『だらりの帯に、ぽっくり履いて』 「もうすぐ、ひな祭りだよね」 「・・・・そうだな」 二月が、もう終わろうかという週日に。 リビングでソファに寝転びながら何気なくそう口にしたファントムを、アルヴィスは硬い表情で見返した。 「女の子の行事だし、ウチにも雛人形があるわけじゃないけれど・・・・」 そう続けるファントムの顔には、いつもと変わらない、甘く優しい表情が浮かべられている。 微かに頭を揺らす度に一緒にサラサラと揺れる、銀色の髪はまるで、光の糸を束ねたかのようで。 神の手によって形作られた雪像の如く繊細に整った美貌も、透き通るアメシスト色の瞳も、・・・いつもと同じだ。 だが、アルヴィスは表情を緩めないまま、隣で寝転ぶ相手にボソリと言葉を吐いた。 「・・・・・ウチでもやるとか、正月みたいなのは御免だぞ」 この顔と、この甘い声で。 アルヴィスはもう、何度も言いなりに流されて―――――――迷惑を被ったか数え切れない程なのである。 今も、その嫌な予感がバリバリだ。 ハロウィンでは、仮装と称してシスター服(つまり女装だ)を着せられたし。 クリスマス当日にはファントムと一緒にサンタの格好をさせられて。 正月は、この国の伝統がどうたら、海外の友人に国の伝統行事を見せたいとか何とか誤魔化されて、女物の晴れ着を着せられる羽目となった。 バレンタインの、耳と尻尾と肉球付き手袋&靴下の、猫ファッションをさせられたのはまだアルヴィスの記憶にも新しい。 「えぇー? いいじゃない、試験終わってもう春休み入ってるんだし、少しくらい遊んでも!」 「遊び方が問題なんだ!!」 案の定、よからぬ事を考えていたらしく、ファントムがそのキレイなアーモンド型の瞳を見開いて文句を言ってきた。 しかも、アルヴィスのセリフを否定していない。 やはり、『ひな祭り』にかこつけて、アルヴィスで遊ぶ気なのだ。 「絶対、雛人形の格好とか、ヤダからなっ!!?」 「・・・・・・・・・・・・・」 そうはさせるもんか・・・と、アルヴィスがキッパリと宣言すれば、年上の恋人は少し考え込むような顔をした。 図星だったから、諦めてくれるつもりなのだろうか? いや、ファントムの性格ならば、それはまずあり得ないだろうが。 「・・・・・・・・ああ、十二単(ひとえ)も、ありだよねえ」 「・・・・・・は?」 考え込みながら言うセリフが、とても微妙だ。 やはり、油断は出来ない。 「でもアレじゃあちょっと、パーティー向きじゃないんだよね」 「・・・・・・・いや、俺は着ないし」 「お正月の、着物パーティーが斬新な感じで楽しかったから、また皆で着物姿で遊びたいなって思ったんだけど」 「・・・・・・・・だから俺は、着ないって・・・!」 というか、ひな祭りパーティーなるモノを開くのは、既に決定事項らしい。 「裾長いから、絶対アルヴィス君つまづくと思うし」 「ふざけるな! 俺はそんなドジじゃないっっ!! ・・・・ていうか着ないからなっ!??」 「まあ、アルヴィス君がどうしても着たいなら、オーダーするけど」 アルヴィスの主張など、右から左だ。 普段は地獄耳を通り越す程の耳の良さなのに、こうした都合の悪い事は一切聞こえない辺りが本当に見事だと思う。 「だから誰が着たいなんて言ってる!??」 「んー・・・と言うわけで、十二単はまたの機会にねアルヴィス君」 「・・・・・・・・・・・」 またの機会なんて無くていい――――――・・・内心で強くそう思ったアルヴィスだったが、言う気力も無くして押し黙った。 言うだけ、無駄だ。 口でファントムに勝てた試しなど、1度もない。 「・・・・・・・・・・・」 ブスッとしたまま。 アルヴィスは傍で寝転んでいるファントムと反対側の方へと、ソファの肘掛けにクッションごと上体を凭(もた)れ掛けさせた。 ファントムとは、足先だけが触れ合っている状態である。 「おひな様パーティーだから・・・・やっぱり、着物は赤が良いよね。フォーマルでいくなら黒だけど・・・・」 反対側に寝転んだ為、ファントムの顔は見えないが声はしっかり聞こえてくる。 「柄は、・・・ああ、3月だから菜の花に蝶を飛ばした柄とか可愛いかな?」 「・・・・・・・・・・・・・」 アルヴィスが一切返事をしなくても、ファントムはとても楽しそうだ。 「だったら赤じゃなくて、白っぽい地に黄色の花のが映えるかも・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・」 アルヴィスには既に、ファントムが何のことを喋っているのかがよく分からなくなってきていた。 恐らく着物の事を喋っているのだろうが、菜の花だの蝶だの言われてもイメージが湧かない。 菜の花なんて、おひたしで食べる物だという認識くらいしか無いし、蝶に至っては春にヒラヒラ飛んでる虫で、触ると手に粉が付く・・・くらいの印象だ。 「白地の着物に、鮮やかなオレンジ色の、だらり帯をキュッと締めて・・・・菜の花の花かんざし挿したらきっと、すごく可愛いよ」 「・・・だらりおび?」 「あ、知らない? K都の舞妓さんが締めてる、あの長く垂らしてる帯だよ」 聞き慣れない言葉にアルヴィスが口を開けば、サラッとファントムが答えてくる。 「・・・まいこさん・・・」 言われてアルヴィスの脳裏に、顔を真っ白く塗った着物姿の女性が浮かんできた。 そういえば、半分ほどけてるのかと思う程、帯の先が垂れ下がっていたような気もする。 だが、何故に今、唐突に舞妓の話になるのか。 そう問おうとした途端、ファントムが確定的な言葉を口にした。 「普通の着物は、お正月に着せちゃったしさ? 今回は舞妓さんの格好とか、可愛いと思うんだよね!」 「!? ちょっ、・・・ちょっと待て・・・・!!」 ファントムの言葉に、焦ってアルヴィスは起き上がる。 さっきから感じていた、嫌な予感が的中だ。 「なあに、アルヴィス君?」 「・・・・っ」 その猫を思わせる、感情を伺わせない紫の瞳に見つめられ・・・一瞬アルヴィスは口籠もってしまった。 いつ、どんな時でも。 ファントムの顔を見ると、アルヴィスは僅かな間、思考が停止してしまう気がする。 見慣れている筈なのに・・・・1番、間近で良く見知っている顔な筈なのに・・・・・眼が合った一瞬に心臓が跳ねて、息が止まりそうになる心地がする。 ――――――昔から、アルヴィスはファントムの顔に弱いのだ。 だが、意を決してアルヴィスはファントムに向かい、口を開いた。 ここで負けてしまったら、ファントムの思うつぼだ。 異を唱えてた所で、結局は言いなりにされてしまう確率は極めて高い・・・・けれど、それでも僅かな希望に縋りたい。 口でアルヴィスがファントムに勝てるなど、万が一にもないと分かっているが、やっぱりここは嫌だと訴えたいのである。 この不毛な言い合いは、パーティーが企画される度に毎回繰り返され、そしてアルヴィスが負け続けてはいるのだが・・・・それでも。 万に一つの可能性を願って、アルヴィスは言わずにいられない。 「それは、・・・それは俺が、するってことなのか・・・・!!?」 「うん、そうだよ」 「・・・・・・・・うっ、・・」 アッサリと笑顔で肯定され、アルヴィスは早速そのまま挫けそうになった。 そんな自分の気持ちを鼓舞して、懸命に言葉を絞り出す。 「俺、・・・・そういうの・・・・やなんだけど・・・」 アルヴィスなりの、切なる訴えだった。 この際もう、パーティーだとか何だとか、そこら辺はどうでもいい。 本音を言えば、華やかに催されるそういったイベントごとに参加するのすら好きでは無いし。 見知らぬ他人と顔合わせするのも、アルヴィスは苦手である。 けれどもファントムは、そういった賑々(にぎにぎ)しい事が大好きだし、ファントムと暮らしてる以上、そういうイベントごとは避けられないのだと諦めてもいるアルヴィスだ。 だけど、せめて。 せめて、普通の。 一般男性が参加する時の、パーティー用の格好で参加させて貰いたい―――――・・・と願うのは、アルヴィスのワガママなのだろうか? 「嫌? どうして?」 「だって俺・・・男だし」 至極当然の理由をアルヴィスが答えれば、年上の幼なじみ兼恋人は、満面の笑みを浮かべていつも通りの言葉を吐いてきた。 「大丈夫だよ! 似合うから」 「・・・・・・・・・・・」 これである。 『似合うから』。 この言葉ひとつで、ファントムはアルヴィスを何度も説き伏せてきた。 ある意味、伝家の宝刀的言葉である。 「いや、だから似合うとか似合わないとか・・・・・」 「え、そういう問題だよ。ブサイク面なデブが、身体のラインくっきりなミニドレスとか着てたら気分が萎えるじゃないか!」 「・・・・・・・そりゃそう・・・かもだけど、・・・」 「ね? だから似合うなら問題無いよ。アルヴィス君なら間違いなく、可愛い舞妓さんになれるからvv」 「・・・・・・・・・・・いや、だから俺、似合わないし・・・・っ!」 「自分が似合うモノってね、意外と本人は分からないんだよアルヴィス君」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・」 値段が安価で、機能性がそれなり。 着やすければそれでいい・・・・そんな考えで服装を選んでいるアルヴィスには、確かに自分は何が似合うとハッキリ言えるモノは無い。 だから、こう言われてしまうと――――――・・・悔しいが、アルヴィスには返せる言葉が見つからないのだ。 「アルヴィス君が」 アルヴィスの気持ちも知らぬげに、ファントムが嬉しそうに言葉を続ける。 「菜の花の、花かんざし挿して。それと揃いの柄の、着物きて」 「・・・・・・・・・・・」 「オレンジのだらりの帯に、厚底のぽっくり履いたら、きっとすっごく可愛いよ」 にっこり笑い、とてもとても楽しそうにそう言ってくるから―――――――アルヴィスはもう、何も言えない。 「ボク、・・・・・見たいなあ」 そうやって。 お願いするみたいに、少し小首傾げて見つめて来られたら・・・・・・・・もう、首を横に振ることが出来なくなる。 「可愛いアルヴィス君が、ボクは見たいよ?」 「・・・・・・・・・・う」 からかいだとか、悪意からの言葉じゃないと分かるから。 ファントムが、ただ純粋に・・・・・『そういう姿のアルヴィス』が見たいだけなのだと分かるから。 「・・・・似合わ、ない・・・し、絶対ヘンだと思う・・・・」 「似合うよ。ボクが保証するから」 「いや保証されても・・・・」 「アルヴィス君は、ボクの眼が信じられないの?」 「・・・それは、」 こんな風に言われてしまったら、そんなことは無いと返すしか術は無く。 「・・・・・・・・・だめ?」 お伺いを立てるみたいに聞かれたら、――――――もう、嫌だとは言えなくなる。 「・・・・・・・・・駄目・・・じゃない」 熱く火照った頬を気にしながら、アルヴィスがそう答えれば。 目の前にある、白皙(はくせき)の美貌が、嬉しそうに破顔した。 「じゃあ、オーダーしなくちゃ♪」 「・・・・・・・・・!」 ウキウキとした口調でそう言われて、アルヴィスはまた自分が流されてしまったことに気付いたが、もう後の祭りである。 結局、アルヴィスはファントムのお願い口調に弱いのだ。 高圧的に言われると、何処までも反抗したくなるが、下手に出られると酷く弱い。 また騙されたという気がしないでもないけれど、あんな風に聞かれてそのまま突っぱねられる程には、アルヴィスも心が強くなかった。 「サイズはお正月に測ってるから、そのまんまでいいよね。早くオーダーしとかないとパーティーに間に合わないなあ・・・!」 「・・・・・・・・・・」 今までの、怠惰っぷりは何処へやら。 ファントムはピョンと音が出そうな勢いでソファから立ち上がると、大股に傍らのライティング・デスクに近づいてカタログを引っ張り出した。 その表紙が、しっかり舞妓特集な辺りで――――――今、急にファントムが思いついた訳では無いのだと知る。 つまりは、思いっきり計画的だったということだ。 だいたい、帰国子女のファントムがこんなに舞妓に詳しいのだって考えてみればおかしい。 だらりの帯だの、花かんざしだの・・・・ずっとこの国育ちなアルヴィスだって聞き覚えが無いような専門用語を、すらすらと口に上らせるのは不自然だ。 悔しいが、アルヴィスはファントムの策略に、思いっきり乗せられてしまったようである。 「あー、それからお菓子も取り寄せないと。アルヴィス君は、関東と関西、どっちの雛あられ好きだったっけ? お米のヤツだった? 粒が大きいの・・・?」 「・・・・甘いのがいい」 それでも。 こうしてちゃんとアルヴィスが、雛あられ好きなことを覚えている辺りで、許してやろうかと言う気になる。 「ああ、どっちのも好きだったっけね。じゃあ、お米のもお餅のあられも、両方取り寄せようか」 恥ずかしい格好でも何でも、・・・・ファントムが望むなら、叶えたいと思う辺りがもう色々、手遅れなのだろう。 それでも、機嫌の良さそうなファントムの顔が見れるなら―――――――それでいいと思っているアルヴィスが居るのも、また事実だ。 ―――――――これが、好きってことなのかな・・・・・。 ひな祭り当日のパーティーでの、自分の格好の事はひとまず思考の外へと置いやって。 恋人の嬉しそうな顔と、実はさりげなく好物である雛アラレを思い浮かべ・・・・・唇の両端を、無意識に笑みの形へと吊り上げるアルヴィスだった―――――――。 END ++++++++++++++++++++ 言い訳。 日記からのサルベージです。 何となく、アルヴィスに舞妓さんの格好させようと画策するトム様が書きたかったんですよね(笑) ていうか、舞妓さんの花かんざしとかぽっくりとか、だらりの帯なんかの単語を楽しそうに口走るトム様が書きたかったというか。 そして、それに絆されるアルヴィス(爆) ひな祭りとあんま関係無いんですけど、着物繋がりで。 仮装させるなら、お雛さまの格好かなと思ったんですが、親王ファッションだと十二単で・・・アルヴィスなら舞妓さんの方が似合うかなと(笑) 同じカツラ被せるのでも、おすべらかしなあの髪より、舞妓さん風の方が可愛い気がするんですよねvv ちなみに、舞妓さんが挿してる花かんざしと着物は、月ごとにモチーフが替わります。 1月なら稲穂と白鳩、3月なら菜の花・・・といった具合です。 なので、ひな祭りが3月ですから、菜の花にしてみました(笑) |