたい気持ちで満々らしいが、哀しいかな、掠れた弱々しい声しか出てこなかった。 けれどもまあ、そこらの部分が痛いのはファントムから見ると全然問題なしだ。 「・・・ああ、痛いのはそっち?」 肺や気管支で無いのなら、可哀想だが痛いのは問題ない。 ホッとして、つい笑みを浮かべる。 「よしよし、・・・昨日叫び過ぎたもんね。熱あるから頭も痛いよね、・・・腰はまあ・・・・大人になる通過点だから我慢しようか!」 「!!?」 幼い子を慰めるように頭を撫でながら言えば、毛を逆立てる猫のようにアルヴィスの目がつり上がった。 元々少し吊り上がり気味の瞳が爛々と、怒りで青く輝き。 本物の猫のように、瞳孔が拡大する。 「・・・・・・っ!!」 顔色が、赤くなったり青くなったり。 ファントムの前で、アルヴィスの口が金魚のように、パクパクと何か言いたげに開いては閉じた。 怒りで興奮する余り、声が出ないのだろう。 なかなか忙しい子だ。 「・・・・・・・・・・・・・・」 可愛いアルヴィスの表情豊かな様子を、ファントムは面白そうに眺める。 だが待っていても金魚のように愛らしく唇を動かすだけで、肝心の言葉は出てこない。 「え、なあにアルヴィス君?」 「・・・・・・・・!」 何か言いたいのかと聞き耳を立てても、声はちっとも聞こえなかった。 どうやら声が出ないのでは無く、憤り過ぎて言いたい言葉が思いつかないらしい。 「・・・興奮すると、余計に頭痛感じちゃうよ。 それより、・・・少しでいいからご飯食べよう?」 ならば言えるようになるまでは、こっちの用事を優先させようとばかりに。 ファントムはアルヴィスを、そっと抱き起こした。 朝の薬をまだ飲ませていないから、空っぽだろう胃に早く何か入れさせて服用出来る状態にしたいのだ。 「・・・・・・・・・っ、・・!?」 言葉を紡げないまま抱き起こされ、目を剥くアルヴィスに言い聞かせるよう話しかける。 「もうお昼過ぎてるし、お腹空いたでしょ・・・昨日結局、ロクに食べてないもんねアルヴィス君。今してる点滴は抗生剤と単なるお水しか入ってないから、栄養にはならない。経口でちゃんと食事摂らないと、体力落ちちゃうから・・・・」 「・・・・・・・・・・・」 ベッド脇にある、ベッド上でブランチなどを食べる時用のテーブルを引き寄せ、トレイを載せてファントムは食事を即す。 「お粥だから、喉にも優しいし消化もいい。・・・ネギと鶏肉が入った中華粥、アルヴィス君好きだよね?」 「・・・・・・・・・・・・・」 だが。 可愛らしい顔の眉間にまだ深いシワを刻んだ状態で、アルヴィスはトレイを睨み付けたままだ。 差し出したサジも、手に取ろうとはしない。 ――――――完全に機嫌を損ねてしまったようだ。 「・・・・・・・・・・・・・・・」 アルヴィスにしてみれば、初めて抱かれた次の日だから。 そういった事に殆ど免疫が無い彼が、恥ずかしがって素直になれないだろう事は予想していた。 だから、そういった気まずさが無くなるようにと、彼が怒るだろう部分をファントムはわざとつついてみたのだが、――――――少々言うべき言葉を、選び間違えてしまったようである。 これでは、本末転倒だ。 一生懸命、慣れない行為を受け入れようと頑張ったアルヴィスの心を、傷つけてしまったかも知れない。 もしそうなら、とんだ失態だ。 「・・・・ごめんね?」 つんとそっぽを向いたキレイな横顔にそっと、謝ってみる。 「アルヴィス君、すごく頑張ったもんね・・・・我慢しなきゃなんて言うのは酷かったよ・・・ね? 昨日沢山頑張ったんだから、今日はもう我慢したくなかったよね・・・・ごめん・・・」 機嫌を損ねたままにしておくのも可哀想だと思い、ファントムはとりあえず誠意を込めて謝った。 「・・・・ちがう」 だがアルヴィスはファントムの言葉に、ゆるゆると首を横に振る。 「そんなの、・・あやまってほしくない・・・・」 「!? アルヴィス君・・・・!」 哀しそうに唇を噛み、掠れた声でぽつりと言う姿にファントムは焦った。 ――――――そんな顔は、させたくないのに。 「・・・・・・・・・・・・・・、」 思い当たる事は、さっき謝罪した事しかない。 なのに一体、何がアルヴィスを悲しませているのか。 「・・・・・・・・・・・・」 必死に考える。 『そんなの』というからには、他にある筈なのだ・・・・アルヴィスを傷つけてしまった、原因が。 「・・・・・・・・・・・」 何だろう? 何がアルヴィスを傷つけて、怒らせた・・・・? 対象が自分以外ならば、簡単なことだ。 壊してしまえばいいだけだから。 アルヴィスを傷付けた対象物など、存在ごと消してしまえばいい。 ・・・・・・・・・だが、対象が自分だとそうはいかない。 なんとしても、原因を解明しなければ―――――――!! 「えっ、・・・他に僕、何かしちゃってた・・・・?!」 情けないが、こうなったら当の本人に聞くしかない。 アルヴィスの機嫌を損ねるようなことなど、本当に覚えがないのだ。 昨日からの記憶を総動員し、脳裏でアレコレと分析してみるが・・・・・やはり思い当たらない。 ――――もしかして昨日、僕に抱かれたのが嫌だったとか、・・・・なんて理由だったら立ち直れないんだけど!! いやいやいや、・・・それは無いでしょ・・・僕に限ってそれはあり得ないよね!? ――――――だって僕だし!! アルヴィスが聞いていたら、一体どこから出てくるんだそんな訳の分からない自信はっっ!??と、目を剥いて怒鳴りそうな事を思い浮かべつつ。 ファントムは、普通に考えれば最初に思い当たるだろう一番の要因を、可能性はゼロどころかマイナスだとアッサリ切り捨てた。 「・・・・・・・・・・・・・・」 だがそうすると本当に、・・・思い当たらない。 段々、ファントムの焦りも本格的になってくる。 通常生活では他人の気持ちなど真剣に思いやったりなどすることは無いし、第一いつもなら相手が勝手にファントムの機嫌を取ってくるから、そんな手間なんか掛ける必要も無い。 どのみちファントムとしては、相手が怒ろうが泣こうが怯えようが―――――・・・・笑っていようがどうでもいいので、その時の気分で好きなように振る舞うのがいつもの日常だ。 他人の心の機微など、利用しようとしている時以外に気にしてやるのは、労力の無駄。 だがアルヴィスにだけは、――――――それは適用されない。 どうでもいいなんて思えないし、彼にとって自分が唯一で最愛の存在じゃなければ嫌だった。 今日なんて、1日中甘い雰囲気の中にどっぷり浸ってアルヴィスと過ごそうという心づもりだったから、こんな重い雰囲気など以ての外(もってのほか)である。 お気に入りで愛してやまないアルヴィスがする表情(かお)だから、笑顔だろうと泣き顔だろうと怒っている顔だろうと・・・・何だってファントム的にはうっとりするくらい可愛く思えるのだが―――――――今日のシチュエーション的に、この憂い顔は頂けない。 「・・・・・・・・・・」 それにまた、変な誤解でもされていて。 アルヴィスが心因性のストレスなどを溜めてでもいたら、最悪だ。 心の負荷は体調に著しく影響するから、今のアルヴィスには少しも感じて欲しくないというのが本音である。 他の人間の事であれば、『好きなだけ悩んでいれば?』とバッサリ切り捨てる所か『悩んでる姿見るの目障りだから、消えてくれない?』くらい口走ってしまう所だが、アルヴィスに関してだけは過保護すぎる程に過保護なファントム。 このまま放置する気には、とてもなれない。 「・・・・・・・・・、」 相変わらず哀しそうな顔で俯いているアルヴィスに、ファントムは堪らず口を開いた。 「ねえアルヴィス君、僕が何をしちゃったの!?」 「・・・・もういい」 焦って問いただすが、アルヴィスは目を伏せて何も打ち明けてはくれない。 「良くないよっ! 言って!? 何でもイイから僕に教えてよアルヴィス君!!!」 「・・・いいってば・・・」 しょんぼりとした声が、いいと言いつつ『全然良くない』事を物語っている。 「僕が良くないのっ!!!」 数刻前に魔王の貫禄で血なまぐさい内容を楽しげに語っていたのと同一人物とは、到底思えない程ファントムは狼狽えていた。 ペタが居れば、嘆かわしいと天を仰いだかも知れない。 だがそんなギャップの事など、ファントム自身はどうでも良かった。 そもそも『アルヴィス』と『それ以外』を比較に出す時点で、大間違いなのだ。 アルヴィス以上に最優先しなければならない事態や存在など、一体何があるというのか? ―――――否。あり得ない。 「僕が何をしちゃったっていうの!??」 喉を痛めているアルヴィスに、余り声を出させたくないと思っていた事すら失念して。 ファントムは、しつこく食い下がる。 「ねえ教えてアルヴィス君。僕、・・・何が悪かったのさ・・・?」 自然と、声に悲哀が混じった。 今なら、涙だって出せそうな気がする。 涙を出す演技など造作もないが、今は本気で泣き喚きたい気分だった。 「今日は記念すべき日なんだよ・・・? そんな哀しい顔して欲しくないんだけど・・・!」 本当に泣きそうになりながら、ファントムは叫んだ。 「僕たちが真の恋人同士として、初めて迎えた朝じゃないか・・・・・!!」 ―――――――そう、記念すべき朝なのだ。 ずっとずっと大好きで、すっごくとっても愛してて。 再会し、アルヴィスの身体がちゃんと自分を受け入れられるくらい成長したら・・・・と、抱くのをずっと心待ちにしていた。 だって大好きだから、アルヴィスのどこもかしこも知りたいし、触れたい。 身も心も自分だけのモノなのだと、彼の身体に知らしめたい。 心も体もひとつになれる、特別な瞬間をアルヴィスとだけ味わいたいと、ずっとずっと待っていた。 そしてようやくその想いが成就し、――――――記念すべき初めての朝を迎えたのに。 大切に、たいせつに。 甘く優しく腕の中で包み込んで・・・・幸せなひとときを分かち合いたいと思っていたのに。 それが台無しになるなんて!! しかも理由はさっぱり分からないままで、原因解明は遅々として進まない。 肝心のアルヴィスが、哀しそうな顔で黙りこくってしまっているから進みようも無いのだが。 「・・・・・・・・・っ、」 ともかく、全然埒(らち)が明かない。 これがアルヴィス以外の者であれば、そもそもファントムはこんなに苦労して理由など聞き出そうなどとも考えつかないし、黙り込んだ時点でツメの間にピンか針か・・・何か細いモノを差し込みでもしてやればアッサリと白状するだろうから簡単だ。 そんな手間を掛けずとも、にっこり笑って『言いたくないならそれでもいいよ・・・?』と言っただけで何故か怯えて話してくれることも多々ある。 しかしアルヴィスに、それをやる訳にはいかない。 キレイな手なのに爪に傷を付けたくないし、第一かなり痛い筈だから、そんな可哀想な事はとても出来ないし脅えさせる事などしたくない。 ――――――だが、かといって。 理由の分からないまま、哀しそうな顔をさせておくのは嫌だった。 なのにアルヴィスはファントムに、何も言ってはくれない。 「・・・・・・・・・・・・・・」 ジレンマである。 普段さして我慢などしたことが無いから、この悪循環に相当なストレスをファントムは感じていた。 人間でも何でもいいから、殺し甲斐のある生き物を二桁くらいザクザク切り刻みたい気分だ。 そうすれば、少しはスッキリ出来るだろう。 「・・・・・・・・・・・・・・・」 けれどそんな物騒な思考を、おくびにも出さず。 「・・・・・ごめん・・・ね・・・・・?」 悄気ながら、ファントムは再び謝罪の言葉を口にした。 「ごめんなさい、・・・・・アルヴィス君が悲しくなるようなこと、しちゃってゴメン・・・」 思い当たる事が浮かばないままに、ひたすら謝る。 「・・・・・・・・・・」 「ごめんね・・・・?」 アルヴィスの表情を伺うように覗き込むその姿は、ご主人様の機嫌を気にする無害な猫のよう。 普段の、狡猾で好戦的な猫科の大型肉食獣―――――といった印象が形(なり)を潜め、牙を抜かれ爪を切られてしまったかのようだった。 主人に叱られ悄気(しょげ)た猫の姿、そのものである。 猫科の肉食獣どころかその皮をかぶった悪魔のように、無慈悲で残酷で他者をいたぶって遊ぶのが大好きな性格のファントムだが、アルヴィスにだけは扱いが違う。 アルヴィスに対してだけは鋭利なツメもキバも決して立てず、その存在全てを慈しむ。 ファントムが自分の非を認める事自体きわめて珍しい事であるし、彼がこんなに執着し大切にしている存在も他に無い。 「・・・・・・・・・・・・・・」 理由も言わずただ黙りこくっている―――――・・・見ようによっては酷くワガママな態度にも激昂することなく、ファントムは優しく青年の黒髪を梳いた。 「・・・・・・・・・・・・・・」 アルヴィスは表情を変えずに、ただされるがままになっている。 いつもなら、いい加減絆(ほだ)されて機嫌を直してくれる筈なのだが・・・・・・今は悲しそうな顔で俯いているだけだ。 本当に、埒(らち)が明かない。 ――――――これは、・・・・どうしたものかな・・・・・・・? 内心でそう、嘆息しつつ。 「ごめんねアルヴィス君・・・僕が悪かったからさ・・・」 ファントムは困ったように眉尻を下げ、苦笑を浮かべた。 「・・・でも、ご飯は食べてくれるかな? 食べないと体力落ちて、また熱上がっちゃうから・・・ね?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 そして、これ以上ヘタに刺激して怒らせないよう、遠慮がちに食事を勧める。 機嫌も治して欲しいが、食事も摂って欲しい。 アルヴィスの機嫌が直るのにはまだ時間が掛かりそうだから、それならせめて先に食事をしてほしいのだ。 昨日から退院前の検査で殆ど食事を摂っていないし、カロリー不足が心配だった。 点滴から栄養を入れるのは可能だが、出来れば経口から摂る方が望ましい。 それに栄養分のある輸液は例え濃度が薄めでも(※濃いのは腕からは出来ない)、液を流す時に血管痛を伴うから、可哀想だ。 「ね? ・・・病院でしてた点滴みたいに、腕の血管痛くなるの嫌でしょ? だからご飯食べてほしいんだ」 「・・・・・・・・・・・・・」 「――――・・・邪魔みたいだから、僕はリビングの方に行くし・・・・気にしないでゆっくり食べて?」 そう言ってファントムは、ベッドから降りる。 神経を逆撫でして、体調が悪化するのだけは避けたいから、・・・・刺激してしまう自分は、退室した方がいいだろうと判断したからだ。 ―――――やれやれ。・・・僕のお姫様は、どうしたらご機嫌治してくれるのかな・・・・! 心の中で、そう嘆きながら。 ファントムは手を伸ばし、ベッド上に幾つも転がっているシルクの刺繍入りクッションを拾い上げる。 そして支えていたアルヴィスの背に、自分の腕がわりにそれを数個詰めて固定してやった。 こうすれば、ファントムが支えていなくても楽な姿勢でいられる。 本当なら抱き支えて彼が食べるのを眺めていたい所だが、アルヴィスの今の精神状態でそれは望めないだろう。 「・・・・食べ終わる頃、また来るよ。・・・寝かせてあげるからそのままでいてね・・・」 未練を残しつつ言い置いて、立ち去ろうとした、・・・・その時。 ファントムの服の裾が、クンッと引っぱられた。 「・・・アルヴィス君・・・?」 「・・・・・・・・・・」 振り返れば、物言いたげな青い瞳がファントムを見上げている。 少し吊り上がり気味の大きな瞳は、瞬(まばた)き1つしない。 出逢ったときからちっとも変わらない、鮮やかな濃いブルーの瞳が鏡のようにファントムの姿を映しているのが、とてもキレイだ。 「・・・・・・・・・・・・・」 長い睫毛を伏せ。 見つめ合う視線を、目を逸らしたのはアルヴィスの方だった。 けれど手は、ファントムの服をしっかりと掴んだまま離さない。 「・・・・・・・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・」 暫しの沈黙が、流れ。 やがて。 「―――って、言った・・・」 小さめで形良い唇が、聞き取れないくらいの小ささで何か言葉を紡ぐのを聞いた。 「?」 ファントムの目が、細められる。 アルヴィスがまた俯いてしまった為、前髪に隠れ唇の動きが読み取りにくい。 「今、・・・なんて言ったのアルヴィス君?」 ファントムはその場で背を屈め、ベッドに上体を起こしている青年の顔を覗き込んだ。 「――――――・・・・、」 アルヴィスは先ほどと同じ仏頂面のまま、不満を込めた瞳でファントムを見やり――――――再びボソボソと口を開く。 「・・・こうしてるって、・・・ずっとこうしてるからって言ったのに、・・・・・」 声はそこで、途切れた。 けれど『・・・いてくれなかったじゃないか』・・・という続きを、ファントムは唇の動きだけで読み取った。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 そして、理解する。 「・・・・ああ、・・・・そっか・・・・」 思わず声が出た。 ――――――傍にいるよ。 ――――――アルヴィス君が眠っている間、ずっとこうしていてあげる・・・・・・・・・。 「・・・・・・・・・・」 昨夜、彼を抱き締めながら囁いた言葉がファントムの胸に蘇る―――――――――。 NEXT 44
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