『君のためなら世界だって壊してあげる』




ACT 20 『交差した道の行方 −13−』








「・・・・・ずっとインガと、・・・・・・・・こうしていたい」


 熱のせいか、腕の中で舌っ足らずな幼い口調でそう繰り返すアルヴィスを愛おしいと思う。

 どこかウットリとした表情で、自分をぼんやり見上げるアルヴィスを守ってやりたいと思う。

 彼が望む事なら、何だって叶えてあげたい気がした。

 アルヴィスが、ずっと自分と一緒に居たいと言うのなら。

 このまま2人、何処か遠くへ旅立って。

 自分も学校なんか辞めて、何処か遠くで一緒に暮らしたっていい。

 そして何処かの小さな家で、2人隙間無いくらいにくっつきあって、一緒に過ごしていけばいい―――――───。




 アルヴィスとなら、それも出来るような気がした。

 自分を頼ってくれさえするのなら、何だって出来る気がした。














「・・・アルヴィスさん・・・好きです・・・」


 目の前にある、誘うように薄く開いた唇へ自分のそれを重ね。
 インガはその感触を味わうように深く唇を合わせた。

 ずっと憧れていた人との、口付け。

 アルヴィスが在校時には、彼の飲みかけのペットボトルを貰っただけでドキドキしてしまう、些細な触れ合いで満足していたのに。
 間接ではなく直接的に、今、インガはアルヴィスの唇に触れているのだ。

 想像の中だけでしか経験した事のなかった、憧れの人との口付けにインガは酔った。


「・・・・ん・・・・・うっ、・・・」


 柔らかな唇の感触を堪能し、アルヴィスの熱い口内へと舌を差し入れる。
 歯列をなぞり、口蓋の形を確かめるように舌で舐めあげて――――アルヴィスの舌と絡め彼の甘さを味わった。

 熱のせいか、アルヴィスの口内も吐息も酷く熱かった。
 熱くて滑らかで舌と舌が絡み合い唾液が混ざり合う激しいキスは、インガにとろけそうな快感をもたらし。

 苦しそうに顔を顰めたアルヴィスに気付く余裕も無いまま、インガは彼との口付けに夢中になってしまった。


「・・・んっ、・・う・・・うっ、・・・・ん・・・・!」


 アルヴィスが口を塞がれたままくぐもった呻きを発し、細い顎を仰け反らせ喘ぐように大きく口を開く。
 そんな彼の唇を更に貪るように、インガはアルヴィスと深く唇を合わせた。
 後頭部を支えるようにアルヴィスの髪に指を差し入れ、顔が後ろに反らせないよう固定して、深くふかく。


「・・・・う、・・・・んっ、・・・」


 アルヴィスの熱い吐息がインガの鼻や頬を擽り、縋るように回されていた手の指先がインガの背に爪を立てる。
 布越しに感じるアルヴィスの熱い身体と深い口付けに、インガは無意識の内に彼を押し倒しその肌に触れていた。


「・・・アルヴィスさん・・・・好き・・・です・・・」


 キスの合間に、何度もそう熱っぽく繰り返しながらパーカーの裾から手を差し入れ・・・・薄い皮膚の下の、肋の形を確かめるように脇腹のラインを撫であげる。
 汗ばんでしっとりとした熱い肌に直に触れた時、アルヴィスの身体が僅かに強張るのが感じられたが、・・・・・手は止まらなかった。





 ずっとずっと憧れて。

 好きで堪らなかった存在が現在(いま)、腕の中に在る。

 口付けを交わし、彼の肌に触れられる距離にいる。


 好きな相手を抱きたいと思うのは、自然な感情だろう。


 それは、・・・・とてもとても甘い誘惑で。

 インガには逆らう事が出来なかった。




 唇を熱くなった首筋に這わせ、服を胸元まで捲り上げる。
 そして、滑らかな肌の感触を指先で味わう。

 抱き締めた身体がビクリと震え、僅かに抗うようにアルヴィスの手がインガの胸を押したが、構わずそれを押さえ込んで動きを封じた。


「・・・アルヴィスさん・・・」


 甘く名を呼んで。

 抵抗にもならないような、藻掻きを続ける華奢な身体の造りを確かめるかの如くに丹念に愛していく。


 しかし。



「・・・・・・っ、!?」


 インガがアルヴィスのまだ柔らかな胸の突起に触れ、そっと太腿の間へと手を滑り込ませた瞬間―――――───・・・今までとは比較にならない程にアルヴィスの身体が強張った。


「・・・アルヴィスさん・・・?」

 性急に求めるような行為が、彼の恐怖感を誘ったのだろうか。

「・・・・・・・・・・・・・、」

 身を固くして。
 アルヴィスは現状を認め難いかのような様子で、首をゆっくりと何度も横に振った。

 そして。

「・・・・や・・・やだ・・・・・っ、やめて・・・・・!!」

 インガから逃れるように、組み敷かれた体勢のまま身体を小さく丸め、頭を抱える。

「・・・・怖い・・・怖いよ・・・っ、やめて・・・・・!!!」

 幼い子供みたいに叫んで、アルヴィスは更に身を縮めた。
 ガチガチと、歯の根が合わずぶつかる音が聞こえて来そうなくらいの怯えようだ。
 声も震えていて、決して演技では出せないだろう切迫感に溢れている。

「・・・・・・アルヴィス・・・さん・・・!?」

 突然の、アルヴィスの豹変に面食らいながら。

「・・・怖く・・・ないですよ・・・?」

 インガはとりあえず彼を落ちつかせようと、アルヴィスの腕を強引に頭から引き剥がし、その腕ごと身体をぎゅっと抱き締めてみた。

「・・・っ、!?」

 びくんっと、アルヴィスの身体が大きく震える。
 これで落ちついてくれれば―――――─・・・と思ったのも束の間。

「・・・・ぃ・・・やだーーーーーーーーー!!!」

 次の瞬間に、アルヴィスは一体この細い身体の何処に、そんな力があったのかと不思議に思うくらいの凄い力で、インガの腕を振り解こうと滅茶苦茶に暴れてきた。

「・・っ、ア・・アル・・ヴィスさん・・・っ、・・!!」

 咄嗟に抱き締めるインガの腕にも力が入り、アルヴィスの華奢な骨が手の中で軋むのを感じ慌てて力を緩める。

「・・・やあ・・・・・・っ、・・・うあ、あああっ、・・・・!!」

 激しく首を振って身を捩り、両足をバタつかせて暴れるアルヴィスは、すっかり正気を失っているように見えた。
 酷く怯えた表情でインガを見つめているが、焦点が合っていない。
 インガを魅了して止まない希少な宝石のみたいな瞳を大きく見開き、肩を激しく上下させて荒い呼吸をくり返している様は・・・・何処か正常な人間と一線を画してしまったかのようで。

 眉を寄せ、瞳には涙を滲ませて、小刻みに唇を震わせるその様子は、まるで怯える子供そのものであり―――――─・・・酷く幼い印象をインガに与えた。

「・・・・・・・・・・・」


 インガの脳裏に、先程のアルヴィスの様子が過ぎる。

 また彼が、あの何かの発作らしき状態に陥るのでは無いかと不安になった。
 不自然なほど早く浅い呼吸が、インガを焦らせる。

 そう、・・・病院に帰りたくないとアルヴィスに必死に強請られ、つい絆されて言うとおりにこんな場所まで連れてきてしまったが―――――──彼はれっきとした病人であり・・・しかも入院していなければならない程に体調を崩している筈なのだ。

 しかも、アルヴィスは明らかに精神のバランスを崩している。その兆候は、彼の姿を公園で見つけた時から顕著に見受けられた。

 ―――――───・・・・通常の精神を、ずっと保ち続けてはいられない程に、アルヴィスの病状は思わしくない。


 彼の酷く不安定な心と身体は、いつ、急変したっておかしくないのかも知れなかった。




 さっきは、何とか治まってくれたけど・・・・・・・・・・。





 インガには医学的知識などないから、アルヴィスが今どういう状態なのかなんて、判断出来ない。
 けれども、ただでさえ消耗した状態のアルヴィスが、このまま暴れ続けるのは決して良くないだろうという事くらいは理解できた。


「・・・・・・・・」


 必死に、考える。

 咳き込み、喘いでいたアルヴィスは本当に苦しそうだった。
 咳は肺から出るものだろうから、今こうして早い呼吸をくり返しているのは絶対その肺に負担が掛かるのに違いない。





 呼吸を・・・・落ちつかせなくちゃ。






 今のアルヴィスは、理由は分からないがパニック状態なのだろう。
 パニック状態といえば、良くあるのは『過呼吸』だ。強烈な不安感などに襲われた時に発症しやすいという、酸素を取り込み過ぎて逆に苦しくなると言うアレ。
 症状の改善には、口を覆って酸素の吸い込みすぎを阻止してやれば―――――─・・・治る、と聞いたことがある。


「・・・・・・・アルヴィス・・さん・・・・・・」


 インガはいまだ抱き締めて、押さえ付けている状態にあるアルヴィスを見つめた。

 通常、過呼吸の治療はビニール袋などで口を覆い二酸化炭素を多く吸わせながら息をさせる―――――・・・というモノだった気がする。
 けれど今、そんなものはインガの手元には無い。




 どうする・・・・・・!?




 いっそ、シーツで口を覆って・・・・・などとインガが激しく思案していた時。

「・・・っ、はっ、・・・・ぁ・・・・」

 不意に腕の中のアルヴィスの身体が、ひくりと痙攣し、くぅ・・と喉が鳴った。

「・・・・・・・・・・」

 いきなりに、一切の抵抗が止む。
 抗うようにインガの方へと伸ばされていた白い腕が、力無くズルリと下へ滑った。

「―――――アルヴィスさん・・・!?」

 何か、ヒヤリとしたものを感じて、インガはアルヴィスの名を呼んだ。

「アルヴィスさん・・・・!?」

 どうやって彼の口を覆えばいいのかと、そればかりを真剣に考えて。
 一瞬、現実のアルヴィスの事が意識から疎かになってしまっていたインガは、彼の更なる異変に気付くのが遅れてしまった。

「アルヴィスさん!?」

 慌てて彼の様子を伺えば。
 先程のまでの暴れ振りが嘘のように、アルヴィスは糸の切れたマリオネットみたいな姿でベッドに横たわり、ぐったりと目を閉じていた。

「・・・・・・・・・・・・・・」


 荒い呼吸。
 汗の滲んだ額。
 紅潮した頬―――――─・・・・抱きかかえている身体は酷く熱くて、インガに只ならぬ状況だという事を知らせている。


「・・・・・・・・・・・・・・」

 先程まで以上の、強い焦燥感がインガの中に生まれた。

「・・・・アルヴィスさん・・・・!」


 必死に名を呼ぶ。

 さっきまでは突然の錯乱ぶりに翻弄され、また激しい咳の発作でも起こすのではと激しく心配はしたけれど・・・まだ落ちついていられた。
 その前の状況でも、酷く苦しそうに咳き込んだりしていてもまだ、彼の意識があったから、・・・・・まだ狼狽えずにいられた。

 だけど、今は。


「・・・・・・・・・・・・・・・」


 呼びかけても、アルヴィスは目を閉じたままでインガの声に反応しようとはしない。
 ゼェゼェと喉を鳴らし、ますます酷く苦しそうな息づかいをしている。




 このままじゃ、・・・・・・・・・!




「―――――救急車・・・・っ」


 酷く不安になり。

 インガは、此処がどういう場所なのか。
 そして自分がまだ高校生だという立場な事も失念し、電話で救急車を呼ぼう―――――と立ち上がる。





 死んでしまう―――――と、思った。

 せっかく、この手に触れることを許されたのに・・・・。

 傍にいられるのだと、思ったのに。

 突如襲った、とてつもない喪失への恐怖に打ちのめされ―――――・・・自分こそが、呼吸困難に陥りそうな気がした。


 彼が自分から失われないで済むのなら、何でもする・・・嘘偽り無く、その瞬間はそう思えた。











「・・・・・・ィ・・・ンガ・・・」

 焦るインガの耳に、消え入りそうなアルヴィスの声が届く。

「アルヴィスさん・・・・!?」

 慌てて彼の顔を覗き込めば、アルヴィスがうっすらと目を開き必死な様子でインガを見つめていた。
 そして掠れた声で、途切れとぎれに言葉を発する。

「・・・・だい、じょう、ぶ・・・・へい・・きだか・・・ら、呼ばないで」

「・・・・・・・・・・・」

 どうやら、インガが思わず口走った『救急車』という単語に反応したようだ。

「でも、―――――」

 インガは口籠もる。

 熱が高そうだし、呼吸だって酷く苦しそうだ。
 とてもではないが大丈夫とは言い難いアルヴィスの様子に、インガも戸惑い簡単に頷く気にはなれない。
 けれど、アルヴィスは苦しい息の下くり返し言った。

「だいじょ・・うぶ。ちょっと、・・・苦しい・・・だけ―――――・・・・平気。休んでたら、・・・治る・・・から」

「・・・・・・・・・・・・・・・」



 必死にインガの方を見つめ、平気だと言葉をくり返すアルヴィスのその姿は、高校時代の彼を彷彿とさせた。



 高校時代のアルヴィスは、ちょっとやそっとの怪我や故障で試合は勿論、練習だって休まない性格で。

 自分でやれると判断したら、例え先輩や顧問の教師に休むように言われても頑としてきかなかった。
 辛いだろうに歯を食いしばって試合に臨むアルヴィスを、インガは痛ましく思いながらも・・・・その実、ストイックな迄に勝負に拘り強い意志を貫く彼に惹かれたのを覚えている。

 強い光を宿した、アルヴィスの瞳。

 あの時と、同じ目だ。
 先程までの錯乱ぶりなど、片鱗も見受けられない。

 やはりアルヴィスの精神状態には酷く、波があるようだった。

 けれども、本当のアルヴィスが決して失われた訳では無いのだという事に、インガは深い安堵を覚える。



 ―――――───彼が、そう言うのなら・・・・・。




「・・・・アルヴィスさん・・・・」

 インガはそっと、アルヴィスの汗で張り付いた前髪を掻き上げ、安心させるように笑った。

「・・・分かりました。ここで、ゆっくり休んで下さいね・・・・?」

「・・・・・・・・・・」

 暗に救急車は呼ばないと言ってやると、アルヴィスの表情から目に見えて力が抜ける。
 けれど、変わらず呼吸は速いし、汗も凄い。









 ここで看病するなら、汗を何とかしてあげないと・・・・。




「・・・・・・・・・・」

 バスルームまでタオルを取りに行って、それでアルヴィスの身体を拭いてあげようか―――――─・・・そう考えて、それではとても間に合わないだろうと思い直し。
 インガはバスルームに向かって、シャワーのコックを捻った。
 そして、温度を少し熱めに設定してそのままバスルームを出てアルヴィスの元へと戻る。




「・・・・アルヴィスさん・・・」

 ベッドに近寄り、インガはぐったりと寝ているアルヴィスにそっと話しかけた。

「・・・汗かいてますから・・・・、その・・・身体流して、着替えてしまった方がいいと思うんです・・・僕、―――――お手伝いしますから・・・」

 今は決して、邪な気持ちでは無い。
 言っている内容を考えると赤面してしまうのは否めないが、アルヴィスの事を想って言っているつもりだ。
 アルヴィスが着ている服は、汗でグッショリ濡れており着ているのはさぞかし不快だろうと思う。着替えは無いが、とりあえずバスローブでくるんでおけば何とかなる。
 少なくとも今よりは、快適に休めるのでは無いかと考えたのだ。

「・・・・・・・・・・」

 インガの申し出に、アルヴィスは否定も肯定もしなかった。
 多分もう、具合が悪すぎてあまり考える力も無いのかも知れなかった。

 ただ、熱で潤んだ青い瞳に・・・・インガを映しているだけ。

 それがまるで、アルヴィスを守れるのは自分ただ1人なのだと言われているようで、インガの胸を何か熱いモノが満たしていく。

「・・・大丈夫です、・・・僕がいますから・・・・」

 彼が今、頼れるのは自分だけなのだ―――――─そう思うと、アルヴィスの為に何でもしてあげたい気持ちが更に強くなった。











「・・・・じゃあ、お連れしますね・・・」

 インガは出来るだけ優しく、アルヴィスを抱え上げてバスルームへと向かった。
 そして、されるがままに大人しくしているアルヴィスの、汗に濡れた衣服を脱がしていく。


「・・・・・・・・・・・・・・」


 アルヴィスは大人しかった。
 抱きかかえられながらパーカーを脱がされ、中に着ていたTシャツを脱がされ、ジーンズを脱がされて―――――最後に下着を脱がされ一糸纏わぬ姿にされても。


「・・・・アルヴィスさん・・・・」


 変な気持ちで脱がせた訳では無かったが、憧れていた存在の赤裸々な姿には、流石にインガも平静ではいられない。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 アルヴィスは、キレイだった。

 元々抜けるように白い肌をしている彼だったが、こうして見ると、それでも腕や足など露出させていた部分はそれなりにすこしは陽に焼けていたのだと分かる。
 背骨が浮き出てしまった背中や、肋のハッキリと分かる胸や腹、細い腿などは血が通っているのかと疑わしくなるほど仄白い。青い静脈が透けて見えるくらいの白さだ。

 きめ細かく滑らかで白い肌が、華奢で均整の取れた肢体を美しく包んで、まるで人間じゃないかのように彼を見せている。
 現役時代より窶れたせいで、かえってアルヴィスは妖精のような・・・・何処か人外的な美しさの存在へと作り替えられていた。

 元々の骨格が華奢なのだろう―――――肉の削げ落ちたアルヴィスの身体は、折れそうな程に細い。

 儚げな容貌といい、病的に痩せたせいで異常な程華奢になった体つきといい、アルヴィスは同じ人間とは思えないキレイさだった――――──・・・触れれば、雪のように溶けて消えていってしまいそうな錯覚を覚える程。

 それなのに。

 肋骨が透けて見えるほど薄い皮膚のうえで上下している薄桃色の突起や、薄い翳りの下で息づく淡い色合いの彼自身・・・・・・・そして手で掴めば指先が触れそうな程細い腰や形良く引き締まったまろやかな臀部が―――――・・・誘うようにインガの目に飛び込んでくる。

 憧れ、恋い焦がれた存在が、そんな風に無防備に肌を晒した状態で間近にいたら、やはり平静ではいられない。
 思わず、ゴクリと喉が鳴る。


「・・・・・・・・・・・」


 けれど剥き出しの肩を支えるように手で触れれば、薄い肉を通してすぐにゴツゴツとした骨の感触があり、その身体は酷く熱い。
 表情もうつろで、苦しそうだ。

 インガはそっと、宥めるようにアルヴィスの頭を撫でる。


「・・・・大丈夫ですよ・・・僕が、ついてますから」


 こんな状態のアルヴィスを、どうこうすることなど出来はしない。


「・・・・・・・・・・・・・・」


 アルヴィスを痛ましげに見つめてから。

 インガは自分も服を脱ぎ捨て、アルヴィスを抱えてバスルームへと入った。
 そして床にマットを敷いてからアルヴィスを座らせ、その背を支えながらそっとシャワーを掛けてやる。


「・・・・・・・・・・・・・・」


 お湯が掛けられても、アルヴィスは反応しなかった。

 ただ虚ろに、一点を見つめて微動だにしない。
 具合が悪い時に長風呂は禁物だろうからと、インガは手早くアルヴィスにボディソープを塗りつけて軽く流す。
 その際の、アルヴィスの肌の感触は出来るだけ追わないように、懸命に努めながら。

 髪も、アルヴィスの目にシャンプーが入らないように優しく洗ってやる。

 普段、他人にそんな事をする機会などある訳も無く、まして出来るだけ感覚を追わないようにアルヴィスに触れないように心がけながらだったから、酷く難しかった。
 更に言えば、アルヴィスは左手首を切っている―――――─その部分を濡らさないようにするのも、かなり手間取った。

 けれどインガはなんとかそれをやり遂げて、アルヴィスの身体を丁寧に拭き乾いたバスローブで包む事に成功する。
















「・・・・少し・・・・スッキリしましたか・・・?」


 優しくベッドに横たえ、まだ濡れている髪を梳きながらインガはアルヴィスの様子を伺った。


「・・・・・・・・・・・・」


 アルヴィスはインガの言葉には応えず、ただジッと見つめ返すだけで苦しげな息をくり返していた。

 虚ろな表情は相変わらずで、彼の状態が思わしくない事を感じさせる。
 熱が高そうだったので、インガは備え付けのタオルを冷水に浸して絞り、アルヴィスの額にのせてやった。
 少しだけアルヴィスが気持ちよさそうな表情を浮かべてくれた事に安堵し、そっと話しかける。


「・・・少し、眠って下さい・・・。ずっと傍に、居ますから」


 言いながら、髪を梳く。

 言葉通り、アルヴィスが眠る迄も眠ってからも、・・・・ずっと、こうしていてやろうと思いながら。


「・・・・・・・・・・・・・」


 するとアルヴィスが何も言わず、のろのろと気怠い仕草で自分に掛けられた布団から片手を差し出してきた。
 その手は弱々しく、ベッド脇に立ち膝を付いているインガに伸びて来る。


「・・・・アルヴィス・・・さん・・・?」


 戸惑いながらその細い指に触れれば、手の形をなぞられるかのような弱い力で、キュッとインガの手を握ってきた。
 そのまま、指が力無く滑り落ちそうになり―――――インガは咄嗟に、アルヴィスの熱の為に火照った手を握りしめる。


「・・・・・・・・・・・・・・・」


 するとまた、アルヴィスが弱々しくインガの手を掴んできた。
 縋るようにインガを見つめたまま、何も言わずにただ苦しそうに息をして。
 ただひたすらインガの手を握ろうとしてくる。


 不安・・・なのだろうか。



「・・・・アルヴィスさん・・・・」


 アルヴィスの感情の伺えない、透き通った青い硝子玉みたいな瞳を見つめながら。
 インガはそっとやせ細った手を優しく握る。

 するとアルヴィスは長い睫毛を伏せ、人形みたいに整った顔の口許を、少しだけ和らげた。


「・・・・・・・・・・・・、」


 自分が手を握ってやることで安心するらしいアルヴィスが何だか可愛くて、インガの胸が熱くなる。


 本当に、何でもしてあげたいと思った。

 アルヴィスが望むなら、何処か遠くまで行ってもいい。

 そのまま、帰って来られなくなっても構わないと思った。

 彼が帰りたくないというのなら、・・・何処までも。

 一緒に居て、傍から離れないで。

 ずっとずっと、共にいる。


 それが例え、―――――・・・・この世の場所で無い所だとしても。


 アルヴィスとなら・・・・・・構わない。





「・・・・アルヴィスさん・・・好き・・・です・・・」


 手を握ったまま、もう片方の手で優しく髪を梳き。
 そっと滑らかな頬に唇を寄せ、そのキレイな顔(かんばせ)に見惚れる。

 その時。


「・・・・・」


 アルヴィスの熱でひび割れてしまった唇が、僅かに動いた。
 声にもならない、苦しげに繰り返されている吐息に紛れてしまうような、微かさで。


「―――――─・・・・」


 けれどインガは、ハッキリと見た。

 アルヴィスの唇の動き・・・・それは、先程から何度も、彼が精神的に不安定になった時に呼んでいた人物の『名前』。
 彼の幼なじみだという、アルヴィスに過去・・・多大な影響を与えたのだろう人間の名前。

 アルヴィスが本当に求めているのは、その人物なのだろう。


「・・・・・・・・・・・・・・・」


 だけど、別に構わないと思った。

 過去、どれほどアルヴィスにとって大切だった人間だろうと―――――今、彼の傍に居るのは自分だ。
 救いを求められ、帰りたくないと強請られたのは、この自分だ。

 過去の者をどんなに求めたって、・・・アルヴィスは過去になんて戻れはしない。


「アルヴィスさん・・・・」


 インガは、握りしめる手に力を込めた。


「・・・・僕が、傍に居ますよ・・・ずっと、貴方の傍に居ます・・・・」





 ―――――─僕が、貴方を守ります・・・・・・・・・・・・・。


Next 21

++++++++++++++++++++

言い訳。
よーーーーやっと、インアル編完了です!(笑)
いや正確にはまだ終わってませんが、ゆきの的に終わりましt(爆)
これでようやくファンアルっていうか、トム様書けます(泣)
でも次回のトム様キレまくってるんで・・・・・・普通のファントムはまだ書けないんですよね・・・。
早く本当の意味で笑顔のトム様書きたいです・・・。