『君のためなら世界だって壊してあげる』 ACT 8−26 『交差した道の行方 −26−』 ※ちょっとだけですが、グロ+幼児虐待描写入ります!! 「・・・アルヴィスをアイツのとこに預けた経緯だと・・・・?」 店のかき入れ時である、週末の深夜近く。 突然聞きたいことがあると押しかけて来た男を、居酒屋の店主であるアランは胡乱な目で見つめた。 「・・・・・・・・・・」 黒ずくめのスーツに、鈍い銀色というよりは砂のような灰色の長髪、血色の悪い肌をした不気味な男。 仮面をかぶっているかのように表情が乏しく、何を考えているのかまるで伺えない冷たく光る血色のぎょろりとした瞳だけが印象的だった。 男は、ペタと名乗り。 表情に相応しい、抑揚のない声でアランに冒頭の件を聞いてきたのだ。 「・・・・・・・・・・・つか、お前さんは誰だよ?」 とりあえず心当たりのある話ではあったが、おいそれと語るべき話題でも無い。 アランは手持ち無沙汰に、持っていた葉巻を咥えて火をつけた。 「かなり昔の話なんだぜ? ・・・今更、なんでそんなのが訊きたいんだ?」 だいたい、アランが彼を自分の親友に預けたのは10年近くも前の話で。 それを知っているのはもう、親友と彼の息子、そしてアルヴィス本人くらいな筈なのだ。 今更、そんな情報を確認しに来るのはいったいどんな理由があるというのだろう? アルヴィスは昔から、キレイな顔立ちをした子供だったから。 ひょっとすると、モデルとかアイドルとかそういう何かにスカウトされて。 それで、マスコミが彼の周辺を嗅ぎ回っているとかだったら迂闊(うかつ)な事は口外出来ないぞ―――――――なんて、そんな馬鹿な考えが頭を過ぎる。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・」 目の前の男はあまりに愛想が無く、とてもそんな輩には見えないが。 果たして。 顔色の悪い男は、やはり抑揚のない声で事情を説明してきた。 「私は現在、彼を預かっている家の者だ。貴方が彼を預けた経緯を知ることが、彼の精神面のケアに必要な情報なのだ・・・教えて欲しい」 「・・・・・・・・・・」 預かっている、という言葉でようやくアランは合点がいった。 「預かってる? ・・・ああ、するってぇとお前さんは、アルヴィスの幼なじみだとかいうヤツの!?」 アルヴィスを預けた親友から、アルヴィスが大学入って早々に幼なじみと再会し、そのまま彼の家で面倒を見て貰うことになった―――――――というのはアランも聞いている。 何でも小さい時酷かった喘息がまたぶり返して、苦しんでる時に偶然出会ったとか。 しかもその幼なじみが医者で、アルヴィスの体調は自分が看ると豪語してくれて。 更に今後一生、アルヴィスの面倒を見たいと言ってくれたという事も。 「・・・・そうだ」 黒ずくめの男が、アランに短く肯定する。 「私は、その家の秘書のようなモノだ。主からの依頼で、アルヴィスの過去を調べている・・・・大体の経緯は分かっているが、彼が貴方の手であの家に預けられた理由を知りたい」 それが、アルヴィスの精神を落ち着かせる為に必要なのだ――――――と、ペタは繰り返し言った。 「・・・・落ち着かせるって、喘息・・・酷ぇのか・・?」 「精神状態が不安定なままなのは、病状にも良くないだろう。だから、・・・過去を知りたいのだ」 思わず心配になり、アランがそう聞くとペタはそうだとも違うとも答えずに、此方の言葉を即してくる。 「原因を掴まぬままでは、対処が取りにくい。そのために過去が知りたい」 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 アルヴィスの過去は、出来ればこのまま封印しておいてやりたいとアランは思っている。 あの事を知っているのは、自分と自分の親友・・・・そしてアイツだけだ。 それでいい――――――アルヴィスが忘れているのなら、無かったことにしてやりたい。 けれども、そのせいで今、アルヴィスが苦しんでいるのだとしたら。 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 アランは目線を落として、暫しむっつりと考え込んだ。 濃いひげのそり跡が残る頬をザリザリと掻きながら、アランはその彫りの深い整った顔立ちをギュッと顰(しか)める。 そして、次の瞬間。 「・・・・わかった。こっち来い!」 肩を越す黒髪を無造作に後ろで一本に括った、190センチ近い堂々とした体躯を椅子から勢いよく立たせ、奥の部屋を顎でしゃくってみせる。 「話してやるよ・・・ただし、トップシークレットだから無闇な口外は容赦しねぇぜ?」 「・・・・」 凄んで見せながらそう言えば、ペタはやはり表情の伺えない顔で黙って頷いただけだった。 「・・・・10年近く前まで、俺はある男と友達だった」 雇った店員が休憩する、別室へとペタを連れてきたアランは傍らのソファに座るよう顎で指し示しながら。 自分も別の椅子にドカッと豪快に腰掛けつつ、話を始めた。 「そいつは結構、癖の悪いヤツでな。・・・そいつの事を気に入ってる・・つーよりは放って置けなかった、てのが連(つる)んでた理由だったりしたんだけどよ・・・」 当時、よく世話を焼いていた友人の、極度に虹彩が小さくギョロギョロとしていた白目が特徴的だった顔を思い浮かべながら、アランは話を続ける。 「・・・・10年近く前。そいつは、1人のガキを引き取ることになった」 職を転々としていて、いつも慢性的な金欠状態だったその友人は、わずかな謝礼金につられて当時6歳だった子供を引き取ったのだ。 アランはもちろん、聞いた瞬間に無理だろうと反対した。 荒れた生活で、自分自身のこともロクに出来ていない彼では、とうてい子供など育てるのは無理だと思ったからである。 だが、すでに遅し。 彼は子供を引き取った後で、子供の他の親戚も無理の一点張りであり、子供の引取先は他に無かった。 「・・・・・見るからに細くて、長生きできそうにないひ弱な子供でよ? アイツのいい加減な育て方じゃ、あっさり死んじまうんじゃないかって本気で心配になってな・・・」 ただ、とてもキレイな子供だと、柄にもなくアランも感心した。 肌の色が抜けるように白くて、人形みたいに整ったキレイな顔立ちをした子だったのだ。 大きな瞳が、思わず見とれてしまうくらい美しく深い青色をしていて。 内心、友人が変な気を起こすのでは無いかとその時から懸念していた。 金に困ったら、人身売買でもやってしまいそうな人間だったし、実際この子なら売れてしまうと思ったから。 ―――――――けれど、だからといって。 前もって、予防策を講じてやる事も出来ず。 アランは、友人が子供を無碍(むげ)に扱わないよう祈り、陰ながら見守ることしか出来なかった。 「・・・顔見に行く度に元々細ェってのにどんどん痩せていくんだよ。肌なんか青白くなっちまって・・・ロクに喰わせてないのなんか、丸わかりでな? ・・・・なのにアルヴィス、『だいじょうぶ。たべてます』っていじらしく答えるんだよな! きっと食べてないなんて言ったら、後で殴られるとか思ってたんだろうが・・・本当、可哀想なことしたよ・・・・」 虐待されていないかと、ハラハラしていたのに。 顔を見に行く度に、殴られり乱暴された痕跡は無いかと確かめていたのに。 ―――――――そんな風に気を揉んでいるくらいなら、さっさと連れ出してやれば良かった。 誰にも心を開かず、卑屈になっている友人が。 自分にだけは、多少心を開いてくれていたから。 その信頼を踏みにじり、裏切るような真似が―――――――アランには躊躇われたのだ。 ――――――平気さアラン。俺はちゃんと、ガキの面倒は見ているぜ? そう言われたら。 じゃあその調子で頑張れよ・・・・・と、返すしか無かったのだ。 「そして、・・・・・・・・・・あの『事件』が起きた」 どこか痛むように、アランは辛そうな様子で口を開いた。 「―――――――見た瞬間、目を疑ったさ」 思い出しかけるだけで、何とも言えないやるせなさに身体が震える。 気を落ち着かせようと、アランは再び葉巻を咥えた。 「・・・茹だるような、暑苦しい昼間だったな・・・・・・」 夏の、暑い日だった。 どうせ、ヤツの事だから。 子供を海やプールに連れて行ってやろうなどという、殊勝な心がけどころか、そんなことは思いつきもしないに違いない。 せめて、冷房の無い家で暑さを我慢しているだろう子供に冷たいアイスでも・・・・そんな事を思って、アランは友人の家を訪れた。 夏は暑いから出来るだけ働きたくない―――――――・・・そんな自堕落な友人だから、絶対に家に居るだろうと思ったのに、何故かチャイムを鳴らしても出てこなかった。 不思議に思い、裏へ回った。 盗られる物なんか何にもない・・・そう普段から言っている友人が、夏に雨の日以外はベランダの窓が開け放したままなのを知っていたからである。 そして、・・・子供のか細い泣き声を聞いた。 ―――――─やぁ・・っ、痛いっ、痛いよぉ・・・・・!! 最初は、何をしているのか分からなかった。 友人が四つんばい体勢で、子供の上に乗っているような状況。 子供の細く白い足が大きく割り開かれていて、・・・・一瞬、赤ん坊のようにオムツでも替えているのかと思った。 けれど勿論、アルヴィスはもうそんな年齢では無い。 子供の恐怖に歪んだ泣き顔と、華奢な身体に走る小刻みな震え。 そして、友人のズボンがわずかに引き下ろされている状態なのを見て、アランの顔は険しくなった。 友人の、露出させた赤黒く卑猥な逸物が、幼いアルヴィスの尻に押しつけられているのを見た瞬間。 アランは自分の神経が、ブチブチと白く灼き(やき)切れていくのを感じた。 靴を履いたまま大股で居間に上がり込み、友人だと思っていた男の身体を物凄い勢いで引き剥がした後の経過を、アランは良く覚えていない。 「・・・・・・・・気がついたら、アイツを死ぬほどタコ殴りにしてた。俺の拳がイカれるくらいに、殴ってたよ。ヤツも俺の手も、血だらけになってた」 アルヴィスは、声を上げて泣くことも出来ないくらい、怯えていた。 蒼白な顔で、足を大きく広げられた状態のままで、硬直していた。 力任せに掴まれたのだろう、手首に拘束された指の鬱血痕がくっきりとつき。 涙に濡れた白い頬にも、何度か打たれたのだろう赤い痕が残っていた。 ただの、単純な暴行では無い証拠に。 まだ子供体型でただ細いだけのくびれの無い滑らかな腹には、無理に上り詰めさせられたのか透明な液体が付着していた。 身体がまだ、精を作れるほどに成熟していないのに、無理矢理刺激されてしまったのだろう。 深いブルーの美しい瞳は大きく見開かれたままで、焦点を結んでいない。 アルヴィスの衝撃の深さが伺えた。 ――――――――その姿はまるで、壊れてしまった人形のようで。 アランは、あまりの惨さに正視できない思いだった。 「・・・・酷い有様だったな。無茶しやがるから、股なんかもう血だらけでよ・・・・明らかに裂けかけてたからな・・・」 当時を思い返し、沈痛な面持ちでアランは話を続ける。 自分の壊れかけた拳などお構いなしで、アランは上着にアルヴィスを包み近くの病院へ駆け込んだ。 出血がただ事では無いと思ったし、話しかけても抱き締めても揺すっても、何も反応しないアルヴィスがあまりのショックに精神的に狂ってしまったのでは無いかと危惧したからである。 アルヴィスを診断し。 明らかに性的虐待だと眉を顰めた今は亡き初老の医師は、最後まで挿入されていたら恐らく直腸破裂でその場でショック死していたかも知れない―――――――と言い。 アランが駆けつけたのが、本当に間一髪だった事を告げた。 アルヴィスはそのまま、丸1日眠り続け。 目覚めた時には、無理もないが、そのおぞましい行為の記憶はすっかりと抜け落ちていた。 それどころか行為を強いた友人のことすら、アルヴィスは覚えていない状態で。 入院していた2週間、ついに何故自分がそんな怪我をしているのか思い出さないままだった。 「――――――――結局、思い出させるなんてそんな惨い事出来ねーし。・・・まさかまたアイツのとこ預けて記憶戻っちまうのも、悲しい話だがまたアイツが同じ事しでかさねェとも限らないからよ・・・・・・・・・ヤツに納得させて俺が預かることにしたんだが」 そう言って短くなった葉巻を灰皿にギュッと押しつけ。 アランは、此方を見ているペタに顔を向ける。 「俺はこの通りまだ、独身だし。いやそういう意味ではヤツだってそうだったんだが・・・・やっぱ、子供の事良く分かってるヤツの方が育てるのは相応しいと思ってな?」 「・・・・・・・・・・・・・・それで、彼に」 「ああ、アイツにはギンタっていうアルヴィスとちょうど同い年の子供居たし。母親居ねぇから、大変かとも思ったんだけどよ・・・・事情言ったら別に1人育てんのも2人育てんのも大した変わらねーから構わない!って言ってくれてな」 そっからは、アンタ達も事情知ってんだろ? とアランは締めくくる。 「・・・・まあ、だから。ヤツが・・・アルヴィスに何をしたかってのは俺と、ダンナしか知らない。アルヴィス自身だって忘れてる筈だからな・・・・・けど、そんなこと聞いてくるってことは・・・・思い出したってことか・・・・!?」 アランとしても、思い出すだけで胸が痛む悲惨な光景だ。 忘れていてくれればいい。 あんな許し難い行為の事など一生思い出さずにいてくれればいいと、そう願っていたのだが。 「・・・・いや。完全には」 アランの質問に、ペタが静かに首を振る。 「ただ、夢には見るようだ。・・・それなりの対処が必要な為、こうして話を聞きに来た」 「・・・・そうか」 完全に思い出した訳では無いと聞いて、アランは少し安堵する。 アレは、・・・・アルヴィスにとって思い出すには辛すぎる記憶だろうから。 「で? 聞きたい話ってのはそれだけか?」 店の方からそろそろ誰かに呼ばれそうな気がしていたアランは、それなら・・と腰を浮かせ掛ける。 そのアランに、顔色の悪い男はスッと人差し指を1本上げて見せた。 「もうひとつ。・・・その元ご友人の居場所は知っているか?」 「・・・・・・・」 ペタの言葉に、アランは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。 「元!つったろ。・・・今は何処に居るかなんて知らねーな。アイツは・・・パンプはもう、俺様のダチじゃねえ」 「・・・・そうか、邪魔をした」 アランの反応に、スッと立ち上がったペタは優雅に一礼をした。 「ご協力、感謝する。・・・それと、過去の貴方のご英断に、主からの感謝を」 そしてスーツの懐から、厚みのある封筒をアランに差し出してくる。 粗品で良く貰うタオルくらいの厚みだが、中身は明らかに紙幣だろう。 「・・・・なんだこれは?」 すぐには手を出さず、アランは睨むように男を見た。 その視線にたじろぐ様子も無く、ペタは涼しい顔でアランの手に封筒を押しつける。 「主からの、アルヴィスとの再会に貴方が一役買ってくれた事への謝礼だ。・・・貴方が決断し、アルヴィスをあの男の元から連れ出さねば――――――主がアルヴィスと再び逢うことは叶わなかっただろう」 「・・・・・・・・・・・・・」 封筒を、握ったまま。 アランは暫し黙って、それを見つめていたが。 「―――――要らねぇよ」 やがて、ペタへと向かって突き出す。 「俺は当たり前のことをしただけだ。それに後悔してるからな・・・何であんな事態になるまで気づいてやれなかったんだって。・・・それの礼なんざ、受け取れないね!」 「・・・・・・・・・・・・・」 しかし、ペタは封筒を手にしなかった。 「・・・・・では、私がこの店で飲むボトルをその封筒の中身で足りるだけ入れて頂くことにしよう。・・・他の客にそれを振る舞って貰っても、貴方がご自分で飲まれるのもそれは自由だが」 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 アランは黙って、ペタを睨む。 だが諦めて、封筒を自分のポケットへとねじ込んだ。 この様子では、この男はどうあっても金を置いていくつもりだろう。 「わかったよ、・・・そういうことなら受け取っておく」 実際、最近週末以外は割と店の経営が苦しく。 ジリ貧状態が続いているので、売り上げは喉から手が出る程欲しくはある。 「けど、・・・本当に感謝されなくちゃなんねーのは、実際にアルヴィス預かって育ててくれたダンナなんだ。そこは、覚えておいてくれよ?」 「もちろん。彼にも主は、それ相応の感謝の気持ちを表している。・・・今、彼が海外で好きな事が出来ているのは主の力添えあっての事だ」 「ほお・・・?」 差し出された、封筒の厚みといい。 あのメルヘン好きな男が、いきなりに絵本の世界を実際見てくるぜ!!なんて生活にさして余裕無かった筈なのに外国へ飛び出して行ったのを、不思議に思っていたのだが。 それもアルヴィスの、幼なじみの仕業だったらしい。 ずいぶんと、裕福な暮らしをしている人物のようだ。 ―――――――まあ、こうして自分で来ずに人を使っているところを見ても、それは伺い知れるというものだが。 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 何だよ、アルヴィスこりゃあ玉の輿に乗るんじゃねえか・・・・? などと、つい下世話な想像までしてしまう。 幼なじみだったとはいえ、再会してすぐに自分の家に引き取り、大学から何から生活の面倒を全て見るとダンナに挨拶に来たらしいし。 アランへの謝礼といい、ダンナへの待遇といい・・・・アルヴィスに対して相当心を配っている証拠だろう。 アルヴィスは生涯の伴侶として申し分のない人間に、出会ったのかも知れない。 内心、そんな考えに心を飛ばしていたアランにペタが更に『謝礼』らしき事を口にした。 「これでも私は、さる病院の副院長をしている。・・・いい店のようだから、今度病院の連中にも紹介しておこう」 医者には見えなかったが、似合わない訳でも無いか―――――――などと驚きながら、アランは戸惑う。 確かに、お客が増えるのは歓迎だ。 しかも同僚に口をきくというレベルでは無く、副院長ということは上司として部下に言うという事だから・・・・・実際に来店してくれる確率はとても高いだろうし、人数だって期待出来そうだ。 「・・・それは、有り難いが・・・」 だが、ハッキリ言ってそこまでして貰う義理は無い。 アランは顎の無精ひげを引っ張りながら、その旨を告げようとしたが。 ペタは静かに、首を横に振った。 「気にしなくていい。アルヴィスが気にしている身内には良くするようにと、言われているからな」 言いながら、ペタはアランの傍を通り過ぎ扉の方へと歩を進める。 「――――――では、私はこれで。ご協力、感謝する・・・」 慇懃な態度で礼をして、黒ずくめの男は来たときと同じように静かに外へと出て行った。 「・・・・・・」 その姿を、黙って見送り。 なんだか気が抜けて、仕事に戻る気が失せてしまったアランはそのまま、先ほどペタが座っていたソファにゴロリと横になる。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 横になりながら、テーブルに手を伸ばし新しい葉巻を口に咥えた。 煙を胸一杯に吸い込み、ふー、と気怠げに息を吐き出せば紫がかった白い気体がゆっくり宙に舞い、やがて薄く消えていく。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 そして、何とは無しに、話題に上っていたアルヴィスの事を考えた。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・しばらく、逢ってねーよな・・」 久々に、成長したアルヴィスのキレイな笑顔が見たいと思った。 出会った頃は、ただキレイなだけで。 人形みたいに無表情だったアルヴィスだが、ダンナのところで暮らすようになってからは明るくなり、屈託のない笑顔を見せるようになっていった。 ダンナの本当の息子であるギンタとは、血の繋がった兄弟であるかのように仲睦まじく。 時には取っ組み合いの喧嘩や激しい言い争いをしたりしながらも、仲良く勉強したり、一緒の布団で眠り風呂に入る姿は、いつ見ても微笑ましいモノだった。 騒がしく、決して上品とは言えない家庭だったが、いつも笑いが絶えない家で。 一人暮らしのアランは、あの家に行くと家族というものの温かさを実感したものである。 「・・・・・・・・・でももう、行けねえんだよな」 親友であるダンナは、夢を追いかけて海外へ。 息子のギンタは、大学進学を機にアパートを借りて一人暮らしを始めたし。 アルヴィスも、王子様のお嫁さんに貰われていったようなものだろうし。 ――――――あの古い家にはもう、誰もいない。 そう思うと、酷く寂しい気持ちがアランの胸に広がった。 「・・・・・・・・・・・」 けれども、アルヴィスにとっては新たな幸せの第一歩だとも思う。 小さい頃からキレイだっただけに、・・・・心惹かれるモノを感じながらも不憫だと思っていた。 並外れて整った容姿を持って生まれてきたばかりに、買わなくて良い関心を買い、知らなくて良い大人達の汚らしい欲望を知る羽目になった。 その容貌に見惚れながらも、こんなにキレイじゃなければ良かったろうにと同時に思った。 だが、その美しさで苦労した分。 彼はその恵まれた容姿ゆえに、今度は新たな幸せを掴めるのかも知れない。 「・・・アルヴィス・・・・」 初めて見た時は。 キレイだが、指先でちょっと突いたら壊れてしまう、脆い人形のように感じた。 自分の無骨な手で触れれば、簡単に首や手足がもげてしまう気がして。 怖々としながら、抱き上げていた。 こういう弱々しい生き物を扱うのは苦手だと思いながら、それでも放っておけず。 見守る内に――――――いつの間にか、可愛く思うようになって。 だから。 無惨に壊されたと思った時には怒りの余り、我を忘れた。 殺人者の烙印を押されようと、後でどんな罪に問われても構わないと思った。 この小さな子供の笑顔を奪うなら、誰であっても許さないと思った。 いつの間にか、・・・・アルヴィスの笑顔を見ることがアランにとっての楽しみになっていた。 アルヴィスの為を思って、親友へ預け。 彼の屈託のない笑顔を見て―――――――自分の選択が正しかったのだと嬉しく思った。 今でも、アルヴィスの笑顔はアランにとっての幸せだ。 「・・・・・・・・・・・・・」 元よりキレイな顔立ちは、成長するに従い堅い蕾がほころび花開くように、ますます美しくなり。 柔らかそうな丸みを帯びていた白い頬は、すっきりと。 ただこぼれ落ちそうに大きかった青い瞳も、多少切れ長になり憂いを帯びて。 愛らしいだけだった低めの鼻やぷっくりとした小さな唇も、今やすっかり大人びたものとなり。 スッとした高い鼻梁や長い睫、薄く形良い唇が醸し出す繊細な美しさは、幼かった頃のアルヴィスには無かったモノだ。 美人になるのはわかりきっていた事だが、これほどになるとは想像していなかったアランである。 ――――――アランさん。 アランさんが、俺をダンナさんの所へ連れてきてくれたんですよね。 アランさんが居なければ、俺はダンナさんにもギンタにも、出会えなかった・・・・。 今の幸せは、アランさんのお陰です! ――――――ありがとうございます―――――。 去年だったろうか、改めてアルヴィスにそう礼を言われた。 別に、感謝されたくてした行動では無いから、別にいいとぶっきらぼうに答えた。 けれど、彼がそう思ってくれているという事は嬉しかった。 ―――――――俺、アランさんにもダンナさんにも恩返ししたいです。 あ、来年大学行って1人暮らしになったら・・・・俺、時々アランさんのお家にご飯とか洗濯とかしに行きますね! 大学、アランさんのお家に近いですし!! ―――――――へえ? お前のメシか・・・毎日握り飯しか無ェのは嫌だぞ俺は! ―――――――・・・・酷いですアランさん!・・・他にもまだ、作れますよ・・・・。 ―――――――お、レパートリー増えたか? 握り飯の中身が、梅干しから鮭に変わっただけってんじゃ無いだろな? ―――――――・・・・ウィンナーとかも、焼けます、・・ょ・・・・・。 そんな、・・・苛めないでください・・・俺、アランさんのお役に立ちたいんです・・・・。 拗ねながら、そんなことを言ってくるアルヴィスがいじらしかった。 身体はすっかり大きくなったのに、子供の時と変わらず拗ねて甘えるアルヴィスが可愛かった。 「・・・・・・・・・・・・・」 まだまだ、子供だと思っていたのに。 身体は大人になったが、頭の中身はギンタと一緒で、子供なのだと思っていたのに。 いつまでもこうして甘えてくれるのだと、そんな気がしていたのに。 もう、誰かを選んで歩いていくんだな・・・・・。 「・・・・・・・・・・・」 そう考えると。 良かったと思う反面、胸が痛む気がした。 何か悔やんでいるような、切ないような、・・・まるで・・・・・。 ―――――――あの時に、さらっておけば良かったと後悔しているような。 「・・・・おいおい、あり得ないだろ!」 そこまで考えて、アランは大きく頭を振った。 アルヴィスは大切な存在だ―――――それは、間違いない。 幼い時から見守り、彼がもう不幸な目に遭わぬようにと・・・それだけを願ってきた。 ずっと傍で見てきたから、それなりに愛着があるのは、当たり前だ。 だが、その感情はあくまで『親』のようであるべきで。 「・・・・20近く歳離れてんだぞ・・・・・・・」 アルヴィスに対する感情が、本当は何なのか。 親愛の情なのか、それとも恋愛感情なのか―――――――それは、考えないことにした。 考えても、意味のない事だからだ。 アルヴィスが、自分を求めないのなら。 自分の感情に名前を付けても、・・・・意味は無い。 「俺様は、・・・アイツにとっては『血の繋がらない尊敬する叔父さま』だからな。せっかくの玉の輿のチャンスらしいし、・・・・見守ってやらねーと!」 葉巻を咥えたまま、アランは一人ごちる。 「・・・そうだよ、アイツが本気で玉の輿に乗ったら俺様にだって何か恩恵があるかもしれないしな? ・・・・そうだよ、だからいいことなんだっての!!」 自分に言い聞かせるように、語気強く。 葉巻の半分が、すでに灰になり落ちそうになっていることも気づかずにアランはしゃべり続けた。 「アルヴィスが幸せになるんだ・・・・・気に入らない事なんざ、何もねえ!!」 ――――――アランさんが、ずっと独身でしたら。 俺、お世話しに行きますね・・・? ご飯とか、洗濯とか、練習します! だから、・・・・高校卒業するまで待っててくださいね・・・? 約束、・・・ですよ? 「・・・へっ、約束なんざ元から信じちゃいねぇさ・・・・」 口元に笑みを浮かべながら。 アランはポケットにつっこんでいた封筒を、寝ころんだまま床に放る。 弾みで、ボロリと灰がソファに零れた。 「見返りなんざ要らねぇ。・・・・俺様はお前が幸せなら何にも文句は無ェーよ!」 そう言って、想いを振り切るかのようにギュッときつく目を閉じる。 「・・・・・・・・・・・・・・・」 どのくらい、時間が経ったのか。 気づけば、いつからかドンドン、と扉をノックする音が響いていた。 従業員の呼んでいる声もする。 「・・・煩せぇ。今忙しいんだ・・・後にしろ!」 しかし起き上がることをせず、アランは怒鳴った。 「1時間でいい、放っておけ!!」 そして寝転がったまま、くすんだ天井を見上げて小声でぼやく。 「・・・・・今、俺様は傷心なんだ。傷が癒えるまで、少しくらいそっとしといてくれよ・・・」 そう口にしたアランの顔は、辛そうでいてどこか満足そうな。 とても複雑な表情を浮かべていた――――――――――。 ――――――――お前の為なら。俺様は、何だってしてやる。 我慢だって、失恋だって、・・・・・・してやるさ――――――――。
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