『君のためなら世界だって壊してあげる』




ACT 8 『交差した道の行方 −1−』







「・・・・・・・はぁー・・・」

 アンティークゴールドと白を基調に、落ちついた空間を演出している室内。
 無駄に豪華な調度品が置かれ、やはり贅を凝らしていると一目で知れるキングサイズのベッドの中。
 沢山のクッションに埋もれながら、アルヴィスは何度目かの溜息を吐いた。
 繊細な刺繍が施された分厚いカーテンが窓を覆い、ベッドサイドに置かれた硝子製の彫刻ランプの照明もギリギリ辺りを浮かび上がらせる程に落とされ―――――─寝室内は仄暗い。
 けれど、窓の外には燦々と日が差して眩しい程のイイ天気だと言うことをアルヴィスは知っていた。

「・・・・・・・・・・・・・・」

 ベッドの上でゴロリと転がり。
 アルヴィスは浮かない表情で白い天井を見つめた。




―――――─今日で、2日目。・・・また、行けなかった。




「・・・授業、遅れちゃうな・・・・」

 ポツリと呟く。
 そしてまた、溜息を吐いた。
 その吐く息は、常よりも少し熱い。・・・微熱があるのだ。

「・・・・・・・・・・・」

 怠い身体を持て余し、アルヴィスはぐったりとベッドに全体重を預ける。
 微熱と言っても、37度5分あるかないかという程度だ。
 それくらいなら、今までならば学校へ行っていたし普通に過ごしていた筈なのに。
 今は何故か耐えられないくらい怠くて、・・・・身体が言うことを利かなかった。
 アルヴィスの事を大袈裟なくらいに心配する幼なじみが、彼の意志に反して学校を無理矢理休ませているのだが、―――――それに反抗して登校する気力も無い。

「・・・・・・・はあ、」

 息が、苦しい。
 肺が酸素を欲しがり空気を吸いたいと要求しているのに、喉と肺が締め付けられるような感覚があって、上手く吸えなかった。
 懸命に吸おうと深呼吸すれば、肺の奥がザワザワして胸部全体に響くような重い咳が出そうになる。

「・・・・・・・・・・っ、」

 アルヴィスは一瞬呼吸を止め、それを慌てて堪えた。
 喘息持ちの彼にとって、咳をするのは酷く恐ろしい。
 一度始まってしまったら―――――─発作が起こるのでは無いかという恐怖。
 咳は、発作の引き金なのだ。

「・・・小さい時に、もう治ったと思ってたのに・・・・」

 咳き込まないように身体を起こしながら、アルヴィスは小さく不満を零した。




 アルヴィスが気管支喘息に悩まされ、入退院を繰り返していたのは中学に上がる前までの事だ。
 中学に入る頃には体力が付いたのか、発作は全く起きなくなり―――――ヒューヒューぜろぜろという喘鳴も姿を消し、大学へ入学するという現在では最早忘れ去っていたのだが。

 12年振りに、奇跡的に再会した幼なじみ。
 彼と再び出逢えたという信じられない偶然は同時に、当時彼と遊んでいた頃にしょっちゅうアルヴィスの身を蝕んでいた病魔をも、連れてきてしまったらしい。
 いやまあ、正確に言えば数年ぶりに発作を起こして苦しんでいたアルヴィスを、偶然に助けてくれたのが幼なじみであるファントムだったのだけれども。

「・・・・・・・・・・・・・」

 彼と再会した、あの日。


 思えばそれは、アルヴィスにとって青天の霹靂だったのだ―――――───。





 あの日から、アルヴィスの環境も体調も激変してしまった。

 ファントムに、1人暮らしをするために借りたばかりだったマンションを勝手に引き払われ、やっとの思いで探し雇って貰えた条件の良いバイトを無断で辞めさせられ、10年以上音信不通だった幼なじみのマンションに連行されて、そのまま同居を余儀なくされて。

 アルヴィスにしてみれば、それだけでもパニック状態だったのに―――――──トドメに、一度ぶり返してしまえばもう取り返しが付かないのだと言わんばかりに、体調が坂道を転げ落ちるかのように悪化してきた。

 幸い、道ばたで突然引き起こされたあの時以上に大きな発作は無いものの、気怠い微熱がずっと続き小さな発作が何度も起きて、大学がもう始まっているというのにロクに通えていない始末である。





「・・・・・・・・・・・」

 高校の時は、走ったって運動したって、体育の時だって・・・・・1度だって苦しくなったりこんな風にならなかったのに―――――───そう思い、アルヴィスは知らず唇を噛み締める。
 こうして部屋で大人しくしていたって、変わらず息は苦しいし身体は怠い。
 どうしたって気分は鬱ぎがちになり、良くない事ばかり考えてしまう。

「・・・・・・・・・・・」

 このまま、学校にもろくに通えず。
 単位が取れなくて、卒業出来ず。
 しかもこんな身体じゃ、何処も雇って貰え無くって。
 生計を立てられないまま、何処かでのたれ死にする運命だったりして―――――などと。

「・・・・・・・・・・はー・・・」

 本当に気分が鬱々としてきて。
 アルヴィスはその長い睫毛を伏せ、疲れた表情でまた深い溜息を吐いた。


 アルヴィスは、生来の性格が生真面目である。
 他人に迷惑が掛からぬよう、まっとうな人生を歩む事を目的に今まで生きてきた。
 子供の内は学業が本分だからと、ちゃんと勉学に勤しんだし何にだって真面目に取り組んできた。
 なるべく養い親のダンナに負担を掛けぬよう奨学金を貰って国立の大学へ進み、自立のために1人暮らしをして、バイトしながら勉強し・・・・そして然るべき企業に就職して恩返しを―――――──そんな風に計画して、それをやり遂げる自信だってあったのに。


「・・・・・・・・・・・・・・・」

 それが全て、この身体のせいで狂ってしまった。
 こんな、休んでばかりいたら、本当に卒業出来なくなってしまう。
 就職にだって響くだろうし、・・・そもそもこんな身体で働けるだろうか。

 そうなったら―――――─自分はどうすればいいだろう?

「・・・・・・・・・・・・・・」

 養い親であるダンナに迷惑を掛けるのだけは、嫌だった。
 彼の性格ならば、笑って『任せろ!』とか言ってくれそうだけれども・・・・・だからこそ余計に面倒など掛けられる筈も無い。今まで育ててくれただけでも、充分なのだから。

「・・・・・・・・・ファントム・・・」

 アルヴィスは、今は不在の銀髪の青年の顔を思い浮かべた。





 幼なじみの彼が何を思って、自分を此処へ強引に住まわせたのか―――――その理由をアルヴィスはハッキリとは知らない。

 幼い頃、かなり可愛がって貰ったのは覚えている。
 4歳も年上だった彼にとって、自分などは物足りなかっただろうに毎日のように遊んでくれていた。
 再会してからも彼は変わらず、アルヴィスを大切にして可愛がってくれている。

 けれど、それはどうしてなのだろう?

 幼なじみだったから?

 久しぶりに逢えて、嬉しかったから?

 アルヴィスもそうだが、彼にも兄弟が居ないから―――――弟のように思ってくれている?





「・・・でも結局は赤の他人だからな・・・」

 1人ごちて、アルヴィスはクッションに凭れたまま胡乱に目を開いた。

「――――いつまでも此処に居る訳、いかないだろ・・・」

 視界に入るのは、どこかのスイートルームかと思うような豪華な寝室。
 リビングだってバスルームだって、そのほか幾つもあるゲストルームやキッチンだって、同じように立派で贅を凝らした造りである事をアルヴィスは知っている。
 マンションなのに1階のフロアにはホテルみたいにフロントがあって、管理人ならぬコンシェルジュが何人も待機してるし、敷地にある中庭もこれが都心なのかと疑いたくなる程広くて立派。

「・・・・・・・・・・・・・」

 掃除だって週に3度ハウスキーパーが訪れて済ませていくし、住む世界が違うのだということは明確だ。
 こんな世界、アルヴィスは知らなかったし見たことも無かった。別に、住みたいと願ったことも無いけれど。

「・・・・・・・・・・・・・・」

 幼なじみの経済力からすると、アルヴィス1人を面倒見る事くらい何でもない事なのかも知れない。
 気紛れに家に引っ張り込んで、学費などを払ってやり、生活全般の面倒を見る・・・・それは犬猫を拾ってくる感覚と大差ないのかも知れなかった。




 だけど、それに飽きたら?




「・・・・・・・・・・・・・・・」

 そこまで考えて、アルヴィスは苦しげに胸を押さえた。
 胸の奥が、苦しい。―――――病気の息苦しさとはまた別の意味で・・・・・息が詰まる。




 今はまだ、懐かしい幼なじみに出逢えた事を新鮮に思っているのだろうけど。
 ファントムは、一緒に遊びにも行けないような・・・こんな身体のアルヴィスの事など呆れてすぐに興味を無くしてしまうかも知れない。
 12年も離れていたのだ。出逢ってから過ごした時間の、何倍もの時間が経っている。

 幼なじみという関係が一体、ファントムの中でどれほどの位置を占めているというのか。

 懐かしさなんて、すぐに薄れてしまうだろう。
 本当は今時点でもう、そんな感慨も消え去っているのかも知れない。

 それなのに、まだアルヴィスを此処に置いているのは―――――─・・・・。




「・・・・医学生だもんな。病人は、・・・放っておけないから、か?」

 自分で口にして、不愉快になる。
 それはそれで、嫌だった。
 同情を買っているようで、―――――酷く不快だ。同情されるくらいなら、外でのたれ死んだ方がまだマシだとアルヴィスは思う。
 けれど、あり得る理由だ。
 ファントムは誤解を招くタイプだが、・・・・アレで結構優しいから。

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 何にしろ。このままじゃいけないのは確かだった。
 同情されるのは御免だし、いきなり放り出されるのも困ってしまう。

「・・・・・・・・・・・・・」

 やっぱり、幼なじみだという間柄に甘えているのは良くない。・・・自分で、自立する道を考えなければ。




―――――─だって。いきなり放り出されたら・・・・流石に、つらい。




「・・・・・・・・・、」

 アルヴィスは強く唇を噛むと、徐に起きあがった。
 まだ、咳が出ている訳じゃない。ちょっと身体が怠くて、少し熱があるだけだ。
 やたら過保護に自分を甘やかそうとしてくる幼なじみが、強引に学校を休ませているだけで―――――─行こうと思えば行けない状態では無い、という気がする。

 そうだ。こうやって自分を甘やかすからいけないのだ。
 発作も出ていないし、薬だって使っている。
 ちょっとくらい息苦しいとか、熱があるとか・・・・そんなのは精神力でカバーすべきだろう。

 学校へ、行くべきだ。

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 自分は、誰にも頼る訳にいかないのだから。
 怠い身体を堪え、アルヴィスは寝室の隣に設けられているバスルームへと向かった。















 通常のバスルームと違い、大理石張りのバスタブがデンと部屋の中央に置かれスチームルームとサウナ、ウォークインクローゼットが儲けられている室内へと入る。
 バスタブ横に置かれた背もたれ無しの長椅子に腰掛け、アルヴィスはシャワーの栓を捻った。

「・・・・・・・・・・・・・」

 すぐさまお湯がシャワーから出てきて、白いバスタブの中を叩く。
 温かな湯気が立ちのぼり、アルヴィスの顔を柔らかく包んだ。
 さっさとシャワーを浴びて、大学へ行こう。今ならまだ、昼からの授業に間に合う。

「・・・・・・・・・・・」

 バスタブを横目に見ながら、パジャマを脱ごうとして―――――─アルヴィスは喉に刺激を感じる。

「―――――、!?」

 喉に掻痒感が生じ、肺が喘ぐように大きくざわついた。
 軽く息を吸った瞬間、肺が悲鳴を上げる。

「――――・・・・ゴホ、・・・・・!!」

 耐えきれず肺全体に響くような咳を一つした途端、それが引き金になったのか息も付けないほど続け様に咳が出てきた。

「―――・・・・ゴホッ、ゴホゴホゴホッ、・・・ぐ、うっ、・・・・」

 目の奥がチカチカする。
 咳が激しすぎて、息が吸えない。

「―――――───・・・・・!!」

 アルヴィスは堪らず椅子から崩れ落ちて床に尻餅をつき、上体をバスタブの縁にもたれ掛けさせた。

「―――――・・・・・、」

 肺が酸素を求め、ヒュッと喉が鳴る。
 けれども、吸えない。・・・・空気が、足りない。
 苦しくて苦しくて――――なのに息が吸えず、アルヴィスの身体を猛烈な疲労感が襲った。
 まるで首をギュッと絞められながら、長距離を全力疾走させられているかのようだ。

「・・・・・・・・ゴホ、・・・」

 手足が強張り、頭に靄が掛かってくる。
 発作だ―――――それも、大発作。
 シャワーの湯気・・・それが刺激になってしまったのかも知れない。迂闊だった。




・・・・・薬。・・薬を、・・・吸入しなければ―――――。




 だが、もしもの時のMDI(スプレー式吸入薬剤)は、寝室にある。

「・・・・・・・・ゴホゴホッ・・・・ゼー・・・」

 取りに行こうにも、身体が動かなかった。
 咳が止まらない―――――呼吸が出来ない。

「・・ゴホ・・・ッ、・・・・うっ、・・・!?」

 肩で息をしながら耐えていたアルヴィスは、急に肺を圧迫される感覚が襲い、喉元に何かが込み上げてくるのを感じて口を押さえた。

「・・・・・・・ゴホ、・・・!?」

 何かの、液体。
 泡を含んだ、鉄臭い液体・・・・唾液では無い?
 そう思った瞬間。

「ゴホッ、ぐう・・・・っ、・・・・」

 再び、喉が鳴り―――――─アルヴィスは口を押さえていた手のひらに、口内に溜まった液体を吐き出した。

「―――――───!?」

 突如視界を覆った、真っ赤な色。
 それは受け止めた手の平から滴り落ち、白い床へ赤い水溜まりを作っていく。




―――――─血?




 その色の鮮やかさに、咳き込む苦しさも忘れアルヴィスの脳内が一瞬真っ白になった。




―――――─どうして、そんな。


―――――─喘息の発作で、吐血なんて聞いたことがない。




「・・・・ぐうっ、・・・ゴホゴホッ!!」

 動揺するアルヴィスをよそに、込み上げてくる血液は止まらない。
 アルヴィスが俯せに身を預けているバスタブの縁とその下が、どんどん鮮血に染まり床の水溜まりが大きくなっていく。尋常ではない量。
 白いバスタブと床、そして真紅の血液のコントラストが残酷な程に鮮やかだった。

「・・・う・・・・っ、」

 アルヴィスの目から生理的な涙が零れた。
 咳と、口内を満たす血で、息が詰まる。
 肺の中全てが、血で満たされているかのような気がした。
 全部吐き出してしまえば楽になる―――――そんな気がするのに、腫れ上がり狭まってしまったのだろう気管が、血液を塞き止める。

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 酷く疲れて、苦しくて―――――頭がクラクラした。気分が悪い。

「ゴホ・・・・っ、」




―――――─このまま死んでしまうんだろうか。




 弱々しく咳き込みながら、アルヴィスはボンヤリと思った。
 誰も・・・ファントムも、居ないし。
 血なんか吐いてるし。
 咳が止まらない・・・・発作も起きてるし。
 呼吸だってままならない。

 ここで、全身の血を吐いて、・・・・死んでしまうのかも知れない。

「・・・・・・・・・・・・・・」

 この前の発作も、苦しかったけれど―――――血までは吐かなかった。
 自分で思ってたよりずっと、病状は悪かったのだろうか。

 幼い頃の、気管支喘息などでは無くて。




 もしかして、助からない病気だったのか?
 だからファントム・・・・最後だから優しくしてくれたとか。




「・・・・・・・・・・・・・・・・」




 なんだ・・・・・それなら、俺。




 激しく咳き込みつつ、アルヴィスは苦悶の表情ながら少しだけ口許を緩める。




―――――─この先の事、考えなくていいんじゃないか。


―――――─ファントムのこと、好きになったらどうしようって・・・・放り出された時に好きになってたら辛いなんて・・・・悩まなくても良かったんじゃないか。




「・・・・・ゴホ・・、」

 もはや、腕で身体を支えている事も出来なくなって。
 アルヴィスはバスタブからもズルズルと上体を滑らせた。
 そしてそのまま、大量の血溜まりの中へと倒れ込む。
 パジャマの袖が鮮血に浸され肌が濡れた感触を覚えたが、もうそれを頓着出来る余力はアルヴィスに残されていなかった。

「・・・・・・・・・・・」

 ようやく、咳が続け様に出なくなってきた。
 けれど、状態は更に良くない方へ向かっていることをアルヴィスは悟っていた。
 気管が完全に腫れ上がり、詰まりかけているのだ。

 つまり、―――――窒息するのは時間の問題だろう。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 喉元には、相変わらず鮮血が込み上げてくる。

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 アルヴィスはもう、とても疲れていた。
 苦しくてくるしくて堪らなかったが、呼吸する事すら嫌になるほど、疲れていた。
 手足が鉛みたいに重くて、もう指一本動かない。
 視界も霞んで、良く分からなくなっていた。
 耳も良く、・・・聞こえない。シャワーが、まだ出ている筈なのだが。




―――――─死ぬんだな・・・・・。




 そう、確信した。

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 アルヴィスはゆっくりと目を閉じる。
 苦しいけれど、不思議と気持ちは荒れていなかった。
 酸欠と貧血で、頭が上手く回っていないのかも知れない。
 何も考えられないというのが、事実なのかも知れないけれど。

「・・・・・・・・・・・・・・」

 自分の中にある、仄白い光の範囲が徐々に狭まり、やがてスッと消えていく―――――───そんな感じが、した。





 キレイな銀髪と・・・紫の目。

 最後に、もう一度。 み た か っ た な ・・・・・・・・・・・。





「―――――アルヴィス君!?」

 暗闇に響く、尖った声。

 良く知っている声なのに、別人のように聞こえる。

 柔らかくて、甘くて。・・・・大好きな声なのに―――───・・・・・そう思ったのが最後。

 アルヴィスの意識は完全に闇の中へと、溶けていった。







Next 9


++++++++++++++++++++

言い訳。

前編、ここまでです(笑)
アルヴィスは苦しんでるのも似合う!(笑)という私の萌え証明のために
沢山苦しんで頂きました(爆)
次回はファントム編。・・・取り乱したトム様がメインです・・・(死)