『君のためなら世界だって壊してあげる』 ACT 32 『交差した道の行方 −25−』 ――――――ファントム・・・・!! 「・・・・・・・!!」 マスク越し。 賢明に力を込めても、痛みだけが生じ音を発してはくれない喉で。 アルヴィスは声にならない声で、必死にファントムの名を呼んだ。 「・・・・・・・・・・・!」 相手どころか、自分にすら届かない声なき声で。 伝わらないもどかしさに焦れながら、せめて触れたいと手を伸ばす。 「・・・・・・・・・・・・・」 話したかった。 触れたかった。 求めている彼が今、現実にそこに居るという――――――・・・確かなモノが欲しかった。 アルヴィスが伸ばした手を、目の前の青年は当たり前のように優しく握り。 もう片方の手で、宥めるように頭を撫でてきた。 「・・・・管入れてないのに声でないから、ビックリしちゃったのかな? 大丈夫だよ、すぐまた出るようになるから。今はまだ喋らないで喉、安静にしていようね・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・」 言われたとおり、全く声の出ないアルヴィスはファントムに何を言うことも出来ず。 ただ、じっと幼なじみの端正な顔を見つめる事しか出来なかった。 「・・・・ああ、そんなに泣かないでアルヴィス君・・・・」 そんなアルヴィスに、ファントムは笑みを浮かべたまま困ったように眉尻を下げ。 髪を撫でていた手で、再び頬を伝っていた涙を拭ってきた。 「ごめんね? ・・・・アルヴィス君は、僕に言いたい事が沢山あるんだよね。そして僕はアルヴィス君の言うことだったら何だって聞きたいんだけど・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 「――――――でも今はまだ、喋らない方がいいから。・・・喉も胸も、痛むよね? だからもうちょっと、眠っていようか・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 甘く柔らかな、耳通りの良い声。 キレイで優しい笑顔に、つい、そのまま頷いてしまいたくなる。 けれど、そう言って立ち上がり。 点滴スタンドに幾つか下げられていたボトルの一つへと手を伸ばしたファントムの、目元に濃い疲労の陰があるのを見て――――――アルヴィスは、たった今まで握られていた手で白衣の端を掴んだ。 「・・・・・・・アルヴィス君?」 ボトルに刺さっていた点滴チューブを引き抜き、別の透明な液が満たされた小さな容器に差し替えようとしていた手を止め、ファントムが怪訝そうな表情を浮かべた。 だが、すぐに笑顔になりアルヴィスの方へと身を屈める。 「大丈夫、僕はどこにも行かないよ?」 「・・・・・・・・・・・・・・」 「アルヴィス君が眠るまでも、眠ってからも・・・・ちゃんと側にいてあげるから」 宥めるような口調。 どうやら自分が立ち上がった事を、アルヴィスがどこかへ行ってしまうと勘違いしたと思ったらしい。 「・・・・・・・!!」 ファントムの言葉に、アルヴィスは懸命に首を振った。 ―――――違う。そうじゃなくて。 「・・・・・・・・・・・、」 必死に眼前にある、ファントムの整った顔を見つめ。 アルヴィスは伝えられないもどかしさに、表情を歪めた。 「・・・・・・・・・・・・」 ごめんなさい――――――・・・・と。 そんなに疲れ切ってしまうほど、心配させて。 勝手に裏切られたと、どうでもいいんだろうと・・・拗ねて。 あんなに、可愛がって貰ってたのに。 あんなに、再会を喜んでくれたのに。 あんなに、・・・良くしてくれていたのに。 全てを、否定するような事を言って。 ――――――ごめんなさい。 せめて一言、そう謝りたいのに。 そんなに疲れさせてごめんなさいと・・・・・伝えたいのに。 「・・・・・・・・・・・・・・・、」 声が出ない。 「・・・・・・・・・・・・・・・」 側に付いてなんて、いなくていい。 寝ないでずっと、こんな風に付き添ってくれるのなんか、・・・・しなくていいから。 そう、言いたいのに。 「・・・・・・・・・・・・・・・」 疲れてるファントムなんて、見たくない。 自分のせいで、傷ついたり憔悴したり、ボロボロになってる彼なんて見たくは無い。 「・・・・・・・・・・・・・・」 ファントムは、いつだってキレイで。 傲慢なくらいに、自信過剰で。 見ている此方が腹が立ってくるくらい、何でも出来て。 すごく、器用で要領良くて。 いつでも余裕、たっぷりで。 楽しそうに笑っている。 ――――――アルヴィスにとってのファントムは、そうでなければならないのだから。 「・・・・・・・・っ、」 アルヴィスは力の入らない手を持ち上げ、何とか口元を覆う酸素マスクをずらすことに成功した。 「アルヴィス君、・・・」 それを遮ろうと手を伸ばしてくるファントムに、アルヴィスは喉の力を振り絞り言葉を発する。 「・・ご・・・・・・・・・・、」 やはりそれは、―――――聞き取れる程の言葉として発する事は出来なかった。 けれどアルヴィスは、必死に唇を動かす。 『ゴメンナサイ』 「・・・・・・・・・・・・・!!」 ちゃんと伝えられているのかは、分からなかった。 声どころか、唇だってうまく動かせている気がしない。 こんな事では、ファントムにはきっと、何を言ってるのか分からないだろう。 それでも。 言わずには、・・・・いられなかった。 「――――――アルヴィス君・・・・」 困ったような顔をして、ファントムが名を呼び。 身を屈めた体勢のまま、アルヴィスの方へと更に上体を倒してきた。 ファントムはアルヴィスの耳横に手をつく体勢となり、二人の顔が自然と近づく。 「・・・・・・・・・・・・・・」 鼻先が触れそうな距離にアルヴィスが気を取られた瞬間、ファントムが素早くマスクの位置を元に戻してきた。 そして、言い聞かせるように言う。 「いいんだよ、謝ったりなんかしなくても。・・・・アルヴィス君は、何も悪くない」 「・・・・・・・・・・・・・・・・、」 「ホントだよ?」 アルヴィスの顔を覗き込むようにして笑って見せ、ファントムは優しく頭を撫でてきた。 「アルヴィス君は・・・僕のたった1つの宝物だから。何したって可愛いとしか思えないし、何されたって―――――・・・・許せる自信が僕にはある」 ―――――――アルヴィス君はね、ボクのたった1つの大切なモノなんだよ。 ―――――――1つ? 1つしかないの? ファントムいっぱいオモチャ持ってるのに・・・? ―――――――うん、1つだよ。 ボクは、アルヴィス君しか要らないから。 他のモノは、あっても無いのと同じなんだよ。 ―――――――ふぅん・・・? あるけど、ないの・・・・? ヘンなの! ―――――――だからね。 ボク達ずっと、一緒だよ。 ボクにはアルヴィス君しか居ないんだから! ボクのたった1つの宝物は、どこにも行ったらダメなんだからね・・・・・・? ―――――――わかった。 じゃあオレ、そばにいる! ファントムの、そばにいるね。 1つしかないんだから、オレいないとカワイソウだもんね。 ―――――――そうだよ。 アルヴィス君が傍に居ないと、ボクが可哀想なんだ・・・。 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 アルヴィスは自分の髪を撫でているファントムの顔にそっと、手を伸ばし。 輪郭をなぞるように、指先で滑らかな頬に触れる。 殆ど、無意識の行動だった。 訴えかけるようにファントムを見つめ、アルヴィスはマスク越しに唇を動かす。 ―――――――俺が居ないと、ファントムは可哀想・・・・? 「・・・・アルヴィス君・・・?」 アルヴィスの行動に、一瞬ファントムは驚いたように形良いアーモンド型の瞳を見開いたが、すぐ嬉しそうに目を細める。 アルヴィスの言わんとすることを、唇の動きで読み取れたらしい。 「・・・ああ、そうだね。小さい頃にも良く、アルヴィス君が僕の宝物なんだ・・・って言ってたっけね。そう、あの頃から――――――・・・僕の気持ちは変わらないよ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「あの時はアルヴィス君、僕の傍に居てくれるって言ったよね? 『たった1つの宝物だから、居なくなったら可哀想だ』って」 それは今も同じだよ。アルヴィス君いなくなったら、僕は可哀想なんだ―――――――そう言って。 ファントムはアルヴィスの前髪を再び掻き上げるように撫で、露わになった額に口付けた。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・」 幼い頃から、良くされていた仕草だ。 小さい時は別にそれが普通なのだと思っていたが、抱き締められたりキスされたり、頭を撫でられたり――――――愛情表現の全てを使って、本当に可愛がられていたのだと今になって思う。 だからこそ。 ファントムがアルヴィスの傍を去り、そのまま音沙汰が知れなくなってしまった時に見捨てられたのだと・・・・もう自分は要らないのだと思って裏切られた心地にもなったのだけれど。 でも、それだって。 アルヴィスは再会してからも、音信不通になった理由をファントムに聞いたりはしなかった。 それなりの、それ相応の、・・・・理由があったかも知れないのに。 再会した時にだって、探していたと―――――――そう彼は言っていたのに。 あの時は興信所を使ってなんて金が掛かるのに何で・・・と、訝(いぶか)しくさえ思った。 10年以上の時間(とき)を経て。 今更に自分の行方を捜して、何のつもりなのかとファントムの意図が分からず勝手に焦れた。 偶然の再会で、たまたまアルヴィスが放っておけない身体だったから・・・・哀れみで面倒を看てくれるつもりになったのかと――――――――邪推した。 けれどそれは、ちゃんと考えれば全てが繋がる。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 幼い頃、誰にも代わりが出来ない程に可愛がって貰った。 それは何とも引き替えられないくらいに、大切な時間で。 アルヴィスにとってファントムは、掛け替えのない存在だった。 ――――――それは、今もアルヴィスにとって変わりなく。 ファントムにとっても、アルヴィスがそうだと。 何故、考えなかったのだろう? 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 そう思いながらファントムを見つめていたアルヴィスは、彼の左手の甲に白い包帯が巻かれているのに気がついた。 よく見れば、白く長い指先にも包帯が巻かれていない部分にも、細かい切り傷がある。 「? ・・・ああ、コレ?」 アルヴィスの目線を追って、ファントムが苦笑いをする。 「ちょっとガラスで切っちゃってね・・・・、もちろん治療の時は手袋はめてたから大丈夫だよ?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・」 けれど、包帯の白さが目に痛々しい。 いつの間にか心配そうな表情になっていたらしく、ファントムが再度大丈夫だからと笑って言ってきた。 「アルヴィス君の、・・・こっちの傷より全然軽いから平気だよ」 言いながら、アルヴィスの手を取ってくる。 傷に触れないよう優しく取られた手首には、ファントムの甲と同じように白い包帯が巻かれている。 「・・・・・・・・・・・・・・・」 アルヴィスが、自分で切った傷だ。 「――――――ごめんね・・・」 反射的に目を伏せたアルヴィスに、ファントムが口を開く。 「・・・・・?」 自分で切った傷なのに、何故ファントムが謝るのだろうか。 アルヴィスは思わず、顔を上げて彼の表情を伺った。 「・・・・・・・・・・・・・・・・!?」 そして、ファントムの。 いつもの柔らかい笑みが失せ何かを悔やむかのような哀しそうな顔にアルヴィスの方が衝撃を受け、胸がズキリと痛んだ。 「ごめんね・・・」 繰り返し、ファントムは謝った。 「・・・アルヴィス君、ずっと不安だったんだよね。いきなり体調悪くなってきちゃったし、僕も色々勝手に動いて・・・・アルヴィス君の気持ち考えずに引っ越させちゃったりしたし。身体も生活環境もいきなり一変しちゃったら、ビックリするよね」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「君とようやく再会出来たのが嬉しくって、つい浮かれてアレもコレも・・・ってしちゃったけど。ちゃんと、12年ぶりなんだから12年分の段階踏まえて、やるべきだったよね」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「12年分のアルヴィス君を、僕は知らないとだったのに・・・・・」 そう言ってから、ファントムは頭(かぶり)を振った。 「・・・ああ違うね、―――――・・・12年分の事を、僕は君と話さないとだったんだ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「僕のこと、・・・君のこと。君が僕に話したいこと、・・・・全部」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 再びアルヴィスの頭を撫でながら、そう言うファントムの顔を見つめて。 アルヴィスは唐突に、理解した。 幼い時、だけじゃなくて。 偶然再会したから、でもなくて。 ――――――離れていた12年間もずっと、・・・・・・想ってくれていた? 「だから、僕がアルヴィス君にした悪いこと全部謝る。何度でもゴメンって言うから・・・・・僕に、これからのアルヴィス君の時間を頂戴?」 「・・・・・・・・・?」 言葉の意味を、掴み損ね。 眉を寄せるアルヴィスに、ファントムが苦笑して言葉を重ねた。 「僕はこれからも、アルヴィス君と一緒に居たい。・・・・嫌だって言われても離す気は無いから、コレはお伺いしてるっていうよりは宣言なんだけど・・・・・」 そう言ってファントムはアルヴィスの手首に包帯が巻かれた手を、恭(うやうや)しい仕草で持ち直す。 そしてアルヴィスの顔をじっと見つめ、手の甲へと唇を落とした。 「――――――好きだよ。世界中の誰よりもアルヴィス君の事を愛してる」 だから僕と、生きてる間も死んでからも、ずっと永遠に一緒に居てください――――――――お祈りを捧げるように、そう口にして。 ファントムは、にっこり笑った。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 その満面の笑みに。 アルヴィスは心底、今の自分が声を出せないのが悔しいと思った。 言いたいのに。 伝えたいのに。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・、」 自然にまた、アルヴィスの眉間にしわが寄る。 「あれ? どうしたのアルヴィス君。・・・ひょっとして嬉しすぎて泣きそうなの我慢してるとか?」 「・・・・・・・・・・・・・!!!」 怪訝な顔でチョン、と眉間のしわをつつかれ。 アルヴィスの顔が更に険しくなった。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 どう考えたって。 今の言葉は、告白じゃなかったろうか。 告白なんて、一世一代というか、一生に一度っていうか・・・・いや人によっては別にそんな大したモノじゃないかも知れないけれど、それでもやっぱり、重大事件で。 相手の反応見ない内から、こんな態度はどうかと思う。 それがこんな・・・・、告白した舌の根がまだ乾かない内にこんな・・・・軽口叩くなんて!! 「・・・・・・・・・・・・・・・・・」 すごく、殊勝な顔をしていたから。 いつもの飄々(ひょうひょう)としたイメージと打って変わって、真剣な目だったから。 ―――――――本気なんだと、思ったのに。 「ゴメンゴメン、 怒らせたかった訳じゃないんだ!」 「・・・・・・・・・・・・・・、」 恨めしげに幼なじみを見上げれば、ファントムは整った顔にまた困ったような笑みを浮かべていた。 「僕を見てるアルヴィス君の顔が、あんまり可愛らしくて・・・・つい、からかいたくなっちゃっただけなんだよ」 「・・・・・・・・・・・・・・・」 「ホントだよ? ・・・・あ、もしかしてさっき好きって言ったのも嘘だと思ってるとか!?」 「・・・・・・・・・・・・・・・」 すっかり機嫌を損ねたアルヴィスは、酸素マスクをつけた顔をファントムが居るのと逆方向へと背けた。 「嘘じゃない。・・・本気だよ?」 背後で、くすっと笑う声が聞こえ。 枕と頭の間に手が差し入れられたと思ったら、寝ているアルヴィスの頭だけをかき抱くようにして、ぎゅっと抱き締めてきた。 「ずっとずっと、・・・好きだった。小さいときから、ずーっと」 「・・・・・・・・・・、」 思わず再び顔をファントムの方へ向ければ、幼い頃から大好きだったキレイな顔が間近。 長い銀色の睫を伏せて、ファントムがそっとアルヴィスの額や頬、瞼にキスを落としてくる。 「――――――誓いのキスを唇にしたいとこだけど、それはマスク取れてからだね・・・」 目の前の、アメジスト色の瞳が優しく細められて。 形良い唇が、甘い笑みを形作った。 「大好きだよ。・・・・初めて逢った時から、ずっと君だけが好きだった」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 その言葉と、優しい口付けに。 アルヴィスはやっぱり、声が出ないのが悔しいと思った。 ―――――――俺だって。 ずっとずっと、大好きだった。 きっと俺の方が、ファントムが俺を好きなのよりもっと、・・・ファントムが好き。 そう言いたいのに、声が出ない。 ずっと心にあった、溶けなくて冷たい氷。 それがファントムの言葉で、跡形もなく消えていく。 もし、ファントムの中にも。 アルヴィスが言った心無い言葉で、そんな氷があるのなら。 それはやっぱり、自分が消してあげたいと思う。 何を言ったら溶けるのか、それは良くは分からない。 でもきっと、・・・・好きだとたくさん伝えたら。 同じように溶けてくれる気がした。 ―――――――大好きだよ。 幼い頃から、良くファントムが言ってくれた言葉。 聞くととても安心出来て、嬉しかった言葉だ。 『大丈夫』と共に、ファントムがアルヴィスに言ってくれた言葉。 それを、アルヴィスからも伝えたいと思う。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 でも、―――――――声が出ない。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 また自然に顔をしかめそうになり、アルヴィスは慌てて表情筋をゆるめた。 これでは、さっきの繰り返しになってしまう。 そんなアルヴィスの心情を察したのか、ファントムは柔らかい笑みを浮かべた。 そして抱き締めていた腕を離し、あやすように再び髪を撫でてくる。 「よしよし、・・・すぐ、声は出るようになるからね。アルヴィス君が言いたいことは、あとでちゃんと聞いてあげるから。今は我慢しよう?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「焦らなくていいから。・・・ね、まだ意識戻ったばかりだし疲れちゃったでしょう? もう少し眠っていよう?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 眠ろう、と言われ。 アルヴィスはまた、ファントムの疲労した様子を思い出す。 眠らなければならないのは、ファントムの方では無いだろうか。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・、」 「ん? なあに、アルヴィス君・・・?」 ファントムの方を伺うように見つめれば、白衣を着た青年は怪訝そうに小首を傾げた。 それから考えを巡らせるように少しだけ目線を落として、すぐに苦笑する。 「ああ、・・・僕が疲れてるようにでも見えたのかな?」 「・・・・・」 声もなくアルヴィスが微かに頷くと、ファントムは自分の顔に手をやりながら何でもない、という風に首を横に振ってきた。 「平気だよ? 海外での研修時代なんてもっとハードだったし。二日寝ないでレポートやって、日中は研修、夜はオールで飲み会・・・・なんて事もしょっちゅうだったしねえ」 それでメス握れるくらいだったんだから、このくらいは大丈夫―――――――そう言って心配は不要だと笑顔を見せる。 実質、失敗しようが成功しようがどうでもいいと思っている状態での数日間の徹夜続きと、自分の存在理由を揺るがしかねないような大切なモノの安否を気遣いながらの不眠不休は、訳が違うのだが。 その辺は、アルヴィスがあずかり知らない事情である。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 平気だと言われ、そうは見えないがファントムがそう言うならと、アルヴィスはひとまず安心した。 自己管理は出来るタイプだろうし、自分を犠牲にしてまでも・・・という性格にはどう見ても見えない。 それに、海外のとはいえ医師免許を取得しているくらいなのだ―――――――自分の体調管理はバッチリだろう。 医者の不摂生という言葉があるのを忘れ、アルヴィスはとりあえず気にするのをやめた。 「・・・・・このまま眠れそうかな? 寝れないようなら、点滴落としてあげるけど・・・・」 納得した様子のアルヴィスに、ファントムが再び立ち上がって点滴ボトルの方へ手を伸ばしながら聞いてくる。 「・・・・・・・・・・・・・」 それにアルヴィスは、微かに首を振って要らないと答えた。 大した時間起きていた気はしないが、やはり体力が落ちているのだろう。 張り詰めていた身体の力が抜ければ、急速に意識が眠気に襲われ引きずり込まれそうになるのを感じる。 これでは、目を閉じただけであっという間に深い眠りの淵へと落ちていきそうだ。 「―――――・・・おやすみ、アルヴィス君」 心地よい眠りに誘われ。 ゆっくりと目を閉じたアルヴィスが最後に見たのは、大好きな幼なじみの姿だった。 サラサラした銀髪にアメジスト色の瞳した、キレイな顔の幼なじみは。 頭身も高く均整の取れた体つきで、そこらのモデルなど問題にならないくらい存在自体が華美な彼だから、白衣姿だってとても似合っていて。 こんな医者に診察されたら、患者が皆好きになってしまうんじゃないか・・・・・・。 ――――――そんな、埒(らち)もない馬鹿馬鹿しい心配ごとを考えながら眠りに就く。 けれど、眠りに落ちたアルヴィスの顔は久々にひどく穏やかなモノだった・・・・・・・。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 アルヴィスが眠りに落ちるまでを注意深く観察していたファントムは、完全に青年が眠ったのを確認し。 ホッと安堵の息を吐きながら、傍らの椅子にまた腰をかけた。 先ほどした約束通り、目が覚めるまでアルヴィスに付いていてやる為である。 「ファントム、」 そんなファントムへ、背後から近づいてきた男が各ベッドを仕切る為に取り付けられているカーテンをそっと開けて声を掛けてきた。 「少し、休まれた方が・・・」 「いいよ、平気。アルヴィス君とさっき約束したしね・・・・起きるまで付いてあげようと思うんだ」 ファントムは微笑を浮かべて、男・・・ペタの勧めを断る。 「しかし、・・・・・・・・」 「――――――アルヴィス君は、強いトラウマを抱えてる。昼間の発作は、恐らくフラッシュバック(心的外傷を受けた場合に、後々になってその記憶が夢や幻覚再現されてしまう現象のこと)が引き金になったせいだと思うんだよね・・・・・・・」 尚も言おうとするペタを遮るように、ファントムは口を開いた。 口調はとても穏やかで静かなものだったが、ひどく冷たい響きで。 その声音に、ペタは押し黙る。 「解離(かいり)しちゃってるみたいだから、アルヴィス君自身は認識出来てないみたいだけど。・・・・まだ精神的に不安定だからね・・・悪夢でも見て発作起こしたら笑えないよ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・」 解離とは、幼少期の傷つけられた体験を言語的に認識する能力を持たないままの記憶などで、自分で認識出来ないような衝撃的な内容を無意識的に自分から切り離してしまうような状況をいう。 そうでないと、自我が崩壊してしまう可能性があるからだ。 しかし、理解することすら出来なかった衝撃的な外部からの傷は、消え去る事無く心にしっかりと刻まれている。 だから、何かの拍子で幻覚や夢でそれらが再現されてしまったりするのだ。 「――――――それでしたら誰か他の者がファントムの代わりに、・・・」 ようやく口を開いたペタが、打開策で何とか自分の主に休息を取らせようと提言してくる。 「・・・・他の者?」 それがファントムの気に障ったらしく、銀髪の青年は白皙(はくせき)の美貌を不機嫌そうに歪めた。 「僕以外の誰が、アルヴィス君が怯えている時に彼の精神を安定させられると言うんだい?」 そして苛々と言葉を続ける。 「それに、・・・・解離した記憶は無理に思い出させる訳にはいかないから、もしフラッシュバックを起こしたらその時の彼の態度や言動で内容を判断するしかないんだ。そんなデリケートな作業、他のヤツにやらせる訳にはいかないよ・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「そんなことより。早くアルヴィス君の当時の記録調べて、彼が虐待を受けた可能性の裏付けをしてくれ。――――――アルヴィス君の養父は今、海外の各所を放浪中の筈だから彼の証言は取りにくいかも知れないけれど・・・・・でも、知り合いなんかに当たってみて? もちろん、理由はなるべく伏せてね・・・・」 言いながら、ファントムは眠っている青年の髪に手を伸ばし優しく撫で始めた。 「・・・・表層意識では覚えてないのにね。・・・怖かったんだね可哀想に・・・」 僕が守ってあげられなくてゴメンね・・・・青年に話しかける口調は今までと打って変わって、ひどく甘く優しい響きを持っていた。 同じ美しいアメジスト色の瞳なのに、アルヴィスを見つめる眼差しはとても柔らかい。 「・・・大丈夫だよ。これからは僕が全部守ってあげるからね。・・・君の為なら何でもしてあげる。君のお願いだったら何だって叶えてあげる。―――――君の為なら、この世界だって壊してあげるから・・・・」 ファントムはもう、ペタの方を見ていなかった。 眠る黒髪の青年と、それを見守る銀髪の青年。 どちらも印象は違えど同じように見目麗しく、その姿はまるで一幅の絵画を見ているかのようだ。 銀髪の青年は、永遠に眠る黒髪の青年を守る天使のようにも。 眠る黒髪の青年を、永遠にその白い部屋に封じ込めている魔王のようにも見えた。 「・・・・・・・・・・・・・・・」 実際、どちらでもあるのだろう―――――――とペタは思った。 ファントムはアルヴィスを何ものからも守り、そして同時に自分以外の存在全てをアルヴィスから遮断する。 守られるのと同時に、外部から一切、閉ざされるのだ。 それは、アルヴィスにとって幸せなのだろうか? 「・・・・・・・・・・・・・・・」 そこまで考え、ペタはその思考を全て捨て去る。 それは、自分があずかり知らなくてもいい事だ。 アルヴィスが幸せだろうと不幸だろうと・・・・それはペタには関係ない。 ファントムさえ満足した状況ならば、ペタには何ら不服は無いのだから。 「・・・・・・・・・・では、私はこれで」 眠る青年を見つめたままの主に、軽く礼をして。 ペタはベッドの傍から引き下がる。 もちろん、ファントムの命令を遂行する為だ。 あの様子では、調べがつくまで起きていると言い出しかねないから、ファントムの体調が気になるペタとしては急がねばならない。 ペタはアルヴィスの過去を調べる為に、病棟を出る足を速めた・・・・・・・・・・。
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