『Sweet Valentine Day−インアルver・1−』
















 ――――――その部屋は、いつもと変わらぬ状態でインガを中へと迎え入れた。

 白い壁、白い床、白い天井、窓に掛けられた白いカーテン・・・そしてクリーム色のベッドには、白いシーツに白い掛け布団、白い枕カバー。
 何もかもが白色で統一された中、ベッドに横たわる『彼』のみが、違う色を持っていた。

 深い海の底を思わせる、青味がかった黒髪を白いシーツに散らし静かに目を閉じている少年。
 血の気を感じさせない透き通るように白い肌へ、長く濃い睫毛の影を落とし懇々(こんこん)と眠り続ける彼は、幻想的で・・・まるでこの世の存在では無いかの如く美しい。

 この病院の人間が、そんな彼のことを何と呼んでいるのか知っている。

 ―――――・・・『眠り姫』、と。

 100年もの間、時間(とき)を止めて王子を待ち眠り続けた童話の姫になぞらえて、彼をそう呼んでいるのは知っていた。
 眠るアルヴィスの、少女めいた美しい容姿から連想した『通称』だろう。

 けれどインガにしてみれば、忌々(いまいま)しいだけの呼び名である。

 本物の眠り姫なら、王子の口付けで目覚める筈。
 それが未だに眠りから覚めないということは、自分が彼の運命の相手では無いと暗に示されているようで気に入らない。

 それに彼が『眠り姫』だというのなら――――――・・・100年もの間、アルヴィスは眠り続けると?

 そんな呼び名、・・・・縁起でもない!!



「こんばんは、アルヴィスさん。今日は冷えますね・・・・外、雪がちらついてるんですよ」


 眠る少年にそう声を掛けながら、インガはベッドの傍らにあるサイドテーブルに持ってきた箱を置き、コートを脱いで椅子へと腰掛けた。


「今年は、またチョコレートケーキ焼いてみました。去年はチョコサンドのクッキーで、一昨年は生チョコでしたけど・・・」

「・・・・・・・・・・・」

「アルヴィスさんは、どれがお好きですか? ああ、・・・チョコアイスのケーキなんかもありますよね、そっちの方が良かったです?」

「・・・・・・・・・・・」


 眠る少年は、応えない。

 ぴくりとも反応せずに、白い瞼(まぶた)を柔らかく閉じたまま――――――・・・人形のように動かないままである。

 鼻腔に差し込まれた流動食用の点滴へと繋がれたチューブと、腕に取り付けられた血圧計。
 そして胸元に貼り付けられているコードから発信されたデータを表示する、心電図メーターから発せられるピッピッ、・・・と規則正しい電子音が無ければ生きているのかどうかも疑わしい程だ。


「目が醒めたら、絶対教えて下さいね。出来るなら、アルヴィスさんが一番好きなものを作って差し上げたいですし・・・」


 けれどインガは、眠る少年・・・・アルヴィスを見つめて、応えがないのには構わず話し続ける。


「今日、バレンタインなんですよ。アルヴィスさんがお好きなチョコレート、沢山食べられる日なんですよ・・・・起きてみませんか?」

「・・・・・・・・・・・」

「チョコ味の、・・・ケーキあるんですよ? 上質のチョコレート使ってみたんです。きっと、美味しいですよ・・・?」

「・・・・・・・・・・・」

「今日は、・・・・・・・・・ボクの誕生日なんです。だから、起きてくれたらボク、今までで1番最高に・・・・・・・・・・・」


 そこまで言いかけて、インガは悲しそうに口を噤(つぐ)んだ。


「・・・・・・・無理ですよね。すみません、無茶なこと言いました」


 眠る少年に、ぎこちなく笑みを浮かべてみせる。

 そして、そっと少年の頭に手を伸ばし――――――その髪を指で梳く。


「今ここに、貴方がまだ居てくれている。それだけでも、・・・・・幸せだって思わないとですよね・・・・」








 少年が長い眠りに付いたのは、もう随分前のこと。

 インガがまだ高校1年生で、彼が2年生の時のことで―――――――・・・・2人で出掛けたショッピングモールの中で、アルヴィスは突如倒れた。
 クリスマスイヴの前日、・・・ちょうどアルヴィスの誕生日の前の日のことだ。

 それきりアルヴィスは歳も取らないまま、何年も眠り続けている。

 原因は分からない。
 病名も治療法も不明で、一時期は生命の存続すらも危ぶまれたが何とか持ち直して今に至る。

 けれど、未だに彼は目覚めない。
 あれから4年の月日が流れ・・・・インガがアルヴィスの年を追い越し、彼を置き去りにして大学生になった今も・・・・眠ったまま。

 未だ、意識は戻らない。

 あの頃と同じ、変わらない美しい姿を保ったまま―――――――時間(とき)を止めている。

 けれどいつ、容態が悪化するか知れず、そうなった時にまた持ち直してくれるかは分からない。
 原因も治療法も不明な病だから、この昏睡の先にあるのが何なのかは誰にも分からないのだ。





「アルヴィスさんは、こうして頑張ってくれているんですもんね・・・・」


 優しく、何度も髪を梳き。
 蝋細工(ろうざいく)のように白い頬を、そっと撫でる。

 手触りこそ柔らかだが、限りなく死人に近い体温は触れると冷たく、まるで人形を撫でているかのようだ。
 呼吸も、余りにもゆっくりと微かにだから・・・・ともすれば、息をしていないのじゃないかとヒヤリとしてしまう。

 それでも、彼は生きているのだ。

 意識を失い、成長を止め、冷たい身体になり、微かにしか息をしていないとしても―――――――それでも、アルヴィスは生きている。

 ここに。

 インガの傍に、まだ在ってくれる。

 失われずに、インガの傍に居てくれているのだ・・・・・・・・・・。


「約束しましたよね。バレンタインにはボクが作ったお菓子、食べてくれるって――――――――」


 前髪を掻き上げ、露わになったアルヴィスの白い額に、インガはひとつキスを落とす。


「だから、起きてくれますよね。・・・ボクにその、アルヴィスさんのキレイな目をまた・・・見せてくれますよね・・・・・?」


 今度はその、色を失った形良い唇に触れるだけのキスをする。


「・・・・約束、しましたもんね・・・・?」


 冷たい頬を両手で包み、もう一度口付けをして。


「アルヴィスさんは、約束は守ってくれる人でしょう・・・・?」


 インガは眼前にある美しい顔を見つめ、うっとりと囁いた。


「いつかのバレンタインには、食べて・・・・くれますよね・・・・?」






























 ――――――――迷って迷って、でもいい加減に誤魔化しきれないというかバレてそうだと観念し。

 嘘つきなんて俺は嫌いだ、なんて言われたらどうしよう・・・と物凄くドキドキしながらカミングアウトした内容に。


「え? インガって甘いのダメなのか・・・?!」


 目の前の少年は、そのキレイな青い瞳を見開いて、驚いたようにそう言って来ただけだった。


「・・・実はそうなんです・・・」

「でも、今まで・・・・?」

「全然ダメって程では無くて・・・その、多少なら・・・平気なんですけど、」


 完全に、嘘である。

 今まで何とか、甘党な彼に付き合い同じモノを食べていられたのは、ひたすらに努力していたからこそで。
 口に入れた瞬間に広がる甘さに悶えつつ、それを気取らせないように鉄面皮(てつめんぴ)を貫いて、なるべく味わわないように丸呑みしていたことはナイショだ。

 それもこれも、この目の前に居る、1つ年上の恋人に気に入られたいが為の涙ぐましい努力の成果。

 本音を言えば、甘い物なんて一生食べなくてもいいくらいには大嫌いだし。
 今もアルヴィスには多少なら平気、なんて言ってしまっているけれど・・・・ちょっとだろうが僅かだろうが、出来うることなら味わいたくない。

 嫌いなものは、嫌いなのだ。

 それでも恋人のアルヴィスのためならば、彼に喜んで貰いたい一心で、手作りの菓子までプレゼント(味見は姉のドロシーに頼んだ)する始末なのだから・・・・恋というものは、全くもって偉大である。
 アルヴィスのためなら嫌いな甘い物だって好きだと言い張り、インガは誤魔化し続ける気満々だった。


 ――――――けれど、今日はダメだった。

 どうしても、無理だった。



 久々に部活のない、週末のデート。
 2人でお茶をしに、ミスドに入ったまでは良かったのだが、・・・・・・思えばそれが失敗だったのである。


 アルヴィスは、ドーナツが並んだショーケースの前で散々悩んだ挙げ句に、ショコラフレンチのパリパリミルクチョコなるドーナツとフロッキーシューとかいう生クリームと苺ジャムがたっぷり入ったドーナツを選び。
 更にドリンクは、アイスのミルクチョコラテなんていう激甘なヤツを選択した。

 まさにゲロ甘×激烈甘のコラボレーション。
 そんなの口にしたら、あまりの甘さに身体自体が砂糖漬けになってしまいそうなスゴさだが、食べるのはアルヴィスだからして別に文句は無い。

 インガには逆立ちしたって出来ない芸当だけれど、ドーナツ屋でドーナツを食べるのは至極当然のことだし、甘いドーナツを食べる時に甘い飲み物を飲んではイケナイという謂われはない。
 目の前でそれを食べられるのかと思うと、多少ゲンナリしないでは無いけれども・・・・・・実際に味わうワケじゃないのが救いである。

 もちろんインガは、自分がドーナツを食べるなどは有り得ないので、そつなくカレーフランクとハンバーグのパイ、そしてブラックのコーヒーを頼む。

 最初アルヴィスは、単価の問題で単なるチョコドーナツとクッキークルーラー(メニューの中で1番安いから)と、結局頼んだ品にするかどうかと悩み。
 それで、かなりの時間を費やしてしまったのだがインガが奢ると言い張って、本当に食べたいドーナツを選んで貰った。

 飲み物も、同様の理由でインガが奢ってやる。
 幸いにインガの懐(ふところ)事情は、実家が地元の名家であり、小さい時から帝王学を仕込まれ株取引なんかも覚え込まされただけあって、潤沢(じゅんたく)だ。

 激甘ドーナツに、更に甘い飲み物・・・・想像しただけでインガは胸焼けしそうだが、口に入れるのはアルヴィス本人だし嬉しそうに食べている姿は可愛いので、是非とも見たいのである。
 ついでに言うと、いつまでもその甘い匂いが充満するケース前で佇んでいては、食べていなくてもインガの気分が悪くなってしまうからアウトなのだ。

 店内なら何処でだって甘い匂いが満ちているけれど、そう言う場合、いつもはコーヒーの匂いを嗅いで気を紛らわしているインガである。




 恋人に好きなモノを選んで貰い、それを彼氏らしく買ってあげつつ、アルヴィスを急き立て速やかに席へ着く―――――――・・・そこまでは、いつも通りに完璧だった筈なのだ。

 しかし、問題は、ここからだったのである。




 仲良く席に付き、さあ食べようかという段になって、――――――――――。


「やっぱりコレ美味しいな! ほらインガ、1口やるよ」


 にっこりと、天使のような可愛い笑顔で。
 アルヴィスが、手にした甘いあまいドーナツをインガに近づけてきたのである。

 顔はまさしく天使のような美しさなのに、やってることはインガにとって悪魔のように残酷だ。


「えっ、・・・!?」


 インガは硬直した。


「・・・・・・・・・・」


 目の前には、見惚れるようなキレイな顔が間近。
 奇跡の造形美とも称される、インガ達が通う学内でも有名な美少年。

 その猫を思わせる吊り上がり気味の大きな瞳に見つめられ、花が綻ぶような可愛らしい笑顔を向けられたら・・・・何だって言われた通りにしたくなる。


「ほら、食べてみろよ。美味しいぞ?」


 そんなことを言われて手にしたモノを差し出されれば、それが石ころだって口を開けたくなるだろう。
 歯が欠けると分かっていたって、その石にかぶりつく。


「・・・・・・・いえ、あの・・・・!」


 しかし、だ。

 アルヴィスが手にしているのは見るからに甘そうな、生地からしてたっぷりとチョコレートが練り込まれ、しかもチョコクリームがサンドされた上に表面にもチョコがふんだんにトッピングされている激甘ドーナツ。


「・・・それ・・・を、ですか・・・?」


 今までも鯛焼きやアイスなど、アルヴィスから1口食べてみるか攻撃は受けていたが、これはレベルが高すぎる。
 アイスは冷たいから味覚が騙されてくれるし、鯛焼きなんかはこっそり皮部分を主に食べていたインガなのだ。

 これなら歯が欠けるだろう石ころの方が、よっぽどマシである。


「うん。これすごく美味しい。ほらインガ、食べてみろよ」




 ―――――――・・・無理です。

 それは絶対、・・・無理。

 食べた瞬間、吐いちゃいますって・・・・・・!!

 それもう、人間の食べるレベル越えてますから・・・・・・!!!!


 むしろボク、アルヴィスさんがそういうのどうして食べられるのか信じられないくらいで・・・っ!!



「・・・・・・・・・うっ、」


 そう正直に言えたら、どんなにいいだろうか。

 けれど叫ぶのは心の中だけであり、インガの口からは全く飛び出さない辺りは見事というか、ある意味ヘタレなのか・・・・。


「ほら、・・・口あけろよ」



 ―――――――・・・そんな可愛い笑顔で、悪魔のようなこと言わないでください・・・・っ、・・・!!!(涙)



「すっごく美味しいぞ、これ。食べた方がいい」



 ―――――――・・・そんな美味しいなら、アルヴィスさんが是非にも全部食べて下さいよう・・・っ・・・!!!



「・・・・・・・あ・・・・の、その・・・・」


 絶対不可能だと思いつつ、勧めてくるアルヴィスがあんまり可愛い顔で言ってくるものだから。
 ほんの少しだけ、チャレンジしてみようかという気持ちがインガの中でもたげてくる。

 だけれどやっぱり、考えたら絶対無理だ。

 ―――――――このレベルでは、隠し通せそうもない。


 食べた瞬間に、絶対に顔が歪む。

 味覚をシャットアウトして飲み下し、すぐさまブラックコーヒーを煽ったとしても、味わった瞬間の表情は誤魔化せないだろう。
 絶対、口に入れた瞬間に顔が引き攣ることは請け合いであり・・・・・そうなれば、アルヴィスに全部がバレる。


「ボク、・・・この頼んだパイだけでお腹いっぱいですし・・・!」

「まだ全部食べて無いじゃないか。ほら、美味しいから遠慮しないで1口食べてみろよ、美味しいぞ?」

「・・あー・・・うぅー・・・・」

「ん?」

「いや、あの・・・・・」

「どうしたんだ? インガは甘いの、好きだったよな?」

「・・・・・・・・・・・っ!?」


 アルヴィスの言葉に、インガの脳裏に過去の想い出が蘇る。

 そうなのだ。
 今の状態は、言ってみれば自業自得。
 インガが言ってしまったひとことが、全ての元凶だったのである。






 ―――――――・・・ボク、甘いの結構好きなんです。

 アルヴィスさんも甘いお菓子、お好きなんですよね?

 だったらボク達、好み合いますね・・・・!!




 憧れていた、キレイなキレイな先輩が。
 とっても甘党だと知った瞬間、・・・・勝手に口が動いていた。

 でもその時は、嘘をつくつもりなど無かったのだ。
 その時まで甘い物なんて嫌いだったけれど、これから練習して好きになればいい―――――――そう、言ってしまった瞬間には決意していたから。

 好きになったら、嘘は嘘じゃなくなる。
 アルヴィスに気に入られたい、気を引きたい一心で言ってしまった出任せだけれど・・・・本当にしてしまえば、嘘ではなくなる。

 アルヴィスの前で、誠実でいられる。


 ――――――だからこれは、嘘じゃない・・・!


 そう自分に言い訳しながら、肯定してしまった『嘘』だった。


 だけど、どうしたって。
 いくら練習しても、駄目なモノはダメだった。

 頑張って口にしても、胃が勝手に拒絶する。

 何とか吐き出さずに飲み込んでも、顔は引き攣ったままで蒼白。
 その後何時間も気分が悪いし、とてもじゃないけれど美味しそうな顔など出来なかった。

 それでも何度も何度も練習して、――――――ようやっとほんの僅かにだったら、口にしても表情を変えないでいられるところまでは漕ぎ着けたのだけれど。



「・・・・・・・いや、あの・・・その、・・・・」


 ――――――無理。
 流石にこの、今差し出されているドーナツクラスの甘さは、耐えられると思えなかった。

 食べなければ、・・・・甘いのがダメだというのがアルヴィスにバレてしまう。
 かといって食べても、その時の表情で絶対、苦手だったというのがバレるだろう。

 どっちにしても、アルヴィスに嘘をついていたのがバレる運命だ。




 ―――――――・・・・軽蔑される、・・・・かな・・・・・・?




 もうキスだって、それ以上だって、してしまってる2人だけれど。
 同じ大学へ行こうと約束し、その先だって―――――――などと話したりしている2人だけれど。

 これがバレたせいで、破局なんてなったらどうしよう。
 そんなことになったら、ボク耐えられないんだけど・・・・・・・・・・・そんな絶望感に駆られつつ、インガは意を決して重い口を開いた。


「あの、・・・アルヴィスさん実はボク、・・・・・・・・」










NEXT