転がり落ちた宝珠(たま)−




 手の中で、大切にたいせつに包み込んでいた宝珠(たま)。

 雨に濡れないように風に吹かれぬように、強い陽射しに焼かれぬように手の中に包み守っていなければ、あっけなく壊れてしまうだろう儚く繊細に創られた美しい宝珠。

 その宝珠を守り、慈しむ事が自分の使命なのだと思っていた。



 いつまでもいつまでも、永遠に自分の手の中こそが『宝珠(かれ)』の居場所なのだと。












 けれども、―――――───その宝珠が今、手から転がり落ちようとしている。











「ティバーン。私はアイクと共に行きます。彼には世話になった・・・・戦う事は出来ずとも、私達セリノスの民には呪歌があります・・・彼らの、力になりたい」

 フェニキスに迎えられて二十年余り。
 その間、一度たりとも後見であるティバーンの言うことに逆らった事の無かったセリノスの王子が、そう言い出した時に何か予感するものはあった。
 二十年前に滅ぼされたセリノスの生き残りとして、フェニキスに匿われた王子・・・リュシオンはティバーンに過度の恩を感じているらしく、彼の言うことには絶対だった。
 そのリュシオンが、初めてティバーンの言葉に首を横に振ったのである。

「・・・・・・・・・・」

 セリノスの民は総じて姿形は儚いほどに美しく、声も天上の調べとも例えられる程であるが、その代わりなのか極めて脆弱な身体を持った種族でもある。
 彼らは戦う力を持たぬばかりか、ラグズやベオクが放つ負の感情・・・・マイナスのイメージに繋がる心の持ち主が近くに居るだけですら体調を崩してしまい、時には死に至ることすらあるという生き物なのだ。穢れを一切身に纏う事が許されぬ、限りなく正に近い存在なのである。
 女神より託されたと云われる呪歌を謳い、世間の穢れとは無縁の隔離された楽園であるセリノスの森で静かに過ごす―――――───それが、セリノスの民の身体に一番適した生き方だろう。
 だが、それはあくまで体質の事であり。
 セリノスの民全てが、そうした生活を望むのかといえば・・・・・それは否かもしれない。
 セリノスを滅ぼしたベグニオン帝国への復讐に燃え、日々誰よりも力を望み強くなることを願っていたリュシオンを間近で見ていたティバーンはそう思う。
 俺たち鷹の民が、必ずやお前の恨みを晴らしてやろう―――――───そう言い聞かせるたびに、そうでは無く私が自分の手で恨みを晴らしたいのです―――――───と、涙ながらに繰り返し答えていたリュシオン。



 それでも。

 渋々ながらも、ティバーンが止めれば思いとどまってくれていたのに。





「大した力にはなれないかも知れません。それでも、アイクの力になりたいのです」

 今、そう言って懇願するように見つめてくるリュシオンの目は真剣そのもので、ティバーンがいかに反対しようとも一向に引き下がろうとはしないだろう固い決意が見受けられた。

「―――――─戦場は、負の気が多すぎる・・・お前が行くのは危険だぞ」

「大丈夫です。絶対、大丈夫ですから。・・・・行かせて下さい」

「・・・・・・・・」

 縋るように見つめてくる、澄んだ緑柱石の瞳が禍々しいほどに美しい。ユラユラと光りが揺れて、深く明るい色合いの瞳の中に、吸い込まれてしまいそうな心地になる。
 サラサラと流れる、金糸の髪。透けるように白い肌。実際羽のように軽い、華奢で繊細な造りの身体―――――───見慣れているとはいえ、夢のように綺麗な顔をマジマジと眺める迄もなく・・・・・・どう考えても血生臭い戦場には不似合い過ぎる、セリノスの王子だった。

「あのな、―――――リュシオン」

 根拠も無いだろうに大丈夫です、の一点張りを繰り返す世間知らずな王子に・・・・世間知らずにしたのは他ならぬ己だという自覚もありつつ、ティバーンは言葉を選びえらび、言ってみる。

「確かに・・・・あのベオクにお前は恩がある。けど、それを言うなら後見である俺だって彼奴らに恩がある訳だ」

「・・・・・・・・・・」

「だから、別にお前だけが彼奴らに恩を返そうとしなくても、俺たちから返せば良いだろう? 彼奴らが望むなら、フェニキスから援軍を出してもいいし・・・・そうすれば、恩に報いた事にもならないか?」

「でも、それでは私の気が済まないのです!」

 ティバーンの提案にリュシオンは両の拳を握りしめ、薄く華奢な造りをした真っ白な翼をばたつかせて抗議してきた。
 真っ白な翼は大層綺麗だが、長距離を飛ぶにも早く飛ぶにも適していない、弱々しいシロモノである―――――─それを目にしてティバーンはますます、行かせてなるものかという決意を新たにした。

 ティバーンにとって、リュシオンは今や可愛くてかわいくて目の中に入れても痛くないほどの存在なのである。
 最初は同胞であるセリノスの惨劇に同情し、か弱い鷺の民を保護してやろう・・・それだけの心づもりだった。
 造りモノのように綺麗で、同じラグズ(かといってベオクにも見えなかったが)とは思えないくらい繊細な生き物だとは思ったが、だからどうこうしようなんて気も、毛ほども無かった。
 だが、鳥翼族の寿命がいくら長いとはいっても二十年も一緒に居れば、それなりに情は移るし想いも変わる。
 ティバーン達鷹の民にしてみれば、数倍繊細でか弱い生き物を庇い守り慈しんでいるウチに―――――───どうしたって可愛くなってくるというものである。
 多少ワガママな上に大層な世間知らずに育とうとも、素直に懐き慕ってくる姿にほだされない訳が無かった。しかも、見目は極上である。
 ティバーンにとって、リュシオンはいつの間にか特別な存在になっていた。
 滅ぼされた同胞の国の生き残りだからだとか、自分がセリノスの後見だからとか、そういった責任から来るものじゃなく―――――───鳥翼族だからとか、フェニキスの王だからとか、そんなものでもなくて・・・・・・・『ティバーン』一個人として。
 手の中で囲い、大切に守る―――――───それが、もはやティバーンの中では当たり前となっていたのだ。






 それなのに。今、掌中の珠が自らの意志で、自分から転がり落ちようとしている。






「ティバーン、行かせて下さい・・・・私はアイク達と共に行きたいのです」

 リュシオンは、玉座に座ったままのティバーンに近づき膝を付いて―――――─肘掛けに置かれていた彼の手に、縋るように己の手を重ねてきた。

「・・・・・・・・」

 細い指と華奢な手を通して、リュシオンの低い体温がゆっくりと伝わってくる。
 白く、傷一つない美しい手だ。装飾品や楽器などの繊細で優雅な物を愛でる為だけに使われた事しか無いだろう・・・・・・およそ無骨な物になど触れたことすら無いに違いない綺麗な手。
 傅かれ唇を押し当てられる事には慣れていても、この手が得物を握ったり敵の肉を抉る等到底出来ないに違いない。

「無理だ」

 途端、間近にあるエメラルドの瞳が瞬時に翳りを帯びたのを見つめながら、ティバーンは言葉短く否定する。

「でも、―――――─」

「お前には無理だリュシオン。確かにお前の呪歌は戦場においてこの上ない効力を発揮するかも知れん・・・・だが、それはお前を戦場で守りきらなければならない、というリスク付きだ。自分で己自身を守る術を持っていなければ・・・・・かえって戦場では足手まといになりかねないだろう・・・・?」

「・・・・・・・・・・」

 実情を考えれば、リュシオンが戦場に出るのは別段不可能な事では無いとティバーンも思う。
 戦略面でリュシオンが戦闘防御、両面において使えないというのならば後方支援という形で配置すればいいだけの事なのだ。
 リュシオンの呪歌ならば、後方でも充分に効力を発揮するだろう。―――――─ただし、負の気に満ちた戦場が、どれだけ彼の身体に負荷を掛けるのかを一切考えなければ、の話であるが・・・・・・。
 アイク達を信用しない訳では無いが、リュシオンの物理的な安全面も己の側近であるヤナフ達を護衛として付けてやればまず問題は無いだろうと思う。
 だが、やはりリュシオンの身体の事を考えるとティバーンはどうしても諾と言ってやる気になれないのである。







 それに、―――――───







「・・・・お心遣い、ありがとうございます」

 殊勝に項垂れて見せつつも、リュシオンは再びキッと顔を上げてティバーンを見つめてきた。

「けれど・・・・私はもう決めたのです。アイクの力になると・・・・!」

 ティバーンを見つめる、真っ直ぐな瞳。意志の強さを垣間見せる強い光りを帯びた瞳だった。

「リュシオン・・・・」




 何も変わっていない。
 フェニキスに来たばかりの頃の、小さな王子と。
 身体は相変わらず弱いままだし、力だって、か弱いまま。
 現代語を話せるようになったのと、背と髪が伸びたくらいで他は何も変わっていない。
 守ってやらなければ、あっけなくこの世から消え去ってしまいそうな儚さも、世間知らずで自分1人では何も出来そうに無い危なっかしさも相変わらず。



 なのに。



 ここでリュシオンの願いを叶えたら、彼はすぐにも此処を飛び出し―――――───二度とティバーンの元へは戻ってこないような気がするのだ。



 手の中から、転がり落ちた宝珠は、二度と手には還らない・・・・・そんな気がする。





 手の中で大切に守っていた彼が、初めてティバーンに逆らった。
 多少口答えはするものの、最後には必ず言うことを聞いていた彼が首を横に振った。
 貴方のために役立ちたいと―――――口を開けばそればかり言っていた彼が、他の誰かの役に立ちたいのだと言ってきた。
 それも、あれほど嫌悪し憎んでいたニンゲン・・・ベオクである青年の為に。
 今はただ、純粋にアイクの役に立ちたいだけなのかも知れない。


 けれど、その感情がやがては―――――──別の物に変わらないと、誰が言えるだろう?





「リュシオン・・・・ベオクは、俺たちと違って寿命は遙かに短い」

「・・・・・はい・・・?」

 脈絡無く紡がれたティバーンの言葉は、リュシオンには理解出来なかったらしい。不思議そうな表情を浮かべて此方を見返してくるだけだった。

「俺たちとベオクが、共に過ごせる時間は短いということだ。・・・分からないなら、いい」

「・・・はあ・・・、」

 困惑した表情を隠せずに、リュシオンが眉根を寄せる。
 リュシオンには、まだ自覚が無いのだ。
 負の気に満ちた戦場へその身を投げ出しても構わないと思うほどに・・・・アイクに傾倒しつつある、自分の心の奥底に眠る想いに気付いていない。
 彼はただ、アイクの力になりたいと願っているだけだと思っているのだろう。恐らくそれは、『恋』と呼べる程に強い想いであるのだろうに。
 だから。ベオクであるアイクとの寿命の違いやらその他の種族間の相違による弊害など、考えも及んでいないに違いなかった。

「・・・・・・・・・・」




 今、反対を押し通せば―――――───リュシオンは恐らく己の感情に気づかぬまま、アイクへの想いを終えるだろう。
 様々な弊害にリュシオンが疲弊しその儚い一生を終える羽目にも、また種族の違いによる喪失の悲しみも・・・味わわずに済むのだ。
 そして一生、ティバーンの元に居てくれるに違いない。




「ティバーン・・・・聞いて下さい」

 ジッと黙り込んだまま考え込んでいたティバーンに、リュシオンがそっと目を伏せ、それからもう一度強い眼差しで此方を見上げてくる。

「私は、確かに貴方のように化身したところで戦えないし、逆にアイク達の負担になるかも知れない。でも、ジッとしていられないのです―――――─彼の力になりたい。アイクの傍でせめて呪歌を謳いたい・・・・何でもいいから・・・・彼の力になりたいのです・・・・!!」

 まるでこれから特攻でもして、命をティバーンに捧げるかのような決死の表情で。

「・・・・・リュシオン・・・・」

 初めて、リュシオンの強さを見た気がした。




 身体は相変わらず華奢で。
 見た目も煌びやかな、およそ戦場になど似合いそうもない。
 腕も足も、胸板だって薄っぺらくて、ティバーンが少し力を込めて抱きしめれば、そのまま粉々に骨が砕けてしまいそうな・・・・・弱々しい鷺の民の青年。
 けれどその代わり―――――─心だけは強いのかも知れなかった。
 心さえ強くあるのなら、それは様々な奇跡を生むのだろうか?





 手の中で、大切にたいせつに慈しんできた宝珠。
 雨に濡れないよう風に吹かれて凍えぬよう、大事に守ってきた宝珠。
 それでも、囲った手の隙間から宝珠は転がり出ようとするものらしい。


 宝珠自ら、外へ出たいと願うのならば―――――───。








「・・・・分かった、リュシオン」

 深い溜息と共に、ティバーンは苦笑を浮かべつつ承諾の意を示した。

「それでは!?」

 パッとリュシオンの顔が明るくなる。

「お前が行くのを認めよう・・・・決意は固いみたいだからな」

「はいっ!ありがとうございますティバーン。必ず、アイク達の力になってみせます・・・!」

 先ほどまでの悲壮感漂う程の決死な表情は何処へやら。
 ニコニコと、あどけなくすら見える笑顔を見せてリュシオンは根拠も無いのに自信たっぷりにティバーンに頷いてみせる。

「戻って来たくなったら、まだ遠征中だろうが何だろうがフェニキスに戻って来いよ?」

「はい。でも大丈夫です、アイクが居るからそんな事にはなりません」

「・・・・・・・・・」

 リュシオンは心が綺麗なのか、はたまた疑う事を知らない世間知らずだからなのか、一度信用した相手の事は無条件に信じてしまうきらいがある。
 だからこそ、キルヴァス王ネサラにだってコロリと騙され売られる羽目になったのだろうが・・・・まあ、それでもそれがリュシオンの良い所でもある。

「そっか、・・・そうだな。アイツが居れば・・・大丈夫だな」

「はい」

 相変わらずニコニコと可愛い笑顔を見せているリュシオンの金髪頭を、ポンポンと撫でてやる。嬉しそうにされるがままになっているその様は、まるで主人に可愛がられているペットのような・・・・・・父親に誉められている息子のような。





 そう、このままでは何も変わらない。

 大切にただ、手の中で慈しんでいるだけでは、この関係も変わらない。
 保護者じゃなくて、憧れじゃなくて―――――─もっと違う別の関係になるためには。
 一度、手放さなければならなかったのかも知れない。
 守るだけでは、奪いたくても奪えないモノがあるから。



 リュシオンの心を、本当にティバーン自身が望む意味で手に入れる為に。

 今のままの関係では、アイクとすら同じフィールドに、自分は立てないのだろうから。







「頑張れよ」

 リュシオンの頭に手を置いたまま。
 ティバーンは色々な意味を込めて、そう声を掛けた―――――───。












 自らの意志で、宝珠は転がり落ちた。

 空っぽになってしまった手の平。

 虚ろな場所を満たすには、どうしたらいい?



―――――──転がり落ちたなら、また拾い上げればいいだけ。



 何度でも何回でも、転がり落ちる度に拾い上げ。

 大切にたいせつに両手で囲ってやればいい。




―――――──落とさぬようにしっかりと、閉じこめてやればいい―――――───。



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