『君のためなら世界だって壊してあげる』 ACT 31 『交差した道の行方 −24−』 ・・・・さむい。 さむいから、かえりたい。 ああでも、・・・そうか。 おれはもう、―――――─かえれないのか。 ・・・・かえれないんだ。 かえったら、だめなんだよな・・・・・・・・。 おれはいらないんだもの・・・・。 ―――――――要らなくないぞ! お前は俺の家族なんだからな、アルヴィス・・・・!! ・・・・・誰の、・・・声だっけ? 懐かしい・・・・この声は、・・・・・・ダンナ・・・さん・・・・? ――――――――お前がアルヴィスか!? 手を引かれ。 連れて行かれた先の家で。 俯いたままだったアルヴィスの上から、突然大きな声が降ってきた。 ――――――――それが、ダンナとの最初の出会いだったのを覚えている。 「・・・・・・・・・・・、」 声の大きさに怯え、何も言葉を返すことが出来なかった。 口も利けないのかと、殴られると思ってぎゅっと身構えていたら。 ふわっ・・と。 大きな手で。 とても優しく抱き上げられた。 「・・・・・・・・・・・」 思わず、間近にある顔を見つめれば。 太陽に照らされた木の葉っぱみたいな―――――明るいグリーンの瞳がアルヴィスを見つめていた。 日に焼けた逞しい・・・・精悍な顔立ちなのに、とても優しそうな笑顔で。 太陽みたいな鮮やかな金髪に、健康そうに焼けた顔から零れる白い歯が眩しくて―――――――・・・アルヴィスはただ押し黙り、自分を抱き上げているその人を凝視していた。 「軽いなお前!・・・ちゃんとメシ喰わないとダメだぞ!?」 そんなアルヴィスの髪を、その人物は抱えているのとは逆の方の手でグシャグシャとかき回す。 「小3だよな? ウチのギンタと同い年の筈なのに全然軽い! 腕も足も細ェし、こんなんじゃダメだなあ」 「・・・ご、ごめんなさぃ・・・」 責められているのだと思い、アルヴィスは慌てて謝った。 ここは、今度からお世話になるところ。 家の人の機嫌を損ねてはいけないのだと、強く思っていた。 「・・・あ?」 けれど、その人はキョトンとしてアルヴィスを見る。 そして、すぐに笑顔に戻った。 「悪ぃわりぃー・・・別にお前怒ったんじゃないんだぜアルヴィス!」 そう言って、ポンポンと軽く頭を叩いてくる。 「ウチ来たら、ばんばんメシ喰わせないとだなって思っただけなんだ」 「・・・・・・・・・・・・・・」 予想外の言葉に、今度はアルヴィスの方が呆然とした。 今まで食事なんて、たまたま食べさせて貰えれば良い方だったので。 そんなアルヴィスに、自分を抱きかかえた人物は得意そうに己の顔を親指で指し示す。 「俺は、ダンナ。そしてこのウチで一番偉い人間だ!」 「・・・・はあ、」 それはその通りなんだろうと思ったが、そんな風に言われたことが無かった為、アルヴィスはうっかり間抜けな返事をしてしまった。 すぐさま怒られるかと身を固くして構えたが、・・・いつまで待ってもそんな様子は無い。 「・・・・・・・・・・・・・」 アルヴィスがそろっと俯かせていた顔を上げ、自分を抱えている人物・・・ダンナの顔を見ると。 ダンナはいきなり、こつんとアルヴィスの額に自分のそれを合わせてきた。 「!?」 「・・・そんでな、」 驚くアルヴィスに、至近距離でダンナが口を開く。 「・・・・お前は今日からウチの子だぞ、アルヴィス!」 そう言って、ニカッと笑って見せた。 屈託のない、晴れ上がった青空みたいな――――――全開の笑顔だった。 「だからまあ、遠慮無く悪いことしたら叱るし、容赦なくゲンコツとかはするからな!? そん代わり、いいことしたら滅茶苦茶に撫でてホメてやっから!」 「・・・・・・・・・・・・・」 「今日からはギンタとも兄弟だ! 仲良くやってくれよな」 優しくグリグリと頭を撫でられ、含みのない純粋な好意に満ちた笑顔を向けられて・・・・・アルヴィスも自然、笑顔になっていた。 こんな風に笑えたのは久しぶりなのだと、その時に気づいた。 それから。 ダンナをミニチュアにしたような容姿の、ギンタを紹介され。 今までと全く違う、楽しい生活が始まったのだ――――――――――。 ダンナという人は。 本当に全く、実子であるギンタと、血の繋がらない子である筈のアルヴィスを差別しない人で。 ギンタを生んで、早くに他界してしまった妻の代わりに。 自作のとても楽しい手料理をアルヴィス達に食べさせ、買い物・掃除・洗濯などは公平に自分とギンタとアルヴィスの三人で役割分担した。 今まで預けられていた家のように、血が繋がらないから・・・などという理由での過度な負担は決してさせなかった。 同い年の兄弟となったギンタも、たまたま衝突することはあれど、基本的にまっすぐな性格でアルヴィスをすぐに兄弟として受け入れてくれた。 これも、今まででは考えられなかったことだ。 元々、裕福とはいえない家で。 アルヴィスを引き取ったことで余計、生活に余裕は無い筈だったが、それでもいつも笑いの絶えない家だった。 喘息の持病持ちだったアルヴィスが時折体調を崩して入院しても、ダンナは仕事帰りにギンタをつれて毎日見舞いに来てくれた。 役立たずだなどと一言も言わず、元気になれよと励ましてくれた。 最初の入院をして、退院する時にはもしかしたら迎えに来てくれないかも・・・・などと不安になったりしたものだが、ダンナは決してそんなことはしなかった。 ―――――――アルヴィスがいないと、家が散らかって困るんだよなァ。早く良くなってウチ帰ってきて貰わないとよォ・・・! そんな風に冗談めかして、早く良くなれと励ましてくれた。 要らなくなんか、無いのだと。 役立たずなんかじゃ無いんだと、・・・そう言って信じさせてくれたのはダンナと、ギンタだった。 そしてアルヴィスは、いつしか常に救いを求め逢いたいと強く願っていた年上の幼なじみを・・・・徐々に思い出さなくなったのだ。 つらい時に、その世界から連れ出してくれたのは彼だったけれど。 自分を救ってくれるのは、彼だけで。 待ち続けていれば、いつかまた、迎えに来てくれるのだと・・・信じていたけれど。 それでも、いつまで待っても彼が迎えに来てくれることは無く。 手紙だって、電話だって、ついぞ来なかった。 それはつまり、アルヴィスが思うほど。 彼にとって、アルヴィスは大切では無かったということなのだろう。 逢いたくて、でも逢えないのは。 とてもつらく寂しい事だから。 ・・・・思い出さない方が楽だと思った。 このまま、忘れて。 今のことだけに、目を向けて。 ダンナの家族に迎えられ、今だって充分幸せだから。 けれど、それはダメだと言ったのは。 他ならぬ、アルヴィスが尊敬するダンナだった。 幼い頃から持っていた、ぼろぼろのウサギのヌイグルミ。 それを見ると、幼なじみと出会った頃のことを思い出してしまう。 これを持っていた時に、彼と出会い。 そして彼を見送った時にも、このヌイグルミを抱いていたから。 その思い出の品ごと、幼なじみへの慕情を捨て去ろうとして―――――――咎められたのだ。 「どうしてですか? ・・・だって別れたきり、手紙も電話もくれなかった・・・・今どこにいるかだって分からないんですよ」 それって、つまりは俺のことなんかどうでもいいって事でしょう・・・? 珍しく、ダンナ相手にアルヴィスはそう反論した。 「・・・確かに、彼にはすごく可愛がって貰ったと思います。でも、・・・俺が懐いていた程には、彼は俺のことなんて、・・・・」 だが、ダンナはアルヴィスが捨てようとしたヌイグルミを手にして、しげしげと眺め。 「そうかぁ・・? どうでも良かったとは、思えねーな!」 きっぱりと否定してきたのだ。 「ほら、・・・これ見ろよ」 そう言って、アルヴィスにヌイグルミを差し出してくる。 「・・・・・・・・・・・・・・」 改めて見るまでもない、ウサギのヌイグルミだ。 顔も知らない母親の形見だと言われ、幼い頃ずっと持っていたモノ。 相当な年期が入っている為、あちこちボロボロで、繕った形跡が至るところにある。 身体に貼られた布地も、パッチワークのように様々な種類が見受けられ、ある意味、デザイン性が高くなっているような気さえした。 「俺ァ、裁縫なんて大して出来ねぇからよ、詳しいことは良くわかんねえけどさ。・・・それ、すっげぇ丁寧に縫ってあるよな?」 「・・・・・・・・・・・」 覚えている。 幼なじみと初めての出会った時に、彼が解(ほつ)れていたウサギを繕ってくれたことを。 近所の子に苛められ、ウサギの耳を千切られたと言って泣いたアルヴィスの為に、直してくれた時のことも。 ――――――泣かないで? 大丈夫だよ、ボクが直してあげるから・・・・。 古くてボロボロの為、すぐに耳が取れたり目が無くなったりの、そのヌイグルミを彼はとてもキレイで器用な、白い指でいつもちゃんと直してくれた。 「・・・・・・・・・・・」 黙り込んでしまったアルヴィスに、ダンナは言い聞かせるように口を開いた。 「・・・・それ結構、手間かかるよな。どうでもいいようなやつの為に、んな面倒な事、しないと俺は思うぜ・・・・?」 「・・・・・・・・・・・・・・」 「――――――持っていてやれよ。お前の、大切なモンだろアルヴィス? 大事な幼なじみとの、たった一つの思い出なんだろ?」 「・・・・・・・・・・・・・・・」 「お前本当に、すごく可愛がられてたんだと思うぞ・・・・その人形だけじゃなくて、お前のアルバムの写真見たって、そんなん分かるだろうが」 「・・・・・・・・・・・・」 アルヴィスが両手で掴んでいたウサギを、さらにこちらへ押しつけるようにして。 ダンナは言ったのだ。 「そんなすっげぇ可愛がってたヤツを、何年経ったってどうでもいいなんて思う訳が無いっ! 手紙や電話くれなかったのは、なんか事情ってのがあったんだろうよ。・・・いつか逢えっかも知れねぇんだ・・・・・自分からそんな大事な思い出、捨てることねえぜ!」 ―――――――大丈夫だ、お前は愛されてるよアルヴィス。俺が保証してやるよ・・・!! ・・・・・ダンナさん・・・・・。 「・・・・・・・・・・・・」 ゴボゴボという、馴染みのある水音に耳を刺激され。 アルヴィスは、ゆっくりと目を開いた。 光に慣れない網膜にボンヤリ映る、白い天井と幾つもの点滴ボトルが下がったスタンド。 「・・・・・・・・・・・・」 そっと、力の入らない手を持ち上げ、口元を覆う酸素マスクに触れてみる。 指先に伝わるマスクの感触と、呼吸をするたびに疼く胸奥の痛みで、アルヴィスは自分がまだ生きているのだと実感した。 「・・・・・・・・・、」 ―――――――夢を、見た。 最近見てはうなされる、変な悪夢では無くて。 今の家・・・・ダンナに引き取られた頃の事を。 あの忌まわしい記憶と、ダンナに引き取られてからの事は一切、繋がらない。 アルヴィスの中でのハッキリとした『事実』は、ファントムと出会った頃の事と、ダンナやギンタと暮らし始めた頃からの事だけで。 あの変な悪夢は、どこにも繋がらない。 けれど、あれは事実なのだと・・・・・・心のどこかが告げている。 だからずっと、その悪夢に囚われていた。 だけど。 ―――――――大丈夫だ、お前は愛されてるよアルヴィス。 囚われすぎて、・・・・大切な事を忘れていた気がする。 「・・・・・・・・・・・・・・・」 手を元の位置に戻そうと、動かした拍子に。 何かサラサラした、柔らかいモノに触れた気がして。 「・・・・・・・・・?」 アルヴィスは少しだけ、顔を横にずらした。 そして、わずかに息を呑む。 「・・・・・・・・・・・・・・」 アルヴィスの枕元に、上体を俯せるようにして。 両腕を軽く組み、彫りの深い横顔を押しつけるようにして、一人の青年が眠っていた。 髪の色より幾分濃い、長い銀色の睫を伏せ。 その整った顔立ちを惜しげもなく晒して、昏々と眠り込んでいた。 「・・・・・・・・・・・・」 そういえば、いつも一緒に寝ていたのにファントムの寝顔を見たのはこれが初めてかも知れない・・・・そんなことを漠然と思い返す。 それにしても、随分と思っていた印象と違う寝顔だと思った。 白衣を着たままだし、こんな不自由な体勢でうたた寝しているからだろうか。 目元に落ちている陰のせいか、かなり疲れているように見える。 それに、・・・・なんだか辛そうな寝顔だ。 彼はいつだって穏やかで、――――――楽しそうに、気持ちよさそうな顔で眠る気がしていたのに。 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 思わず、アルヴィスは間近にある銀色の髪に触れようと手を伸ばした、その時。 「――――――起こさないで差し上げてくれ・・・」 小声だが、ハッキリとした口調で言われ、アルヴィスはその手を止めた。 声のした方向・・・アルヴィスの寝ているベッドの足下へ視線をやれば、いつもファントムの傍らにいる男・ペタが立っていた。 ファントムと同じ、白衣姿をしている。 「・・・・お疲れなのだ。そのまましばらく、眠らせて差し上げてくれ・・・」 疲れている印象を受けたのは、気のせいでは無かったらしい。 けれど、なぜそんなにファントムは疲れているのだろうか。 「・・・・・・・・」 そう思ったのが、表情に出ていたのだろう。 ペタが再び、小声で口を開く。 「―――――お前が病室を抜け出し行方知れずの時から、ファントムはろくに休養を取られていなかった。・・・そしてここへ運び込まれてから、先ほどの処置の時までも、ほとんど眠られておられなかったのだ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・」 表情の乏しい、いつもながらに能面のような顔だが、その目がアルヴィスのせいだと言っているようだった。 俺・・・を、探して? 病室逃げてから、・・・随分経ってる筈なのに・・・・寝てなかった? 「・・・・・・・・・・」 アルヴィスは、傍らで眠っている幼なじみをまじまじと見つめた。 幼い頃から知っている、・・・キレイな顔。 いつも、自信たっぷりで。 とても、楽しそうで。 アルヴィスの前では、嬉しそうな笑顔ばかりだったファントム。 心配そうな顔や、拗ねたような顔も、最近は見るようになったけれど。 でも。 「・・・・・・・・・・・・・」 ――――――こんな疲れた顔は、見たことが無かった。 「・・・・・・・・・・・」 自分のことが、どうでも良かったら。 こんな風にはならない・・・・のでは、無いだろうか。 病気持ちの、厄介者で。 どうでもいいと、思っているのなら。 ――――――それ結構、手間かかるよな。 どうでもいいようなやつの為に、んな面倒な事、しないと俺は思うぜ・・・・? ふと、幼い頃ずっと大切にしていた、ウサギのヌイグルミが脳裏に浮かぶ。 ボロボロで、何度も手直しをされて見た目は本当に単なる古くさい人形だ。 けれど、幼なじみが頑張って何度も直してくれたモノだから。 母親の形見と言うより、彼との思い出が詰まった大切な人形だから。 捨てようと思ったけれど、・・・捨てられなかった。 アルヴィスが、捨てられないほど大切だと思った存在。 それと同じくらい、――――――彼も想ってくれていた・・・・・? だから、修復不可能なくらい破れているヌイグルミを、似たようなのを買い与えるのでは無しに手間をかけて直し。 何度だって、面倒だろうに繕って。 そして今だって、寝ないでアルヴィスに付き添ってくれていて。 だからこんなに、・・・・・・疲れ切って。 「・・・・・・・・・・・・・・」 大切に、想ってくれていたから。 再会を喜び、アルヴィスの面倒を全て見ると豪語して。 いっそ神経質な程に、体調の管理までしてくれていたのだろうか。 義務感でも、同情でも無くて。 ただ一緒に居たいと・・・・想ってくれていたから? ―――――――アルヴィスと、同じ気持ちで。 「・・・・・・・・・・・、」 溢れる気持ちが抑えられなくて、アルヴィスはマスク越しに彼の名を呼ぼうとした。 けれど、・・・声が出ない。 ファントムと、呼びたいのに。 起こしてはいけないと思いつつ、それでも呼びかけたいのに。 喉が痛みを訴え、気管を空気が通り抜けるだけで、声が出なかった。 「・・・・・・・・・・・、」 アルヴィスは何度か、喘ぐように口を開いては閉じ。 声を出そうとしたが、適わなかった。 管が入れられて傷めていた喉を、たぶん先ほど吐血した時にまたさらに傷めたのかもしれない。 「・・・・・・・・・・・」 ひどく、切ない心地になり。 アルヴィスは、眠る幼なじみから顔を逸らした。 心配をかけて悪かったと・・・・、ファントムの気持ちを知ろうとせず誤解して悪かったと・・・・今なら言えるのに。 声が出ないなんて。 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 声が出ない代わりに、涙が出てきた。 アルヴィスは唇をきつく噛んで瞬きを繰り返し、涙が目の縁から溢れ出ようとするのを堪える。 それでも堪えきれなかった涙が、大きく瞬きをした拍子にポロリと零れ出た。 「・・・・・・・・、」 慌てて自分の手で、それを拭おうとしたそれより早く。 白い指先がそっと、アルヴィスの涙を優しく拭った。 「――――――どうしたの? 怖い夢でも見た・・・・・?」 「・・・・・・・・・・・・」 涙のたまった瞳を、声の方に向ければ。 甘い光を湛えた、アメジスト色の瞳がアルヴィスを見つめている。 「・・・・・・・・・・・・・っ、」 その、幼なじみの端正な顔を見返して。 アルヴィスは幼い子供のように、大粒の涙をボロボロと零し。 点滴の針が固定された腕を、彼へと伸ばした――――――――――。
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