『君のためなら世界だって壊してあげる』




ACT 28 『交差した道の行方 −21−』










 朦朧とした意識の中で、幸せな夢を見た。

 それは、とてもとても心安らぐ・・・・そのままずっと、微睡んでいたいと思える程心地の良い場所で。

 ずっと、其処にいたかった。

 微睡んだまま・・・何も考えずに、その場所に。


 それなのに、何かが自分そこから浮上させようとする。


 甘く柔らかく自分を包み安らぎを与えてくれる其処は・・・・・しがみつくような、確かな場所が何処にも無くて。

 何処かへ連れ去られようとしている自分を、支えられるような所は何処にも無かった。






 いやだ。・・・・いきたくない。


 ここに、・・・いたいんだ・・・・・・。







 懸命に元いた場所へ戻ろうと手を伸ばすが、指は空を切る。

 戻りたいのに。

 行きたく、ないのに。





 ここに、いたいよ・・・・。






 涙が零れた。

 諦めきれず、再び手を伸ばす。

 さっきより、もっと。



 その指先に、何かが触れて―――――─誰かの手がそっと、アルヴィスの手を握った。


「・・・・・・・・・、」


 しっかりと存在感のある、手の感触に。

 アルヴィスの意識が急速に浮上する。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 アルヴィスが何かに接着されたかのように重く、なかなか持ち上げられない瞼を苦労して開くと。

 残酷な現実は、既に避けられないモノとして眼前に突きつけられていた。




 ―――――─アルヴィスが世界中で今、最も逢いたくないと思っていた男が、目の前にいる。




「・・・・・・・・・・・・・」


 スウッと頭の芯が冷えて。
 顔が強張っていくのが、自分でも良く分かった。

 彼の元を去った筈なのに、何故―――――そう思いかけて、意識を失う直前の事を思い出す。

 あの状態では、病院へ搬送されるのが当たり前だろう。
 そして搬送先が彼の息が掛かる病院だったのは、不自然なことでも何でも無いのかも知れない。

 けれど。

 アルヴィスにしてみれば、それだけは陥りたく無かった状況だった。




 あのまま。・・・・死ねなかったんだ―――――─・・・・・。




「・・・・・・・・・・・」


 ファントムの顔がまともに見れなくて、僅かに視線を逸らす。


「おはようアルヴィス君」


 しかし白衣を纏った悪魔のように美しい銀髪の青年は、その様子に構う事無く。

 そっと握っていた手を解き、流れるような仕草でアルヴィスの目尻を伝っていた涙を指先で拭い、屈託の無い笑顔を見せる。


「気分はどうかな。 ・・・喉、痛む・・・?」

「・・・・・・ファン・・トム・・・」


 小さく名を呼んだだけなのに、喉の筋肉が少し動いただけで途端に痛みが走り、思わず表情を歪めた。
 声も、別人のように嗄(しゃが)れている。


「あ、無理して声出さなくていいよ?・・・頷くだけでいいから。挿管は外したけど、まだ何日かは喉、痛いと思うし・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・」


 自分の状態を説明する言葉と喉の痛みに、朧に何か喉に管が差し込まれていた記憶が蘇る。

 だが、時間の経過は全く判断が付かない。

 ついさっきのような気もしたし、かなりの時間が経っているような気もして。
 思い出そうとしても断片的過ぎる上に酷く曖昧な記憶で、ハッキリとしなかった。





 ―――――───けれど、そんなことよりも。





 目の前の状況にアルヴィスの、極度に緊張を強いられている心臓が早鐘を打つ。
 動揺して、喉の痛みとは関係なく舌が強張り、口が利けなかった。


「・・・・・・・・・・・・・・・・」


 ファントムはそんなアルヴィスの様子に気付かないのか、相変わらず穏やかに話している。


「まだ少し息も苦しいだろうし、息を吸うとき胸が痛むだろうけど徐々に落ちつくからね。熱が下がったら、このICU(集中治療室)出て元のお部屋戻ろうか」

「・・・・・・・・・・・」

「息苦しいとか、胸が痛いとか、それ以外に何か調子悪い所ある・・・? ああ、怠いのは熱と体力落ちてるせいなんだけど」

「・・・・・・・・・・・、」


 耳触りの良い、甘い声でそう問われ。
 アルヴィスは反射的に、首を横に振った。


「そう? だったらいいんだ。・・・・長時間眠ったままだったから、また背中とか腰が痛いんじゃないかなって思ったんだけど。もし痛くなったら言ってね? 湿布貼ってあげるよ」


 ※体位交換(※床ずれが出来ないように、2時間以上同じ姿勢で寝かせないように位置を変えること)はマメにしてあげてたんだけどね―――――・・・などと、ファントムは機嫌良さそうに話し続けている。

 その様子は、以前の彼と全く変わらない。

 まるで、彼とアルヴィスが再会したばかりの時のような―――――─屈託の無さで。

 錯覚してしまいそうになる。



 ・・・・今までのことは全て、悪い夢だったのだと。





「・・・・・・・・・・・」


 困惑したまま、アルヴィスは間近にいる青年をただ見詰めた。
 その視線にアルヴィスが何か訴えたいとでも思ったのか、ファントムが苦笑を浮かべる。


「・・ああ、そうだよね。・・・挿管チューブ抜いたばかりなんだから、頷いたりするだけでもちょっと痛いかな?」

「・・・・・・・・・・」


 確かに、喉の奥にちょっぴり違和感があって、少し動かすだけでも痛いような気がしていたが・・・・アルヴィスとしてはそんな事を気にしている心境では無く、ただファントムを凝視する事しか出来ない。

 アルヴィスにはそんな些末な事は、気がかりでも何でもないのだ。

 反応することなくジッと見詰めるだけのアルヴィスに、ファントムが言葉を続ける。


「ごめんね? マスクしてなかったら声出さなくても、唇の動きだけでアルヴィス君の言いたいこと、分かってあげられるんだけど――――・・」


 言われたセリフに、ようやくアルヴィスは自分の口許を覆う酸素マスクの存在に気が付いた。


「・・・・・・・・・・・」


 再び発作を起こすようになってから、しょっちゅうお世話になっているモノだが。
 酸素マスクというのは、意外に全然、呼吸が楽になるモノでも無いんだな・・・・というのがアルヴィスの今の認識だ。
 かえって吸う空気が生暖かく湿っていて、息苦しいような気がする。

 あの喉に突っ込まれていた変な管よりは数倍マシだが、声がくぐもって会話出来ないし口許を覆われているという違和感があり、出来れば外したいと思ってしまう。
 マスクを外すと途端に、耐え難いほど息苦しくなってくるのは既に経験済みだから、もうそんな事をしようとは思わないが。



 ―――――───けれど、そんなことはどうでもいい。



 そんなことよりも、アルヴィスにはファントムの態度こそが気に掛かる。

 アルヴィスは、勝手に病院を抜け出した。
 その行為に関しては、病院側から・・・そして実際治療をしてくれていたファントムから、厳しく叱責されても仕方のない事だろう。

 ましてファントムは、アルヴィスの自由意思など認めない筈だ。
 自分をペットみたいに思っている彼が、アルヴィスが逃げた事を一切咎めないなど有り得ない事だろう。

 ―――――─だがファントムは、そんな事態など起きてはいないかのように機嫌が良さそうだった。


「うん、・・・眼瞼結膜の色も良くなってきたし・・・・もう輸血も必要無いね」


 ベッドに寝ているアルヴィスの下瞼(まぶた)をぺろっと、長い指先で捲り。
 その色を確かめて、ファントムが嬉しそうに言う。


「良かった、落ちついてくれて」


 にっこりと笑うそのキレイな顔は、酷く満足そうで。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 とてもそんな場合では無いというのに、アルヴィスはつい、釣られて笑い返しそうになった。




 戻れるものなら、・・・・還りたい。

 あの、何も知らなかった頃に。

 優しく紫色の瞳を細め、甘く名を呼んでくれる彼の手に、・・・・・縋ってしまいたくなる。

 幼い頃に慕っていた気持ちのままに―――――・・・手を伸ばして彼に触れ、抱き締めて貰いたくなってしまう。



 けれど、・・・駄目だ。

 それはもう、過去のことであり。

 決して、元に戻ることは無い。



 ―――――──アルヴィスが、自分の意思でファントムの元を去ったのは事実なのだから。




 それなのに。




 どうしてファントムは、抜け出した事を咎めない・・・・・?






「・・・・・・・・・・・・・」


 自分に笑いかける、神々しい美貌を凝視して。
 アルヴィスはきつく、唇を噛んだ。

 蛇の生殺し状態は嫌だ―――――と思う。

 決してこのまま解放されることなど有り得ないだろうに、なかなか罰を与えられず延々とただそれを待つのは、真っ平だった。
 アルヴィスは意を決し、喉の痛みを堪えマスク越しに声を発する。


「・・・ファン、トム・・・!」

「どうしたの?」


 笑みを刻んだ口許はそのまま、ファントムがスッと目を細めた。


「―――――何か、気になることでもあるのかな・・・・?」


 サラサラとした銀髪に、白皙の美貌。
 その甘くとろけるような色合いをした瞳が、酷く冷たい光を放つ事があるのを・・・・アルヴィスは最近、知った。


「・・・・・・・・・・・、」


 アメジスト色の瞳が今にもその光を帯びるのでは、と思うと身が竦む。
 しかし、アルヴィスは懸命にそれを堪えて訴えた。


「―――――─怒らな・・い、のか・・・・?」

「―――――─・・・」


 沈黙が流れる。

 マスク越しの掠れた声だったから、聞き取れなかったのだろうかと一瞬懸念したがファントムは聞き返したりしなかった。
 どうやらアルヴィスが多少頑張って、声を張り上げればマスク越しでも簡単な会話なら可能なようだ。


「・・・・・アルヴィス君は、僕に怒って欲しいの?」


 ファントムは耳慣れた触りの良い甘い声で、静かにそう問いかけてくる。

 表情も口調も穏やかなままだが、僅かに自分を見つめる視線の温度が変わったような気がして。


「・・・・・・・・・・・、」


 アルヴィスは思わず、顔を少しだけ俯かせた。

 その様子にファントムがふぅん・・と、小さな声を漏らす。
 そしてサラリと言葉を続けた。


「―――――──勝手に、病院抜け出したから・・・・僕が怒ってるって。そう思った・・・・?」


 何かの、雑誌のページでも読み上げるかのような軽い口調で。
 少しの怒りも咎める響きも含まれず、ただ言葉を淀みなく紡いだだけの、穏やかな幼なじみの声だった。


「・・・・・・・・・・・」


 あんまり、サラッと言われ過ぎて。
 アルヴィスは俯いたまま数秒間、固まる。

 叱責されるに違いないと思っていたから、予想外のファントムの言動に思考が真っ白になってしまったのだ。

 責められるだろうと身構えていたのに、甘ささえ感じられるようなファントムの口調にアルヴィスは戸惑い、おずおずと口を開いた。


「・・・怒ると、思った・・・・」


 声を発するたびに喉が痛んで、勝手に声は途切れて掠れるが・・・・仮にそうで無かったとしても、ぎこちない喋りになってしまっただろう。


「――――・・そう? 僕は別に、怒ってはいないよ」


 けれどファントムの穏やかな表情は変わらず、返答もこれまた予想外過ぎる内容だった。
 アルヴィスが病院から逃げ出した事で、怒ってはいないとアッサリ否定したのである。


「・・・・ただ、すごく心配はしたけれどね。・・・君はまだ、出歩いて構わないような体調では無いんだから」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 返す言葉が見つからず、アルヴィスは困惑した顔で視線を宙に彷徨わせた。
 そのアルヴィスに、ファントムがそっと手を伸ばしてくる。


「そんな・・・捨てられて途方に暮れてる子猫みたいな顔しないでよ、アルヴィス君・・・」


 秀麗な顔に、苦笑を浮かべ。
 アルヴィスのこめかみから指を滑らせ、生え際の髪を耳の後ろへと梳くように優しく撫でてきた。


「・・・ごめんね、僕が悪かったよ」

「・・・・・・・・・・・・・・?」


 何に対しての謝罪なのか分からなくて、アルヴィスは間近に居る青年の顔を見上げる。

 勝手に病院を抜け出した自分が怒られこそすれ、ファントムに非は無いだろう。
 一体、何を謝るというのか。


「・・・・・・・・・」


 先程までの、ファントムに対する恐れからくる不安を暫し忘れ、アルヴィスは彼を凝視した。

 白衣を纏った4才上の幼なじみは、苦笑を浮かべたまま言葉を続ける。


「アルヴィス君、寂しかったんだよね。傍にずっと付いててあげたかったんだけど、色々あって、あんまり傍に居てあげられなかったから・・・・寂しかったよね・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・」


 やはり、ファントムの言葉が何を意味するのか理解出来ず、アルヴィスは眉を顰めた。

 ファントムが、自分にずっと付き添っていられる訳が無いというのはアルヴィスにだって分かっている事だ。
 彼だって大学生・・・しかも一般の大学ではなく多忙な筈の医大生なのだし、アルヴィスの具合が悪いからと早々休んだりはしていられない。
 課題だってあるだろうし、アルヴィスは自分に付き添いながら別室でそれを片づけているファントムの姿を見た事もある。
 だから、負担を掛けていることを申し訳なく思ったことは多々あるが―――――──寂しいなどと責めるつもりなんか、毛頭無い。

 そもそも、入院なんて・・・・通常は患者のみが収容されるのを余儀なくされる所であり、誰かが付きそう必要は無いのではないだろうか。

 少なくとも、アルヴィスを診てくれているのがファントムだからといって、彼自身が常に付きそう必要は無い筈だ。

 彼はまだ立場上、この国では学生で。
 この病院に、呼吸器の医師が他にいない訳では無いだろうから。


 それなのに。


 ファントムの謝罪の言葉は、こう結ばれた。


「―――――だから拗ねて、僕の傍に居るの嫌だって言ってみたり、病院抜け出しちゃったりしたんでしょう? ごめんね、寂しかったから拗ねちゃったんだよね」






 拗ねる?


 ・・・寂しかったから?





「・・・・・・・・・・・・・・」


 ファントムの言葉が、棘のようにアルヴィスの胸に突き刺さる。

 その棘は凍てつく氷で出来ているかのように冷たく、・・・ジワジワと不快な痛みをアルヴィスに与えていった―――――─。










NEXT 29

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言い訳。
今度こそ、一気に修羅場へ―――――と頑張って書いてたんですが。
色んな伏線回収しようと書いては直して付け加え、書いてはまた消して・・・なんて繰り返していたら。
やったら長くなりました(汗)
読んで下さる方々が大変だと思われるので、いったん此処でまた切ります(爆)
今回はまだ、トム様の自分勝手にハッピーモード(笑)
アルヴィスは不審に思って怯えてますが、トム様的な心境は穏やかそのものです(笑)
次回がまんま、修羅場になります。
続きほぼ、出来上がってますので今度こそ嘘じゃないでs(殴)