『君のためなら世界だって壊してあげる』 ACT 11 『交差した道の行方 −4−』 3階、特別室。 アルヴィスが眠るベッドルームと隔てて設置されている応接室で、ファントムは椅子の背もたれに深く身体を凭れ掛け、無機質な白い天井を見つめていた。 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 傍らのテーブルには、付箋が沢山付けられた数冊の海外の医学情報誌と、起動させたままのノート型パソコン。 傍の椅子の背もたれには脱ぎ捨てたままになった白衣とネクタイが引っ掛けられており、グリーンのフレームが洒落ている眼鏡が無造作な様子で同じ椅子の上に転がっていた。 「・・・・・・・・・・・」 Yシャツの前をはだけさせ袖のカフスも外し、スーツのズボンからシャツの裾を出しているというだらしのない格好をしているにも関わらず、その何処か退廃的なムード漂う姿でさえ見る者を誘惑しているような艶を感じさせるのは―――――───彼の人並みならぬ美貌のせいなのだろうか。 冷たく硬質な光りを放つ銀糸の髪。体温を感じさせないかのような白く整った顔。蠱惑的な光りを湛え魔性を感じさせる紫色の双眸。 普段纏っている柔らかな笑みを消し、感情の類を一切伺わせない今のファントムの容貌は、地獄の最下層で氷漬けになっているという魔王のように美しく、冷徹そのものだった。 眉ひとつ目線ひとつ動かさないまま、彼ならば積み上げている積み木の一つを取り上げるかのように誰かの命を奪えるだろう・・・何の感慨も無く。そんな印象を抱かせる。 不意にドアがノックされ、黒のスーツ姿に砂色の長い髪を後ろで一つに括った男が入って来た。 「お待たせしました。SNフルーツの特製ゼリーです」 そう言って、手にしていた箱をファントムに差し出して来る。 都心にある有名高級青果店で作られている、フルーツゼリーだ。 ファントムは億劫そうにその箱を見やると疲れた様子で、ベッドルームの方を顎で指し示す。 「・・・・アルヴィス君寝てるから、冷蔵庫にしまっておいて」 「・・・・・・」 言われた男―――ペタは一瞬怪訝そうに青年を見つめたが、すぐにハイと頷いて隣の部屋へと向かった。 この特別室はベッドルームと応接室の2つが儲けられており、ベッドルームにはキッチン、冷蔵庫、電子レンジ、加熱調理器等の類からバス、シャワー、トイレ、そして洗面所他ウォークインクローゼットやテレビ、ビデオに至るまで殆どが完備されている。 ソファやテーブル、テレビなどの応接セットは二部屋に1セットずつ用意されているというサービスぶりだ。・・・その分、1泊の料金はかなりのモノだが。 ペタは手にしていた箱をすぐに置いて、隣の部屋から戻り―――――─そして応接室の隅に置いてある可動式ワゴンの上を見て口を開いた。 「―――――夕食がまだのようですが。・・・メニューが気に召しませんでしたか?」 この病院に入っているレストランは、フランス料理の老舗の支店である。 特別室では、そのレストランの食事をデリバリーサービスして貰えるのだ。 患者は病院食を食べるので、主に見舞い客や付き添いの者が食べるのだが・・・・・ワゴンの上では、鴨肉のローストやらスープ、パンが手を付けられないままに冷えていた。 「・・・食べる気にならないだけだよ」 相変わらず疲れた口調でファントムは答え、椅子から少しだけ身を起こす。 「ちょっと、・・・苛々する事があってね」 「――――課題の事ですか?」 テーブルに積み上げられた医学情報誌に目を走らせて、ペタが聞けばファントムはようやく薄くだが笑みを浮かべ、首を横に振った。 「課題は簡単だよ。単に翻訳した内容を打てばいいだけだからね・・・僕は英語で読んだ方が楽だから、まあ逆に和訳するのが面倒だけど」 「では、・・・」 ペタが言いかけると、ファントムはまたも首を振った。 「別に明日明後日と、小テストがあるから授業抜けられないとか―――――そんなのを怒ってる訳じゃないよ。鬱陶しいけど仕方ない事だし、アルヴィス君も大分落ちついてるしね・・・此処に居る限りは安心だから」 まあ、苛々を助長される事柄ではあるけれどね―――――そう付け加えて、ファントムは今度はハッキリと眉を寄せる。 そして、静かに言った。 「ねえペタ。・・・・調べて欲しい事あるんだけど」 「何でしょう? ファントム」 「アルヴィス君の・・・高校時代。もっと良く調べて欲しいんだ。トモダチとか・・・後輩とかね?」 アメジストにも似た、妖しい光を宿すアーモンド型の双眸を細め・・・・ファントムは再び薄く笑みを浮かべる。 「今日、鬱陶しい虫が一匹、僕の大切な花に近寄ろうとしてたんだ。――――いっそ羽や手足を毟り取って、身体を引き裂いてやろうかと思っちゃったよ。・・・・適当な理由付けて強制入院とかさせてさ? 肺に穴でも開けて、気胸にして窒息とかさせちゃっても面白いよね・・・!」 「・・・・・・至急お調べ致します」 話している内に気分が高揚したのか、クスクスと機嫌良さそうに笑うファントムをペタは抑揚のない瞳で見つめ、それだけを口にした。 アルヴィスが病室を抜け出し誰かと親しげだったのを、ファントムが目撃したらしい――――自分の部下からそういう報告を受けていたから、ペタは彼の言い出しそうな事を予測はしていた。 ペタがファントムと知り合った時、既に彼はアルヴィスに異常な程執着しており、アルヴィスに関する事柄で簡単に酷く機嫌が良くなったり悪くなったり―――――─それどころか取り乱してパニック状態になったり自暴自棄になってしまう程の入れ込みようだった。 それはまるで、彼の感情の全てはアルヴィスに左右されていると言っても過言じゃないほどの執着振りで。 普段の掴み所のない飄々とした性格を知っている者が見れば、アルヴィスの事に関してだけは別人のような変貌ぶりなのである。 ファントムは、ひと言で称してしまえば衝動が服を着て歩いているような人間だ。 その感情の起伏はとても激しく、それでいて何物にも執着しない。―――――アルヴィス以外には。 なまじあらゆる分野において能力が高いから、その気になれば何だって出来そうな彼ではあるが・・・・不意に飽きてポイと全てを投げ出してしまいかねないような、そんな危うさがファントムには常に付きまとっている。 その酷く気紛れな上に好戦的で奔放であり、一貫性の無い性格がどのようにしてファントムに形成されてしまったのか―――――それとも元々、持って生まれた先天的なモノなのかは彼の幼少時代を知らないペタには判別が付かない。 だが、一つだけ確かな事がある。 結局彼は、アルヴィスの事以外はどうだっていいのだろうという事だ。 どうだっていいから、何かを傷つけたり死に追いやったりしても罪悪感なんか持たないし、後悔なんて事もしない。 そんなファントムだから、そのアルヴィスの知り合いとやらを捜し出した時に、どういう態度を取るか分からなかった。 先程の話はジョークだとしても―――――─多少の血は見る事になるかも知れないとペタは思う。 全ては隠匿してきたが、過去にファントムがしでかした違法スレスレ・・・もしくは完璧に違法な事柄を散々後始末する立場であったペタにとって、それは想像に難くない。 ファントムは、アルヴィスに関わる事ならば手段を選ばないだろう。 今は流石にアルヴィスに知られたくないのか、大人しくしているようだが・・・・場合によっては逆にエスカレートする恐れもある。 そうなれば、色々と面倒な事も出てくるに違いない。 ―――――─だが、それでもペタはファントムの傍を離れられなかった。 それは、彼の祖父からの命令の為では最早無く。 ペタ自身が、ファントムの素質に惚れ込み――――いつの間にか彼自身に惹かれていたから。 アルヴィス以外どうでもいいというスタンスを崩さない彼が、ペタの事は信頼してくれていた。 その信頼こそが、ペタにとって掛け替えのない何よりも大切なものである。 ペタにしてみれば、ファントムからの信頼を得ているという状況に勝る物など何もない。 それ以外、どうでもいい事だ。 ファントムがアルヴィス以外の事柄がほぼどうでもいいように。 ペタにはファントムに関する事以外は、どうでもいい。 だから、ペタは黙って頷くのだ。 ―――――─ファントムの命令を遂行する為に。 「・・・アルヴィスは良く眠ってますね。無理をした影響が無く、何よりです」 ふと話題を逸らすようにペタがそう言えば、ファントムはまた不機嫌そうに顔を曇らせた。 「セルシン(鎮静剤の一種)、打ったからね・・・・」 「―――――セルシン?」 「そう。・・・打たないと興奮しちゃって、発作が起きるとこだった」 椅子の上で長い足を組み直し、ファントムは再び疲れたように背もたれに凭れ掛かる。 そしてボンヤリと宙を見つめながら、口を開いた。 「・・・・何が気に入らないんだろう? すごく哀しそうに、ぼろぼろ泣くんだよ――――・・・どうしたらいいのかな?」 長い睫毛を伏せて、ファントムは考え込む。 「泣いた顔も可愛いんだけど、あんな風には泣かせたくないよ。・・・・でも、泣くんだよね・・・・どうしたらいいんだろう?」 考えるとすごく、苛々してくるんだ―――――そう言ってファントムは深く溜息を吐いた。 「・・・・・・・・・・・・・・・」 ファントムが自分に答えを要している訳では無いと分かっていたので、ペタは無言のままただじっと立ち尽くす。 「出逢った頃はね。あの子の事なら何でも分かってたんだよ・・・何がしたいのか何が欲しいのか、全部ぜんぶ何もかも分かってた。だけど、今は―――――・・・・」 そう言ってファントムは口を噤んだ。 「・・・・・・・・・・・・・・」 目を閉じ、また溜息を吐く。 その姿は、何人をも拒絶しているかのようにペタの目には映った。 やがて、予想に違わずファントムの手がヒラヒラとペタに向かって何度か翻される。 「ありがとう、今日はもういいよ。―――――明日、8時に出るから」 「8時ですね。分かりました。・・・では」 明日の彼の登校時刻を確認し、一礼してペタは部屋を出た。 「・・・・・・・・・・」 ファントムが、酷く不安定になっている事をペタは感じた。 元々情緒は不安定気味なファントムだが、今日の彼は特に酷い。 アルヴィスを傍に置いていて、彼があれ程苛ついているのを見るのは初めての事だ。 ―――――─アルヴィスを見つけてからというもの、ファントムはそれはそれは機嫌良く。 この上もなく幸せそうな笑顔をしているのが常だったから。 アルヴィスの体調。そして、精神面での不調はファントムへ多大な影響を及ぼす。 「・・・・・・・・・・・・・・」 ペタにとって、ファントムこそが己にとって最も大切な存在だ。 そのファントムが大切にするから、アルヴィスもそれなりにペタの中で大きな位置を占めている。 だが、アルヴィスがファントムにこのまま悪影響を及ぼし続けるようなら―――――───。 「・・・・・・・・・・・・・・」 ペタは静かに、今歩いてきた特別室の方を振り返る。 その顔はいつもどおりに抑揚のないモノで、感情は全く伺えない。 「・・・・・・・・・・・・・・・」 足を止めて暫しの間、部屋を眺め。 何事かを逡巡する。 そしてまた、ゆっくりとエレベーターの方へと歩き出し――――そのまま立ち去った。 ペタが立ち去ったのを見届け。 「・・・・・・・・・、」 ファントムは再び溜息を吐きながら、椅子から立ち上がった。 そして、隣室の方へと足を向ける。 スライド式になっている扉を静かに開き、中へと入った。 消灯時間前なので、一応付けっぱなしになった照明で明るい室内を真っ直ぐに横切り、奥にあるベッドへと近寄る。 「・・・・・・・・・・・・・・・」 脇にある点滴が掛けられたスタンドの、ボトルの中の輸液の減り具合を確かめ滴下速度を調節し―――――─そっと、傍らの椅子に腰掛けた。 熱帯魚などを飼う水槽で発生する音に良く似た、ゴボゴボという水音のする中。 黒髪の青年は身動きひとつせずに眠っている。 「・・・・・・・・・・・」 その繊細に整った顔には血の気が無く、長い睫毛が伏せられた目元には疲労の影が伺え、酸素マスクに覆われた口許は時折喘ぐように僅かな開閉を繰り返していたが―――――─表情は穏やかで、落ちついているように見えた。 ファントムは優しい手つきで、何度か青年の髪を撫でてやる。 それから点滴が繋がれた細い腕を取り、両手で手の平を包むように握り込んだ。 「・・・・・アルヴィス君・・・」 青年に聞こえていないのを承知で、呟く。 「―――――教えて。・・・・ねえ、何が悲しかったの?」 当然、青年・・・アルヴィスからの応えは無い。 構わず、ファントムは言葉を繰り返した。 「どうして君は泣くのかな・・・・? 僕は、君の為なら―――――」 ―――――─何でも、してあげるのに。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 髪よりも幾分色の濃い、銀色の長い睫毛を伏せ。 ファントムはその秀麗な顔を俯かせた。 アルヴィスが自宅で重度の気管支拡張症の発作を起こし、この病院へ運び込まれてから今日で約1週間になる。 一時期は本当に存命出来るかが危ぶまれる程に状態が悪化して、それこそファントムの方が生きた心地がしなかった程だったが、ようやくもう大丈夫だと安心出来る所まで漕ぎ着けた。 それでもまだ酸素の供給が必要だし、移動の際にも車椅子でなければ駄目なくらいで、安静状態が望ましい。 それなのに。 何を思ったのか、アルヴィスは勝手に病室を抜け出した。 彼の性格から言って、誰かを困らせようとかそういう類の理由で抜け出したのでは無いだろう事は分かる。 前日に気管支の状態を調べ肺に残っている血液や痰の洗浄の為に、気管支鏡という辛い検査の代表格に上げられるファイバースコープ検査をしたから、それが治療への恐怖の引き金になって発作的に抜け出したのかと思った。 気管支鏡は、ファイバースコープを口内に突っ込み咽頭、喉頭、気管、気管支の中を肉眼で観察する。勿論麻酔はするものの、喉を刺激されて吐きそうになるし苦しいし、相当な苦痛を伴う検査の一つである。 点滴くらいしか経験の無かった人間が、そういう検査をいきなりに体験する事になったり、もしくは経験してしまったとしたら、・・・・・二度としたくないと怯える者も少なくない。 「・・・・・・・・・・」 だから。 抜け出した行為は決して、誉められるものでは無いけれど。 まだ無理をしたら喀血が再発する恐れがあるし、抜け出したと知った時にはかなり焦ったのだけれど。 それでも―――――─アルヴィスの気持ちを考えれば仕方のない行動だったかも知れない、そう思えていたのだ。 けれど・・・・・・・・・・。 「・・・・・・・・・・・・・・・」 アルヴィスの手を握ったまま、ファントムが目線を上げる。 眠る青年を真っ直ぐに見つめた紫の双眸に、剣呑な光りが宿った。 まだ体力が回復していないし、失血による貧血具合も改善されていないから、そう遠くには行けない筈。 何処かで倒れていなければいいけれど―――――─そう思いながら探した3階フロア。 探していた青年は、見知らぬ男の腕の中にいた。 状況を察するに、脳貧血を起こして倒れ込んだアルヴィスを見かけて声を掛けたか、受け止めたかで身体を支えたのだと思われた。 ただ、気に食わないのはアルヴィスの手が縋るように相手の服を掴んでいたり、相手の手がアルヴィスの背に抱き締めるかのように回っていた事である。 しかも、単に今さっき出逢いましたという雰囲気じゃなく―――――─明らかに知り合いという感じでアルヴィスが何事かを話しているのが、非常にファントムの気に障った。 恐らく酸欠と貧血で血が下がったせいで思考が混乱し、一番強く思っている感情を相手構わず吐き出しているだけなのだろうというのは判断出来たが・・・・それでも、気に入らない事には変わりない。 ファントムにとって、アルヴィスはこの世でただ一つのキレイなものだ。 世界にただ一つだけの、穢れの無い特別な存在。 それに自分以外の者が触れるなど―――――───・・・・何人たりとも許すものか。 思いっきり気分を害してくれたその相手にそれなりの報復を考えたファントムだったが、アルヴィスが苦しがっていたから、一応諦め。 ファントムはアルヴィスを病室に連れ帰ったのだが―――――───そこからが大変だった。 病室へ帰る間も、嫌だイヤダと譫言のように苦しい息の下から言い続けていたアルヴィスだったが。 無理矢理にベッドへ寝かせ酸素吸入の準備をするに至っても、まだ言い続けていた。 発作を防止する為に、抜かれた点滴の針を再び留置させようとしても藻掻いてさせてくれない。 「・・・アルヴィス君、コレは痛くないでしょう? 大丈夫だから、おとなしくしてね・・・」 「・・も・・、いい。・・・・やだ・・・嫌なんだ・・・っ!」 何度言い聞かせても、苦しげに呼吸しながら首を振る。 これには流石にファントムも閉口した。こう藻掻かれては、ラインの確保が難しい。 「まだ点滴必要だから。・・ね? しないと苦しいよ? ちょっとだけ我慢しよう?」 仕方なくアルヴィスの上に馬乗りになって固定しながら、細い腕の静脈に針を刺す。 本来外科専門医であるファントムにとって末梢の血管を捉える事など容易いが、それでもアルヴィスが暴れているので結構な骨折りだ。 こんなに駄々をこねるアルヴィスを見るのは初めてな気がする。 余程、検査が嫌だったのかな・・・・そう思いながら暴れて針が血管壁に当たり、破れて薬液が漏れたりしないよう、入念にテープで針挿入部分を固定して。 ファントムがようやく一息ついてアルヴィスの顔を見れば―――――──・・・彼は幼い頃から変わらぬ、濃く鮮やかな青の瞳を一杯に見開いて、ボロボロと涙を零していた。 一瞬、そんなに痛かったのかと、ファントムが自分の腕前を疑ってしまった程だ。 しかし点滴をされた腕を無造作に動かし、ゴシゴシと涙を拭う姿を見て、そうではないと判断する。 「・・・・・・・・・アルヴィス君・・・・?」 大切な幼なじみの青年は、小さい時からの事を換算しても今までファントムが見たことがないくらい盛大に、泣いていた。 辛そうに眉を寄せ。 唇を血が出る位に何度も噛み締めて。 長い睫毛を涙で濡らしながら。 ハラハラと、大きな瞳から透明な雫が溢れ出て――――白く滑らかな頬を伝っていく。 酷く、悲しそうな顔。 こんな辛そうに泣く、悲しい顔を見るのは初めてだった。 「・・・・やなんだ・・・・」 苦しい息の中、しゃくり上げながらアルヴィスは繰り返す。 「もう嫌なんだ・・・・何も、しないで。嫌なんだ・・・っ、」 「―――――今日はもう苦しいことしないよ? 大丈夫だよ?」 「・・ぜんぶ、やだ・・・しないで・・・・・」 「気持ち分かるけど、でも治療しないとね・・・アルヴィス君良くならないよ?」 どんなに言い聞かせても、アルヴィスは首を横に振る。 「やだ・・・もう、ヤダ・・・ここ、出たい・・・・!! 俺を帰して・・・・」 「病院が嫌? うん、大丈夫だよもうすぐ家に帰れるからね・・・」 表情を隠すように細い腕を顔の上で交差させて、そう訴えるアルヴィスにファントムはアッサリ肯定してやった。 興奮しすぎている―――――アルヴィスの身体には良くない傾向だった。 ここで喘息の発作でも起こされたら、また拡張症の喀血も起きかねない。 「もうすぐ帰れるし、検査ももうしない。・・・だから平気だよ」 言いながらアルヴィスの腕を取り、脈を計る。 そして酸素マスクを青年の顔に押しつけるべく、手にして―――――─その時だった。 「帰り、たい。・・・俺を、帰して・・・・・、あの家、じゃなく、・・・て!・・・もう俺、なんっ、・・・放っておい、て・・・・・!!!」 「―――――───・・・、」 ファントムは一瞬言葉を失った。 途切れ途切れではあるもののアルヴィスが吐いた言葉は、明らかな拒絶。 「・・・俺、は。・・・ファント、ムには、・・・・構わ・・、れたく、な・・・・!!!」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・」 喘ぐように言われた内容に、ファントムの心がスッと冷える。 何を言っている・・・・? 言われた意味が、理解出来なかった。 アルヴィスは、ファントムのモノだ。 幼い頃に出逢ったときから、そう決まっている。 だからファントムにはアルヴィスに対して責任があるし、常に傍に居てやる事こそが彼の為なのだと思っている。 彼は無垢で純粋で、穢れの無い・・・・世界でたった一つの存在だから―――――─守ってやらないと。 アルヴィスは、この穢れた世界でファントムが庇護すべき、たった一つの生き物で。 風にも当てぬよう両手で囲い、その手の中で大切に慈しむべき存在だ。 ・・・・外には汚らしいもの、穢れたものが一杯だから。 どんなに外に憧れようとも、大切に籠に閉じこめて。 ―――――─決して出してはならないのだ。 それなのに。 彼は外へ出たいと言う。 その手を離し、逃れたいと彼は言う。 僕から、・・・・離れる? ―――――─許さない。そんなの、・・・認めない。 ファントムの目が、獲物を狙う時の捕食者のそれの様に細められた。 「・・・お願・・・いだからっ、も・・・構わ・・・なっ、!」 「――――・・・、」 弱々しいながら、アルヴィスが大きく声を張り上げた事で我に返る。 呼吸が乱れ、喘鳴も大きい。 ―――――─発作が起きてしまう。 「・・・・・いい子だから。喋らないで」 ファントムは咄嗟に脈を計る為に掴んでいた手を離し、アルヴィスの上体を少し起こす為に背に回した。 そしてもう片方の手でベッド脇のリモコンに手を伸ばし、抱き起こした角度に合わせてベッドの背部を上げてやる。 「・・・・・・・・・っ、」 「ね、喋るとまた苦しくなっちゃうかも知れないから」 宥めるように頭を撫でてやりながら、アルヴィスの寝るベッドの端に腰を下ろし、ファントムはナースコールのボタンを押した。 「―――――点滴もう1本静注するからアミノフィリン200、等張補液薬200で作って持ってきて。それと・・・セルシンも1ampoule」 そう一方的に指示をしながら、ファントムは腕を伸ばして、ベッド横に置いてある可動式のキャスターごと電動式吸入器の装置を引き寄せる。 それの管を酸素供給の装置に差し込み操作をして―――――─放り出していたマスクをアルヴィスの顔に押しつけた。 「・・・・・・・・!」 アルヴィスがまだ僅かに抵抗するかのような素振りを見せたが、構わず強引に装着させて固定バンドを後頭部に掛ける。 今は何としても、喘息の発作を起こさせる訳にはいかなかった。 アルヴィスの喀血は、気管支の動脈が切れた事が原因である。 結局、調節呼吸を行っただけでは改善せずに、 BAE(気管支動脈塞栓術)をする羽目になってしまった。 しかし、その処置は完全では無いのだ。 一時的にゼラチン状のスポンジで血管内に栓を作るのだがそれは短期間に体内で溶けてしまう性質がある。 もちろんその間に血管が修復するから、という理由でそういう物質を使っているのだが・・・・今発作を起こされて気管内の圧が上がるのは避けたい。 拡張症の発作が併発すれば、今度こそ心臓にまで取り返しの付かないダメージが起こる恐れがある。 「・・・・・・・・・・・・・・・」 マスクを抑えた込んだままアルヴィスの顔を覗き込めば、ジッと此方を見上げる彼と目があった。 苦しそうな息をしながら、黙ってファントムを見つめている。 何か言いたげな表情で、その青い瞳に一杯の涙を溜めて。 「・・・大丈夫だよ心配しなくても。発作なんか、起こさせないから」 もうマスクを外そうとはしないと踏んで、離した手でまた頭を撫でてやる。 アルヴィスは抵抗しなかった。少し、気分が落ちついたのだろうか。 「アルヴィス君は、病気が良くなる事だけ考えていればいいんだ」 「・・・・・・・・・・・」 ファントムの言葉も、大人しく聞いている。 「ね、全部僕に任せて。・・・君はただ、楽に過ごしていればいいんだよ」 「―――――───!!」 だが、そう続けて言った途端、アルヴィスの顔がまた泣きそうに歪んだ。 弾みでいっぱいに溜めていた涙が瞳から溢れ、再びボロボロと零れ落ちる。 嫌々をするように、アルヴィスが何度も顔を横に振った。 「・・・・アルヴィス君? なあに? どうしたの、・・・・何が嫌?・・・・どうして、」 うっかりと先程の発言を問いただしそうになってしまったが、流石に今の状態ではそれはしてはいけない事である。 僕から離れて――――・・・何をしたいというの? 場合によっては強硬手段も執らざるを得ないだろう、問題発言ではあったが。 流石に今の状態で問うのは無理だという事は医師であるファントムが一番分かっていた。 結局、アルヴィスは鎮静剤を打つまで泣き続け、ファントムにその理由を告げる事もないままに眠りに落ちたのである―――――。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・」 眠り続けるアルヴィスの手を握り、真っ直ぐに彼を見つめたまま。 ファントムはその整い過ぎている容貌に、薄く笑みを浮かべた。 その表情を眠っている彼が見れば、きっと驚いたに違いない。 補食対象を捉えた時の猫型肉食獣のそれのように、アーモンド型の瞳を細め。薄く形良い唇の端のみを吊り上げた、美しいけれど酷く冷たい―――――悪魔の微笑。 温かみを全く感じさせない、その微笑みはアルヴィスの前では決して浮かべた事のない表情だった。 「―――――許さないよ?」 眠る彼に聞こえていない事を承知で、ファントムは話しかける。 「・・・僕から、離れるなんて許さない」 声音だけは甘く、優しいまま。 「君は僕だけを見て・・・僕の事だけ考えていればいい。僕の言うことだけ聞けばいい」 青年の耳元に顔を寄せて。 「アルヴィス君は、僕の為だけに存在するんだよ。―――――他のヤツには一欠片だって、あげない」 そう言って、クスクスと笑う。 「離れたいなんてワガママ言ったら・・・、部屋に閉じこめて一生出さない。薬でも何でも使って、君をお人形にしてあげる。自分では呼吸しかできない、歩くことも喋ることも出来ないお人形にしてあげるよ・・・・そしたらもう、ワガママも言えないし僕から逃げることも出来ないよね・・・」 愛しげに何度も青年の髪を梳きながら、ファントムは言葉を続けた。 「―――――─大丈夫。君の病気は、ちゃんと僕が面倒看るからね。だってアルヴィス君は僕だけのモノなんだから・・・・」 前髪を掻き上げ、白い額に口付けする。 「大切で大切で堪らない愛しい君の為なら、・・・・・僕は何でもしてあげるよ」 とてもキレイな、けれど酷く冷たい笑みを浮かべ、ファントムは優しく囁いた。 「君の為なら、神にだって悪魔にだってなってあげる」 そんな囁きに気付くこともなく長い睫毛を伏せ、青年は昏々と眠り続ける。 異常な程の歪んだ愛情を一身に受け、既にその身が雁字搦めにされている事を知らないまま・・・・ただ静かに。 その姿を白く美しい捕食者は、飽くことなくいつまでも見つめていた。 いつまでも、いつまでも―――――───。 ―――――─君ノタメナラ僕ハ、僕以外ノ君ニ関ワル全テノものヲ、壊シ尽クシテアゲルカラ・・・・・・・・・。 Next 12 ++++++++++++++++++++ 言い訳。 ・・・はい。 例えパラレル話でも、トム様はやはりトム様だった・・・!って事で(爆) 甘々な話に見えても、根本的にはやはりコレなんです(笑) 普段はアルヴィスがいる事で落ちついた精神状態保ってるトム様ですが、 アルヴィス関連でダメージ受けるとテキメンに崩れます。 まあ、アルヴィス知らないですけどねまだ。 ファントムが猫被ってるので・・・(笑) 次回はまたまた、楽しい?インアルですよ(爆) 「俺もうここに居たくない・・・!!」 「アルヴィスさん、僕と一緒に、・・・・」 「―――――ナニ、不愉快なお話を2人でしちゃってくれてるのかな・・・?(冷笑)」 乞う、ご期待!(嘘です)。 |