『君のためなら世界だって壊してあげる』 ACT 22 『交差した道の行方 −15−』 誰でも良かった。 こんな自分を欲してくれるというのなら。 そう思ってくれるなら、誰でも構わない。 自分を差し出したいと―――――そう思った。 だって、自分がいきたい場所には決して行き着けないから。 だったら、何処でも構わない。 せめて少しでも、自分を望んでくれるヒトの所へ。 僅かでも・・・・・・・自分を疎まずにいてくれる、ヒトの元へ。 思えば、・・・・物心ついてからいつも、不安だったような気がする。 自分から追って縋らなければ、振り返りもせずに置いて行かれてしまうに違いない。 相手が望むようにしていなければ、失望されて何処かへ放り捨てられてしまうだろう。 その強い不安感は、アルヴィスにいつも付きまとっていた。 気を緩めたら。 少しでも、甘えた態度など示したら。 我が儘などを言おうものなら。 ―――――─即座に、捨てられてしまう。 そんな恐怖が、常に内在していた。 その不安から、アルヴィスを救ってくれたのはたった2つの存在だけである。 1つは、4才年上の幼なじみで。 もう1つは、彼を引き取ってくれたダンナ親子だ。 彼らは、アルヴィスに生まれて初めての『安心』をくれた。 縋らなくてもいいのだと、相手のことばかりを考えて言うとおりにしなくてもいいのだと。 優しく手を差し伸べて、アルヴィスの身体を心ごと抱き包んでくれた。 何を言っても、何をしても、・・・・思いやりのある温かい言葉を返してくれた。 自分が此処に居てもいいのだと、思わせてくれた。 アルヴィスにとって。 この2つの存在以上に大切なモノなんて、無かった。 けれども、それの一つが永遠に失われた今。 己の手にたった一つ残された、『それ』に・・・・・縋ることの出来る、無償の愛をくれる存在である『それ』に・・・・アルヴィスはどうしても頼る事が出来なかった。 だって、―――――─・・・・もしも、それがまた壊れてしまうとしたら? 大切だと信じ、何にも代え難いと思っているそれが、また偽りだったとしたら? 有り得ないと思う。 そんな事考えるだけでも、彼らに対する冒涜だと思う。 けれど、―――――─・・・そうやって信じていた『彼』は、アルヴィスを偽っていた。 同じくらい信じ、掛け替えのない存在だと思っていた『彼』が自分を偽っていた。 同じ事がまた起こらないと、何故言えるだろう・・・・? 確かめることは酷く・・・・怖かった。 真実を知って打ちのめされるくらいなら―――――─知りたくない。 このまま、分からないまま過ごしたい。 自分を必要だと言ってくれるヒトの傍で、・・・・せめて疎まれずに生きていたいのだ。 もう、傷付きたくは無い。 大切なのは、受け入れてくれること。 自分がどうしたいのか。 何処へ行きたいのか・・・・そんな事は関係なく。 ―――――──・・・望まれる相手の傍で。 「・・・・・・・・・・」 うっすらと目を開ければ、心配そうなアクアブルーの瞳と目が合った。 一瞬、柔らかな光を湛えたアメジストの瞳を思い浮かべ。 軽い失望の色がアルヴィスの瞳に宿った。 けれども彼の淡くグリーンがかった銀髪が幼なじみを彷彿とさせて、アルヴィスは知らずその顔に薄く笑みを浮かべる。 「・・・アルヴィスさん・・・?」 呼びかけられる声には反応せず、アルヴィスは再びゆっくり目を瞑った。 「・・・・・・・・・・・・・・」 目を閉じて。 そっと火照った手を握ってくれている、冷たい手の感触だけを追えば―――――─。 熱に浮かされた脳は簡単に望むままの場面へと、アルヴィスを連れて行ってくれる。 手を握り、髪を優しく梳いて・・・・柔らかくそっと、抱き締められて。 白く輝く月の光で作った糸みたいな、銀色の髪と。 キレイに丹念に磨き上げられた、紫水晶のような瞳した青年が。 長く、形良い指先でアルヴィスの頬に触れ。 安心させるように、甘く囁いてくれる・・・・・・胸の奥底に仕舞ってあった大切な記憶のワンシーン。 ―――――─大丈夫だよ。僕が付いてるから。 ―――――─こうやって、ずっと僕が傍にいてあげる。 ―――――─怖くないよ。僕が、アルヴィス君を絶対助けてあげるから・・・・・。 「・・・・ファン・・・トム・・・・」 この声が、この感触が、この姿が、―――――─幻でしか無いのだとしても。 全ては自分で作り出した、自分にとって心地の良い都合が良いだけの夢なのだとしても。 縋っていたかった。 彼との想い出に浸れるのなら、このまま目覚めなくてもいいと思った。 甘く、心地良い、・・・・自分が本当に還りたい場所。 現実にもう、それが無いのなら。 眠りの中で、求めるしか無い。 ずっと、眠っていたいな―――――・・・混沌とした揺らぐ意識の中。 アルヴィスはそう思った。 眠っている間だけは、現実を見なくていいだろう。 自由にならない身体も、不甲斐ない自分も、何もかも忘れて。 辛かった事は、・・・・無かったことにして。 本当にいきたかった場所で、安らぐことが出来る。 ―――――ああ、・・・・でも。 不意に、アルヴィスの意識が僅かに覚醒する。 ―――――─「 」は、・・・・俺の手を取ってくれたんだ。 一つ下の、後輩。 彼は、アルヴィスを守り、支え――――・・・・必要だと、言ってくれた。 要らなくないと。 必要だと、言ってくれた。 ―――――─インガの傍に、居なくては・・・。 アルヴィスにはもう、いける場所が無い。 いきたいと思う場所は、・・・・失われてしまった。 だからもう、眠りに就いてしまいたいのだけれど。 彼が望むのなら。 必要だと言ってくれるのならば、・・・・傍に居たい。 だって、彼だけだ。 アルヴィスを要らなくなんかない。欲しい。――――と言ってくれたのは、『彼』だけだから。 彼の為になら、傍に居たい。 「・・・・・・・・・インガ・・・」 再び、焦点の合わぬ瞳を開き。 ベッドの中、アルヴィスは掠れた声で後輩の名を呼んだ。 そして整わぬ息の下、懸命に言葉を紡ぐ。 「・・・・傍に、・・・。・・・・ひつよ・・・って、思ってくれてる・・・間は、傍にいる・・・。要らなくなったら、捨てればいい・・・」 「―――――必要、ですよ・・・?」 少年に握られていた手に掛かる力が、更に強くなった。 「絶対に、要らなくなんてなりません!・・僕にはアルヴィスさんが必要です・・・・!!」 「・・・・・・・・・・・・」 少年の整った顔に浮かぶ表情は、真剣そのものだった。 深い海の色を思わせる、水色の瞳。 「・・・・ありがとう・・」 嘘偽りのないインガの瞳に、自然アルヴィスの表情が柔らかいものになる。 俺は・・・ここに居てもいいんだ・・・・・・。 縋るように差し出した手を、握るのは『彼』のモノでは無いけれど。 自分を見つめる瞳は、あの蠱惑的なアメジスト色をしてはいないけれど。 耳に届く声だって、あの甘い囁くような声では無いけれど。 アルヴィスを労るように、優しくしっかりと握りしめてくれる手がある。 心配そうに真摯な色を浮かべて、アクアブルーの瞳に自分を映してくれている。 鼓膜を通して心に直接響くような、少し硬質で・・・けれど穏やかな波長を帯びた声がアルヴィスの名を呼んでくれる。 「・・・インガ・・・・・」 この彼の手を取って、・・・・離さないでおこうと思った。 彼が望んでくれる限り、離さない。 何処までも何処までも―――――・・・・望むままに。 「・・・・・アルヴィスさん・・・・」 「・・・インガ・・・・」 アルヴィスはベッド脇に屈んだ少年の顔を見つめたまま、熱のせいで冷たく感じるインガの手をそっと、弱々しく握り返した。 「・・・俺・・・・、」 そう言いかけたアルヴィスの喉が、次の言葉を紡ごうと息を吸い込んだ刹那。 「!?―――――・・・・っ、・・・」 気管がクゥ・・と、異音を立てた。 息が詰まる―――――と思い、身体を強張らせた次の瞬間。 肺の奥から喉元までが一気にざわついて、アルヴィスは堪らず激しく咳き込んだ。 「・・・ゴホ・・・ッ!ゴホゴホ・・・・!!」 「アルヴィスさん!?」 身体をエビのように丸めて咳き込み続けるアルヴィスに、インガが慌てた様子でその背をさすってくれるが、咳は止まらない。 「・・・う・・・っ、・・・ゴホ・・・・ッ・・・!!」 咳き込むたびに、目の奥に光が生じるような激しい咳。 懸命に息を吸おうとするが、それを押しのけて咳の奔流がアルヴィスを襲う。 体内の臓物を全て吐き出させようとするかのような、重く激しい咳が立て続けに出て止まらない。 発作だ。 しかも、先程のとは違って治まる様子が全然無い。 「アルヴィスさん・・・! ・・・駄目だ、やっぱり救急車を・・・・」 「・・・待・・・・って・・くれ・・」 自分を抱き留め慌てた様子でそう叫ぶ後輩を、アルヴィスは決死の想いで制止した。 「だって、・・アルヴィスさん・・・そんな状態じゃ・・・!!」 いつもは年不相応に落ち着きを見せている整った顔が、不安そうに歪んでいる。 「・・・だめ・・だ・・・・」 咳き込みながら、アルヴィスは弱々しく首を横に振った。 「・・・・こ・・こ、・・・・呼んだら・・・・・だめ・・・、だ・・・・・」 余裕が無くて、今自分が居る場所が何処なのかを、アルヴィスは良く把握してはいなかった。 けれども、此処が何処であろうと―――――─・・・呼べば必ずインガに迷惑が掛かるだろうことだけは理解していた。 それにまた、あの場所へ連れ戻されてしまうかもしれない。 『彼』とはもう、・・・逢いたくないのに。 「・・・へい・・き、だから。・・・・呼ぶ・・・な・・・」 酸欠で回らなくなり始めた頭で、必至に言葉を紡ぎ訴える。 全く、信用されないだろう内容なのは承知していたけれど。 「・・呼・・ばな・・・・ゴホ・・・・ッ、」 「アルヴィスさん・・・・!」 自分の名を呼ぶ、悲痛な響きの声をボンヤリと聞きながら。 やっぱり・・・・・許されないことなのか・・・・・? こんな身体の俺は・・・・望んでくれる誰かの傍に居ることすらも・・・・駄目なのか・・・? アルヴィスは止まらない咳に身体を震わせながら、無意識にインガの腕に縋りつつそう思う。 少しも自分の言うことを利いてくれない、役立たずな身体。 こんな身体の自分でもいいと、言ってくれているのに。 その彼に、迷惑まで掛けて―――――───・・・・果たして、このまま存在していていいのだろうか・・・・・? だって。こんな発作はこれからだって何度でも起きるんだろう・・・・? 俺が、生きている限り・・・・・ずっと。 「・・・は・・・あっ、・・・う・・・ゴホゴホッ・・・ぐ・・・うっ、・・・」 インガに抱きかかえられている身体が、ほぼ寝かされた体勢になっているのが苦しくて。 アルヴィスは自力で上体を起こし掛けるが、もはや己の身体を支えるだけの腕の力も、体力も、残されていなかった。 「・・・う・・・・・っ、・・・・は・・・・・・ぁ・・・・・」 苦しさのあまり、思わず握りしめたインガのシャツの袖に激しく皺がよる。 「ごほ・・・っ、ゴホゴホ・・・・ッ、・・・」 弱り切った身体の、体力を削り取るかのような重い咳が続いて、アルヴィスは力無く喘いだ。 「・・・・・・・・・・・・・」 苦しい。息が・・・出来ない。 「・・・・・ゴホ・・・ッ・・・ぐ・・・ぅ・・・・、」 更に激しい胸痛も襲ってきて、アルヴィスはガックリとインガの腕に頭を垂れた。 肺から込み上げてくるざわつき感に、咳き込む衝動は治まらないが、もう咳をするだけの余力も無くて―――――─・・・アルヴィスはただ、ゼーゼーとした異音を喉から発しながら喘ぐしか無かった。 その喉元を、ざわつく感触とは別の、異質なモノが刺激する。 「・・・ぐ・・・うっ、・・・・・」 口内を満たす、覚えのある鉄臭い・・・・ヌメリのある液体。 「ごほっ、・・・・・?」 薄く開いたアルヴィスの口許から、顎を緩く伝い―――――・・・ヌメリのある液体がシーツへと零れ落ちる。 「ごほ・・・っ、ゴホゴホ・・・・ッ・・・!」 それは、後からあとから。 口許を覆っていたアルヴィスの手の平から溢れ、顎や手首を伝い。 身体を支えてくれているインガの服や、真っ白なアルヴィスのバスローブやシーツを、鮮やかな真紅の色に染めていった。 「・・ぅ・・あ・・・・・・・・、」 喉元に込み上げてくる、独特の臭気を放つ液体。 アルヴィスはのろのろと、口許にやっていた手を開き―――――─その真っ赤に染まった手の平を見つめる。 「アルヴィスさんっ・・・・!?」 インガの驚愕した声は、アルヴィスの耳には入らなかった。 受け止めた手の平から溢れ、指の間と手首を伝い滴り落ちる赤い水。 それは、酸素が回らず霞んでいたアルヴィスの視界ですら、不気味な鮮やかさで彩った。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 また吐血したのだという事実に、言いようのない強い不安がアルヴィスを襲う。 けれど、心の何処かでそれを待っていた気もした。 今度こそ多分―――――・・・・自分の全てが終わるだろう。 パニック状態に陥った1度目の時と違って、頭がスッと冷えていくのを感じた。 怖くないと言えば嘘になるが、それ以上に何故か諦めにも似た投げやりな心地になった。 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 育ててくれた養父や、同い年の義兄である青年・・・・それから世話になった知り合いの叔父にきちんと、御礼やお別れがしたかった。 自分の荷物だって・・・・整理しておきたかった。 他にも、色々。 心残りは沢山あった。 けれども、―――――─何故かその反面、それらがどうでも良く感じる。 だって、それらを成し遂げるだけの気力はもう・・・アルヴィスには残されていないのだから。 「・・・・・・・・・・・・・・・」 もうすぐ、きっとアルヴィスの全ては終わる。 この焦点の合わない目を閉じたらきっと―――――─2度と、開くことは無い気がする。 恐らく・・・・・・・アルヴィスの意識が保てるのはあと、ほんの僅かだろう。 次に意識を失えば―――――──・・・その時はもう、再び目が覚めるかどうかは分からないのだ。 けれど、それでいいと思った。 かえって、もう目覚めない方がいい気さえした。 ・・・・・だって、本当はとてもとても・・・・疲れていたから。 息をして、この世界に存在している―――――それだけで何故か、辛くて堪らなかったから。 それでもせめて、ここに存在している間だけは・・・望んでくれる誰かの傍に居たいと思ったけれど。 でも、疲れていたから。 本当は・・・・・眠りたかった。 こんな風に、血だらけになって死ぬのは気が進まないけれど。 でももう、―――――─どうでもいい。 この役立たずな身体と別れられるなら、・・・どうでも。 役立たずだから。 ・・・・・ホントは俺・・・・要らない人間だろ・・・・? 「・・・イ・・・ンガ・・・・?」 霞む意識の中。 アルヴィスはその目に姿を映し出すことが出来ないまま、自分を抱き締めてくれている筈の少年の名を必死に呼んだ。 もうきっと、彼の傍にいることは出来ないだろうから。 せめて、謝りたい。 彼の気持ちに報いたかったけれど。 要らなくないと、強く言ってくれた彼の傍に―――――いたいと思ったけれど。 それは、出来ないようだから。 「・・・・ご・・め・・・・俺、・・・最後まで、・・迷・・惑かけ・・・、・・・・・・・・・」 言いながら、背を振るわせて激しく咳き込み。 喉元が濡れた水音を立てて、鮮血が顎や首筋を赤く染めていく。 「・・・ひつよ・・・て、言って・・・くれ・・・たのに・・・・・、ご・・・め・・・・・・・・」 一緒にいられなくて、ごめん。 欲しい言葉をくれたのに、ごめんなさい。 そう、言葉を続けたかった。 だが。 アルヴィスに言えたのは、ここまでだった。 ぐうっとアルヴィスの白い喉が痙攣するように震え。 次の瞬間、大量の血液が口から吹き出すように溢れ出した。 「・・・・・・・・う・・・・っ、・・」 ビクビクと、身体が勝手に何度か跳ねて。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・」 急速に意識が遠のいていく。 それは、抗う事が到底出来ない強引さだった。 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 現実世界の支柱に、必死に括り付けていた意識のロープを根こそぎ力任せに引きちぎり、連れ去る―――――津波に浚われでもするような圧倒的な力。 脳が痺れて、意識が白濁していく。 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 抱き締められた腕の中。 アルヴィスはガックリと、その細い身体から力を抜き・・・・血に染まった半身を少年の胸に預け意識を失った―――――───。
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