『君のためなら世界だって壊してあげる』 ACT 29 『交差した道の行方 −22−』 ―――――違う。 病院を、抜け出したのは。 ファントムを、拒絶したのは。 ―――――─決して、そんな感情のせいじゃない。 ・・・・・思い知ったからだ。 自分の身体が、欠陥品であることを。 役立たずで、何も出来ない。 お荷物にしかならず、・・・・・ペットとしか思われていなかった自分を。 気紛れに拾われて。 飽きたら捨てられる―――――・・・そんな運命を。 だけど、アルヴィスにだって感情はある。 捨てられるのは、辛い。 だから・・・・そうなる前に。 全部、終わりにしようと決めたのに。 ―――――─また気紛れに・・・拾われてしまった。 いつか、・・・捨てるくせに。 要らないって、言うくせに。 遠い日の幸せも今この時の優しさも、全てが皆、・・・・紛(まが)い物なくせに。 ―――――─優しい笑顔で。 どうして俺を、また拾うの・・・・・・・・・!? 「・・・・・・・・・・っ、」 アルヴィスの心を、哀しみとも憤りとも判断の付かない激情が突き抜けた。 嫌だ・・・もう、嫌だ。 また、苦しいのを耐えて。 ・・・悲しくなるのを、堪えて。 不甲斐ない自分に、涙しなければならないのだろうか。 ―――――───いつ飽きられ、捨てられるのかと怯えながら。 そんなのはもう、嫌だ・・・・・! 「・・ち、がう・・・・!!」 アルヴィスの唇から、鋭い声が迸る。 たった一言の、短い否定の言葉だったが・・・・それは酷く哀しみの篭もった悲痛な響きを伴っていた。 「・・・・アルヴィス君・・・?」 青年の形良いアーモンド型の瞳が、驚きに丸くなる。 その、アメジスト色の瞳を睥睨(へいげい)しながら。 アルヴィスは自らの口許を覆う酸素マスクに手を掛け、乱雑な仕草でそれを外した。 「・・・・っ、」 途端、喉奥に流れ込んでくる冷えた空気に咳き込みそうになるが、それを堪えて声を絞り出す。 「・・・俺、は、・・・そんなの、で、・・・死のうって思ったり、・・・・しない・・・・っ、・・・!!!」 すぐに息が上がって、言葉は掠れ途切れ途切れにしか発声できなかった。 声を張り上げようとすると胸の奥の方が疼くような痛みを訴えたが、構わずアルヴィスは叫んだ。 「要らない、んだろ・・・? 俺なんか、・・・ヒマ潰しっ、・・でしか無いんだろっ・・・・!?」 「・・・え?」 アルヴィスの言葉に、眼前の青年は珍しく戸惑ったような表情を浮かべる。 怪訝そうな顔だ。 まるで、アルヴィスの言った内容など考えたこともない、といった風な。 「・・・・何を言ってるの? アルヴィス君・・・」 僕は――――・・・そう言いかける、ファントムの弁解の言葉など聞きたくなくて。 アルヴィスは、ますます声を張り上げた。 鼓膜に、彼の声を届かせないように。 「俺・・・なんかっ、!!・・・要らない、くせに・・・・!!!」 ―――――─飽きたら、捨てるんだろう? 「・・勝手な・・、事・・・ばかり、・・・俺、の気持ち、なんて・・・・全然、考え・・・なくてっ」 ―――――─俺がどんなに、離れたくないと思っても。 「もうやだ・・・っ、嫌・・・なんだ・・・・っ・・・!!」 ―――――─今、拾ったって。・・・あとで要らなくなるんだろう? 「・・・どう・・せ捨てる・なら、拾うなよ・・・・っ、・・・」 ―――――─どうかこのまま、捨て置いて。 そうしたら、静かに潰れて・・・きっと跡形もなく消えていく。 無駄な期待も、しなくて済むから。 『要らない』とか。 『役立たず』だとか。 それらは存在自体を否定されているようで、言われるととても悲しい言葉だ。 でも、誰からよりも。 ファントムの口からだけは、・・・・・・・・聞きたくない。 ―――――─だからもう、・・・・・その手を離して? 優しさと勘違いしてしまう、その手から解放して欲しい・・・・。 「・・・役、立たず・・・なんだから、拾・・」 「―――――待ってアルヴィス君、それは一体どういう意味・・・・?」 ファントムが焦った様子でアルヴィスの言葉を遮り、顔を覗き込んでくる。 「僕は、一度だって君をそんな風に思ったことは無いよ・・・?」 「・・・・・・・・・」 アルヴィスを気遣う、心配そうな顔だ。 「ホントだよ・・? そんな風になんて、僕は考えたことも無い」 「・・・・・・・・・」 「君のことは、とても大切に想ってる――――・・・・」 ゆっくり言い聞かせるようなその言葉は、とても甘い響きを持っていて。 アルヴィスは思わず、そのまま声と内容の優しさに絆されてしまいそうになる。 ―――――だけど、それは偽りの囁きなのだ。 「・・・嘘だ、」 気付けば、アルヴィスの口からは否定の言葉が飛び出していた。 「・・・だって俺・・・役立た・・ずで、厄介モノ、・・・だろ。・・・・出来る、こと・・・なんて・・・」 出来ることなど何一つ無い―――――─力無くそう言いかけたアルヴィスの脳裏に、1人の男の顔が蘇る。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・、」 思わず口を閉ざし、幻影を振り払うように頭を振った。 「・・・・っ、・・・!!」 けれど、男の姿は更に鮮明さを増して、アルヴィスの網膜に映し出される。 見たくなくて、必死に目を閉じてもその姿は消えてくれない。 「―――――・・・うぅ・・、」 髪を短く刈り込み、小狡そうな顔つきで鋭い目が特徴的な男。 その男が、誰なのかも。 いつ、自分と関わったのかも。 一切が曖昧なのに、男の姿と声を・・・・その手の感触を・・・・アルヴィスの身体が覚えている。 耳障りな声で、お前が役に立てる事はたったひとつだろうと、何度も言い聞かされたのを覚えている。 ―――――お前なんて、こうやって男を受け入れるくらいしか、やれる事ねぇだろが・・・! 「―――――・・・・っ、!??」 その男が自分に、笑いかけたような気がして。 アルヴィスは、恐怖に喉を引き攣らせた。 「・・・・・・・・・・・・・・・、」 瞬きを繰り返し、乱れた呼吸を必死に整えようと努力する。 幻覚―――――幻だ。これは、現実じゃない・・・・! だが、再生ボタンを押されてしまったビデオデッキのように。 脳裏で再現され始めた光景はやはり、消えてはくれず・・・・・・・・・色鮮やかにアルヴィスの目に映し出され始める。 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 見たくない知りたくないと、悲鳴をあげ拒絶している自分を感じながら。 それを、どうすることも出来ず。 アルヴィスは身を震わせた―――――───。 残忍そうな顔つきをした男が、アルヴィスを押さえ付け。 異様な程瞳孔が小さい、黄ばんだ目で此方を見据えて笑みを浮かべる。 身を固くするアルヴィスに、男がゆっくり口を開いた。 ―――――─いいか、お前なんてこんな事くらいしか役に立たねぇんだよ・・・・、病気持ちで何にも出来ねぇガキなんだから、これくらい我慢しやがれ! 言いながら、乱暴な仕草でアルヴィスの両膝を掴んで身体の奥を暴いていく。 アルヴィスはただ、声もなく震えていた。 ただただ、怖くて・・・痛かった。 男の指の感触も、触れられている箇所も。 余りの拒絶感に吐き気を催し、身体が痛みのせいで勝手にビクビクと跳ねた。 痛いよ・・・苦しい・・・・気持ち悪いよ・・・・・!! 声を上げたり泣き出せば、殴られるのは分かっていた。 けれど、堪えられない。 痛くて、怖くて・・・・・吐きそうに気分が悪くて。 泣き出さずにはいられなかった。 指が体の中心で蠢かされるたびに、アルヴィスが受け入れている箇所は裂けるような激痛と内臓を弄られる苦しみを与えられる。 痛みと苦しさに何度も意識が遠のいては、痛みのためにまた覚醒するのを繰り返した。 いたい。・・・痛いよ、おねがい、もうやめて・・・・・!! 涙ながらに訴えては、力任せに殴られる。 それでもアルヴィスは、懇願せずにはいられなかった。 だって、痛い。 耐えられない程に、苦しい。 身体が、指を差し入れられている部分から、引き裂かれてしまいそうだった。 事実、指が動かされるたびにグチャグチャと濡れた音がして、鉄臭い匂いが鼻を刺す。 血が出ているのだ・・・・そう思うと余計に、恐怖が増した。 いっそ、いつもみたいに殴られて。 何も分からなくなりたかった。 叩かれるのは痛いけれど、その方がずっといい・・・・! だけど、その願いは聞き届けられなかったのだ。 ・・・・・・・・あの日、・・・・自分は・・・・・・・・・・。 ―――――─喧(やかま)しい! お前なんて、こうやって男を受け入れるくらいしか、やれる事ねぇだろが・・・! 怒鳴られながら、両膝を割り開かれ。 そそり立つ、奇怪で何とも表現のし難い肉塊がゆっくりとアルヴィスの中心に押し当てられて。 ついには、・・・・・・・・・・・・・・・・。 「・・・・っ、・・ああぁーーーーーーーーーー!!??」 身を貫く恐怖に、アルヴィスは堪らず大声をあげた。 「・・・やだっ! 嫌だっ、・・・やめておじさん・・・・!!」 意識が混同する。 肩に置かれた手が、かつての男のモノなのかファントムのモノなのか、判断が付かない。 救いを求め、一杯に見開いた目に映るのは。 あの日に見た、―――――・・・絶望の光景。 「・・・・・・・っ、・・・」 涙が零れた。 ―――――繰り返される。 また、・・・繰り返されるだけなのか。 役立たずで何も出来ない自分は、ただこうして―――――─・・・・・。 「・・・殺し・・・て・・・・」 アルヴィスは焦点の定まらない瞳で、目の前の人物に呟いた。 「・・・・もう、アレは・・・やだ。・・・痛い・・・怖いよ・・・俺がそれしか出来ない・・なら、・・・・殺して・・・! 殺して・・よ、」 息が苦しくて、言葉がなかなか出てこない。 けれど必死に、アルヴィスは訴えた。 ―――――─アレだけは、嫌だ。 「・・・頼むからっ、・・・もう、俺・・にっ、・・・しな・・いで・・・・・!!」 「―――――アルヴィス君・・・!」 ひゅう、と喉から異音を発しながらアルヴィスがゴホゴホと咳き込むのと、ファントムが腕を伸ばしマスクを口許に押しつけてくるのは同時だった。 だがアルヴィスはそれを、あの身の毛がよだつような行為の続行だと錯覚した。 「・・・っ、や・だっ・・・! お願い、痛いことしないで・・・・!!!」 頭(かぶり)を振って、アルヴィスはマスクを拒絶し咳き込みながらも懸命に藻掻き反抗する。 「アルヴィス君、落ちついて! 叫んだら駄目だ・・・・!!」 ファントムの手がマスクを引き剥がそうとするアルヴィスの手首を捉え、もう片方の手で肩を掴んで何とか暴れるのを押さえ込もうとした。 しかしそれすら、混乱したアルヴィスにはファントムの手だと判断が付かない。 だからアルヴィスは、必死に抵抗した。 怖い・・・怖い・・・・!! もう、あんなのは嫌だ・・・・・!! 痛くて苦しくて、・・・気持ち悪い・・・・!! 助けて。 嫌だ・・・怖いよ・・・・誰か助けて・・・・!! 怖いよ・・・・・助けて!!! 「―――――アルヴィス君!!」 「・・・・・・・・・、」 耳元で。 名前を、大声で叫ばれ。 アルヴィスの意識がようやく覚醒する。 「・・・・・・アルヴィス君・・・・・・・」 「・・・・・ファン・・・ト、ム・・・・」 白い光を束ねたかのような、銀色の髪。 吸い込まれそうな、アメジスト色の瞳。 彫像みたいに整ったキレイな顔が、心配そうに自分を見下している。 ―――――─アルヴィスが何より大好きな色で、何よりキレイだと思う顔。 アルヴィスの肩を押さえているのは、彼の優美な白い手だった。 忌まわしい記憶の中の、あの男では無い。 4才上の幼なじみで、アルヴィスにとって誰より大切な・・・存在だ。 「・・・・・・・・・・・・・」 けれど、彼も・・・・・。 アルヴィスは、絶望にも似た諦めの境地で目を伏せた。 ―――――─それでも、彼だって。 アルヴィスに求めることは、・・・・・・・・同じなのだ。 役立たずの自分には、それしか利用価値は無いらしいから。 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 だったら、やっぱり。 アルヴィスの選ぶ道は、たった一つだ。 ―――――だけど、その前に・・・・・・・・・・・。 「・・・・・・・・・・・・・、」 苦しい息の下。 アルヴィスは渾身の力を振り絞って、ファントムを見つめた。 喉が、切り裂かれるように痛い。 胸も鋭い痛みを訴え、咳が肺を圧迫する。 だが、言わなければならないと強く思った。 言わないと。 今、言わないと。 自分の気持ちを伝えられないまま、二度と逢えなくなるのは嫌だった。 「・・・・・・・・・っ、」 また涙が溢れ、頬を伝う。 たとえ、彼が単なる気紛れで、自分に手を差し伸べたのだったとしても。 弄んで飽きたら、放り捨てる―――――そんなつもりでいたとしても。 ・・・・・ファントムの手は優しくて。 アルヴィスにとって、何より大切なモノだった。 掛け替えのない、大切な宝物だった。 それは、アルヴィスにとって揺るぎない、たったひとつの真実だ。 だから、伝えたい。 ・・・・全てを終える前に、せめて自分が何を想うのか。 「ゴホッ、・・・こ・・・んな身体、で・・・役立・・たず、かも知れない・・・けど、俺・・・は・・・」 「アルヴィス君、いい子だからもう喋らないで―――――、」 呼吸を乱しつつ、尚も言い募ろうとするアルヴィスの頭をファントムが宥めるように撫で、もう片方の手でマスクを装着させようとしてくる。 「・・・ファントム、お・・・れは・・・・!」 抗いながらも。 自分の身体を押さえ付けようとする手が、何処か優しいのにアルヴィスは気付いていた。 有無を言わさぬ力だが、アルヴィスを気遣う優しい手つきだ。 口調もアルヴィスを諌める響きはあれど、怒っている様子は見受けられない。 このまま、その優しい手つきと声に絆されて。 疲弊しきっている身体を、ベッドに横たえれば―――――──・・・また、あの日々が始まるのだろうと漠然と思った。 ・・・・こんなに全てが優しいのに、全部がまやかしなのだ。 何不自由のない、甘い優しさに包まれた檻の中で飼われる日々。 そして時折、あのおぞましい行為を強いられて。 いつか飽いて、・・・・・・・捨てられる。 ―――――──それを待つのは、嫌だ。 何一つ価値が無い自分にだって、傷付くだけの心はある。 「・・・・・・・っ、」 言葉に詰まり、アルヴィスは眼前にいるファントムを見上げた。 涙のせいか、彼の顔がぼやけて良く見えない。 アルヴィスは、ファントムの腕を掴み彼を引き寄せて必死に口を開く。 「アンタがっ、・・俺をどう、・・・思ってよ・・うと・・・俺は、ファントムが、・・・・・・・・・・・ごほっ、・・・・・・・・・ゴホゴホッ、・・・・・・・・・・・・・・・!!」 だが、言葉が続かない。 喉奥が耳障りな喘鳴をあげ、口から出るのは激しい咳だけだった。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!!」 声が出ない。 胸の奥で、何かの血管か筋が切れたかのような―――――そんな、鋭い痛みが走る。 「・・・アルヴィス君!?」 「!?」 ファントムの切羽詰まったような声が耳を打つのとほぼ同時に、アルヴィスの喉奥に覚えのある嫌な感覚が込み上げてきた。 ヌメリのある熱い塊が、狭くなった気道を無理矢理に押し広げ逆流し。 鉄臭く泡立った液体が口内を一杯に満たし、溢れ出す。 「・・・ぐ・・・うっ、ごほ・・・!!」 堪えられずに。 アルヴィスはその場で身体をエビのように曲げて、喀血した。 「ゴホゴホッ・・・・う・・・・・!!」 両手で口許を覆っても、見る見るうちに指の隙間から溢れ出て真っ白な上掛けを真紅に染め上げていく。 「・・・・う・・ぅ・・・」 肺が、抉られたかのように痛かった。 息が吸えず、胸が水で満たされたかのように苦しい。 「・・・う・・・・・・・・っ、」 けれどそれよりも、やはり目の前を真っ赤に染めていく血液がアルヴィスの恐怖を煽った。 口内を満たす、生臭い鮮血の味。 手を汚す、赤く滑りのある液体。 今度こそ生きていられない―――――─そんな絶望感が、アルヴィスを襲う。 さきほど殺してくれと思った癖にまだ怖いのかと、自分でも内心、滑稽(こっけい)に思った。 ・・・ああ、やっぱり。 こんな厄介なだけの身体、もう要らない―――――─!! 「・・・っ、・・・・ぐぅ・・・・」 耐え難い息苦しさと胸の痛み、そして恐怖にアルヴィスの身体は瘧(おこり)のように震えた。 その身体を、支えるようにファントムが抱きかかえてくる。 「―――――─大丈夫だよ。・・・大丈夫だから怖がらないで苦しいの全部、吐いちゃおうか・・・!」 そう言って、即すようにアルヴィスの頭を前方へ傾けた。 「アルヴィス君、怖くないよ。・・・大丈夫、吐きたいの我慢しないで・・・」 「う・・・・ぅ・・・・、」 「怖かったら、目を閉じていいから。・・・平気だよ? 多く見えるけどそんなには血なんて吐いて無いから・・・・」 「・・・・う・・・・」 だが、自分の体内から血を吐くという現象が、アルヴィスにはどうしても受け付けられない。 目を閉じろと言われても、先程の真っ白なシーツにベッタリとついた真っ赤な色彩が網膜に焼き付いてしまっているし、口内を満たす血の味も喉元を通る液体の感触も消えてはくれないから―――――───アルヴィスにしてみると、大量に出血しているようで、酷く気が動転してしまう。 可能だというのなら、こんな身体は放り投げて何処かへ逃げ出したいような心境だ。 苦しさよりも、血を大量に吐き出す自分の身体に怯え。 喉奥から込み上げてくる吐き気と目の前の惨状に激しく動揺し、アルヴィスは嗚咽しながらますます身体を震わせた。 「・・・・ひっ、う、・・・ぅ・・・・ぐ、・・・・!!」 怖い・・・・・怖い、もう吐きたくない・・・・・・・・・。 こんな赤いの、・・・・口から出るなんておかしい・・・・・・・・・・・!! もう嫌だ・・・・・・・!!! アルヴィスの感情とは裏腹に、鮮血はどんどん喉元へと込み上げ。 頭の血が一気に下がる感覚に襲われて気分が悪くなり、堪えられずに嘔吐した。 「・・・・・・・・・・・・・・・」 目の前が急速に暗くなる。 今度こそ本当に、死んでしまう―――――と思った。 そして、そう考えた瞬間。 アルヴィスの胸を過ぎったのは、恐怖でも全てを終えられることへの安堵でも、哀しみでも無かった。 ―――――嫌だ。 ・・・・・まだ、死ねない・・・・・・・・・。 だってまだ、・・・・・・・・・伝えてない。 本当に言いたかったこと、―――――言えてない。 「・・・・・・・・・・・・・、」 アルヴィスは必死に、自分の身体に回されているファントムの腕を掴んだ。 そして懸命に、ままならない呼吸を繰り返しながら声を絞り出す。 「・・・・・・き、・・・・なんだ・・・・・・」 声は激しい喘鳴に消され、ほとんど音にならなかった。 「―――――─・・・アルヴィス君・・・頼むから、・・・・・・」 ファントムが、自分に何かを言っている。 だが声が遠くて言葉の意味は捉えられず、またアルヴィスにそれを理解するだけの余力はもう無かった。 だから、アルヴィスは遠のきそうになる意識を何とか繋ぎ止めながら、本心からの言葉を口にする。 伝えたい。 ――――ただ、それだけ。 アルヴィスの脳裏を占めていたのはもう、ただそれだけだった。 「・・・・・離れ・・・たくない、・・・・要らな・・・い、・・言わない・・で・・・・・」 大好きだから。 ――――捨てないで。 ・・・・・・・・傍に、いたい。 離れたくないよ。 「・・・好き・・・なんだ・・・・・」 極度の酸欠のせいなのか、唇がもう、上手く動かなかった。 「さよならって、・・・言わな・・いで。・・・置いて・・いかな・・・」 けれど、アルヴィスは繰り返し言い続けた。 たとえ自分に向けられていた愛情が、全て嘘だったとしても。 自分に求められていたのが、単なる玩具としての価値だけだったとしても。 それでも―――――─・・・彼に最後に伝えたいと思ったのは、それらへの哀しみでも非難でも無かった。 それは絶対的な、ファントムへの慕情。 拒絶しようとしても、忘れ去ろうとしても、細胞レベルで刻み込まれてしまったファントムへの想い。 小鳥の雛が生まれて初めて見たモノを親と思ってしまう、インプリンティング(刷り込み)の如く。 アルヴィスの中には、ファントムへの絶対的な想いが擦り込まれている。 だから。 要らないと、言われても。 たとえどんな扱いを受けようと。 ―――――─結局、アルヴィスはファントムを求めてしまう。 「・・・・・・・・・・・・・、」 命ある限り。 否。たとえ肉体を失い、この世界から消滅してしまったとしても。 意識さえ、どうにか存在している限り。 アルヴィスはファントムを求める。 「・・・要らな・・・って、言われて・・も、俺・・・は・・・・・」 手足の指先が痺れ、感覚が無くなり。 徐々に、息苦しさが薄れていく。 鼓膜は何か膜が掛かったようになって、何も聞こえない。 目も、開いているのか閉じているのか、分からなくなった。 ・・・・・・ただ、酷く寒くて。 視覚では無い、身体の何処かでとても暗いと感じる。 ―――――───そして、アルヴィスはゆっくりと意識を閉ざした。 ・・・・さむい。 さむいから、かえりたい。 ああでも、・・・そうか。 おれはもう、―――――─かえれないのか。 ・・・・かえれないんだ。 かえったら、だめなんだよな・・・・・・・・。 だって、―――――───おれはいらないんだもの・・・・。
|