『君のためなら世界だって壊してあげる』




ACT 12 『交差した道の行方 −5−』








 何度も何度も、・・・知らない家に連れて行かれては、また別の家に預けられる事を繰り返された。

 時折、小突かれたり殴られたり蹴られたり・・・痛い思いをする事もあったが、アルヴィスにとってそれは避けがたい『現実』だったので、ただひたすら身体を小さく丸めて膝を抱え・・・耐えるしか出来なかった。

 アルヴィスはそこから、抜け出す術を持っていなかったから。

 自分を救い出してくれた、優しいあの白い手の持ち主は・・・・アルヴィスを置いて何処かへ行ってしまった。

 だからアルヴィスは、どんなに痛くされても辛くても―――――そこから動けない。

 どうすればそこから抜け出せるのかも、分からなかった。





―――――─はぁーあ、病気持ちのガキなんざ引き取る事になるなんて、俺もヤキが回ったね!



 何度目かに引き取られた家は、少し勝手が違った。



―――――─こんなの引き取っても、何の訳にも立たねーっつーの! 飯や掃除出来る訳でもねーしよぉ・・・ストレス解消に蹴っ飛ばすくらいしか役立たねぇー!!



 アルヴィスがジッとしていても、関係なく痛い思いをさせられる。

 今までは逆らわず小さく身体を丸めていれば―――――放ってはおかれても叩かれたり殴られたりするのは、少しで済んでいたのに。




 痛い、痛いイタイいたい・・・・助けて。



 助けを呼ぶ術も分からず、アルヴィスはただ心の中で叫んだ。

 誰も来る筈は無かったのに。

 痛くて、辛くて。

 アルヴィスは目の前の、自分を踏みつける男を涙でグシャグシャになった顔で見つめた。



―――――助けて欲しくて。



 だって、他に誰も居なかった。
 目の前の男しか、アルヴィスには頼る存在は誰も居ない。
 例え自分に痛みを与えているのがその男だとしても、助けを乞うのは、そいつしか居なかった。




―――――─・・・・・・。




 男が笑う。笑って、アルヴィスの前に屈み込んだ。




―――――─・・・お前・・・良く見たら、キレイな顔してるな・・・?




 髪を掴み上げられ、無理矢理顔を上げさせられる。
 男の顔が至近距離に合った。

 男が、笑った。・・・・背筋がゾッとするような顔で。






―――――──・・・・使えそうだな・・・・。






 その男の、異様な程瞳孔が小さい黄ばんだ目が、アルヴィスを見据えた・・・・・・・・。





















「―――・・・・っ、あ!」

 自分を捉える尋常じゃない程の恐怖感に苛まれ、アルヴィスは飛び起きた。

「・・・・・・・・・・・・・!?」

 心臓は早鐘を打つように動悸して、息が苦しい。
 身体中は汗ビッショリだった。
 それなのに、恐怖で身が竦み冷え切っている。

「・・・・・夢、・・か・・・・」

 現実では無いのだと区別を付ける為に、敢えて口に出し。
 更にそれを確証づける為に、掛けられていた布団を強張った手でギュッと掴んだ。

「・・・・・・・・・・・・・・」

 まだ震えている冷たい手で額に浮かんだ汗を拭い、――――ようやく安堵の息を付く。

 ここは、病院だ。・・・さっきのは、夢。

 ゆっくりと呼吸を繰り返す。






 アルヴィスが入院してから、既に二週間近くが経過していた。
 一度、体調が回復し、あと数日で退院と言われていたのだが、アルヴィスが病室を抜け出した事が原因で悪化し、そのまま入院が伸びてしまった。

 慢性的な呼吸困難による酸欠は患者の不安を増大させるらしく、情緒が不安定になりがちらしい。
 アルヴィスが脱走したのもそのせいだと判断され、精神的に興奮状態に陥りやすい状態と言うことでそれからずっと鎮静効果のある点滴が処方されていた。
 その為、アルヴィスはうつらうつらと、夢か現か判断出来かねる朧な世界で長い時間を過ごす羽目となった。

 何もハッキリとしない、ぼんやりとした世界。

 何か考えたくても、眠くて怠くて・・・思考が纏まらない。

 身体を動かそうとしても、何故か指1本動かす事すら億劫で、何も出来なかった。

 目を開いても、目の前に映し出されている光景が何なのか、脳が感知する前にぼやけて消えてしまう。




 ただただ、眠たくて。・・・・怠くて。





 けれどその微睡んだ時間の中で。

 ―――――繰り返し夢を見た。

 多分、幼い頃の記憶・・・か、想い出。

 ファントムが出てきたり、ダンナやギンタが出てきたりした。






「・・・・・・・・・・・・・・」

 ファントムと遊び、楽しかった頃。

 ファントムが去り、・・・自分のたったひとつの世界が壊れてしまったかのような失望感。

 親戚をたらい回しにされ、―――――ダンナに引き取って貰った時の事。





 夢はそれらの記憶を繰り返し、アルヴィスに見せた。



 けれど。




「・・・・・・・・あれは、・・・・知らない」



 短く髪を刈り、異様に瞳孔が小さくギョロっとした目つきで、小狡そうな容貌の男。
 その男が、アルヴィスに向かって手を伸ばす。
 物凄い恐怖で、アルヴィスは身動きすら出来ない。
 殺されてしまうかのような恐怖感なのだが、それだけでは無い何かの感情がアルヴィスの身体を突き抜ける。

 それは、アルヴィスにとってとても受け付けられないような何かで・・・・・。



「でも、・・・知らない。あれは、現実じゃない・・・・」


 だが、知らないのだ。
 そんな男は知らない。
 どんなに考えてもそんな男など、アルヴィスの記憶には無いのだ。
 夢で見た光景の中で、明らかにその男の部分だけが異質。

 あれは、誰なのか?

 ようやく点滴の効果が切れてきたらしく、スッキリとした頭で考えても分からなかった。
 今までファントムやダンナやギンタ、預けられていた親戚の人間、その他の人々は夢に見た事はあったけれど、あんな男は居なかった。

 なのに繰り返し、夢に見る。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 実際に今、突きつけられている現実はアルヴィスにとってどうにも受け入れがたい状況であり―――――─ただ一つの逃げ道は眠ることだけだというのに。
 眠れば、覚えのない男に怯える夢ばかりを見てしまう。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 精神的に、酷く疲れている気がした。
 幾ら鎮静剤を打たれていても、・・・・・・形的には眠ることが出来ていたとしても。
 神経は少しも休まってはいない。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 起きあがっていた身体を再びベッドに横たえ。
 アルヴィスは白いレースのカーテン越しに柔らかく差し込む、陽射しに照らされた室内を眺めた。
 まるでワンルームマンションのように、家具類が全て設置されている部屋。
 バスルームは勿論、応接セットやウォークインクローゼット、キッチンまで付いている。しかも、もう一部屋あってそっちは応接室らしい。


「・・・・・・・・・・・・・・」


 アルヴィスは此処に来て、こんな自宅のような快適さで更に部屋が複数あるような個室があることを初めて知った。
 社会的経験が乏しく相場など一切知らないアルヴィスだが、それでもここの料金がとんでもなく高額だろう事は伺える。
 それに、自分の治療費・・・・酸素やら何やら、人工呼吸器や輸血までしたというのだから・・・・それだって相当掛かっているに違いない。それも、今回が初めてじゃない。
 その事実は、アルヴィスの肩に重くのし掛かっていた。

「・・・・・・・・・、」


 生まれ育った環境の差とでもいうのだろうか。
 ファントムは、何にしろ桁違いだ。
 自宅だってあんな高級そうなタワーマンションで1人暮らしだし、海外で医師の資格は取得しているとはいえ、こっちではまだ学生の身だというのにお抱えの秘書らしき人物であるペタもいるし、車だってジャガーやベンツなどの高級車を所持している。
 それらが実家からの援助なのか、はたまた自分自身での稼ぎなのかは判断出来ないが、とにかく桁外れだ。
 幼い頃はそんなことを意識したことが無かったから、何も考えていなかったけれど。


「・・・・・・・・・・・・・・」


 彼の経済力ならば、アルヴィス1人くらい養うのは何でも無い事なのだろう。
 けれど、アルヴィスにしてみれば、そうされる理由が無いのだ。


「―――――─俺は、ペットじゃない・・・」


 たまたま気が向いたから拾って、そのまま面倒を看る。
 それは犬猫などの動物ならばいいのだろうが・・・・・アルヴィスは、人間だ。
 確かにアルヴィスとファントムは幼なじみで。
 小さい頃はとても可愛がって貰った。
 だが、それだけだ。
 確かに迎えに来ると約束はしてくれたけれど―――――─それは、あくまでも子供の時の口約束。

 あれから12年も経っているのだ。

 どう考えたって約束を履行してくれているというよりは、たまたま奇跡的に再会した幼なじみが懐かしくて、アルヴィスの境遇を考えて面倒を看てくれる気になった・・・・と考えた方が自然である。
 そうなると、アルヴィスの性格的にこのままお世話になる訳には断じていかない。
 借りっぱなしは良しとしない主義なのだ。

 それ相応の、同じ価値のものを相手に返還しなければならない。


「・・・・・・・・・・・・・・・・」


 しなければならない――――のだが。

 とてもでは無いけれど、このレベルになってしまうと返せるという気がしなかった。
 気持ち的にはアルヴィスの貯金を叩いて、夜通しでもバイトをして、全部返してスッキリしたい所だが・・・・・そんなのでは全然追いつかない気がする。
 しかも今の状態ではとても、・・・働ける筈も無くて。


「・・・・・・・・・・・・・・」


 その事実が、アルヴィスの胸を重苦しい何かで満たしていくのだ。
 これ以上借りを増やさない為にも、あの家を出た方がいいのは分かっている。
 ファントムにもそう告げるべきだろう。

 だけど。


「・・・・・・・・行くとこなんて、無いんだよな・・・・・」


 そっと、指で酸素マスクがようやく外れた唇に触れながら、自嘲気味に呟く。
 昨夜より口の周り全体を覆う酸素マスクから、再び鼻腔のみに通すチューブ状の酸素カニューレという管に変えられ、それも日中は外して夜のみ装着という状況になっている今だが、いつまた発作を起こすか分からない身体だ。
 生活費を稼ぐバイトはおろか、大学にだって満足に行けていないというのに。
 今まで養ってくれたダンナにだけは迷惑を掛けたくないから、絶対に頼る訳にはいかないし―――――そうなるとアルヴィスは八方塞がりな状態なのである。


「・・・・・・・・・・・」


 治ったら死ぬ気で働いて恩義を返す―――・・・そうも考えた。

 けれど。


「・・・・喘息って、治らないんだな。・・・・・再発、したし」


 既に数回発作を起こしている状態では、この先の楽観的予測も期待は出来なかった。


「・・・・・・・・・・・・・・」


 アルヴィスを取り巻く環境の全てが、彼にとってストレスだった。
 ペット扱いで、豪華な部屋に飼われる事も。
 借りを返せない程に、理由無く甘やかされる事も。
 全く復調する様子を見せない、厄介な身体も。
 これからの先行きが全く見えないという、やりきれない失望感も。
 そして、ここ数日見るようになった悪夢も―――――全部。

 全てがアルヴィスを苛んでくれる。

 こうしてぼんやりとベッドに横たわり、天井なんかを眺めていれば一生このままなのでは無いかという気さえしてくるのだ。



―――――──実際、それも有り得ない話では無いのかも知れないが。



「・・・・・・・・・・・・・」


 考える事にも疲れて、アルヴィスは目を閉じた。

 全てが嫌だ――――投げ出してしまいたい。

 数ヶ月前までは・・・高校時代は、こんな事考えるようになるなんて、想像もしてなかったのに。


「・・・・・・・・・・・・・・」




―――――─あの頃に、俺を還して。




 アルヴィスの想いは結局、その気持ちに集約される。



 勉強も、部活でやっていた弓道の練習も楽しかった。
 矢を射り、的に当てるのが面白くて。
 ただひたすら。
 腕の筋肉が引き攣った痛みを訴えるようになるまで、弓を引き続けた。
 それでも、疲れはしても頑張れた。
 次の日になったらまた、元気に過ごす事が出来た。


 あの頃のアルヴィスはもう、―――――何処にもいない。

 その現実が、アルヴィスを打ちのめす。


「・・・・・・・・っ、」


 血が出そうな程、唇を強く噛んだ。
 慢性の酸欠から来る、漠然とした不安感。・・・・この苦い感情は、決してそんな事が原因なんかじゃない。
 アルヴィスはゴロリとベッドの中で寝返りを打った。
 背を丸め、膝を抱えるように胸に引き寄せ・・・・両手を鼻先で握り締めた、胎児みたいな姿勢を取る。


「・・・・・・・・・・・」


 その拍子に、右手の甲部分に固定された点滴のテープが目に入った。
 点滴はほぼ24時間常時繋がれっぱなしだが、留置した針は感染防止などの為に3日程度で刺し替えをしなければならない。
 するとどうしても手首付近や肘あたりなどの関節の可動部分を避けて留置するので、場所が限られてくる。しかも、血管が細かったりするとまた更に刺す場所が限られてくるらしい。
 アルヴィスは今まで採血などで苦労した事など無かったのだが・・・・流石に輸血する程に体調を崩してしまっていると血管が細くなっているらしく、下腕部分では刺す場所がすぐ見当たらなくなった。
 それで、まだ血管の細い子供が良く刺される、末端である手の甲に今は針が留置されているのだが―――――それもまた、自分の体調が著しく崩れているのだと思い知らされているようで憂鬱に拍車を掛ける。
 再び、いつの間にか挿入されていた尿道の管もまた、その憂鬱さに輪を掛けていた。

 夜にはまた、酸素用のチューブが鼻に装着される。それらの管が無ければ、自分は生命すら維持していく事が出来ないのか・・・。


「・・・・・・・・・・・・・・」


 自分の身体がどこもかしこも全て欠陥品のような気がして、アルヴィスは深い溜息を吐いた。


「・・・・ペットショップでペット飼った場合・・・そのペットが元々病気だったりしたら―――――返却、出来るんだよな」

 ボソッと呟く。

「拾った場合なんて、・・・・見なかった事にして元の場所に放置しちゃったりするのかも」


 言いながら、自分で笑ってしまった。
 今の自分は、ハッキリ言ってファントムのお荷物だろうとアルヴィスは思う。
 今までは懐かしさで、気紛れに拾ってみたのかも知れないけれど・・・・こんなにも厄介な状況となっている現在ならば、間違いなく手を焼いているだろう。
 ファントムが本来、合理主義で無駄なモノは好まない事をアルヴィスは知っている。
 だからきっと、――――ファントムは内心アルヴィスを疎ましく思っているに違いない。

 昨日の夕方から鎮静剤の投与が無くなった。
 意識がハッキリとしたアルヴィスは、色々と入り混ざる自分の感情を整理出来ないまま、彼に棘のある言葉を投げつけるか完全に無言で通すかのどちらかをしてしまったから・・・・・・・尚更だ。
 アルヴィスの体調に遠慮してか、話すのを中断させたり無理に寝かせたりする事はあっても、ファントムは怒りに任せて言い返してきたりはしなかったが。
 なんでこんなヤツの面倒を看なければならない・・・と内心憤っているだろう事は想像に難くない。

 それでもそうしないのは―――――自分が、病人だから。


「・・・・・・・・・・・・・・・」


 そう思うと閉じたままの目の奥から、何か熱いものが込み上げてきてアルヴィスはそれが溢れるのを必死で堪えた。



 そしてこのまま消えてしまいたいと、・・・・切に願った。






 だって、分かってはいても聞きたくない。

 当然だと納得していても、直接には聞きたくない。

 ファントムからの、最後通知。

 「もういらない」・・・・だとか。

 「君の好きにすればいいよ」・・・という言葉なんて。

 12年前のあの出逢いも、それからのひと時も、・・・・・・・・・・彼がくれていたのが、ただの気紛れからの優しさだったのだとしても。



 ―――――─アルヴィスを光りの見える場所へと連れ出し、世界を見せてくれた人からのその言葉だけは、聞きたくない・・・・・・・・『不要』という意味合いの言葉だけは。




 だからその前に。

 自分から言わせて欲しい―――――─『もう要らない』。




 そうしたらきっと、その言葉を聞かなくて済むだろう・・・・?




 後はもう、どうなってもいい。
 どうなろうと構わない。

 だって、どうにもならないから。

 いっそのこと、もっともっと病状が悪化して。
 そのままあっさりと逝ってしまえば良いのかも知れない。





「――――助からなければ良かったのに」

 自嘲めいた口調でポツリと言う。


 ・・・・・そうしたらこんなに悩む事も無かった。
 夢にうなされる事も、無かったに違いない。




――――助からなければ良かった・・・。





 猫のように身体を丸めたまま。
 アルヴィスはいつしか再び眠りについていた―――――。

































「・・・・・・・・・、」


 どれくらい眠ったのだろうか。
 先程は明るい陽射しがレースのカーテン越しに透けていた窓には厚い夜用カーテンが引かれ、室内の照明が付けられている。
 ペタか、・・・ファントムが帰ってきているのだろう。
 この部屋には他の看護師や医師が来た事は今まで無かった。


「・・・・・・・・・・・・・」


 チラリと時計を見れば、6時を過ぎていた。
 薬を使われているのなら問題なく眠れるが、流石にこんなに寝ていては夜寝られるか自信がない。
 せめて今からだけでも消灯時間前まで起きていよう――――そう思って身体を起こす。
 それに、もうすぐ食事の配膳が来る筈だった。・・・食欲は余り、ないけれど。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・」



 さて、それまで何をしていよう。

 滅入った気分はそのままに、アルヴィスはのろのろと考えを巡らせた。
 テレビを付ければ、音で起きたことが気付かれてファントムが来る気がする。

 鎮静剤が点滴されていた頃はまだ意識が朦朧としていて、話す話さないなどのレベルでは無かったが、もうハッキリと覚醒している今、・・・・・流石に気まずい。
 数日前は酷く頭がぐらぐらして思考が纏まっていない時だったとはいえ、何かかなり理不尽な事を叫んでしまった気がするし―――――─昨夜は昨夜で、覚醒したての半分不明瞭な意識のまま感情の整理もしないで当たり散らしてしまった。

 どう考えても、アルヴィスの意識的な負い目であり・・・ファントムに非は一切無いと分かっているのに。
 そう考えると、顔を合わせるのはどうにも気まずかった。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 逢わずに済む訳は無いと分かっているけれど、少しでもその時間を引き延ばしたいと思ってしまうのは仕方のない事だろう。
 アルヴィスにしてもファントムへの色々な感情を持て余しすぎて、・・・自分でもまた何を口走ってしまうのか分からないのだ。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 音のしないもの。

 テレビは駄目だから。
 本か・・・それとも。
 周囲を見回し、アルヴィスはベッドサイドのテーブル上にある雑誌を手にしようとして・・・・傍らに置いてある携帯電話に気が付いた。


 深いメタリックブルーの携帯は、アルヴィスがファントムの家に住む事になった時に勝手に前のを解約されて契約し直されたモノだ。
 それに関しては何で勝手にと散々怒ったものだったのだが・・・・まあ今となっては懐かしい想い出である。・・・あの頃は、自分の身体がそんなに深刻な状態だなどと思っても見なかったから。
 今の、何もかもを彼にオンブに抱っこ状態で面倒を看て貰わざるを得ないアルヴィスには、出来ない芸当だ。アルヴィスに、ファントムの意に逆らう権利など何一つ無いのだろうから。


「・・・・・・・・・・・・・」

 思わず手にとって、画面を開く。
 もちろん病室という事もあって、電源は落とされていたが。

「・・・そうだ、メール・・・」


 ふと、アルヴィスは病室を飛び出した時に出逢った後輩の事を思いだした。
 あの時、アルヴィスは貧血を起こしていて、意識が不確かだった。
 良く覚えてはいないが何だかたくさん、・・・訳の分からない事を話してしまった気がする。
 後輩は・・・インガはさぞかし困っただろう。困ったに、違いない。


「謝った方が・・・いいよな」


 彼には元気だった頃の自分だけを覚えていて欲しかったのだが、―――――あんな状態を見せてしまったらもう、誤魔化しは利かないだろうし。
 優しい後輩だったから、心配もしてくれているだろうし。連絡しないのは失礼だ。


「・・・・・・・・・・・」

 そっと、電源ボタンを押す。
 病院は本来携帯電話は禁止だが、その理由は心臓病患者のペースメーカーなどの医療器具が誤作動する恐れがあるからだ。
 けれどまあ、隣の部屋でファントムが携帯を使っているのを見たことがあるし、アルヴィス自身別に心臓なんかは悪くないので、ちょっとくらいは使っても大丈夫なのだろう・・・・このフロアには心臓病患者は居ないのかも知れない。

「・・・・・・・・・・・・・・」

 後輩のアドレスを探し、決定して。

 アルヴィスはインガへの長いメールを打ち始めた。
 機種が勝手に変更され、メルアドも変更を余儀なくされた為に、タイトルに自分の名前を入れてから。











 この前はごめん。心配掛けたよな?
 俺、ちょっとばかり気管支弱くてさ。
 高校の時は平気だったんだが、最近また再発したらしい。
 子供の時、喘息あったんだ。
 あの時、少し貧血気味だったみたいで頭がはっきりしてなかった。
 だから、インガに変な事を言ったんじゃないかって思うんだけど。
 それ、気にしないでくれ! ただの譫言だから。
 今もまだ入院してるけど、そんなに調子は悪くないし。
 早々に、退院できる予定だから。
 それより、部活の方はどうだ?
 ちゃんと頑張ってるか・・・?
 インガは、実力はあるんだから頑張れよ。
 時折集中力を欠く傾向があるから、しっかり気を引き締めて。
 そろそろ試合があるだろう?








「・・・・・・・・・・・、」

 メールを打ちながら、アルヴィスは高校時代を振り返る。
 夢中で矢を射っていた練習中や、後輩のインガに付き添って教えた記憶、試合前の緊張感や、その後の達成感―――――─部の仲間達との思い出・・・・・・。
 自然、アルヴィスの表情が和らいだ。
 その人形みたいに整った顔に、久しぶりの笑顔が浮かぶ。
 懐かしい気持ちのままに、アルヴィスはメールを続けた。









 俺も久しぶりに、お前の弓が見たいな。
 ・・・というか俺もやりたいかも。
 弓、やっぱりいいよな。
 なんか何もかも忘れて、的を射たい。
 インガと一緒に練習してた頃を思い出すよ。
 懐かしいな。・・またいつかお前と一緒にやりたい。
 今度、








 そこまで打った時だった。
 不意に目の前に影が差した気がして、アルヴィスが顔を上げた瞬間。

「―――――誰にメール?」

 スッと手の中の携帯が取り上げられる。

「!?」

 いつの間にか、ベッド脇には幼なじみが立っていた。
 ここの病院に居る時の定番である、Yシャツ・ネクタイに白衣を羽織った出で立ちで。
 白衣の前を全開にし、ネクタイを緩め襟元をくつろげた少々乱れた格好なのに、その姿は変わらず秀麗な印象を与えている。
 その大部分の要因であろう、欠点の一つも見当たらない白く端正な顔が、ジッとアルヴィスを見据えた。

「そんな嬉しそうな顔をして、誰にメールしてたのかな・・・?」

 サラサラとした銀髪を揺らし、キレイなアーモンド型した紫色の瞳を眼鏡の奥で細め―――――─ファントムが言う。
 その口許は笑みを浮かべていたが、何故か受ける印象はその真逆だった。

「・・・・・・・・・・・・・」

 突然現れた、出来れば心の準備をしてから逢いたい・・・というか逢うのは先延ばしにしたいと思っていた相手に、アルヴィスは言葉を失う。
 それをどう思ったのか、ファントムはアルヴィスから目を離し―――――先程取り上げた携帯の画面に視線を向ける。

「・・へえ。アルヴィス君にしては随分長くメール打ってるね・・・・・?」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 何と答えたものかアルヴィスが言い淀んでいると、ファントムは驚くことを言ってきた。

「インガ君か。――――あの後輩の子でしょ。この前、アルヴィス君を抱き締めちゃったりした・・・・有罪確定な子」

「・・・・インガの事、知って・・・?」


 アルヴィスは、インガの事をファントムに言っていない。
 あの時の彼が後輩のインガだと、何故知ってるのか。


「アルヴィス君が高校時代所属してた弓道部の、1年後輩でしょう」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

「両親は○○県在住。3年前に高校進学と同時に、先に就職していた姉を頼って上京。現在姉とマンションで二人暮らし―――――─知ってるのは、こんなとこかな」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 アルヴィスは、インガが姉と住んでいるのすら聞いたことも無かった。

「そして――――・・・・」

 度の入っていないレンズを通して、ファントムの視線がアルヴィスに向けられる。

「アルヴィス君と、意外に仲良し。・・・部活で指導する時に良く密着してたらしいよね」

「・・・・・・・・・・・・、」


 何処からそんな情報を知り得たのか。
 それに驚いて声も出せない状態だったのだが、今度は何を言われているのかが良く分からず、アルヴィスは黙り込んだ。

 ファントムの口調には、明らかにアルヴィスを責めているような響きがある。
 けれど、それの意味が良く分からない。
 インガは可愛い後輩であり、仲が良かったのは確かだ。
 だがそれの、どの部分が避難されるべきだというのか。全く、分からない。


「・・・インガは真面目で優秀だし、すごく気遣いもしてくれて優しい奴なんだ。弓の腕もたまに凄く調子を外すけど基本的には上手だし、・・・・・可愛いと思ってるけど・・・・?」

 ファントムが放つ不穏な空気に戸惑いつつ、アルヴィスはそう口にした。
 何が彼の機嫌を損ねているのかが分からないから、気を取りなす術が見つからない。

 ひょっとして寝ていなければならない体調なのに、起きあがってメールなんかを打っているのが気に障ったのだろうか?
 アルヴィスは完全に布団から出て、起きあがった体勢で居たのを少しずつベッドの中に戻し―――――寝ようとする体勢を作った。

 そして、携帯を返して貰おうと手を伸ばす。

「・・・もう横になるから。・・・携帯、」

 返して、というのとファントムが脇のテーブルに携帯を置くのはほぼ同時だった。

「調べれば分かることだけど。まだアルヴィス君、この携帯に変えてから彼にメール送ってないよね?」

「・・・・・・・今送ろうとしたのが、初めてだけど・・・」

 だから一体、何が気に入らないのか。
 ファントムの言葉の意味がサッパリ掴めず、アルヴィスは眉間に皺を寄せて答えた。

「ならいいんだ」

「・・・・・初めてじゃなかったら?」

 そうでなければいけない、といった様子で頷くファントムにアルヴィスは何となく聞いてしまう。 全く彼の意図が掴めなかったから、答えの予測も出来ないままに。
 果たしてファントムは、アルヴィスの想像外の事を言ってきた。

「それは勿論、―――――携帯をまた新しいのにするだけだよ」

 今度はメモリーも弄らせて貰おうかな・・・・などと言い足しながら。

「・・・・・・・・・・・・・、」

「だって、アルヴィス君は僕だけのモノなんだよ? 勝手に、変なのと連絡取られたりしたら――――許せないでしょう?」



 その言葉に、心が凍った。

 僕だけの『モノ』。・・・・所有物。
 ファントムの意志にのみ従い、ファントムの望み通りに動く・・・・・存在。
 住処を与え、食事を与え、生活に必要な事柄全ての面倒を看て、ただ飼われる――――それは、愛玩動物と呼ばれるべき生き物では無いだろうか。

 ただの、ペット。

 気が向いた時に可愛がって、気の向くままに飼育して、・・・・飽きたら捨てられる、ペット。
 そこに、此方の意志など一切必要無いのだ。


 ただ、ファントムの気が向いただけ。

 小さい頃のあの出逢いも、そして別れも。
 気が向いたから自分に接してきて、・・・・・・飽きたからお別れした。

 アルヴィスにとっては、眩しい世界に連れ出してくれた優しく掛け替えのない手だったとしても―――――─ファントムにとっては気紛れに差し伸べたに過ぎない、そこらの石ころを拾い上げる時と変わりない手だったのだろう。



 その事実を、・・・・・思い知ってしまった。

 覚悟していた筈なのに、今更に胸が痛むのが滑稽だった。




―――――──分かっていた筈なのに・・・悔しくて悲しい・・・・。




「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 知らず、きつく唇を噛み締める。

「・・・血が出ちゃうよ?」

「―――――─!?」

 その口許にファントムの指が触れ――――アルヴィスは反射的に振り払った。
 そして、傍らの銀髪の医師を睨み付ける。

「・・・も・・・いい、」



 言いたいことは沢山あるのに、なかなか言葉が出てこなかった。



「もう、・・・俺に構うな・・・・」



 半端な優しさなんて、いらない。



「・・・俺を、放っておいてくれ・・・・」



 愛想を尽かしているんだろうに。



「・・・・・・もう要らない・・」



 欠陥品のペットなんて、願い下げだろう?



「俺は・・・・ファントムと居たくない・・・・!!」




 ペットとしてなんか、―――――居たくない。




 そう叫んだ瞬間、後頭部と背中に軽い衝撃が走った。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・!?」

 視界を覆う、銀糸と紫の双眸――――白い顔。
 自分の顔の脇で両手首を拘束され、シーツに縫いつけられている。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 何度か瞬きを繰り返して。
 アルヴィスはようやく、自分がファントムによってベッドに押し倒されている状態なのに気が付いた。

「ねえアルヴィス君、」

 悪魔のように整ったキレイな顔で、銀髪の青年がゆっくりと口を開く。

「今、僕から離れたいって・・・・・そう言った?」

 耳を擽るような、低くて甘い――――けれど今は氷みたいな冷たさを感じさせる声。
 長い睫毛に縁取られた、アーモンド型の双眸を僅かに細め。
 吐息が感じられるほどの距離で、ファントムは言葉を続けた。

「でもね・・・・不可能でしょう?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「だって君は、僕の手がなければ生きていけない。僕が住むところを与えて、食事や洋服、生活必需品、医療的ケア、その他諸々の諸経費を負担してあげなければ、君は生活すること自体、不可能になるよね」

「―――――─っ、!!」

 ずっと思い悩んでいた事をズバリと言われ、傷付いていたアルヴィスの胸は更に痛んだ。

「君は僕の手が無ければ・・・何一つ出来ないんだ。・・・そこを分かっている・・・・?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 不覚にも泣きそうになって、アルヴィスは必死に目を大きく見開き涙が零れるのを耐えた。

「―――――分かってないよね。だから、そんな事を言うんだ」

 そんなアルヴィスの態度をどう見たのか。

 ファントムは手首を掴んでいた両手を離し、ベッドに腰掛け上体のみを傾けていた自分の身体を少し起こす。

「・・・少し、僕は君を甘やかし過ぎたかもしれないね・・・・」

 そう言ったファントムの顔が、見たことの無いような酷薄さを湛えた笑みを浮かべていて、アルヴィスは言葉を失った―――――───。








Next 13

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言い訳。
ホントは、この後もうちょっと一緒にアップする予定でしたが
トラウマやらエロやら(は?)、色々と忙しい展開になるのでココで止めておきます。
だって長いんですもん(苦笑)
次回も思いっきりアイタタな展開です。
多分書いてるゆきのだけが楽しいです・・すみません(殴)