『君のためなら世界だって壊してあげる』




ACT 8−23 『交差した道の行方 −23−』




「アルヴィス君・・・・・?」


 腕の中の華奢な身体がぐったりと弛緩し、糸の切れた人形のように頭が下へ傾ぐ。


「・・・・・・・・・・、」


 軽く舌打ちをして。

 アルヴィスを抱きしめたまま、ファントムは傍らの壁面に取り付けられたモニターのコールボタンを押した。


「・・・再喀血だ。至急、止血剤と鎮静剤、それから輸血とBAE(気管支動脈塞栓術)準備!」


 相手の応答を待たずに告げ、すぐに抱き支えているアルヴィスの方へと意識を戻す。

 上体を前方に傾けた体勢で、アルヴィスは蒼白な顔をして意識を失っていた。
 血の気の失せた顔で力無く目を閉じ、がっくりと項垂れている様子はさながら本物の人形のようで、全く生気を感じさせない。

 挿管を外したばかりだったのに、興奮させて喋らせ過ぎたと後悔した。

 こんな事なら、鎮静剤でもう少し眠らせておくんだった――――――――そう思いながら、ファントムは上掛けを染める鮮血を目測し、出血量を把握する。
 量自体はそう多くは無いが、繰り返しの発作の為に少なくなっているアルヴィスの総血液量を考えれば、思わず顔をしかめたくなる状況だ。
 今回の出血が少ないのも、ずっと寝ていて血圧が下がっているせいであり、決して発作が軽い訳ではないのだ。

 意識の無いまま、尚も咳き込み血を吐き続けるアルヴィスが窒息しないよう、上体を傾がせた状態を保ちながら。
 ファントムはアルヴィスの口元に耳を寄せ、そっと呼吸音を伺った。


「・・・・・・・・・」


 弱々しいが、とりあえず喘ぐように息はしている。

 後は血液を気管に詰まらせてしまう前に、素早く挿管を済ませ輸血で血圧の低下を防げば―――――状態は落ちつく筈だと判断する。

 そう間をおかず繰り返されている喀血は、決して楽観出来る状況では無いのだけれど。
 此処がICU(集中治療室)である為、ファントムにはまだ比較的気持ちに余裕が残されていた。
 とにかく、早く気管内挿管を済ませて窒息を防ぎ、輸血と輸液で失血によるショックさえ起こさせなければ・・・・・アルヴィスの状態は落ち着く筈である。

 最初の喀血発作の時は発見が遅れ、しかも自宅だった為に処置が出来ずかなり緊迫した状況となってしまったが、ICUならば的確迅速に処置が行えるのだ。
























「・・・ファントム!」


 報せに、ペタが数人の看護師を引き連れて駆け付けてきた。


「バイタル低下、至急輸血開始して! ・・・挿管するから、チューブと喉頭鏡!」

「どうぞ」


 ペタの顔を見るなりそう言ったファントムに、内科医でもある男は予め持っていたかのような手際の良さで、挿管用のチューブとスティック状の金属管・・・喉頭鏡を差し出してくる。


「止血剤も開始! それと調節呼吸(人工呼吸器使用)準備・・・!」


 さらにそう指示をして、それを受け取り。

 口で滅菌ビニールを破ってチューブを取り出しながら、ファントムは抱き抱えていたアルヴィスを優しくベッドに横たえる。
 そして血に染まった顎を掴み、口を開かせた。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 アルヴィスの気管は発作により腫れ上がり、ひどく狭い。

 そこに挿管するのはかなり難度が高く、的確に挿入しなければ脆くなっている内壁を傷つけ、あっという間に大出血を引き起こしてしまう恐れがあった。
 さらに、喀血が続いているため、気道内部が血で溢れ喉頭鏡を使っても非常に見づらくなっている。

 最初の喀血時と同様に、気管内挿管の処置は困難を極めていた。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 けれど、もうファントムは狼狽えはしなかった。
 戸惑っている時間など、一切無い。
 いくら設備に恵まれ、迅速に処置が行える場所とはいえ――――――・・・のんびりしている暇は無いのだ。

 挿管出来ないうちに、アルヴィスが気管に血液を喉に詰まらせてしまったら。
 あっという間に、彼の命は失われる事となってしまいかねない。







 ――――――それだけは。

 アルヴィスの命が失われるような事だけは。

 絶対に、あってはならない。







 ファントムは、持ち前の器用さとこれ以上ない程の精神の集中によって、注意深くアルヴィスの口内へと挿管を開始した。

 そして、過たず。
 迅速かつ丁寧に、完璧な角度を持って、アルヴィスの気管内にチューブを挿入する。


「―――――次はBAEだ、・・・大腿動脈(足の付け根の動脈)からカテーテル穿刺して行う」


 そばに控える看護師に喉頭鏡を放り投げながら、ファントムは一息もつかずに次の処置に取りかかった。


「・・・・・・・・・・・」


 ファントムの額に、じっとりと汗が滲む。

 ここ数日間まともな寝食を取らず、ずっとアルヴィスに付き添っていた疲労がファントムの身体を蝕んでいた。
 極度の精神集中は、更なる激しい疲労を生む。

 けれど、それが何だと言うのだろう。

 アルヴィスこそがファントムにとって、何よりも大切なのだ。
 多少の疲労など、どうにでもなる。


「・・・・ファントム、処置は私が・・・・」


 疲労困憊した顔色を見かねたのかペタがそう進言してきたが、ファントムは首を横に振った。


「いい、僕がやる」

「しかし、」

「いいんだ。・・・・・今は処置に専念したい」


 そう言って、ファントムはカテーテルの穿刺準備に取りかかる。

 今は本当に、アルヴィスの容態を回復させることしか考えたくなかった。
 何かをして、気を紛らわせていたかった。








 ――――――・・・殺し・・・て・・・・





 ――――――・・・っ、や・だっ・・・! お願い、痛いことしないで・・・・!!!




 ――――――・・・頼むからっ、・・・もう、俺・・にっ、・・・しな・・いで・・・・・!!







「・・・・・・・・・・・・・・・・」


 気を抜けば、先ほどのアルヴィスの途切れ途切れの言葉が脳裏で繰り返されてしまう。


「・・・・・・・・・・・・・・・」


 すっかり怯えきった表情で、どこか幼げな口調だった。

 発作による酸欠で精神が混乱状態だった為に、幼少期に心に強く焼き付いた記憶が浮上してきたのだろうが・・・・・。
 過去の事だろうと、流してしまうには余りにも不穏で悲痛な響きがこもった言葉だった。






 ――――――・・・やだっ! 嫌だっ、・・・やめておじさん・・・・!!






 アルヴィスは、明らかに怯えていて。

 口走っていた内容から考えるに、それが何らかの暴力であったことは容易に想像出来る。

 そして。

 ――――――ファントムがアルヴィスのその怯え取り乱した姿を目にするのは、今回が初めてでは無い。


「・・・・・・・・・・・・・・」


 ちょっとした悪戯心から、アルヴィスに開放を即した時。

 アルヴィスの動揺と拒絶ぶりが、尋常では無かったのは記憶に新しい。
 過去に何かあったのではと勘ぐりかけたが、あの時は、アルヴィスの子供の意識がまだ抜け切っていないだけで。
 体調不良も手伝い情緒が不安定になっているのだろうと・・・・・・・・見逃してしまったのだが。

 その時の彼の様子と、今回のアルヴィスの状態は酷似している気がした。







 つまり、・・・・・・・・・・・・・。







 そこまで考えて。

 ファントムのアメジスト色の瞳が、剣呑な光を帯びる。


「・・・・・・・・・・・・」


 怒りに感情を支配されそうになり、ファントムは頭(かぶり)を振ってとりあえずその思考を脳裏から追い出した。

 今は、アルヴィスの容態を回復させる事が最優先だ。


「・・・・ねえ、ペタ」


 カテーテルの細いチューブを大腿部の動脈へ穿刺する為に、アルヴィスの患者衣をはだけさせながら、ファントムは静かな口調で言った。


「あとで、確かめて貰いたいことがあるから。・・・・アルヴィス君が落ち着いたら、最優先でそれ調べて・・・・?」

「・・・・・・・・・・・・・・わかりました」


 努めて感情を抑え、冷静に言ったつもりだったが、長く傍らに仕えている男には何か感ずるものがあったのだろう。

 ペタが、ハッと息を呑んだのが感じられた。
 ファントムの感情に、ひどく聡い男なのだ。
 だから、ファントムがどういう用件を頼み、それでどうするつもりなのか――――――――彼にはすでに予測がついているのかも知れない。

 けれどそれは、ファントムにはどうでもいいことだ。
 ペタがどう思おうと、・・・・結局彼はファントムの望むままに動いてくれる人間なのだから。

 反対だろうが賛成だろうが、自分の願いを叶えてくれるのならどっちでも構わない。






 でも、とりあえず今は――――――・・・・・。






 指先を軽くアルヴィスの足の付け根に押しつけ、動脈を探りながら。

 ファントムは、己の指先に全神経を集中させた――――――――――。








NEXT 8−24

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言い訳。
今回のシーンは省こうか書こうか、とっても迷いました。
ぶっちゃけ、あんまり要らないシーンだなーと思うんですよね(爆)
でもまあ、ファントムせっかくお医者さんっていう設定なので。
治療シーン書いてもいいかな、と思って書きました。
・・・・医療用語出すの結構、キツイんですけどね^^;
次回、ようやくファントムとアルヴィス、和解しそうです(笑)