『Anything is done for you』





初えっち編 ACT2







 白い壁。

 チョコレート色のドア。

 アーモンド色の勉強机と、揃いの椅子。

 その隣には本棚と、・・・細々したモノが置かれたシェルフ(棚)がある。


 赤茶色のフローリングに、グリーンのラグが敷かれたこの部屋は――――――見慣れたモノであり、普段使っているインガの自室だ。




 自室は、いつもならインガが最も寛(くつろ)げる場所の筈なのだが、今日ばかりは少々勝手が違っていた。


「・・・・・・・・」


 インガは、ベッドへ腰掛けたまま。
 先程から何度もドアの方を見てはまた俯(うつむ)き、またドアに視線を向ける・・・という行動を繰り返しているのである。


「・・・・・・・・・」


 期待に満ちた目でドアを見つめ、次の瞬間に我に返ったかのように顔を赤くし、頭を振りながら俯いて。
 しかし少しするとまた、そろそろを顔を上げてドアの方を伺い――――――そして再び、ぶんぶんと頭を振って項垂(うなだ)れるのだ。

 落ち着き無いこと、このうえ無い。

 そんなに部屋の外が気になるのなら、立ち上がって様子を見に行けばよいだろうに、・・・出来ないのだ。


「・・・・・・・・・・・」


 階下にあるバスルームでは、今、恋人のアルヴィスがシャワーを浴びている。

 もちろん艶っぽい意味では全然無くて、先程アルヴィスが被ってしまったバケツの水の汚れを落とす為だ。

 しかし、階下とはいえ、ひとつ屋根の下で恋人が一糸まとわぬ姿になっているのだ――――――・・・そう思えば、彼氏としてはどうしたって気分が高まってしまう。
 まして、未だキスしかしていない清い?関係であるならば尚更だ。

 『そういう意味』で、アルヴィスはシャワーを浴びているんじゃないと分かってはいるが、どうしたってドキドキしてしまうのは仕方ないことだろう。
 彼の素肌は何度となく、それこそ部室で着替える時に目にしているけれど、それとはやはりワケが違う。

 2階の、この部屋と階下のバスルームは位置的に随分と離れているし。
 別にインガが部屋の外へ出たとして、シャワーを浴び終わったアルヴィスといきなりに鉢合わせすることなど有り得ないと分かっているのだが。
 ―――――――それでも何となく、ここから動かない方がいい気がして・・・ベッドに腰掛けたままでいる。

 それはインガなりの、『その気はありませんよ?』という意思表示だった。


「・・・・・・・・・・・・・」


 アルヴィスが、そんな変な勘ぐりはしない性格なのだと知ってはいる。

 鉢合わせたところで、どうという事も無いだろう・・・というのも分かっている。

 けれど。

 彼にこれ以上無いくらいに惚れているインガとしては、毛ほども疑われたくないのである。


 何せインガの恋人は、大袈裟(おおげさ)に言えば俗世間(ぞくせけん)から隔離され純粋培養で育てられた箱入り息子みたいなモノで。

 たとえ家が築何十年の古い一軒家だとしても、スーパーの売り出しや割引セールが大好きだとしても。
 『タダ』だとか『安い』というキーワードに何より弱い、極めて庶民的な思考の持ち主だとしても。

 その心は清廉(せいれん)そのもので、一片(いっぺん)たりとも穢れた知識などに染まってはいない。
 血の繋がらない同い年の兄弟であるギンタに守られ、そういった情報から遠ざけられ一切無縁(むえん)に育ってきた令嬢みたいなモノなのだ。

 その清楚で美しい姿のイメージを少しも損なうことなく・・・・アルヴィスは、心までも清らかなのである。

 それはそれはもう、――――――インガの胸が切なくなるほど。



 とくに、恋愛面での知識などは小学生並みの知識じゃないかとインガは予想している。

 もちろん保健の授業で習ってるのだから、行為そのものを知らないとは思わない。
 しかし、もしかしたら具体的に理解してないのでは? と、疑いたくなるような言動を時たま口に上らせるアルヴィスだ。

 頭は良くて成績は優秀なくせに、そういった生活面での知識が抜け落ちている。
 ・・・そんなところもまた、インガは可愛らしく思ってはいるのだけれど。

 可愛らしく思うのと、恋人同士なのだからアレとかソレとかの行為をしたいという衝動は、また別物なワケで。
 健全な男子高校生たるインガとしては、聖人君子では無いのだし、やっぱり好きな相手に触れたい抱きたいという願望がある。


 だがしかし、それを表に出せばアルヴィスに拒絶されるかも知れない。
 いやきっと、凄絶(せいぜつ)に驚かれて怖がられ、最後には激怒されて手酷く嫌われる。

 アルヴィスに軽蔑(けいべつ)の目で見られ、『嫌い』だとでも言われた日には、インガは一生立ち直れないだろう。

 そう思ったら、付き合って数ヶ月・・・未だにキスまでしか出来ていないインガだった。




「・・・・・・・・・・・」


 ともかく。

 そんなアルヴィス相手には、髪の毛一筋(ひとすじ)程も、そういった穢れた欲望などは気付かれてはならないのである。
 バスルームを覗いたり、着替えている彼の様子を伺ったりなんてのは、以(もっ)ての外(ほか)だ。

 いやいや、・・・別に階下へ降りたって覗きなんてしないけど。







 タオル、は、・・・足りる・・・よな。

 シャンプーとかリンスは、・・・置いてるので平気かな・・?

 匂いとか好きじゃなかったらどうしよう。

 ――――――着替え、アレで良かったんだろうか・・・!?






 頭の中で、アレコレと思いを巡らせる。

 内容がどうも、乙女のような気遣いようだが、そこはもう仕方がない。
 だって、大好きだから少しも彼に失望されたくないのだ。

 冷静に考えれば、そこまでは別に誰も・・・と思うような部分まで完璧にしたいと思うのが恋心というモノである。






 下着は、新品があったから良かったけど。

 ・・・Tシャツとスウェットは、ボクが着てるヤツだし。

 あぁ〜〜こんなことなら、新しいの買っておくべきだった・・・・!!






 何となく、今すぐにでも近くのコンビニへ買いに走りたいような衝動に駆られつつ、インガはベッドで頭を抱えた。


「・・・・・・でもダメだ・・・間に合わない」


 チラ、と机上の時計に目を走らせて、インガは溜息を付く。

 アルヴィスがバスルームへ向かってから、既に10分近く経っていた。
 シャワーだし、インガが買いに出て戻ってくるまで、浴びてくれているとは考えられない。


「・・・・・・・・・」


 だけど、スウェットまで買ってくるのは無理だとして、Tシャツくらいは新品にしておくべきじゃないだろうか。
 ちょっとだけ待たせてしまうかも知れないが、今から走ってコンビニ行ったらそんなに時間は掛からないだろう。

 いや、でも待て?

 既にアルヴィスをバスルームに案内した時、脱衣場の洗濯機の上に着替えはココに置きますと言ってしまっている。
 そう言われたからには、アルヴィスだってその着替えに手を伸ばすだろう。

 ということは、・・・・もしダッシュでコンビニから新しいTシャツを買ってきても、・・・また脱衣場にインガが行かなければならない。
 置いてある着替えのシャツと、買ってきたシャツを入れ替えなければならないのだ。

 ――――――まだ、風呂場にアルヴィスがいる内に!

 それどころか、もしかするとインガが脱衣場で入れ替えている時にアルヴィスが出てくる可能性だってある。

 鉢合わせなんてしてしまったら、・・・・・・・・。



「ぅあー、そんなのダメだダメだーーー!」


 頭をぶんぶんと激しく振り、インガは真っ赤になって叫んでしまった。


「・・・・・・・・・・・・・」


 そんなの無理だ、有り得ない失礼すぎる。

 コイツ俺が入ってるのに、脱衣場でゴソゴソと・・・デリカシー無いヤツだな! とでも思われたら、・・・耐えられない。

 時間的にコンビニへ走っても間に合わないが、もし間に合ったとしても、着替えを置きにいけないのなら意味無しだ。
 アルヴィスには、少しの落ち度もないよう接したいのに、・・・どうにもうまい方法は見つからない。

 多分アルヴィスは、用意された着替えが新品だろうとそうじゃなかろうと、少しも気にしないだろうし。
 インガが新しいのを買ってきて、それをアルヴィスがシャワーを浴びている状態で脱衣場に踏み込んだとしても・・・恐らく気にしないだろうというのも分かっている。

 だからこれは、あくまでインガ自身の気持ちの問題だ。
 インガなりの、アルヴィスへの『礼儀』というか『敬意』というか、・・・とにかくホンのちょっぴりも失望されたくないという気持ちの表れである。

 まあ、幾らそう考えていても、無理なモノは無理なのだが。


「・・・・・ダメだ・・・・」


 天井を見上げて力なく呟き、インガがまた大仰(おおぎょう)な溜息を吐こうと大きく息を吸った時。


「・・・・何がダメなんだ?」

「わっ、!?」


 前触れもなく声がして、インガはそのままの状態で固まってしまった。


「・・・・・・・」


 息を吐くのも忘れて声がした方向・・・・ドアへと顔を向ければ、タオルを首に掛けた濡れ髪のアルヴィスが、此方をジッと見つめて小首を傾げている。

 普段はコシが強くてツンツンと立ち上がった髪が、水分を含んだせいで重力に負け、おとなしく寝ているその姿は、人形めいた可憐な顔立ちと相まって、まるでショートヘアの女の子のようだ。
 長い前髪が、濡れているせいで顔に掛かってくるのが鬱陶しいのか、しきりに指で横に流しているせいで余計に美少女然として見える。

 白い頬や瞼(まぶた)が上気してうっすら赤みを帯び、目元に何とも言えない艶(つや)が生じているのがまた、いつもの彼と違う印象を与えていた。


「・・・・・・・・・」


 どうやら、インガがアレコレと気を回し、それに意識が持って行かれている内に。
 肝心のアルヴィスは、シャワーを終えていたようである。

 彼が上がるのを、今か今かと待ち構えていたというのに、とんだ失態だ。


「シャワー、貸してくれてありがとな。助かったよ」


 笑顔でそう言ってくるアルヴィスの、風呂上がりで別人みたいな色っぽさにクラクラしながら、インガはようやく息を吐き出す。

 このまま、ポカンとアルヴィスを見つめているのはアホっぽいし、彼に失礼だ。


「あ、いえ。そんなの全然、・・・・っ!?」


 慌ててアルヴィスから視線を外し、返事しようとして、インガはまた固まる。


「・・・・・・・・・・」


 アルヴィスに向けた視線が、・・・・張り付いてしまって剥がせなかった。

 白いしろい、―――――真っ白な身体が視界に飛び込んできて、そのまま目に焼き付く。
 細い首筋は掛けられたタオルで隠されていたが、・・・・その代わりに肩も胸も腹も、・・・腰というかヘソ下辺りまでが、きわどく剥き出しになっていて。

 要は、上半身素っ裸状態で立っているアルヴィスに気付いてしまったのである。


「・・・・・っ、」


 部室で着替える時だって確かに上半身は脱ぐけれども、それと今の状況はやっぱり違う。
 真っ白な肌が仄かに上気して、ピンク色に染まり――――――しっとりと水気を含んだその身体からは、石けんの香りが漂っていて・・・・目が吸い付けられて離せない。


「ア、・・・アルヴィスさん・・・!」


 自然と漏れた声は、酷く上擦(うわず)っていた。


「ん?」


 けれども、当の本人はそんな自分の姿に頓着(とんちゃく)していない様子で、インガを面白そうに眺めている。

 そうやって頭を傾げると、肩に掛けたタオルが肌を滑り。
 うっすら肋(あばら)の形が浮かぶ脇腹(わきばら)や、片腕を巻き付けたら簡単に抱え込んでしまえそうな細い腰が丸見えで、インガは何だかますます追い詰められる気分になった。

 これで、胸元の薄く色づいた乳首までが見えてしまいでもしたら、どんな過剰反応をしてしまうか分かったモノでは無い。


「・・・う、上っ!」


 必死の想いで視線をアルヴィスから引き剥がし、インガは熱くなる頬を隠すように俯きながら叫んだ。


「・・・上に着る、Tシャツは、・・・っ!?」


 狼狽(うろた)える余り、つい怒ったような口調になってしまったことは大目に見て欲しい。

 ただ水を被って、シャツから肌が透けてただけだって相当に色っぽかったのである。
 ―――――――それが、湯上がりで肌がピンクになって、しっとりしてて、・・・石けんの香りなんかがしてる状態になったらもう、・・・その威力は何倍に跳ね上がるというのか。

 少しは、・・・同じ男同士なんだから考えて欲しいモノである。


「ん? ああ、・・・うん、まだ熱いから汗引いてから着ようかなって」


 だがインガの心中での葛藤など露知らず、といった様子でアルヴィスは事も無げにさらっとその理由を口にした。

 アルヴィスの声と共に、俯いたインガの視界で白いモノが揺れる。
 言葉通り、後で着る為に手には持っているらしい。


「そ・・うですか、・・・」


 そう答えられてしまえば、今すぐ着ろとは言えなくて・・・インガもただそう返事するしか無かった。

 アルヴィスは当前だが気負った風も無く、スルッとドアから部屋へと足を踏み入れて来てインガの傍へ寄ってくる。


「・・・・・・・・」


 アルヴィスの上半身・・・というか、顔の方を見上げる気にはなれなくて。

 インガは、彼の細い腰から下・・・スウェットのウエスト部分で結ばれた紐(ひも)辺りに視線をさ迷わせる。

 薄いグレーの生地の、何処にでもある何てことのないありふれたスウェットだが、上半身ハダカのままのアルヴィスが身に付けていると―――――――何だか、違う服のようだ。
 インガ自身、少し大きいと感じていたゆったりサイズのモノのせいなのか、アルヴィスが腰のヒモを緩めに結んでいるせいなのか・・・肉付きが薄いせいで、形がくっきり浮かび上がっている腰骨に引っかけるように履いてる辺りが、また何とも色っぽい。
 縦長の形良い臍(へそ)や無駄肉がないせいで、薄い皮膚を通してその下の腹筋の形がうっすら伺えるのも、・・・・もう何もかもに色気を感じる。

 見た目も性格も、清廉(せいれん)そのもので。
 一見、色気とは無縁のような存在のくせに―――――――アルヴィスという人間は、時に過剰なほどの『艶(つや)』を周囲へと遠慮無しに振りまくのだ。




 思わず、その結ばれた紐に手を伸ばし、解きたいような衝動に駆られ。


「・・・・っ、・・」


 ダメだダメだと、インガは慌てて頭を振った。

 眺めた場所が、悪かった。

 もっと下。うんと下の方を見ていなければと考え直す。
 じゃなければ、やっぱり邪(よこしま)なことを想像してしまいそうだった。


「・・・・・・・・・・」


 なら、別にアルヴィス自身から視線を剥がせばいいのだが、インガにはそれも出来ない。

 大好きな恋人が、傍に居るのに・・・・その美しい姿を視界に入れないなど勿体なさ過ぎる。
 まる1日、アルヴィスだけを眺めて過ごしたって構わない位、いやむしろそうしていたい願う位、インガはアルヴィスに夢中なのだ。

 もっと、下。

 変な考えに走れないくらい、うんと下に目線を固定すれば。

 そう思って、アルヴィスの足首から下へと視線を走らせ――――――彼の形良い足先へと焦点を変更する。


 キレイな恋人は、足先だって美しい。

 引き締まった足首から続く、足の甲や指、浮き上がる筋の形、まで文句の付けようが無いキレイさだ。
 インガは別に足フェチでは無いけれど、この足にだったらどんな素晴らしい靴だって似合うだろうし、履いている所を見てみたいと思うし―――――足先に口付けてみたい衝動に駆られる。

 いや、せっかく指や爪の形までがキレイなのだから・・・靴を履かせるのは勿体ないだろうか。

 淡いピンク色した薄く形良い爪なんて、まるで桜貝のようである。

 この爪が隠れてしまうのは、・・・・惜しい。


「・・・・ダメだ」


 そこまで考えて、インガはまた頭を振った。

 結局、アルヴィスの何処を眺めていたって、段々と変な思考に陥(おちい)ってしまうことに気付いたのである。




 大体、冷静になると言うのが困難なのだ。


 付き合って、数ヶ月。

 好きで好きで堪らなくて、勢いのままに告白して。
 先輩と後輩という垣根(かきね)を越えて、何とか登下校を共にしたり、デートの約束を取り付けたり、・・・・彼を独占出来る立場にはなれたけど。

 実際問題、あんまり―――――ただの友達としての付き合いと、さして変わらないことしか出来ていなかったりする。

 キスはしたし、・・・手を繋いでも嫌がりはしないし、指と指を絡めるような恋人繋ぎだってOKだ。
 好きですと伝えれば、恥ずかしそうに俺も、と返してくれるし。

 アルヴィスなりに、インガと付き合っているのだと自覚はしてくれているようだ。


 だが。


 キスといったって、唇と唇が微かに触れ合うような他愛のないモノだし。
 手を繋ぐのだって、状況が要求したら友達同士だって繋ぐだろう。

 何処かへ行こうと約束して、待ち合わせて出掛けるのだって友達同士であり得る話だ。


 それらに不満がある訳じゃないし、インガだってアルヴィスとのそんな状況を楽しんではいる。
 アルヴィスと付き合えている今の状態だって、インガにしてみればそれだけで幸せなのだ。

 とは言っても。


 ―――――やはり、それ以上のステップにだって進みたいというのが本音である。


 好きだからこそ、その肌に触れたいし・・・もっともっと深い所で繋がりたい。

 恋人同士だからこそ許される、次のステージに上がりたいのだ。


 しかし、奥手でインガのそんな想いなど全く気付いていないだろうアルヴィスには、それを望むのはまだ厳しいだろう。

 だから今は、必死にそんな想いは押し隠して、ひたすら耐えるしかない――――――そう、インガは思っている。



 思っているのだが、・・・・こういったシチュエーションになってしまうと、どうしたって意識してしまうのは仕方がないだろう。


「・・・・・・」


 自分の部屋で、恋人と2人きり。

 しかも恋人はシャワーを浴びたばっかりで、濡れ髪にしっとり肌、石けんとシャンプーの香り漂う美味しい状態。

 お誂(あつら)え向きに、インガはベッドに腰掛けていて、アルヴィスはその傍に立っている。

 ここで、ちょうど目の位置にある細い腰を掴み、一気にベッドへと押し倒せたら――――――後はもう、勢い任せで色々と出来てしまえそうだ。


 週末だから、姉のドロシーは遊びに行ったままどうせ帰ってこないだろうし、時間だってたっぷりある。

 ――――――アルヴィスがシャワーを浴びた理由も、インガの家を訪れたワケだって、まるきり艶っぽい話とは無縁なのだが・・・部屋の様子だけを述べれば、どれだけ自分に理性があるのかを試されているような、何とも切ない状況だ。







 ―――――冷静になんて、なれるワケ無いじゃないか・・・!







「はぁーーー・・・」


 アルヴィスには言えない、悶々とした想いを心中で呟き。
 インガは、大きく息を吐いた。


「なあ、何がダメなんだ?」

「・・・っ!?」


 途端、耳傍でアルヴィスの声がして、インガはベッドから跳び上がりそうになる。

 いつの間にか自分の視線の先から、白い足が消えていて。
 アルヴィスが、インガの隣に腰を下ろそうとしていた。


「・・・・・・・・」


 一瞬、ダメだダメだと心の中で叫んでいたつもりが、実際に口に出してしまっていたのかと冷や汗が出る。


「あ・・・いえ、その、・・・・」


 何がダメって。
 ・・・・インガが考えていた内容全部が、ダメだ。


「・・・・・・・・・・・」


 インガが脳内で考えてしまった内容は、一欠片(ひとかけら)だってアルヴィスに言うわけにはいかない。
 ここはもう、何とか話を逸らすしか! ――――――そう考え、インガは咄嗟にアルヴィスの名を呼んだ。


「そ、それよりアルヴィスさん!」

「ん?」

「あの、・・・・えっと、・・・」


 だが、その先が続かない。

 何かを思いついて、口を開いたワケでは無いからだ。


 どうしよう、早く何か言わないと変に思われてしまう。


「その、・・・あ・・・う〜・・・」


 考えあぐねて、インガはアルヴィスの顔から目線を落とし、・・・不意にまた飛び込んできた彼の白い身体にドキリと心臓を跳ねさせた。


「あ、あの、・・・服!」


 本当に目に毒だ・・・・そう考えた瞬間、服という単語が思わず口から零れ出る。

 ハダカ→服を着せないと、という単純な連想からだ。


「・・・せ・・制服、濡れちゃってて渇かすの時間掛かるんで、・・・・」


 そしてその単語が不自然にならないよう、思いつくままにインガは口走った。


「・・・・・その・・・泊まって、いきませんか!?」


 これには、口走ったインガ本人がビックリである。

 家に寄っていきませんか? ・・・その言葉すら言えず、延々と思い悩んでいたというのに。
 まさかその段階をあっさり飛び越えて、そんな言葉が口から出てくるとはインガ自身が驚愕した。

 泊まるって。
 姉も出掛けていて、インガしか居ないこの家に、アルヴィスを泊めるって・・・・!

 制服は、週末なのだし、別に今日はインガの家に置いていって貰って。
 明日にでも、また逢って渡せばいいだろうに・・・・寄りによって、泊まっていけばいいなんて。

 うっかり、ずっと一緒に過ごしたいという心の底の願望が、口をついて出てしまったのだろうか。
 何にせよ、・・・・インガ的には相当レベルの失態である。

 しかし言ってしまった以上は引っ込みが付かず、インガはボソボソと言い訳を開始した。


「明日、・・学校休みですし・・・
 ・・・服もあのままじゃシワになっちゃい・・・ますから、・・・・」


 動揺しているから。
 段々、言っている声も小さくなる。


「・・・も、もちろんアルヴィスさんが良ければ、・・・ですけど、・・・」


 言いながら、何て厚かましいことを言ってしまったのだとますます後悔した。

 いきなり、泊まれば良いなんて、どんな図々しさだろう。
 幾ら恋人とはいえ、・・・いや恋人同士だからこそ、友達同士なら割合お気軽に出来るお泊まりも別意味になってしまうというのに。

 けれど、いったん口から出てしまった言葉は取り返しが付かない。


「・・・・・・・・・・」


 インガの顔を黙って見つめている、アルヴィスの視線が痛かった。
 これはつまり、返答に困っているということだろう。








 ――――――ボクのバカ。何口走ってんだよ・・・!

 アルヴィスさん、困ってるじゃないか・・・・っ、・・・!!






「・・・・あの、・・・すみません・・」


 そう判断して、インガは項垂れながら謝罪した。


「・・・急に泊まってなんていわれても・・・ご迷惑ですよね・・・! ボク、考えなしに・・・!」

「え? あ、いや・・・!」


 インガが言いかけた途端に、予想に反しアルヴィスが慌てた口調で否定してくる。


「―――――迷惑じゃないのかな、って考えてただけなんだ。
 泊まっていってもいいのかなって」

「! それはもちろんっ・・アルヴィスさんさえよろしければ!!」


 アルヴィスの言葉を聞く限り、インガの家に泊まることを嫌がっているワケではないらしい。




 ――――――あれ。

 アルヴィスさん、・・・・別にウチに泊まるの嫌がってない・・・・?




 現金なモノで、インガの気持ちもアルヴィスの言葉と共に最高潮に盛り上がってくる。

 泊まっていってくれるというのなら、是非とも泊まって頂きたい!
 インガとしては、アルヴィスが泊まっていってくれるのは、大歓迎である。


「なんか、・・・こんな急で申し訳無い気がするんだけど・・・」

「ぼくの方は全然・・・! そんなの気にしないで下さい!!」


 自然、答える声が大きくなった。

 好きな子が自分の家に泊まるのだ――――――テンションが上がらない方が、どうかしているだろう。


「あ・・・じゃあ、頼む・・な?」


 頬を染め少し照れたように言うアルヴィスが、思わず抱き締めたくなるくらい可愛らしい。
 こんな顔で頼むと言われたら、もしも不本意な内容のことを押しつけられたって、笑顔で頷いてしまうだろう。

 古代、傾国(けいこく)の美女と謳われた殷の国の妃・妲己(だっき)は、もしかしたらアルヴィスみたいな顔をしていたのかも知れない。

 男をたぶらかし、残虐行為を好んだという悪女にアルヴィスを喩えるのは、イメージが違い過ぎるだろうけれど。
 それくらい、その美しい顔に浮かべるアルヴィスの表情は、・・・・周囲の人間を虜(とりこ)にする威力がある。

 どんな難題を突き付けられても、二つ返事でOKしたくなるような、そんな絶大な魅力があるのだ。

 美人は3日で飽きるという言葉があるけれど、アレは絶対嘘だと思う。
 アルヴィスを眺めている限り、インガにソレは有り得ない。
 彼を見る度ごとに、可愛いだとかキレイだとか、・・・愛しいと思う気持ちは増すばかりで、上限知らずである。


「――――今日は、お世話になります」


 笑いながら、ぺこりと軽く頭を下げてきたアルヴィスを目にした瞬間。


「・・・・・は、い・・・!!」


 インガの体内にある興奮度合いを示すメーターの針が、一気に、また最高数値を振り切った気がした。


 普段から、常にキレイで可愛らしくて頭が良くてしっかりしてて優しくて、――――――要するに、アルヴィスがすることは何でも肯定したくなるインガだが。

 これは、・・・キタ。

 戯(おど)けて見せてはいるが、律儀(りちぎ)な態度で。
 先輩だから、もっと横暴にふるまってくれても構わないのに・・・ちゃんと頭を下げてお世話になります、なんて言っちゃう礼儀正しい彼。

 分かっていたけれど、アルヴィスはやっぱり、何だって完璧なのだ。
 キレイなのは姿だけじゃなくて、精神と心までもが完璧に美しい。

 そんな自分を、インガがもし客観的に見ていたら。
 恋は盲目という言葉があるけど、まさしくそんな状態だな・・・・などと、冷ややかな目で評するところだろう。

 アルヴィスは確かに飛び抜けて美しい容姿をしているし、学校の成績だって良いし、文武両道に秀でた人物だ。
 けれども料理や絵画は壊滅的な腕前だし、気に障った相手には口より先に手が出るような喧嘩っ早さだし、一部のみだが著しく一般常識に欠けた部分もある。
 完璧、とまでは言い難いというのが実情なのだ。

 だが、残念ながらインガは当事者であるので、―――――――そんなセルフツッコミは入らない。


 インガのテンションは、上がる一方だった。


「・・・・・・・・・・」


 ドキドキドキドキ。

 そのアルヴィスが、今日・・・・・自分の家に泊まる。

 そう考えたら、苦しいくらい心臓が躍り出して、少しも静かになってくれない。

 だって、自分たちは部の後輩と先輩でも、単なる友達同士でもないのだ。
 れっきとしたお付き合いをしている仲で、キスもしてて、・・・それ以上はまだだけれど、進む可能性は有りまくり!な、恋人同士なのだ。








 焦るな。

 急いだらダメだって・・・!

 アルヴィスさん、そんなつもりで今日泊まるんじゃないんだからな・・・!!








 脳内で、そう何度も自分に言い聞かせるが。

 心臓は正直・・・もとい、欲望に忠実だ。

 少しも、動悸が治まってくれる気配は無い。


「・・・・・・・・・・・っ」


 落ち着かせようにも、至近距離にあられもない姿のアルヴィスが居るから、かなり難しい。


「・・・・ゆ、夕飯、何がいいですか?
 ボク、何でも作りますよ・・・っ!」


 赤くなった顔をアルヴィスに見られたくなくて、インガはギクシャクとした態度で立ち上がった。

 これはもう、泊まっていってくれるという約束は取り付けたことだし、少しアルヴィスと距離を置いて熱を冷まさなければと思ったのだ。


「ハンバーグとかオムライスとか、
 ・・・あ、肉じゃがとかもお好きでしたっけ?」


 火照った頬をさりげなく手で隠しながら、アルヴィスの好物の名前を挙げる。

 一応、確認のように聞いてはいるが、アルヴィスが好きなモノは何だってチェック済みだ。
 なんとなく、そこら辺を全て網羅(もうら)していることがバレたら、ストーカーっぽい気がするので・・・多少ぼかして言ってるだけだったりする。


「どれも好きだけど、・・・ああ俺も手伝うぞ?」

「えっ、・・・ア・・アルヴィスさんはここで寛(くつろ)いでて下さい!」


 一緒に立ち上がろうとするアルヴィスを、慌ててインガは押しとどめた。

 申し出は嬉しいけれど、アルヴィスにそんなことをさせるのは悪いし、第一それではインガの動悸が治まってくれなくなる。

 ついでに言えば、話に聞く限り・・・・・手伝って貰うと、アルヴィスが漏れなく怪我しそうでハラハラなので、インガとしては遠慮したい所だ。
 アルヴィスのキレイな指先に切り傷や火傷を作らせたら、と思うだけで耐えられない気分になる。


「ご飯はボクが作りますから、アルヴィスさんは、
 ここで本かテレビでも見てゆっくりしてて下さい・・・・!」


 でも、・・・と言いかけるアルヴィスを制して、インガは早口にそう言ってドアへと急いだ。


 とにかく、身体に溜まった熱を冷まさないと、どうにもならない。

 アルヴィス(元凶)までがくっついてキッチンに来たら、冷ましようがないのだ。



「じゃあ、ボク作ってきますから・・・!!」


 言い置いて、勢いよくドアを閉める。


「はあー・・・・」


 これで、少しは動悸も治まる筈だ。








 ―――――――でも、手伝って貰って一緒にご飯作るのって・・・なんか同棲してるっぽいかも。






「・・・・っ、・・・」


 思いついてしまった途端、また、ドクリと心臓が跳ねて。

 インガは慌てて、足早に階下へと向かった。









 ダメだダメだ、・・・こんなこと思ったくらいで反応してちゃダメだろボク!

 今日は、アルヴィスさん泊まるんだから。

 一緒にご飯食べたり、いっぱい話したり、・・・それでそれで、・・・・。




 ――――――・・・一緒に寝ちゃったり、するんだから。









「・・・・・ぅわ・・・」


 そこまで考えて、また真っ赤になる。

 意識するなという方が、これは無理だ。


「まだ清いお付き合いなのに、
 ・・・いきなりお泊まりって・・・やっぱり反則ですか神様?」


 階段の途中で足を止め、つい、インガは天井を仰ぐ。


「一緒に寝るって・・・神様、
 ボクは理性が持つんでしょうか・・・?」


 独り言なのに、神様に問いかけている辺りが、かなり自分でも痛いと思う。

 そもそも、泊まりませんかと言い出したのはインガである。
 けれど、それなりに切実なインガの想いだ。




 好きだからこそ、触れたいし抱きたい。

 けれど好きだから、・・・・拒否られたく無いし嫌われたくない。




 頭の中が、グルグルグル。

 考えがまとまらない。

 どうしたいのか、・・・どうなるのが嫌なのか。


 その2つは明確なのに、・・・・どっちも強烈にインガの中に存在して・・・どっちもが譲らない。



 アルヴィスが大切で、大好きで。

 彼が幸せそうに自分の傍で笑っていてくれるなら、・・・それだけでいいと思う気持ちは本心なのに。


 それだけで終わらない、もっともっとと願う自分がいる。

 彼の気持ちを考えたら、選択肢なんてきっと1つなのに。







「・・・ボク、・・・耐えられるのかなー・・・」


 考えて、ガックリと肩を落とす。

 一緒の空間になんて寝れば、きっと朝まで、インガはジリジリと眠れない時間を過ごすこととなるだろう。

 それでも、じゃあアルヴィスを自室のベッドに寝かせ・・・自分は階下のリビングのソファで寝る・・・という手段はハナから除外しているインガなのだった―――――――。
















NEXT ACT3



++++++++++++++++++++
言い訳。
久々に書いたインアルの原点話(笑)
何とか頑張って、次回は初エッチに突入したい所です☆
この2人は初々しさがコンセプトなので、焦れったさ強調して書いてるんですが。
書いててゆきのも、途中で何度もインガにアルヴィス押し倒させそうになって困りましたー(笑)
シャワー浴びたばっかりのアルヴィスって、相当瑞々しくて美味しそうだと思いますvv
早く、インガに食べさせたいですねー^^