『Call me Master?−その3−後編』










「ごめんねっ、お腹空いたよねっ!?」


 慌ててレスターヴァへ戻り。

 それでも風呂を使って付着した血液等の汚れを落としてきたファントムは、自室に駆け込むなりそう叫ぶように言った。
 シュークリームやミルクを満たした皿、そしてフルーツなどが盛られたトレイを手にしながら。


 だが、ファントム最愛のペットである少年はぴくりとも動かない。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 いかなる時でもファントムを魅了する鮮やかな青の瞳で、じいっと主人の顔を見上げたまま微動だにしなかった。

 少年は、冷たい床の上にべったりと身体を伏せ、寝そべっている。

 その鼻先には、空になった銀製の皿がひっくり返っていた。

 そして、多分ファントムが居ない間にじゃれて遊んで、引っ掛かってしまったのだろう。
 ―――――─・・・机の上に無造作に置かれていた筈である数個のチェーン型のARMが、華奢な身体にこれでもか!という程に絡まっていた。

 今日のアルヴィスには、水色のセーラーカラーの上着に紺色のショートパンツという可愛らしい格好をさせていたのだが。
 それに鎖のように絡まったARMが倒錯的で、何ともいかがわしい感じである。

 ・・・・・絡めたのは、本人だけれど。



「・・・・・・・・・・・にゃー・・・・・」


 頭上の大きな2つの尖った耳をへにょっと左右に寝かせ、可愛らしい顔を恨めしそうに顰めながら。
 アルヴィスはショートパンツから出ている毛足の長い尻尾を、不満を訴えるようにブンブンと振り回した。

 恐らく、ARMが絡まっているから、あまり動けないのに違いない。


「・・・ごぉ・・・・は・・・」


 小さな声で、辿々しくようやく覚えた単語を口にする。
 やはり、相当お腹は空いているようだ。


「ああ、ごめんねごめんねっ?」


 その様子に、ファントムはベッドの上にトレイを置き、大股にアルヴィスに近づいた。

 そして、ヒョイとその小さな身体を抱き上げる。


「・・・あーあ。器用だねえアルヴィス君。
 ・・・これじゃ亀○縛りだよ・・・・・良くこんなに絡められたねー・・・・」


 サラリとSM用語を口にしながら、ファントムはアルヴィスに絡まったARMを痛くないように解いてやった。

 解きながら、ファントムがマホガニー製のデスクに視線を向ければ。
 インク壺は倒れて中身が机上で水溜まりを作っているし、その中に羽ペンが浸され、更に数個のARMと未読の積んでいた書類が崩れてインクまみれになっているというスゴイ惨状。

 椅子の上にも、そして周囲の床にもインクが付着した後があり・・・・・当然同じ場所から持ち出したアルヴィスに絡まっているARMにインクが着いてないのが奇跡的に思えた。
 けれども、アルヴィスの小さな白い手やよくよく顔を確認すれば、インクが付着し、擦って伸びた痕跡がしっかりと残っている。


「・・・・机の上もメチャメチャだね・・・・・まあいいか」


 頓着しない様子でそう呟き、ファントムは抱いていたアルヴィスの身体からARMを全て取り去ると、少年の手に届かない高さの棚上に置いた。

 そして、自分を見上げている大きな瞳に目線を合わせ、ニッコリ笑いかける。


「ARMで遊ぶの、面白かった?
 でもね、アレは危ないから駄目だよ・・・君は魔力無いから発動はしないだろうけど
 ―――――首にでも引っ掛かったら大変だからね」

「・・・・ご・・・はん・・」


 けれど、アルヴィスは注意などは聞いていない。

 お腹が空いて堪らないらしく、自由になった手で縋るようにファントムに抱きつき、可愛らしい舌を出してぺろぺろと顎の辺りを舐めてくる。


「ああ、ごめんね? ごはん、食べようね」


 その可愛さに、アッサリとファントムも注意をやめて、アルヴィスを抱き上げるとベッドの方へと向かった。





 アルヴィスを飼い始めて数週間。

 ファントムの躾は遅々として進まないのだった―――――───。
 

















 ベッドに腰掛けたファントムの膝へ俯せに乗りながら、猫耳の少年はおとなしく目の前に摘んで差し出されたフルーツを口にする。

 機嫌良くその青い瞳を細め、嬉しそうに苺を頬張る少年を優しく見つめ、ファントムは耳付きの小さな頭を撫でてやった。


「・・・ごめんね、お腹空いちゃったよね・・・」

「・・・・・・?」


 まだ言葉を良く理解していない少年は不思議そうな顔で苺をモゴモゴと口に含んだまま、毛足の長い黒い尻尾をユラユラさせる。

 そして、可愛らしい仕草でごっくんと苺を飲み込むと、またアーンと小さな口をいっぱいに開き、次の果物を強請ってきた。


「次はどれがいいの? ライチ? それとも、メロン?
 マンゴーもあるよ? ・・・ああ、また苺がいいんだね」

 傍らの皿に盛られた、皮を剥かれたライチや食べやすいように一口大にカットされたメロンや桃に指を伸ばし掛けるが、少年がその青い瞳をキラキラさせて真っ赤な苺ばかりを見つめている事に気付き。
 ファントムはまた苺を摘んで、可愛らしい口に放り込んでやった。

 どうやら、この幼いキメラの少年は苺がお気に召したらしい。
 白い頬を膨らませモゴモゴと苺を食べるアルヴィスはかなり満足そうで、可愛らしかった。


「ファントム・・・・」


 主の膝に、小さな手を置いて。
 顔だけをあげて果物を強請るキメラの子供を見つめながら。
 ―――――ドアの横に立ったままの状態で、ペタは静かに自らが補佐すべき存在である彼に声を掛けた。


「アルヴィスが可愛いのは分かりますが。
 ・・・・何故、かならず餌はご自分で?
 餌くらいならば代わりの者でも、他の時間を共に過ごせば懐く度合いはさして変わらないかと思うのですが」


 先程の場合は、確かにファントムの暴走を止めるのに一役買った事になるのだが。

 けれども、ペットの食事時間の度に、司令塔が職務を放り出して帰ってしまうのは―――――実戦部隊の士気に著しく支障が出るだろう。

 それは、・・・・・・チェスを束ねる者として非常に、困る。

 
「んー? 駄目だよ。
 アルヴィス君のごはんは必ず僕がやるって決めてるんだから」


 しかし、司令塔である青年はペタの方を見ようともせず、ニコニコと嬉しそうな顔をしながら膝の上の少年に夢中だ。


「ですから、何故・・・・・」


 ここで、『可愛いから』・・・・などと返されればもう、ペタも何も言えなくなってしまうところだ。

 基本的に他人の言うことなど聞き入れる性格では無いから、ファントムの衝動的で全く関連性の見いだせない事が多々ある感情面での言動には、尚更突っ込めるモノでは無い。

 チラリと机の上の惨状を眺め、内心で嘆息しながらペタはファントムの言葉を待つ。
 

「・・・ん、・・・前にね。読んだ本があったんだけど」


 けれど、ペタの予想を裏切り。
 ファントムは以前読んだという本の内容を口にし出した。


「色んな、短編ばかり書いてる作者の本だったんだけどね。
 ―――――・・・その中に、『Moon Light』ってタイトルの作品があったんだ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



 その話は。


 さるお屋敷に住む、裕福な医師が主人公で。
 彼は、15歳になる1人の少女をペットとして飼育していた。

 彼女の為にあつらえた特別な温室に閉じこめて、そこで何不自由なく生まれた時から育てていた。

 ちょうど良い温度に保たれた温室で、彼女は医師が不在の昼間はひたすら眠り。
 彼が帰ってくる夜に、月の光を浴びながら目覚めた。
 彼女は、医師の手からのみ食事を摂って、医師の前でのみ、遊び―――医師にのみ、その身を触れさせた。

 ペットをとても大切にしていた医師は、一切使用人に彼女の世話はさせなかった。

 金の鈴が付いたリボンに、銀の器。
 ふんだんに盛られた、様々な食事やデザート。
 興味を引くようなオモチャ。
 ペットが喜びそうなモノは、何でも揃えてやった。

 医師は彼女を深く愛し、とても可愛がっていたし。
 ペットもまた、彼にとても懐き・・・また彼しか知らなかったから、彼だけを求めた。

 けれど、医師とペットの間には、―――――─その愛情しか存在しなかった。

 何故なら医師は、生まれたばかりの赤ん坊だった彼女を育てる時に・・・・・『言葉』を教えなかったから。

 医師は、彼女と接する時に一切の言葉を使わなかったのだ。
 故に彼女は、言葉を知らない。

 真の愛情を伝えるには、言葉は却って不要だと考えたからだ。


「―――――でも、それが仇(あだ)になってね。
 ある時、その医師は不慮の事故で危篤状態に陥るんだけど・・・・」


 寝込んでしまった医師に代わり、屋敷の執事はペットの世話を何とかしようと努力した。
 彼が治った時に、ペットが死んでいたら大変だから。

 けれどペットは、主人である医師にしか懐いていない。
 彼の手からしか、食事を取らない。

 このままでは衰弱してしまうから。
 お前のご主人は今来れる状態じゃないんだよ―――――─そう訴えても、初めて耳にする声と言葉に、怯えて却(かえ)って身を隠してしまう。

 結局、主人である医師は意識が戻らぬまま死んでしまい、ペットの少女も彼を追うように衰弱して、数日後に息絶えた・・・・・。


「・・・・・・・・・まあ、僕はね。
 アルヴィス君が何を思ってるのか具体的に知りたいし。可愛くお願いとかされるの聞きたいし。
 そもそも可愛い声で喋って欲しいから! 言葉はしっかり教えようと思うんだけどさ」

「・・・・・・そうですか」


 ファントムが脈絡のない話をするのは、そう珍しい事では無い。

 けれど、このペットの話で、ファントムが何を言いたいのかは流石にペタにも察しが付かなかった。


「・・・・で、結局この話だと主人もペットも死んじゃう訳なんだけど」

「・・・・・・・・」

「ソレって・・・いいなあって思ったんだよ」

「―――――は・・?」


 意味が分からず、ペタは聞き返す。

 結局、ペットは死に主人も息絶える――――それのどこら辺がファントムの気に召したのだろうか。
 むしろ、あっさり死んでしまう辺りに儚いからやっぱり人間は嫌いだとか云々(うんぬん)、言いそうな気がするのに。


「え、だって」


 ペタが聞き返した事に、ファントムはそれこそ不思議そうにアメシスト色の瞳で見返してきた。


「生きるときも死ぬときも一緒だって事だし・・・・・すごく、いいじゃない!」


 にっこりと、無邪気に笑う。

 そして左腕の包帯にじゃれて、両手で包帯の切れ端を挟むように掴みながら、あぐあぐと噛み始めたアルヴィスを抱き上げて頬ずりした。


「それに、僕がいなければゴハンも食べないで衰弱死しちゃうくらい、僕だけを必要としてるって感じが堪らないでしょ!」


 抱き上げたアルヴィスの頬に、軽く触れるだけのキスを繰り返し。
 ファントムは、うっとりとキメラの少年の顔を見つめる。


「ホントだったら、お話みたいに温室作って僕だけしか入らないような空間にして。
 ―――――そこにアルヴィス君を、永遠に閉じこめておきたいんだけど。
 でも、まだまだアルヴィス君赤ちゃんだから、お世話掛かるしね・・・・・まあ、今みたいな感じでいいかなあって」


 抱き上げられた体勢から精一杯手を伸ばして、何とかファントムのキラキラした前髪にじゃれつきたいらしいアルヴィスに笑いかけながら、ファントムは言葉を続けた。


「だからね。アルヴィス君のごはんだけは僕があげるんだ。
 ・・・僕が居なかったら、生きていけないようにね?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 ペタは無言で、部屋の隅のデスク付近の惨状と、かつてない程に嬉々としてその神々しい程の美貌を破顔させているチェスの司令塔を交互に見やる。

 どうやら、以前読んだ本に感銘を受け、―――――似たような感じでそのキメラの赤ん坊を育ててみたいらしい。



 どうせなら、全部見習って。

 世話から何から、全てやってくれれば此方の負担も減るのですが―――───心の中だけでそう呟くが、もちろん目の前の司令塔に伝わる訳も無かった。



 机の上は、インクまみれ。
 滅多に手に入らない、希少でかなり高価である筈のARMも。
 まだ裁決のサインを貰っていない・・・恐らく目も通していないだろう・・・書類も。
 机の上に置かれていたモノは全て真っ黒に染められて、―――――――目を覆うような惨状だ。

 更に良く見れば、その悪戯をしたのだろう張本人があちこちフラフラと部屋中を触れて回ったのだろう、黒くシミになった箇所があちらこちらに見受けられる。



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



 相変わらず、躾(しつけ)は全然されていないようだった。


 この後の、片づけやらその為の指示を思い―――――自然、ペタの両肩が重くなる。

 それに、先程のファントムの帰りがけの問題発言。
 アルヴィスに触れなくなるから、もう戦闘は行わない・・・・というのもかなり、困ったワガママだ。

 とはいえ。
 今は殆どメルヘブンを掌握した状態だからして、無理に司令塔自らに出陣して貰う必要性も無いので、とりあえずは問題無い。

 それにどうせ、酷く気紛れな性格だから、そんな誓いを立てても気に入らないことがあればアッサリと破るに決まっている。

 チェスの司令塔にとって人間を殺すことなど、傍らの物に手を伸ばすくらいに造作もない事なのだから。


 それにしても。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 見目は良いし、極めて珍しい存在だし、見せれば必ず気に入るだろうとは思っていたのだが。





 ―――――連れてこなければ良かったのやも知れぬな・・・・・・・。







 アルヴィスを連れてきた事を、少々後悔し始めているペタであった―――――─。







To be continued...

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日記からのサルベージ第三弾の後編☆
(加筆修正有り)

ちなみに、作中でファントムが言ってるお話は実在します。
「月の光」だったか、「月光」だったかは忘れましたが。
ショートショートの神様である星○一さんの作品「ボッ○ちゃん」に収録されているお話です。
小さい頃に読んで、・・・・なんかスゴク憧れて私もニンゲン飼いたい!と思ってしまった記憶g(←)。
―――――ゆきの、小さい時からそういう趣向だったんですね・・・今考えれば(爆)
嫌な子・・・!!(笑)