『君のためなら世界だって壊してあげる』 ACT 18 『交差した道の行方 −11−』 首にしっかりと抱きついて離れない、熱い身体を無理にベッドに寝かそうとして。 ますます必死な様子でしがみついてくる華奢な身体に、インガはその動きを止めた。 「・・・・・どこにも行かないですよ・・?」 安心させるように笑いかけて、何とか縋り付く手を外させてベッドの上に横たえさせる事に成功する。 「・・・はあーっ・・・」 そして自らもベッドに腰を掛けて、ようやく一息。 「・・・・・・・・・・・・・、」 ちら、と傍らの存在に目を向けてみれば、アルヴィスは大人しくベッドに身を預けぼんやりとした表情で天井を見つめていた。 薄く唇を開き、細く苦しげな呼吸を繰り返しながら、虚ろに天井を見上げている。 熱のためかその白い肌がほんのり赤く染まってきて、うっすら汗ばんでいるのか頬に張り付いた一筋の黒髪がやけに扇情的に見えてしまう。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 余りに整いすぎて人形のように見えるアルヴィスの顔が辛そうに歪められる様は、酷く艶っぽくて―――――─目が離せない。 そう考える自分こそが不謹慎で最低だと思いつつ、インガはアルヴィスの顔を凝視した。 「・・・アルヴィスさん・・・・」 この、人形みたいにキレイな顔で。 胸の奥まで射抜かれてしまいそうな、鮮やかな青の瞳で。 思わず触れたくなってしまう、形良い唇で。 自分を見つめ、縋り――――いっしょにいたいと、言ってくれた。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・」 急に、意識してしまう。 こんな場所で、2人きり。 しかも、お互いベッドの上にいる状態。 手を伸ばせば簡単に触れられる近さに、アルヴィスが居る。 「・・・・だめだ、」 急に2人でベッドにいる事が気まずくなってきて、インガは立ち上がった。 そして、室内を改めてウロウロと歩き始める。 「・・・・・・・・・・・・・・」 妙に可愛らしい造りの部屋だ。 部屋の半分を占めそうな大きなダブルベッドに、2人掛け用のソファと小さな丸テーブル。 1人暮らし用のミニ冷蔵庫と、その隣に不自然に置かれた自販機らしきもの。 部屋の奥には鍵が付いていない狭いトイレと、壁がガラス張りでやたらにバスタブが広いバスルームがある。 それらの殆どが、可愛らしいパステルピンクで統一されていた。 壁紙もテーブルも、ソファもベッドも、冷蔵庫ですら、ピンクの濃淡で徹底されている。 冷房が効いて少しヒンヤリとした室内は、入り口のパネル写真で選んだ印象よりも少しだけ余分に可愛らしい気がした。 「・・・・・・・へえ・・・」 値段は高校生の自分でも何とかなるくらいお手頃なのに、普通のホテルよりも部屋が豪華な気がする。 意外に部屋は広いし、トイレは普通だけれど、風呂などは通常のホテルよりだいぶ設備が整っている―――――─まあ、合宿なんかで泊まるホテルと比べる方が間違いなのだろうが。 多分アレは、ジャグジー付きだよな・・・などと思いつつ、バスタブの大きさの意味を考えて思わず頬を赤くした。 その時。 「・・・・どこ・・?」 視界の端で、ベッドからアルヴィスが身を起こすのが目に入り、インガは慌てて傍へと寄った。 アルヴィスは虚ろな表情のまま、ゆっくり辺りを見回して―――――インガを目に留めると安心したように微笑んだ。 「・・・・よかった、いた・・・」 その笑顔がまたひどく儚い印象で。 インガは自分の胸がキュッと痛むのを感じた。 「アルヴィスさん・・・」 ベッドの端に腰を掛け躊躇いがちに名を呼ぶと、そっと白く細い手が伸ばされてくる。 「・・・どこにも、いかないで・・・」 首の後ろに腕が回され、インガの胸にべったりと懐くようにアルヴィスが抱きついてきた。 「・・・ア・・アルヴィス・・・さんっ、」 その身体が酷く熱くて。 余りにも華奢で――――自分を見上げる表情が熱のせいか、本当に色っぽくて。 アルヴィスから感じる微かな甘い体臭と汗の臭いが鼻腔を擽り、・・・・・・眩暈がした。 「―――――・・・・っ、」 自分の身体にも熱が点りそうになり、インガは必死にアルヴィスの細い肩を掴んでその身体を引き離そうとした。 「・・・・やだ。一緒に、・・・・いたい」 だが、アルヴィスはますますインガにしがみつくように腕の力を込めてくる。 「いっちゃ・・やだ。・・・だって、あの時みたいに見つけてくれたんだろ・・・? あそこで泣いてた俺・・・・探しに来てくれたんだろ・・・?」 泣きそうに訴えて、縋り付いてくる。 「・・・アルヴィスさん・・・・」 また、混乱している―――――・・・・熱が高いのだろうか。 本当に病院へ連れて行かなくても、平気なのか―――――そんな風に意識が逸れたインガの耳に、アルヴィスが自分では無い誰かの名前を呟いた。 ―――――ファントム―――・・・と。 「・・・・・・・・・・・・・、」 聞き覚えの無い、名前だ。 いや、・・・一度だけ、耳にした事があったような気がする。 それは、―――――いつだった・・・・? 茹だるような暑い夏の日だった。 夏休みでも、部の練習は変わらずあって。 冷房など無かったから弓道場も窓は全て開け放たれていたけれど、風は無く澱むような暑さにはさして効果は無い。 汗だくになりながら、部員皆で、練習を続けていた。 そして、そんな中でも尚涼しげに佇んで見えるアルヴィスに、いつものように見惚れていたら―――――─彼は着物の襟を少しはだけさせ、その白い首筋に伝う汗を拭いながら笑顔で手にしたペットボトルを差し出して来たのだ。 『暑いな。平気かインガ? ・・・・少し口付けてしまったけど、飲むか?』 彼が飲みかけの、スポーツドリンクを。 『・・・・・・・・・・・・・・・・』 一瞬、何もリアクションが取れなかった。 暑さで乾いた喉を潤す冷たい飲み物は、それだけで幸せを感じる。 ましてそれが、憧れているアルヴィスから貰えるというのなら、尚更。 その上、アルヴィスの唇が触れた後だというのなら―――――もっともっと、・・・価値がある。 『・・・でもそういうの嫌なら、』 『あ、いえっ、全然大丈夫です頂きますっ!!』 黙ってしまったインガを誤解したのかアルヴィスが引っ込めようとした手を慌てて握り、思い切り首を横に振った。 『僕、そういうの全然気にしませんから!!』 本当はすごく気にする質だし、他人の口が付いたモノなど絶対嫌だと思うインガだが、アルヴィスだけは特別だ。 というより、むしろ口を付けて貰っていた方が嬉しい。 こういう機会でも無ければ、アルヴィスになど間接的にも触れられる事など無いのだから。 実際の初心者としての指導が既に終わってしまっている現在、直に触れられる機会だって滅多には無いのだし・・・・・。 握った手の中で、室温との差に水滴がびっしり付いた冷たいペットボトルが、窓から差し込む陽射しにキラキラと魅惑的に輝く。 それはインガの目に、どんな他の飲み物よりも素晴らしく美しいモノに映った。 だが、インガの幸せは一瞬で崩れ去る事になる。 『あー、暑ぅ〜〜。喉乾いた〜〜〜〜・・・お? インガそれちょうだいっ!!』 的中て練習を中途半端に終え、インガの背後から現れた同級生の少年がパッと彼からその大切なペットボトルを奪い取ったのだ。 『!? ばっ、・・カイ、それアルヴィスさんが・・・!!』 慌てて取り返そうと思った時には、少年は既に口を付けてゴクゴクと一気に半分ほど飲んでしまった後で。 アルヴィスにキャップを填められないまま渡され、栓をしないでそのまま握りしめていたのが仇となってしまった。 『馬鹿っ、お前これはアルヴィスさんが僕に・・・!』 『へ? コレ、アルヴィス先輩のだったんだ?』 しかも、同級生は罪のない笑顔でインガの傷口を抉る。 『やったー!じゃあ俺、アルヴィス先輩と間接キスしちゃったんだvv』 『・・・・・・なに馬鹿な事言ってるんだ、カイ。休憩終わったらさっさと練習に戻れよ・・・?』 アルヴィスは呆れたような口調で言って、全然相手にしていなかったが、インガはもう、同級生を殴りたくて仕方がなかったのを覚えている。 ―――――─それ自体は、後半はあまり思い返したくない忌々しい思い出だ。 けれど、・・・・その後に確か、彼は言っていたのだ・・・・。 えー、まだ暑いよー!などと不平を言いながら戻る少年を見つめながら、アルヴィスが何だか懐かしいような表情で柔らかく微笑む。 『――――間接キス、か。・・・昔、良く言われてたな』 そう言って、まだ傍に居たインガに幼い頃の思い出を話してくれたのだ。 小さい頃、良く遊んでくれていたという年上の幼なじみの話。 『ジュースでも、アイスでも、・・・何でも2人居るのに1個ずつ頼むんだ。それで、1人で1個食べたいってせがんだら―――――─足りないなら後でまた頼んであげる。だから、とりあえず1個を2人で食べようって。こうやって食べると、いつも間接キスしてるみたいで楽しいから―――――─って』 当時は間接キスの意味も分からなくて。 何を言ってるのか分からなかったけれど、幼なじみがとても嬉しそうに言うから・・・なんかスッゴイ素敵な事のように思えて。 いつもそうやって分け合ってたんだよな―――――そう、説明してくれた。 少し照れたような、でも嬉しそうな顔で。 『・・・・・子供心にも、すごくキレイだって思う顔したヤツで。頭とかも良くって。大好きだったんだ――――・・・目の色がすごいキレイな紫で、髪の色もすっごく綺麗な銀色でさ・・・そういえば少し、インガの髪に似ているな・・』 懐かしそうに、言っていた。 『今頃、どうしてるかな。ファントム・・・・・もう逢うことも無いんだろうけど・・・・』 ―――――─ファントム。 あの時のアルヴィスは確かに、そう言った。 アルヴィスとの会話で、たまたま上った幼なじみの話。 一度だけ、・・・確かにファントムという名前を聞いた。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・」 では、今のアルヴィスはインガをその人物と間違っているのだろうか。 自分とその幼なじみの髪色が、似ていると前に言っていたから。 錯覚、しているのだろうか。 だから、・・・・幼なじみに対する態度だからこんなに―――――彼の態度があどけなく感じるのだろうか。 「・・・・アルヴィスさん・・・・」 「・・・ファントム・・・・」 アルヴィスが甘えるように名を呼んで、縋り付きたいと思っているのは、・・・その幼なじみ。 「―――――俺を、・・・・離さないで」 僅かの間も離れがたいように、必死に抱きつき。 引き離される事を怖がっているのは、インガをその人物と勘違いしているから。 ―――――─離れたくないのは、僕じゃなくて・・・・・・・・・・そのヒト・・・? 「―――――・・・・っ、!」 一瞬、アルヴィスを振り払いたいような衝動がインガを襲った。 けれど・・・。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 唇を強く噛んで、インガはその衝動を堪える。 涙に潤む青い瞳で、じっと自分を見上げるアルヴィス。 この手を離せばそれで全てが終わってしまうかのように、力が入らないだろう指で懸命にインガに縋る彼を―――――─振り払う事なんて、出来る訳が無かった。 「・・・・アルヴィスさん・・・・」 細い肩を掴んでいた手を、薄い背中へと回し。 インガは、アルヴィスの頭を掻き抱いた。 「・・・・・今、こうして。貴方を抱き締めてるのは、僕ですよ・・・・・」 分かっていないだろうと思いつつ、訴える。 「貴方のことが、ずっとずっと、―――――好きでした」 黒絹みたいな指通りの良い髪を梳きながら、祈るように告白する。 「・・・僕は、貴方から離れたりしませんよ・・・ずっと、傍に居ます。アルヴィスさんが望んでくれるなら―――――─ずうっと」 「・・・・・・・・・・・・・・・」 「アルヴィスさん・・・・」 インガの首に回されていた手の力がスッと抜け、アルヴィスが甘えるように首もとに顔を擦りつけてきた。 「・・・・ずっといっしょ・・・おれのそばに、いてくれる・・・?」 とても幼い、物言いだ。 甘える仕草といい子供っぽい口調といい―――――─それは知っているアルヴィスと余りにも印象が違って。 その頼りなげな態度が本当に可愛らしくて、インガの胸を刺激する。 だが、同時に、それらは全て自分に向けたモノでは無いのだと我に返れば・・・・・インガの胸は酷く重苦しいもので満たされた。 「―――――アルヴィス・・さん・・・・・」 こんな風に2人で。 隙間が無いくらいに、抱き合って。 可愛らしいけれど、恋人同士で睦み合う為の部屋で2人きり。 ベッドの上で・・・2人、愛を確かめ合うように抱き締め合っているのに。 お互いにお互いの存在を―――――求めているのに。 けれど、片方はどこか遠くにいるはずの、別の人間を見つめているのだ。 こんな風に抱き合いながら。 その相手を通して、違う人間を見ている。 「・・・・・昔の話、・・・・でしょう?」 悔しくて。 今の状態のアルヴィスに言っても、分からないだろうと思いながら。 それでもインガは言わずにいられなかった。 「幼なじみの彼は・・・・『ファントム』は、・・・・・何処にもいないでしょう・・・・!?」 びくっ、と。 腕の中の華奢な身体が反応するのを感じた。 抑えられない感情のままに、インガは再びアルヴィスの両肩を掴み―――――目線を合わせるように身体を少しだけ引き離す。 「ねえアルヴィスさん・・・『ファントム』は何処にも居ない! 今、貴方に触れているのは、僕ですよ・・・!!」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「アルヴィスさんを抱き締めてるのは、僕です・・・!!」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 アルヴィスが虚ろな表情のまま、その青い瞳を何度かゆっくりと瞬かせた。 人形のように整った顔を更に人工物めいて見せていた、焦点の合わぬ青い瞳に、徐々に光が宿り。 青い磨り硝子のように茫洋としていた瞳が、インガの知っている強い光宿した鮮やかな青を取り戻す。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 黙り込んだまま、アルヴィスは何度も何度も、・・・瞬きをして。 「・・・・・・・インガ・・・?」 少しだけ不思議そうな表情で。 再会して、初めてそう―――――名を呼んできた。 Next 19 ++++++++++++++++++++
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